Snake or sheep?
眼前にまで迫っていた大木。それを防ぐ方法など僕にはなかった。なかったはずだ。なのになんで────僕はまだ生きている?
僕は閉じていた瞼を恐る恐る開ける。目の前には雨に濡れて黒くなった倒木。そして、その倒木から僕を守る────白銀の樹。
神器ように美しく、骨がそのまま飛び出したような、しなやかにうねる白銀の樹はガントレットのように僕の腕に装着されていた。
「なんだ……これ」
不思議と倒木の重さは感じない。おそらくはこの腕が原因だろう。
「終幕個体ちゃんの魔法初めて見たな~。実に綺麗です」
後ろから悠然と近づく金髪の女はパチパチと手を叩く。
「魔法……」
人間離れした見た目。終幕個体という不気味なあだ名。そして女の言った魔法という単語。なるほど。
僕は腕の中でこちらを見上げる少女に目を落とした。
こいつは────エリスなのか。
「んう?」
「なんでもねぇよ!逃げるぞ!!」
こてんと首を傾げる少女から視線を持ち上げ、そのまま木を弾く。そして鈍い地響きが鳴るコンクリートの地面を駆け出した。T字路は目前。右か左か……。即断即決が求められる。
だが────僕の中ではもう、行くべき方向は決まっていた。
「こっちは……想定外だろっ!!」
速度を上げ、もはや曲がりきれないところまで走り、そのまま向かいのガードレールを飛び越えた。
「えっ、まじぃ!?」
後ろから女の驚愕した声が響く。
当然だ、この下は傾斜60度越えの崖。普通やつだったら選択肢にも入らないはずだ!
「うおおおおおおおおおおおおお!!」
僕は少女を抱いたまま水を含んだ泥土を巻き上げ、滑るように崖を下る。駅近くの繁華街から光るネオンライトなど、もはや僕の視界の中には映っていなかった。
20メートルほど下ったところで僕たちは山を螺旋上にくり抜いて作られた道路に降りた。
見上げるが、あの金髪の女は見えない。どうやら撒くことに成功したみたいだ。
一息ついて、そのまま視線を腕の中の少女に移す。少女は無表情に街を見下ろしていた。
「お前、名前は?」
「……ナナ」
視線をゆっくりと僕に移した少女は上目づかいで答えた。
不覚にも、その瞳に一瞬心臓が高鳴るがすぐに、落ち着けと自分に言い聞かせる。
「終幕個体なんて呼ばれ方してたけど、普通の名前もあんだな」
そのときナナの右肩に目がいった。ナナの右肩から先、灰色の腕が伸びているはずの場所。だが、月明かりが照らしたのは、生身からは程遠い。か細いブリキ製の腕だった。
「なっ!?」
「ん?」
「右腕だ!」
古びた金具を繋ぎ合わせたようなアンティーク調の腕を見て、僕は慌てた。しかしそんな僕とは対照的に、ナナはいたって平然と骨の纏う右腕を見やって言う。
「危なかったから……私の腕、あげた。」
「あげたってお前……」
不恰好で動くのかすら怪しいその腕に、僕はまだ動揺が収まらない。エリスの魔法も代償なしで扱えるほど生易しいもんじゃないのか。
「元には……戻んのか?」
「ん……。いらないなら、返して」
「……っ!」
ナナがゆっくりと答えると同時、僕の右腕にあった白銀の骨は霧散して消えていき、元のナナの腕に還った。
僕はナナの元に戻った灰色の腕を見て、若干の名残惜しさを感じる。
あの女は撒けたみたいだから別にいいか……。
そうため息一つついた時、後ろから声がかかった。
「そんなところでなにしてるのかな~?」
それは聞き覚えのある、不気味にも魅かれるような透き通る声。
そんなわけない。いくらエリスとはいえ、迂回した道からこんなに早く追いつくわけが……。
僕は恐怖で凍った背筋を無理やり動かし、振り向いた。
真後ろ。月明かりをさえぎる大きな影が視界に映る。
「まじか……」
「ばぁ」
アスクァエナの頭上で、腹の底が知れないうすら笑いを浮かべる女がそこにはいた。
「いくらなんでも早すぎやしねぇか……?」
「言ったでしょ~。アスクァエナは良い子ちゃんなんだよ」
「地形荒らしまくってたやつが良い子ちゃんか?教育方針見直したらどうだ」
冷や汗が額を伝う。
どうする……!隙を窺って逃げれるか……?
そんな僕の考えを見透かしたように、大蛇は悠然と地を這い、とぐろを巻いて逃げ場を消した。
「くっ……!」
「最後の忠告。終幕個体を置いていって」
月に照らされ、白い鱗を輝かせる大蛇の頭上で女はそう告げた。
「難しく考えなくて良いと思うよ。まだ生きたいでしょ?その子を置いていけば少なくとも命は保証────」
「断る」
僕は即答して女を睨む。
「……どうして?」
女は心底わからないと言った様子で目を細めた。その様子に僕は少し面白くなる。
「はっ、どうしてだ?決まってんだろ。人から指示を受けるのは性に合わねー。それだけだよ」
本当にそれだけだ。人の助けも救いも慈悲もいらない。何を考えてんのかもわからないナナと一緒に逃げたのだって、指示に従って当然っていうテメェの顔を歪めてやりたかったからだ。
そんで最終警告だと?従うわけないだろ。
「……くだらない」
拒否した僕に女はつまらなそうにそれだけ答えて、
「じゃあバイバイ」
大蛇の尾を操って僕に向かって振り下ろした。その瞬間だった。後ろからクラクションが鳴り、大蛇の動きが一時停止する。
僕は振り返る。
見えたのは山道を下る、黒塗りの外車。その車はエリスなど気にも留めずに、こちらへ向かって走行をやめない。
「来ちゃったか……」
女がポツリと呟くと同時、大蛇と女の姿がパッと消失した。そして、月に照らされ、僕らを見下ろしてたはずの大蛇は、後ろを走っていた外車に入れ替わっていた。
「何が起こって……」
状況に頭が追いつかずにいると、外車のサイドミラーが静かに開いた。
「乗れ雛織!!」
中から聞こえた声。僕の担任、火種ザクロがそこにはいた。
「お前……火種!?なんでここに!!」
「それは後だ!もう後ろに来ている!」
「後ろ?」
振り返ると確かに後ろから大蛇が迫っていた。
「早くしたまえ!」
僕はその指示に一瞬躊躇するも、後ろから迫る大蛇を見て決心した。
開扉されたドアからナナごと身を放って後部座席に乗車する。
僕たちの乗車を確認した火種は車のギアをあげて加速。アスクァエナを切り離すつもりだ。
ギャギャギャッと音を立てて、雨に濡れたタイヤが唸る。
山を螺旋上にくり抜いて作られた道路を爆走する車はアスクァエナをみるみる離していく。さすがにエリスといえど、車に追いつくほどの脚はないようだ。
車の天蓋に雨が弾かれる音だけが響く車内には僕とナナ、そして運転席に座る火種のみ。
「火種────」
「今からお前たちをあるところに連れていく。拒否権はないと思ってくれ。」
僕の発言に遮り火種はそう告げた。
ナナを横に乗せた僕は足を降ろして運転席に座る火種を睨む。
火種ザクロ。両親を失ってから僕になにかと接触してきた女。この示し合わせたようなタイミングで現れたってことは何か裏があるのか?まさか────
「あれとグルか?」
僕は後ろを指さし問う。
「いいや」
「じゃあ質問を変える。お前”も”ナナを狙っているのか?」
「ナナ?ああ、終幕個体のことか。そうだよ、私たちはその少女を狙っている」
火種が言い終わると同時、僕は窓ガラスを破る勢いで蹴った。いや実際、蹴破るつもりだった。
しかし窓は微細な振動を残すだけで傷一つつかない。
「強化ガラスだ。多少の爆撃にも五トンの重量にも耐えられる。分かったら大人しく座っていろ」
「チッ」
出られないことを悟った僕は仕方なく腕と足を組んで深いため息をつく。
「で、どこに連れて行く気だ」
「いうなれば秘密基地、だな」
こいつのくだらない嘘を聞き飽きていた僕は、それをスルーして話を進める。
「ナナ……終幕個体が狙いって言ってたよな?なんでお前らはそこまでしてこいつを欲しがる?」
僕はナナの方に顔を向けた。
それをルームミラーごしに覗いた火種がぽつりと答える。
「そいつが、夏目ギンジの残した最後の個体だからだよ」
「夏目ギンジ……?それって────」
僕が言い終わるより前、車がギギギッと音を立てて急停車した。
慣性の法則で、体が倒れる。
「しつこいなまったく。いくら積まれたんだか」
ハンドルに倒れ掛かる形で、前かがみになる火種は、半眼で呆れかえっている。
前方を見る火種につられ、僕も前を向く。
車のヘッドライトに照らされた暗い山道。螺旋を描いてだんだんと下っていくはずのその道に大蛇はいた。
「なっ!さっきまで後ろにいたはずじゃ……」
後ろを向くと退路を断つように今通ってきた道が陥没していた。
「まったく~。横取りはダメですよ火種さん」
空いた車窓からあの女の声が聞こえた。
どこまでも追ってくる……まるで本当の蛇だ。
「経年劣化の超促進、それと……雨を渡る能力かな?いずれにしろ、簡単に逃がしてはくれなさそうだ」
「じゃあ、どうすんだ」
目の前の蛇を見て僕は息を呑む。
そんな僕をバックミラー越しにチラリと見た火種は、口の端を吊り上げた。
「おい雛織」
「あ?」
「歯ァ噛むなよ────ッ!!」
「なっ、おい!!」
僕の制止を待たず、火種は前方の大蛇に向けて急発進した。
ぶつかる。そう悟った瞬間だった。
『ゲァ────』
走馬灯のように一瞬のこと。時間が止まり、周囲が闇に包まれた景色の中。フロントガラス越しに見えたのは、首と胴が離れた黒い羊。
そして瞬き一つしたとき、僕たちは繁華街を走っていた。
僕は理解が追いつかない頭を叩き起こし、身を乗り出して火種に問う。
「今、何が起こった!」
「魔法だよ」
「魔法……?」
「黒い羊が見えたろ、あれはエリスだ。まああれが本体ではないがね」
呆気にとられた僕は腰を落とし、息をついて辺りを見まわす。
先ほどまで山中から見下ろしていたネオンライト輝く繁華街に僕たちはいた。
「……ここは?」
「北釜銅駅前だよ」
「瞬間移動ってやつか?」
僕はついさっきまでいた山道を思い出す。
「少し違うが、まあその解釈でいい。とりあえずここまで来れば、あいつらも追ってはきまい」
「どうして言い切れる」
「エリスを連れてこんな街中に来てみろ。すぐに警察やら軍部隊やらが出動してやっかいごとになるだろ。あいつら傭兵は目立ちたくないんだよ」
「そうもんか」
「そういうもんさ」
その割にはえげつないほど山中を壊して回っていたが。
軽くため息をついて僕はナナの方を向く。
雨の流れる車窓をナナは眺めている。一定のテンポで過ぎ去る街灯に絶えず照らされる、彼女の黄金の瞳はまるで、宝石の琥珀のように見えた。




