歓迎するよ
謎の羊型エリスの魔法で、大蛇から逃れた僕たち三人。今は郊外にある釜銅市を抜け、ガラス張りのビルが立ち並ぶ夜の街を車で走行していた。新宿か東京かあるいは渋谷か。ともかく、僕の住む地域とは比べ物にならないほどの光が、夜の闇を照らしている。
街灯に照らされた道路から見える景色にひとつ、見覚えのある乳白色の建物が見えた。
あれはたしか……。
「国会議事堂?」
僕がそうこぼすと火種はニヤリと笑みを浮かべる。
「よく勉強しているなえらいぞ」
「馬鹿にしてんのか」
ふっと微笑を浮かべた火種は3車線道路を抜け、小道に入った。するとすぐに地下へと続く駐車場へ入っていく。
「”ある場所”ってのはここか?」
(今から君たちをある場所に連れていく。)
僕はアスクァエナから救出されたときの火種の言葉を思い返した。
「ああ。この先だ」
コンクリートで囲まれた狭い駐車場は、間を開けて数台の車が駐車してあるだけの冷たく、なんとも殺風景な場所だった。
だが、駐車スペースがいくつもあるというのに火種はそれらを無視して直進していく。
一体どこに行くのか。どこへ連れていかれるにしても碌な場所じゃないだろう。
僕は小さく嘆息をつき、頬杖をついたまま前を向く。駐車場の最奥。前方には固いコンクリートの壁しか見えない。にもかかわらず、火種は涼しい表情のまま速度を落とすことなくコンクリートの壁へと突き進む。
「おい火種前!」
流石に慌てた僕は腰を浮かして火種の座席を揺らす。しかし火種はそんな僕の忠告を無視し、そのまま壁へと直進を続ける。
壁がどんどんと迫り、もうぶつかるというところで僕は目を閉じた。
衝突音……しない。間に合ったのか?
薄く目を開く。
見える景色はいくつもの配管がむき出しになり、冷たい色の電灯が薄く灯る狭い道だ。
「何が……起きたんだ?」
「空中ディスプレイ。ホロウィンドウともいうが、それの応用だよ。後ろを見たまえ」
僕は促されるまま後ろを向く。
壁があったはずの場所には道が出現しており、その奥には先ほど通った静かな駐車場が見えた。
なるほど。この道を隠すために、空中に壁を投影していたのか。
僕はその技術に息を呑みつつ向き直る。
「……ここまでして場所を隠す理由はなんだ?」
「国家機密だからさ」
「国家だと?国絡みのことに俺は巻き込まれてるっていうのか?」
「可哀想になぁ。さあ、着いたぞ。降りたまえ」
配管むき出しの狭い道を抜け、自動車用エレベーターでさらに下へ向かった先。そこで僕たちを迎えたのは、またもや駐車場。
「どうかしたのか?」
僕は黙ったままのナナの腕を引いて車から出して問う。
「ん。綺麗だったから、見てた。ずっと」
「そうか」
思えば人型のエリスなんて聞いたことがない。無口だし、夜の明かりを見たことが無いようだし、不思議なやつだ。
辺りはなんの変哲もないコンクリートで囲われていた広い駐車場だ。唯一違うものを挙げるとすれば、今降りてきたエレベーターとは反対側の場所にあるガラスの自動ドアだ。白い大理石の枠と、その中央にフレームの細いガラス張りの自動ドアが配置され、あそこだけ商業施設への入り口のようだ。
「しかしあの傭兵には手を焼いたな。まったく」
「いつになったら帰れるんだ……」
大きく伸びをして愚痴をこぼす火種につられ、僕からも本音が漏れる。学生鞄もスーパーで買った食材たちもいつの間にかどこかへ落としてしまったみたいだ。
「悪いな。まだ付き合ってもらうぞ。お前はこいつの魔法を使ってしまったんだ」
「その言い方だとまるで僕がやらかしたみたいじゃないか」
「やらかしたんだよ、実際」
「あ?」
「お戯れのところ失礼いたします。測定室の準備が整いました」
僕が火種を睨むのと同時、背後から声がかかった。声の方を振り向くと、ライトグリーンの髪を肩から下ろし、ヒラヒラのメイド服に身を包んだ女が深々と頭を下げていた。
「ご苦労。さすがレレナ、仕事が早いな」
「いえ。ではご案内します」
レレナと呼ばれたメイド服の女は、コツコツと革靴を鳴らしながら大理石調の自動ドアに向かっていく。
僕たちもメイドの後を追う。チラリと見えたメイドの瞳は、カメラのレンズのようだった。
「ロボか?」
「人間だよ。元だがね。」
火種は薄く笑って答える。
「どういうことだ?」
「検体番号007────レレナ。彼女は私たちのモルモットになることを自ら志願した。今はただのお世話ロボだ」
「……いい趣味してんな」
「だろう?傑作だよ」
「皮肉だボケ」
メイドの手慣れたタッチ操作で透明なドアが開く。どうやら自動ドアではなく、認証システムが搭載されていたらしい。
中は純白の清潔感ある空間だった。角のない部屋の天井は高く、そこに取り付けられているのは一本の長太いシーリングLEDライト。床と壁の境界からは白色灯が灯っている。
奥にはエレベータドアと二人の警備。どちらも銃を所持して真っすぐ姿勢を正している。
「ここは国が秘密裏に設置した研究施設だ。日本国内で処理されたエリスをここに運び込み、研究を行っている」
「なんだ突然」
突然口を開いた火種に僕は訝しんで顔を向ける。
「着いたら話すと言ったろ。私の正体が気になるなら聞いたほうがいいぞ」
僕は再び正面のエレベータードアを見据えた。こいつの物言いには腹が立つが今は言うことを聞くしか選択肢がない。
僕が沈黙したのを見届けた火種は、再び口を開く。
「アルケーは知っているな?」
「エリスの国際研究機構」
「そう、そのエリスの研究を独占してエリスを生みまくっていたアルケーだが、ある日突然エリスの作成をストップした」
「五年前の研究所爆破事件が原因だろ?」
「いいや。それより前、分かっている限りで八年前を最後にエリスの作成が止まっている」
僕たちは特殊部隊のような真っ黒な武装をした男二人に見守られ、正面のエレベーターに乗り込む。
フロアが表示されたボタンは全部で10個。B1~B10まで。僕たちは今B1にいるらしい。
メイドがB7のボタンを押すと、ガタンと音を立てエレベーターが沈んでいく。
「で、八年前に何があったんだ?」
「理由については未だ解明されていない。分かっているのは、研究所が新規のエリスの作成を止めて以降、既存のエリスの研究にシフトしたということだけ。そしてその三年後、例の爆破事件が起こった」
「……その話がこの状況にどうつながるってんだ。」
僕はチラリとナナを見やる。
ナナは、地面が沈むというのが初めての感覚なのか、ぴょんぴょんと跳ねたり座り込んだりしている。
「あの事件が原因でエリスは世界中に散らばった。そしてその捕獲競争が、世界規模で始まった。まあ当然と言えば当然だ。アルケーで研究されていた内容はエリスの兵器としての有用性。医療技術の進歩の足掛かり。ヒトをさらなる進化に押し出す可能性。そのすべてが示されていたからな」
「こいつを狙うのもそういうことか?」
「それもある。ただ、終幕個体は特別なんだよ」
「さっきも言ってたな、夏目ギンジの作った最後の個体って。夏目ギンジってたしかアルケーの所長だった奴だろ?」
何度かテレビで見たことがある。
短い白髪に小さく顎髭を生やした70代くらいのジジイ。年を感じさせないほどの快活な笑顔でインタビュー番組に出ていたのが印象的で覚えている。
「そう。そして彼はエリスの作り方を知る唯一の人間でもあった。」
ポンッと音を立ててエレベーターが停止した。
右上のディスプレイにはB7と表示されている。
そのままエレベーターを降りたメイドについていく。降りた先は先ほどのフロアと同じような造りの長い廊下だ。いかにも研究所と言った雰囲気を感じる。
「じゃあ、もう新しいエリスは生まれないってことか?」
「今のままでは……あるいはな」
純白の廊下で白衣を着た男とすれ違う。
なにやらせわしなくペーパーホルダーに挟んだ書類に書き込みをしていた男だが、火種に気づくと作業を止め、会釈を一つ。
火種は手をヒラヒラと振ってそれを流す。
「しかしね、私たちは何としてでもエリスを生み出す技術が欲しいんだ。そして、終幕個体がそのカギを握っていると私たちは……いや、世界がそう睨んでいるのだよ。夏目ギンジがそれまで続けていたエリスの生産を唐突にストップした原因であり、死ぬ間際まで守り抜いたその子をね」
ナナがエリス誕生のカギ……。
無意識にナナを握る手に力が入る。
「さっき襲ってきた傭兵の彼女もどこかのクソ諸外国の差し金。いやー私たちは運がよかった。無事、エリス作成の鍵を握るであろうモルモットを捕獲できたんだからな」
火種の物言いに僕はなぜか額の辺りが熱くなるのを感じた。
生物実験、解剖、洗脳。考えうる限りの嫌な想像が僕の頭の中を駆けて回る。
僕はいつのまにか火種の白衣を持ち上げ、壁に押し付けていた。
ドンッと鈍い音が鳴る。
「火種様……!」
火種は駆け寄るメイドを手で制止して、僕を見下ろす。
「雛織。私は君を気に入っているんだ。妹の莫大な入院費を一人で賄い、卒業ギリギリだが学校にも通っている。そんな愚直なところは好感が持てる」
火種はすました顔のまま続ける。
「そして、両親が死んだあの日から、人との接触を極端に避けるようになった不器用なところもだ。怖いんだろう?また誰か死ぬのが。自分のもとからいなくなってしまうのが。だから友人も作らないし、人の助けは必要ないと反発を繰り返す」
頭に血が上るのが分かる。火種を掴む手が力んでいく。
「べらべらとデタラメ並べやがって……!」
「デタラメじゃないさ。だが、なぜ終幕個体を助けた?それだけは、まったく君らしくない。そいつが人じゃないというのは一目で分かったはずだ。助けようとすれば自分すら危うくなっていたんだぞ?」
そんなの分かってんだよ……。あの時は体が勝手に動いた。理由は分からない。分からないが予想はできる。
「……助けたのは、こいつのためじゃねぇ。あの蛇女に一泡吹かせてやりたかっただけだ」
きっとそうだ。僕はあの女の余裕のある笑みを崩してやりたかったんだ。
「……全くお前は本当に」
だが、僕が答えると火種は目を丸くして大きく嘆息をついた。
「んだよ」
「本当に君は救えないな。救えないほど……強欲で優しい」
火種は目を細めて続ける。
「君は終幕個体を、人外であるはずの化け物でさえ、自分のテリトリーに置いて、救いたいと思ってしまったんだな」
「ちげぇっつってんだろ」
僕が人助け?有り得ない。寝言も寝て言え。
「認められないのは染みついてしまった反骨精神からか。ふふ、本当に面白い」
「気持ちの悪い……」
不気味に笑う火種から手を離して僕は吐き捨てる。
「ふふ、今はそれでいい。いつか自覚できる日が来るさ」
「……何を」
「なんだろうな。それを何と言うか私には分からん」
襟を直して火種は訳知り顔で言った。
「まっ、安心しろ。終幕個体に関しては乱暴はしないと約束する。貴重なサンプルだからな」
「……乗せやがったな」
火種は最初から僕を怒らせるためにモルモットなんて表現を言ったわけだ。まったく昔からだが、本当に何を考えているか分からないやつだ。やっぱり僕はこの女が苦手だ。
事が終わったのを見届けたメイドはまた歩き出した。
僕はどっと疲れた体を引きずってそれについていく。
分岐する道を無視して、ずっと真っすぐに歩いていくとドアが見えた。壁に薄く切り込みが入っただけのドアだ。
「先ほど話したように、今、国全体でエリスの捕獲が急がれている」
火種はメイドをどけて、ドアの横に設置されたウィンドウに、ポケットから出したカードをかざす。
『捜査官────火種ザクロのIDを認証』
ディスプレイの奥から無機質な声が聞こえた。
そのまま火種がディスプレイを覗くと、投影されたホログラムが火種の瞳を解析しだす。
「それは他国に少しでもエリスが渡るのを阻止するとともに、我が国、日本での新規エリス作成が目的だ」
『網膜による生体認証────クリア。ロック解除します』
プシュンという音と共に白い扉が開く。
扉の奥は、枠のない大きなガラス窓が巨大な卵型になるようズラリと並んでおり、ガラスの中を見下ろせる形になっている。
「まだまだ世界には捕獲されていないエリスが大量にいる」
火種は中へと歩を進め、ガラスの前に設置された手すりに寄りかかった。
「ここはそんなエリスたちの”捕獲”および"研究"を主とした組織。ようこそ内閣官房エリス特務室へ。歓迎するよ雛織悠くん」




