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1-11.戴冠式カンタータ

彼らの神々はどこにいるか、

彼らの頼みとした岩はどこにあるか。

彼らの犠牲のあぶらを食い、

灌祭(かんさい)の酒を飲んだ者はどこにいるか。

立ちあがってあなたがたを助けさせよ、

あなたがたを守らせよ。

今見よ、わたしこそは彼である。

わたしのほかに神はない。

わたしは殺し、また生かし、

傷つけ、またいやす。

わたしの手から救い出しうるものはない。

わたしは天にむかい手をあげて誓う、

わたしは永遠に生きる。


(申命記第三十二章より)

『葬送カンタータ』は、演奏されなかった。

 難し過ぎるという話ではあったが、実のところは読書協会に入会しないぼくに対する嫌がらせだろう。書き直せと何度も言われたが、そんな気は毛頭ないと言って断った。ぼくの作品をなぜ下手糞な楽団などに合わせなければならない?

 しかしなんてことだ。ぼくはこのカンタータでいったん死にたかったというのに。今までの弱さ、迷い、絶望のすべてを、葬り去りたかったというのに。計画は台なしだ。


 失意のうちに、季節は変わり、夏になった。すると今度は、ヨーゼフⅡ世の弟で新しい皇帝になるレオポルトⅡ世の戴冠式がフランクフルト・アム・マインで行われるからと、彼らのもう一人の弟でボンを支配しているおなじみのマクシミリアン・フランツ選帝侯から『戴冠式カンタータ』を書くようにと命令された。おそらくぼくが『葬送カンタータ』を書いたという噂を聞き付けてのことだろう。面白半分にこんなことを言うのに違いない。

 なぜか今回、読書協会は何も言ってこない。ヨーゼフⅡ世には興味があったが、新しいレオポルトⅡ世にはないのか。

 しかし今回のもつれはぼくにとっては都合が良かったので、選帝侯の命令を快く引き受けた。何よりも自分のためにだ。『葬送カンタータ』は演奏はされなかったが、ちゃんと仕上がっている。今度は戴冠というのが当然の流れだ。ぼくは『葬送カンタータ』の作曲によって一度は自分を死に追いやった。今度は新しい自分のために、戴冠式を断行しなければならない。


 今度はアヴェルドンクの真似をしてぼくが詩を書いてみた。モチーフにしたのは、モーツァルトとの思い出の詩である、シラーの『歓喜に寄す』だ。詩も、そして音楽も、渾身の力を込めて仕上げた。

 すると、その曲が、フランクフルト・アム・マインで演奏されることになった。ぼくはアヴェルドンクと手を打ち鳴らして喜び合った。

「モーツァルトも来るらしいよ」

 とアヴェルドンクは言った。

「え?」

「フランクフルト・アム・マインに、彼が来るんだって。ルイ、また彼に会えるね」

「本当か?」

 ぼくは彼を見つめたまま動けなくなった。

「本当だとも。ただ、彼は戴冠式には出ないらしいよ」

「え?」

「ウィーン楽団として来るんじゃなくて、個人的に来るそうだ。なぜなのかは知らないけど……」

「……」

 モーツァルトは、ぼくと別れてからすぐにウィーン宮廷作曲家になったと聞いていた。きっと宮廷の中で孤立でもしているのだろう。それで、今回の戴冠式の楽団メンバーに入れてもらえなかったのだ。

「モーツァルトとは、会えないよ」

 ぼくはアヴェルドンクに言った。

「え? なぜだい?」

「ぼくは()にとって、疫病神なんだ」

「なんだって? そんなこと……」

 アヴェルドンクはその美しい緑色の瞳をぼくに真っ直ぐに向けてくる。

「いや、本当なんだ。ぼくが三年前にウィーンに行ったとき、ぼくは、彼に捨てられてしまったんだ。ぼくが彼を駄目にしてしまうところだったんだ。何もかもぼくのせいで壊れてしまった」

「ルイ、そんなこと、君の思い違いじゃないのかい?」

「いや、ぼくと彼との仲は、駄目になってしまったんだよ。ぼくは彼に相応しくなかったんだ」

 ぼくはあの悲しい春の日を思い出して、泣いてしまった。

「ルイ、ごめんよ。嫌なことを思い出させてしまったね」

「……いや」

  ぼくは涙を拭って、顔を上げた。

「とにかく、『戴冠式カンタータ』が演奏されるのなら、ぼくはフランクフルト・アム・マインに行く。君も一緒に」

「ああ、もちろん」

 彼は快諾してくれた。

 

 一七九〇年十月五日。

 フランクフルト・アム・マインにて、戴冠式に合わせて単独でここに来ているというモーツァルトを記念して、『ドン・ジョヴァンニ』が上演されるというので、アヴェルドンクと一緒に聴きに行った。

 アヴェルドンクがどうしてもと言うから、来たのだと、自分にそう言い聞かせながら、劇場までの道のりを二人で歩いた。どうやって隠れようか、やっぱりやめようかと、考えていたくらいだったが、一足一足ごとに、ためらいがときめきに変わっていき、会場が見えてくると、モーツァルトに会ってはいけないというぼくの心は忽然(こつぜん)と行方をくらまし、深層心理にあった熱情が湧いてきて、ぼくは身体が引きちぎれそうなくらいに胸を躍らせた。

 だが、いざ劇場に入ってみると、彼女の『ドン・ジョヴァンニ』は演奏されておらず、ディッタースドルフのどうでもいい作品が鳴り響いていた。当然、そこに彼女の姿はなかった。

 

 十月九日。

 戴冠式会場で、ぼくの『戴冠式カンタータ』が演奏された。ぼくはその音楽の指揮をした。

 初めての大舞台だった。

 ここでも聴衆の中にモーツァルトを捜す。演奏などそっちのけだ。だが、見付からない。

 

   万歳! 万歳! 万歳!

   跪けよ百万の人々よ

   香煙る祭壇の前に!

   帝位の主人に目を向けよ

   この人こそ平安を生み出す人!

   鳴り響け、歓喜の合唱

   世界がその声を聞くように!

   彼こそ我らに平和と安寧を与えし者

   偉大なり!

 

 彼女はこの町のどこにいるのだろう。もうこの音楽も終わってしまう。ぼくの晴れ舞台を見てもくれないのか。ここにいるぼくを知らないのか。まだちっぽけなぼくだが、あのときよりは少しだけ背が伸びた。

 この詩を覚えているだろう。あの時に二人で選んで曲を付けた、シラーの『歓喜に寄す』だ。君のためにこの詩を作った。君とぼくのための歌だ。

 君が会うのを嫌がったとしても、君の意思など関係なく、ぼくは君に会いたい。こんな何事にも至らない今のぼくをまだ見られたくはないが、君を見付け出し、この手で抱き締めたい。ぼくはまだ、君のことを……。

「!」

 見付けた! ぼくは指揮を終えて挨拶の()(なか)、舞台から観客席に飛んでいく。

「きゃあ! 何をするの!」

 しかし見間違いだった。ぼくが肩を掴んだ女は彼女に感じはよく似ていたが、全くの別人だった。そうだ、彼女は男装のはずだ。女の格好をしてはいない。ぼくはもう一度聴衆を眺めた。

「ルイ、駄目だよ」

 そこへアヴェルドンクがやってきて、背中を押す。

「もう行こう」

彼女(※※)はここにはいないのか?」

「ルイ」

「よく見てくれ。捜してくれ。彼女(※※)をもう一目見たいんだ!」

「よせ。君の晴れ舞台に。恥をかくことになるから……」

 アヴェルドンクは荒れるぼくを上手になだめ、宿泊先のホテルに連れ帰った。

 葬るための『葬送カンタータ』は演奏されず、戴冠だけしてしまった。葬ることなく、王座に向かってしまったのだ。

 それがどういうことを意味するのか。ぼくはあの時の間違いを、そのまま引きずっていくのか……。

 彼女に対するぼくの想いは、まだ少しも衰えることなく続いていた。どうしたらいい。本当は、このまま先に進んでいいのかも分からないのに。

 

 十月十二日。

 今度はベーム一座がモーツァルトのオペラを上演するというので、半信半疑で行ってみた。するとそこには確かに彼女の音楽があふれていた。『後宮からの誘拐』だ。ぼくは舞い上がり、その曲を途中まで舞台にかじりつくようにして聴いていたが、そんなことより彼女を捜さねばと、思わず舞台に上がろうとしてしまった。するとすぐに異常者だと騒がれて、つまみ出された。それでもぼくは諦めず、劇場の中に彼女がいるに違いないと思い、外で密かに張り込んだが、結局彼女の姿は、見付からなかった。

 それからも、フランクフルト・アム・マインにいる間中、ぼくは町中を捜し尽くしては、アヴェルドンクに引き連れられて宿に戻る、という生活を繰り返した。しかし彼女の影さえ見付けることはできなかった。


 失意の中、ボンに戻り、葛藤(かっとう)に明け暮れていた頃、さらなる事実が発覚した。

 父ヨハンが、またしてもぼくを手酷く裏切ったのだ。彼は、モーツァルトがフランクフルト・アム・マインに来ると知り、彼女に会いに行こうとしたのである。このことは、今回のことを一緒に策謀して裏切られたというヨハンの元相棒から聞き出した。

 ぼくが行くと分かって、その計画は撤回したようだが、彼女を手玉に取って金を巻き上げようとしたことは火を見るよりも明らかだ。もう、ぼくの譲歩も限度を超えた。

 彼はそれを察してすぐに家を出ていった。もうしばらくは帰ってこないだろう。帰ってきたとしても家には入れない。もう赤の他人だ。今後どんなことがあろうと、彼は、ぼくに愛されることはないのだ。


 それから二か月後。一七九〇年のキリストの誕生日。

 音楽家ハイドンが、ザロモンというボン出身の詩人に連れられてボンにやってきた。

 ザロモンは七年前くらいまでボンにいた。あの「父を(かた)(けだもの)」と一緒に暮らしていたのだが、どこをとっても真人間だったため、ぼくとも気が合った。ぼくたちは仲の良い友人同士として音楽の話をよくした。本当にとても気さくな善い人だ。ボンでわりと有名人の彼だが、今回ばかりは脇役。みんなハイドンを一目見たくて大騒ぎしていた。

 だが、ぼくは彼を見に行かなかった。なんでもハイドンという人は社会的常識の備わった人だとかで、その凡庸さも想像できた。わざわざ幻滅するために会うことはないだろう。

「ベートーヴェン君!」

 宮廷でオルガンを弾いていると、選帝侯が呼びかけてくる。

「実はハイドンに君を紹介しようと思ってね」

「……」

 そういうわけで、明くる日に予定されているというハイドンのための晩餐会に出席することになってしまった。

 会場は、ザロモンとハイドンが泊まっている宿だった。ぼくを含めて十人の音楽家が招かれていた。

「紹介したいのはベートーヴェンという青年です。彼は本物の天才ですよ」

 と、扉の向こうから大声が聞こえてくる。主役のお出ましだ。

 ぼくたちが立ち上がって待っていると、やがて大きな扉から、のっぺりとした味のある大きな顔が現れた。

「やあ、君か、噂のピアニスト君は」

 やたらと陽気な老人。これがハイドンか。

「はじめまして。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンといいます」

 ぼくが(うやうや)しく挨拶すると、

「ヨーゼフ・ハイドンです。ザロモンから話を聞いて、今回ぜひ君に会いたかった」

 と彼も感じ良く言ってきた。

「彼の演奏を一度聴いてみてください。実に独創的で深い音楽なんです」

 と、ザロモンが爽やかな声でハイドンに言う。

「ぜひ聴きたいな。弾いてくれるかい?」

 とハイドン。気が進まなかったが、近くにあったクラヴィーアで、ぼくは弾いた。モーツァルトの主題による変奏曲。

「なるほど……」

 彼はうなるように呟く。それ以上は何も言わなかった。

 ぼくは黙って席に戻る。ふと顔を上げて周囲を見渡すと、皆が眉根を寄せてぼくを見ていた。なんとなく分かっていた。今のぼくの心の模様では、どうせろくな演奏などできやしない。完全さのかけらもないぼくの全霊、ぼくの中の(けだもの)が、鍵盤の上で暴かれただけだ。

「どうだろう、ベートーヴェン君。私と一緒にロンドンへ行かないか?」

 食事のあと、ハイドンは言った。

「君はまだすべてに(わた)って狭い気がする。私も狭いから、これからロンドンに出かけるのだが、私と一緒に、外国を経験してみないか?」

「……そうしたいのはやまやまなのですが……」

「できない事情が?」

「ぼくには家族がいます。ぼくが養わなくてはならないのです」

「お父上は?」

「いません。弟たちだけです」

「皆、音楽家を志しておられるのかね?」

「いえ、ぼくと上の弟の二人だけです」

「では、その子も連れていこう」

「……いえ、結構です」

 ぼくはきっぱりと断った。確かに普通の状況ならば、夢のような話だ。だが、今のぼくには、父を(かた)(けだもの)が取り憑いていて、離れない。音楽家を続けていくかどうかすら、考えているところなのだ。

 ハイドンとザロモンは、その次の日にロンドンへと旅立っていった。


 その明くる日、ぼくはいつものように「ツェーアガルテン」に入り浸っていた。

「ルイ」

 とそこへ、ワルトシュタインがやって来た。

「どうしてだい? せっかくのハイドンの誘いを」

 彼は聞いてくる。彼に悩みを打ち明けるべきか。

「やむを得ないよ。いきなりぼくがロンドンに行ったりしたら弟たちはどうなる」

 少し考えたが、当たり障りのない答えが口から出てきた。

 彼はぼくが安物のコーヒーを飲んでいるのを見ると、奢るからと言って高い飲み物を注文する。そしてぼくの向かいに腰を下ろした。

「そんなことはどうにでもなることだ。ぼくの家でよければいつでも弟さんたちを預かるよ」

 彼は親切にもぼくの言葉を()()みにして、そう申し出る。

「ありがとう。だが、ぼくには……」

 言おうとしたが、どうしても言い出せない。

「どうしたんだ。何かあったのか?」

 彼はぼくの異変に気付いてしまった。

「何もないさ」

 親身になって尋ねてくれる彼には申し訳ないが、こんなことをどうして話せようか。頭の中は、ここ三年間で溜め込まれたモーツァルトへの想いと、父を騙る男によって与えられた打撃で、いっぱいだった。

『ルートヴィヒ』

「!」

 父を騙る男の声が聞こえる。昔の穏やかな声だ。今さら、ぼくに何を言おうというのだ。

『おまえはどう考える? 俺のような人間の内面について』

 彼は語り始める。

『それは、いわゆるエリートには決して分からない、ろくでなしの内実さ。こんなものはおまえには一生知ってほしくないが……。そうだ、芸術家という本当の意味でのエリートには、縁のない感覚だからな。だが、覚えておいてほしい。ろくでなしは、みんながみんなそうじゃないかもしれないが、少なくとも俺は……』

 そのあとの台詞は思い出せない。

 父を騙る男ヨハンは、ぼくが怒りをもって追い出した日からそう遠くない日、どう高く見積もっても善いとは言えない仲間たちに連れられて戻ってきた。

 彼はまともな姿ではなかった。異常にやせ細って、まるで重病患者のようだった。

 ぼくは彼を家に入れまいと決めていたが、彼は倒れ込むような形で家の中まで入ってきてしまった。そして、いきなりベッドに倒れ込むと、それきり動かなくなった。

 それからの彼の状態は全く知らない。甘い家政婦が彼の面倒を見てはいたが、ぼくはもう二度と彼の顔も姿も見る気はなかった。弟たち二人にも、決して見てはいけないと言った。あれは父ではないのだからと。

『ルートヴィヒ、俺は……』

 またどこかから、彼の声が聞こえてくる。彼は、まだ彼が人間らしい、それどころか真人間らしい姿をしていた頃のことを話す。

『俺は親父が嫌いだった。小さい頃からいつか親父を失うことを考えては、その自由を夢見たもんだ。親父にとってもそれは同じだった。それに気付いたのは、マリアのことで反対されたときのことだ。彼は俺を愛していたか? 決してそうじゃない。だが、幼い頃から感じていた。彼の愛は強かった。信じていた。俺は彼を愛して疑わなかった。だが、俺の心を育んだのはいいが、その心が生きることを、彼は許さなかったのだ。彼は俺に独り立ちできるだけのすべての術を与えながら、それを決して許さなかった。決してな。

 逆らえなくなるほどに、追いつめられることがある。それは精神力なのか、愛なのか、その力がなんなのかは謎だが、俺は彼に追いつめられて、いつしか一言も語れなくなってしまった。酒でも飲まなければ、戯言(たわごと)も口にできないほどに、追いつめられた。それが情けないと、惨めだと言われようが、どうにもできない。

 俺を裁いたのはいったいどういう力なのか。二度と勇み立てなくさせるほどの、魂を再起不能にするほどの力とは……』

「……」

 そういった本当の意味での権力とは、いったいどこから来るのだろう。彼に限らず、そういうものに踏み付けられ、勇み立つ余地が無くなるものは、どこの空間にもあふれている。押し(つぶ)されていくものは、誰からも徹底的に押し潰される。

 何も()りどころがない彼らは、神、あるいは愛なるものに踏みにじられるままに、地下に追いやられていく。彼らを動けなくするものは、自分という人間への完全な絶望、永遠に光の差し込まない完全な埋没。そこへ追いやったのはエリート意識を持ち得る者たちの裁き。彼らはそれに押し流され、かき消えなくてはならなかった。その殺人行為に、彼らが同意しなければならなかったのはなぜなのか。彼らの魂を掘り起こすことができなかった者どもの失態は、どこで方向付けられ、どのように恥も知らずに上昇していくのか。

 そして完全犯罪に遭った彼らの行き先は? そうした逆らいようのない暴力が運んでいく、その先に広がるのは、奪い尽くされた者たちに相応しいものなのか。

 努力しようと、努力すまいと、奪われるためだけにこの世に在る者、その反対に、奪うためにのみ存在する者、その悲劇的な仕分けの線が、ぼくの目の前で今、揺れている。

 踏み越えて行こうとすると、足の裏から、犠牲者の悲鳴、断末魔の叫び、血の汗の祈りの声が、聞こえるのだ。


「おい、大丈夫か」

「!」

 ふと我に返ると、ワルトシュタインがぼくの顔を覗き込んでいる。

「ぼくで良ければ、相談に乗るよ」

 と彼は言ったが、ぼくは首を横に振った。

「君は、あのお父上のために自分の芸術を捨てる気なのか?」

「……ほ、ほっといてくれ」

 ぼくはよろめきながら席を立ち、店を出る。ひどく吐き気がした。

「君は自分の才能を知らないんだ!」

 彼はわざわざ追いかけてきてなおも言った。

「君ははっきり言って天才だよ。これから勉強していけば必ず、あのモーツァルトと張り合える音楽家になれるはずだ」

 モーツァルトの名が出て、思わずぼくは目を細めてしまう。危うく泣きそうになった。

「ワルトシュタイン……」

 ぼくは切なさを噛み締めながら、振り返って彼に言った。

「あの父という名の(けだもの)の存在の、その理由(わけ)を、今ぼくは、考えているところなんだ」

「……?」

 彼はぼくの言うことが理解できないようだったが、もうそれ以上問い続けることはしないでくれた。

【参考文献】


★『ベートーヴェン』(上)(下)

      メイナード・ソロモン著 徳丸吉彦、勝村仁子訳(岩波書店)

★『ベートーヴェンの生涯』(上)(下)セイヤー著 大築邦雄訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの生涯』青木やよひ著(平凡社)

★『ベートーヴェン 生涯篇』属啓成著(音楽之友社)

★『ベートーヴェン書簡選集』小松雄一郎訳(音楽之友社)

★『ベートーヴェンの虚像をはぐ』武川寛海著(音楽之友社)

★『古代の宇宙論』

    C・ブラッカー、M・ローウェ編 矢島祐利、矢島文夫訳(海鳴社)

★『世界創造の神話』

    M=L・フォン・フランツ著 富山太佳夫、富山芳子訳(人文書院)

★『ギリシアの神々』曽野綾子、田名部昭著(講談社)

★『ギリシア・ローマ神話事典』

    マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル著 

     木宮直仁、西田実、入江和生、中道子、丹羽隆子訳(大修館書店)

★『プロメテウス―ギリシア人の解した人間存在』

         カール・ケレーニイ著 辻村誠三訳(法政大学出版局)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ベートーヴェン』(音楽之友社)

★『作曲家別 名曲解説ライブラリー ハイドン』(音楽之友社)

★『コンスタンツェ・モーツァルトの結婚―二度ともとても幸せでした―』

                 〈音楽選書65〉

       ヴィゴー・ショークヴィスト著 高藤直樹訳(音楽之友社)

★『シカネーダー伝―『魔笛』を書いた興行師』原研二著(新潮社)

★『現代医学のみた大作曲家の生と死 ハイドン/モーツァルト』

       アントン・ノイマイヤー著 礒山雅、大内典訳(東京書籍)

★『ハイドン(1970年)(永遠の音楽家16)』

        ピエール・バルボー著 前田昭雄、山本顕一訳(白水社)

★『モーツァルト』メイナード・ソロモン著 石井宏訳(新書館)

★『比類なきモーツァルト』

        ジャン=ヴィクトル・オカール著 武藤剛史訳(白水社)

★『ベートーヴェン事典』平野昭、土田英三郎、西原稔編著(東京書籍)

★『ベートーヴェン大事典』

      バリー・クーパー著 平野昭、横原千史、西原稔訳(平凡社)

★『モーツァルト大事典』ロビンズ・ランドン監修 海老澤敏訳(平凡社)

★『ベートーヴェン全集』(講談社)

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