Discord
獅子葉を眼前に捉えた斬撃。確実に当たる角度、タイミング。回避は不可能だ。
そう確信して右腕を薙いだ瞬間、迫っていた獅子葉の姿がパッと白い丸椅子に変わった。
バギャッと軽い音が鳴る。
「なっ……!」
起こった出来事に、一瞬理解ができなくなる。
「……」
だが、すぐに分かった。同じような事象を、以前見たことがあったからだ。
それは僕が蛇型のエリス、アスクァエナによって窮地に立たされていた際のこと。
助けにきた火種が、自分とアスクァエナの位置を逆転させていた。さらに、山道から北釜銅駅に瞬間移動したこともあった。
獅子葉が消えた理由は、火種のエリスの魔法と見て間違い無いだろう。
僕は腕を下ろして、二階の広いガラス窓に視線を移す。
斜度のあるガラス越しには、多くの研究員を背景に、儘螺とエインス、そして火種が佇んでいた。
傍には、気の抜けた顔でへたり込む、獅子葉とフォルアレンもいる。
火種と目が合う。
すると、火種は首にかけた細いヘッドセットマイクを、おもむろに口に持っていく。
『戦闘は終了だ。私が介入しなければ、獅子葉は死んでいたぞ』
闘技場のスピーカーから、咎めるような口調の火種の声が聞こえた。 僕は舌打ちを漏らす。
「……知るか」
死にかけたのはこっちも同じ。手加減する余裕なんて最後までなかったってのに……。
小さく悪態をついて、火種から目を離したその時、
「おわっ!」
突如、ブワッという浮遊感に捉われた。
宙に立っていたはずの体が、落下を初めている。
「どうして!?」
理由はすぐに分かった。
いつの間にかナナの魔法が解けていたのだ。
ナナを見れば、心底眠たそうに大あくびをしていた。
「ねむい……」
「おいナナ!勝手に解除する────う゛っ!」
言ってる途中で、背中から地面に叩きつけられた。
バンッ!と弾けるような衝撃音が響く。だが、不思議と痛みはない。
「だい、じょぶ?」
ナナが膝をついて、仰向けの僕を覗き込んでくる。
「僕、もういいって言ってないよな?」
「ん、言ってない」
「なら戻したらダメって分からないか?」
「あれ、疲れる……の」
ナナはもう一度、くあ〜っと大きくあくびを漏らした。
これは何言っても無駄だな……。
嘆息をついて、白く光るシーリングライトに手をかざす。
「それにしても、頑丈になったもんだ」
普通、あんな高さから落ちれば、ひとたまりもないはず。でもなぜか痛みはほとんど無い。いや、皆無と言って良いだろう。これもナナの魔法なのだろうか……。
「魔法の負荷に適応するため、体が進化を始めたようだな」
「……」
上半身を起こして、僕は声の主である火種を睨む。
どうやら観戦席から降りてきたようだ。
「雛織くんお疲れ様〜!いや〜ヒヤヒヤしたよぅ!」
「まさか獅子葉さんに勝ってしまうなんて……驚きでした」
「最初からフォルアレン使ってたら、負けてなかったし!!」
遅れて、エインス、儘螺、フォルアレンを連れた獅子葉がやってくる。
模擬戦は、一応僕の勝ちということになったらしい。
獅子葉の鋭い視線が刺さる。
「未確認だった終幕個体の魔法を、二つも引き出したんだ。もっと喜んでみたらいかがかな?」
火種が手を差し伸べてくるが、こいつの労いなどこれっぽっちも嬉しくない。
僕はその手を払って、自分で立ち上がる。
「金が貰えるからやっただけだ。魔法がどうとか興味ねーんだよ」
「そうか。ま、とりあえずお疲れ様と言っておこう」
火種は肩をすくめて苦笑する。
「言っておくが、もうしないぞ」
『とりあえず』なんて言うからには、また同じようなことをやらせる気だ。
こんな性格な分、要らぬ恨みを買って喧嘩に発展するのは幾度となくあったが、今回のは学生の可愛いケンカの範疇に収まらない。
恐怖も規模も、それの比じゃない。ほとんど殺し合いじゃないか。二度とごめんだ。
なにやら「えー!」という名残惜しそうなエインスの声が聞こえたが、当然無視をした。
「じゃ、今度こそ僕は帰るぞ。金、ちゃんと振り込んでおけよ」
「送迎の車は用意している。それと、話した通り終幕個体は私たちが責任持って保護するが、いいな?」
「勝手にしろ」
と、僕が帰ろうとした時。
「ゆうについてく」
「え?」
ナナによって、僕は引き留められた。
強く握られた手からは、離すもんかという意思を感じる。
「い……いやいやいや、終幕個体ちゃんは残ってもらわないと困るよ〜!」
「そそ、そうです!大体、外は危険ですし!!」
予測していなかった事態に、エインスと儘螺がワタワタと取り乱す。
「なるほどそうなってしまうのか……」
流石の火種も顔に驚きと困惑を滲ませていた。しかし、
「別にいいんじゃにゃい?」
獅子葉だけは、きょとんとした顔で首を傾げていた。
「せっかく手に入れた終幕個体なんですよ!?安易に所外に出して、他国に奪われたらどうするんですか!!」
儘螺が、食い下がる。しかし獅子葉は平然と、
「奪われないよう、守ればいいじゃん。モモたちで」
そう言い返した。
その顔は「何が問題なの?」とでも言いたげだ。
「そんなの危険ですって!!」
「危険〜?儘螺お前、特務室にいる自覚あんの?危険も承知で入ったはずだにゃ?」
「いや僕は……」
「────ええ!?」
エインスの驚愕したような声が、儘螺の言葉を遮った。
「え、え〜っと、みんな注目〜……」
いつの間にか、火種がエインスの元にいる。何か耳打ちでもしたのだろうか。
「火種との厳正な協議の結果……終幕個体ちゃんは雛織くんの元に預けることになりました〜……あはは……」
「え!?」
「はあ!?」
儘螺と僕の声が重なる。
冗談じゃないぞ。ナナを引き取ったりなんてすれば、儘螺の言う通り、いつ誰が襲いにくるか分ったもんじゃないってのに。
「いいんですか火種さん!?」
「ま、仕方ないと割り切るとしよう。それに獅子葉の言う通り、我々が守ってやればなにも問題あるまい。そうだろ?」
困り顔から一変。火種はなにやら含みのある笑み浮かべている。
妖しすぎる笑顔だ。何か企んでやがるに違いない。
「だが、その代わりに雛織。お前にも協力してもらうぞ」
「断ると言ったろ」
火種の企みに、素直に乗ってやる気はない。
乗るにしても、なに考えているか吐かせてからだ。
だが予想外にも、僕の言葉に反応したのはナナだった。
「ゆうは……ナナ、嫌い……?」
ナナが上目遣いに僕を見る。その破壊力と言ったらない。
「え?いや……その、そういうわけじゃ、ねぇ……けど……」
自分でもびっくりするほど、返事の歯切れが悪くなってしまった。これはまずい。まずいと分かっていても、拒絶できない。
「じゃあなんで、ナナ連れてくの……だめ?」
「それは……」
「ナナいい子……する」
「……」
僕は頭を抱えた。
普段の僕であれば、「無理だ」と即答して帰っていただろう。
だが今はどうだ。無理と答えるだけでここまで迷い、言葉が口から出てきてくれない。一体僕はどうしてしまったんだ。
「か、金のこともある……」
出たのはそんな、逃げの言葉だった。しかし、
「生活費やらなんやらは全てこちらが負担しよう。ついでに妹の入院費もな」
「火種テメェ……!」
すぐにその逃げ道は封じられてしまった。
火種の顔にはニヤニヤと意地悪な笑みが張り付いている。
このタイミングで口を挟んでくるのはさすが、性悪女と言ったところだろうか。
それも、妹の入院費という、食い付かずにはいられない餌をぶら下げて言ってるのも性格が悪い。
「こりゃあ、逃げらんないなぁ」
エインスが楽しそうに笑っている。こっちは何も面白くないってのに。
「ゆう……ナナ頑張る……から、一緒に……いよ?」
ナナの琥珀色の瞳がうるっと水気を帯びて光る。やはりこの目は反則だ。
僕は盛大なため息をつく。
「わーったよ!連れて帰ればいいんだろ!その代わり、ちゃんとミズキの入院費は払ってもらうぞ!」
「おお!あの頑固で面倒臭い雛織を折れさせるとは、終幕個体。やはり夏目のお気に入りなだけある!!」
「おいコラ!誰が面倒臭いだ!!」
結局なにを企んでいるのか火種からは聞き出せず、ナナを引き取ることになってしまった。
ナナと出会ってから、なにも上手くいかないのは、気のせいではないだろう。
「ニャハハハハ!!よっしゃー!!これでリベンジがでっきる〜♩」
獅子葉が儘螺の腕をブンブンと振って、大喜びしている。
「お前はお前で、それが目的かよ」
「当たり前ニャ!勝ち逃げなんて、モモ許さない!!」
「もう一回なんて、ぜってーやんねー」
「ニャッ!?」
僕はナナの手を引いて、闘技場の出口のドアへと進む。
後ろで獅子葉がギャーギャー言ってるが、まあそれも無視でいいだろう。
「雛織」
「あ?」
呼び止められる。
振り返れば、ポケットに手を突っ込んで、いつもの調子のうすら笑いを浮かべる火種がいる。
「美少女がいるからって、変な気起こすんじゃないぞ」
「死ね!!」
火種のくだらない冗談にこれ以上付き合ってられない。僕は足早にその場を後にした。
◆◆◆◆
「今回の火種の判断。保守的な僕としては、やっぱり理解ができないな」
自動式ドアが、一人の少年と一匹のエリスの後ろ姿を完全に隠したのを確認して、エインスはそう口にした。
それは儘螺も同様に感じていたことで、自然と火種の返事に耳が傾く。
「いい機会だと思ったんだ」
「いい機会?」
「終幕個体が日本にいることは、衛生情報から知れ渡っている。そしてそれが、特務室の手から離れたとなれば、今後多くの国が莫大な資産を投じて捕獲に奔走するだろう」
コツコツと音を鳴らして、火種は悠とは反対側のドアへ向かう。それに儘螺達も続く。
「そこを私たちは狙う。諸外国の戦力を削ぐんだ」
「終幕個体ちゃんはそのための餌ってわけね」
「ああ」
エインスが自身の真紅の花弁を撫でている。
頭部が花で出来ているエインスは、撫でる花弁の場所によって、感情が出る。
頭頂部の花弁を触っているってことは……複雑な気持ちか。エインスさん、まだ納得はしきれていないんだな。
その特性は、表情が読めないエインスの感情を押しはかる、唯一の方法だ。儘螺もそれを最近になって火種から教えてもらっていた。
「で、戦闘員はどうするのさ。特務室の戦闘員は今、ほとんど出払っていて、ただでさえ戦力不足なのに」
「そこはほら……こいつらに任せてみようって話になってるだろ」
火種は儘螺たちをクイっと指差す。
なぜか指された獅子葉は得意げだ。なんでそんなに自分に自信が持てるんだろうか、少し羨ましい。
しかし儘螺は憂鬱な気分でため息をついた。
「本気?」
「本気さ」
もう決めた事のようで、エインスの疑うような言葉にも、火種は迷わず即答していた。
これは、腹を括るしかない。そう覚悟を決めた儘螺は、心の中で、父と母に別れを告げる。お父さんお母さん、親不孝な息子でごめんなさいと。




