恩の押し売り
米国ネバダ州エリア51・地下研究室────。
「胸花・フォン・リーネが失敗したようです」
白衣に身を包んだ研究員の男が、向かいの男にそう告げた。
フラスコや冷蔵庫など、多くの器具が散らかる部屋には冷たい風が流れ、薄暗い灯りが一つ灯っている。
「そうですか」
ガゼルの腹わたをいじりながら研究員の報告を聞き流す、向かいの男。
これまた白衣を纏っており、長い金髪にフレームの薄いメガネをかけている。
湿気のこもるラボ。白衣の二人の顔は、前髪に落ちた影のせいで隠れていた。
「やけに冷静ですね。急務だったのでは?」
「もちろん、一刻も早く手に入れたいサンプルです。しかしね、私はいままでに急いで成功した試しがないんですよ。あ、間違えた」
ブシュッと音をが鳴り、長髪の男の手元から血が吹き上がる。
床を流れ、足元まで伝った鮮血。しかしそれに見向きもせず、ただ眼前の男を見つめて研究員が怪訝に問う。
「だからのんびりやると?出遅れますよ」
「耳が痛いですね。それで、取られましたか?」
「はい」
長髪の男はガゼルの胴体から手を移すと、今度は細かな器具で眼球を慎重に取り除きにかかる。
「バディは?」
「正式な登録はまだですが、胸花の報告によると17歳の少年が魔法を使用したそうです。名前は────雛織悠」
研究員の告げた内容に男は手を止めて、天を仰ぎ記憶をたどる。
「そんな名前、名簿にありましたか?」
「ただの高校生です。終幕個体の奪取に一役買ったとか」
「雛織悠……その彼には、なにかありそうですね。調べておいてください」
「承知いたしました」
「それと、胸花には任務続行を命じます」
「よろしいのですか?」
「心配はいらない。今回は彼も投入します」
瞬間、研究員の背後にフッと吐息がかかった。
「なっ!?」
研究員はビクンッと背後の気配に反応する。
姿は見えない。後ろには闇だけ。その闇から聞こえる上機嫌な笑い声がさらに恐怖を掻き立てる。
「キヒッ!ウヒヒ!!見て見て!!ゼログラビティ~~!!」
自分の腰辺りからニュウとでた顔に、研究員はヒュッと息を詰まらせた。
パンチパーマのアフリカ系の少年。身体を斜めに倒し、口の端が裂けるほど口角を上げている。
その不気味な少年から、研究員はすぐに目を逸らした。
「よ……よろしいのですか?」
「イカロスから出た傑作の一人です。使わない手はない」
それだけ言うと長髪の男は止めていた手をまた動かし始めた。
「えへ、じゃあ~俺ちゃんは~ニッポン行くでござる〜♩アニメゲーム漫画~~~!!キャハッ!ギャハハッ!!」
冷たい闇。そこに少年の笑い声が溶けていく。
耳障りな残響が消え去り、研究員は振り返って少年がいなくなったのを確認する。
「エリス適合児童の訓練施設────イカロス。その問題児ですか」
「ご不満で?」
「彼……ザードには職員全員が手を焼いています。胸花に手懐けられるかどうか……」
「イカロスは私の箱庭です。そこで育った二人の特性も当然、理解していますよ」
「……保険は」
「ご心配なく」
長髪の男は振り返って、研究員に笑いかけた。
紳士然とした、英国貴族のような貴賓を纏う顔立ち。
ガゼルの返り血がこびりついた笑顔には、それ以上の追求を許さない威圧があった。
◆◆◆◆
「あいつ、今日も学校来ないで!!昨日叱られたばかりじゃないの!?」
学校から歩いて15分。山の上の個人経営スーパーの先にある大きな公園を、未海樹 環奈は大股で歩いていた。
足早に歩を進める度、手に持ったレジ袋がシャカシャカと音を立てて空気を殴る。
「というか、大規模な土砂崩れって書いてあったけどアイツん家ちは大丈夫なんでしょうね……」
未海樹は工事看板を横目に、倒壊した橋を迂回して階段を降りる。
そしてそのまま公園を進み続け、ボロアパートの前で一息ついた。
『ノープハイツ』
石塀に張り付けられた小さな看板にはそう書いてある。
ギリギリ読める字。所々黒ずんでいて読めなくなるのも近い。
錆びついた看板から目を離し、未海樹は階段を上る。
203号室。悠の部屋番号だ。
未海樹は躊躇なく、ドアノブに手をかけた。鍵はいつものごとくかかっていない。
「悠!!今日も学校来なかったわね!!来週こそは……え?」
バンっとドアを開け放つ。
しかしすぐに、未海樹の体が硬直した。
1Kの狭い部屋。キッチン奥に見えたのは、幼馴染である雛織悠と、灰黒色の肌をした少女が布団で横になっている光景だった。
「な……な…………」
「んあ……?」
「何してんのよあんたはーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!」
何者かの耳をつんざく咆哮で、僕は飛び起きた。
驚いて声の方を見れば、未海樹が玄関で肩を上下させている。
「未海樹!?何でお前が?」
「何でじゃないわよ!!登校してこないあんたを心配して、夕飯の材料まで買ってきたのにどういう状況よこれは!!」
一体未海樹は何に怒っているんだ……?
寝起きの頭をフル回転し、僕は状況を整理する。
まず、昨日僕はミズキの見舞いをした後、ナナとかいうガキを連れてあの蛇から逃げて……それから、火種に連れられて特務室とかいう場所に連れていかれて、その後は……。
「すー……すー……」
横には寝息を立てて眠る少女がいた。それを見て、僕はすべて理解した。
壁にかけられた時計は17時10分を指している。
朝方に帰ったきり、そこからずっと爆睡していたようだ。ということは……今は
金曜の夕方ということになる。
まずなにから説明したものかと頭を悩ませていると、ナナが目をこすりながら向くっと起き上がった。
「ん、おはよ。ゆう。」
「……おう」
「な……な……。悠が……幼女と……」
「おい、おかしな勘違いはやめろ。寒気がする」
「だってこの状況はどう見たってそう言うことじゃないのよ!」
「だからちげぇ!!」
数分後、何とか未海樹を落ち着かせた僕は、ナナを助けるために大蛇のエリスから逃げたことだけを伝えた。
火種の正体や特務室のことは当然伏せた。もし話したら、またキンキン鳴る声を聞くはめになるからだ。
「ゆるっせない!!」
僕が話し終えると、未海樹がちゃぶ台にお茶の入ったコップをドンと置いた。鼻息を荒くしている。
「襲われた蛇のエリスって、悠の家族をめちゃくちゃにしたあいつなんでしょ!?なんでこうも悠を追いかけるの!!」
「さあな」
僕は適当にあしらってコップに口をつける。
「さあなって……」
未海樹は拳を作ったまま俯く。
「あんた……悔しくないの……?」
理解できないとばかりに未海樹はこぼす。声のトーンが露骨に下がった。
未海樹はこの手の話題になるといつもこうだ。
過干渉。良く言うなら世話焼き。いつもの僕なら、面倒くさくなってあしらうだけだが、今回ばかりは僕も少し、考えさせられる。
悔しい、か……。
僕はカップをちゃぶ台に置く。
「あんときは、怖かった」
「え……?」
顔をあげた未海樹の眼には、涙が浮かんでいる。
「あいつの眼を見た瞬間。身体が凍った。立っていることしかできなかった。それどころかこいつを置いて逃げようともした」
僕はナナを見やる。本人は静かにお茶をすすっている。
「二度だ。二度、僕はあいつの前で情けない姿を見せた」
無意識にカップを持つ手に力が入る。
「次はない。必ず、僕はあいつに借りを返す。だから……お前が泣くこたねぇんだよ」
僕が言い終わると、未海樹は浮かんだ涙を拭い、ズビッと鼻をすする。
「泣いてない」
「嘘つけ」
未海樹はいじけるように顔を背けた。明らかに鼻の先が赤い。
鼻を目一杯かんだ後、未海樹はチラリとナナを見る。
「ところで……この子が蛇のエリスから助けた子?あんたが人助けなんて明日は雪かしら?」
「僕だってそのくらいする。お前と違って、誰でも彼でも助けるわけじゃないだけだ」
「なっ!こんな世話焼いてやるの、あんただけなんだからね!!」
未海樹は顔を赤くして、僕の脚を強く蹴った。体の適応が進んでいるせいで痛くない。
「はあ……それにしても、この子どこから来たのかしら。少なくとも日本人じゃないわよね?」
未海樹はナナの頬を、興味深そうにツンツンとつつく。
ナナもナナでゴロゴロと猫なで声を出しそうなほど、心地よさそうにしている。
「……さあな。僕にも分からん」
僕は返答に困って濁すことにした。
どうせエリスと言っても信じないだろう。パニックを起こされでもしたらもっと面倒だ。
だがその時、
「もしかしてエリスだったりするのかしらね」
「ゲホッガフッ!!」
未海樹が何気なくそう口にした。
僕は思わず、口に入れていたお茶を吹き出した。
「ちょっと、どうしたのよ!!もしかしてほんとにそうなの!?」
まさか未海樹が勘づくなんて思ってもいなかったから、ガラにもなく動揺してしまった。
こいつは昔から勘が鋭い。僕の嘘をなぜか毎回見抜いてくるんだ。
どうする……誤魔化すか?……いや、ここで誤魔化してもどうせ気づく。これは、隠しようがないな。
「まあ、そう……らしい」
「らしいって誰から聞いたのよ」
「……言えない」
僕は、どうしようもなくなってそう答えた。
詰められるのも覚悟の上だった。しかし、そんな僕の胸の内をも見抜いたのか、未海樹は小さく嘆息を吐いた。
「ま、いいわ。でも人型のエリスなんているのね」
ナナの頬を両手で挟み、フニフニと柔らかさを堪能している。
意外だ。僕はその光景を見て、最初にそう思った。
エリスの話題になると、すぐに僕の過去とリンクさせ、憎悪を募らせていた未海樹から、それがない。
ここまで警戒心を見せないなんて今までにないことだ。
「怖くないのか?」
「なんでよ。」
「いや……まあ怖くないならいいんだが」
手はナナに伸びたまま、未海樹は言い淀む僕を睨む。
「あんたが平気って言うなら平気なんでしょ。それに、こんな可愛いんだもの。私を襲ったりしないわ」
「……どーだか」
その時、キュルルとナナの腹が鳴った。
「おなかすいた」
不満げに腹を押さえるナナを見て、僕も空腹を自覚した。
「そういえば昨日の夜から何も食ってないのか……。スーパーで買った飯もどっかにやっちまったし」
「ふ~ん。じゃあ、この未海樹様があなたたちに夕飯を振舞ってあげるっ!」
まってましたと言わんばかりに、未海樹は立ち上がって胸を張った。
ふんっと強い鼻息も忘れていない。
「いらない帰れ」
「うるさい!!あんたのためじゃないから!!ナナちゃんのため!!」
言い放った未海樹は、ナナの目線に合うように膝を曲げる。
「ナナちゃん今からごはん作るから待っててね!カレーよカレー!!」
「かれ?」
「ちょっと、カレーも知らないの!?カレーって言うのはね────」
しばらくゆっくりできないことを悟り、僕は頬杖を突いて、窓の外に目を向けた。
外は東京にしては珍しく、雪が降っていた。
「明日は積もるな……こりゃ」
「できたわ!!」
十数分後、ドンとちゃぶ台に置かれたのは三皿の特盛のカレーライス。
山盛りに盛られたカレールーの布団に包まる野菜たちと、炊かれたばかりの米から上がる湯気を見て、僕の喉を大粒の唾が通る。
「さ、おかわりもあるからたくさん食べていいわよ」
「これ、なに」
ナナが銀製のスプーンを手で握る。
その持ち方は、幼児がはじめてスプーンを持った時のような、使い方すら理解していない時のそれだった。
「ナナちゃんいい?スプーンはこう持って、ごはんをすくう感じで口にいれるのよ。」
「むずい」
「最初だもの、しかたないわ。少しずつ慣れていこうね。」
未海樹がナナに持ち方を教え始める。
すっかり姉みたいに振舞ってやがんな。
そっちは勝手にやってろと、僕は無言でカレーを口に運ぶ。
この落ち着いた時間が、今になっては懐かしく感じる。それほどまでに、昨日は色んなことが起き過ぎていたと思う。
僕はこれから何をすべきだろうか。少なくとも、ナナがいる限り、あの傭兵は僕たちを狙い続けるだろう。なんなら他の国の奴らも来る可能性だってある。
明日は土曜日で学校が休みだ。とりあえず、ナナと使える魔法の確認だけでも済ませておきたい。
「────え!ねえって!!話聞いてた?」
物思いにふけっていると、未海樹が僕を呼んでいた。
「ん?ああ、なんだっけ」
口にスプーンを含んだまま、僕は聞き返す。
「たくっ!明日買い物付き合いなさい!駅前のモール!!」
「はあ!?なんで僕が」
カランと、口からスプーンが落ちる。
明日は、未海樹のわがままに付き合う暇はないってのに。
「私にここまでさせといて、なにもなしなんてあり得ないでしょ?だから、あんたを荷物持ちに抜擢!!」
「恩の押し売りはやめろ。君が勝手にいらない世話を焼いたんだろ」
「あら?そんなこと言っていいの?ばあばにあることないこと言っちゃおうかしら」
「卑怯だ!!」
未海樹の祖母はここ、『ノープハイツ』の大家だ。僕の境遇を憐れんでか、格安で住まわせてもらっている。
未海樹はともかく、今未海樹祖母に嫌われるわけには、絶対にいかない。
「……分かった。付き合う」
僕は大きめのため息をついて、渋々承諾した。
「ふふ、そうこなくちゃ。あ、ナナちゃんも連れてきなさいよ!!服、ないんでしょ。」
未海樹は入院着のままのナナをグイッと引き寄せて言った。
……明日は昨日より疲れそうだ。




