悟った死
闇から現れた過去のトラウマ。僕はそれに戦慄していた。
偽物……!?いや違う!!僕は覚えている……あの体毛を、あの角を、あの……瞳を!
僕は歯を食いしばり大蛇の瞳を睨んだ。
「あれー?普通の人はアスクァエナを見たら震えて立てなくなっちゃうんだけど、そんな感じでもないみたい」
金髪の女が僕の様子を不思議に思ったのかこてんと首をかしげる。
アスクァエナ……。そんな名前なのか。
「……昔、そいつとちょっとな」
脂汗が止まらない。あの洞窟での景色が頭にこびりついて離れない。
「へぇ、この子と遭遇してよく生き延びれたね!すごい!!」
その女は不気味にもパチパチと手を叩く。
相変わらずキャップの陰に隠れて顔は見えない。しかし、かすかに笑みを浮かべているのだけは分かった。
「お前も生きてるじゃないか」
「私はなんというか、う~ん。特別だからねっ♪」
女は上機嫌にウインクを飛ばす。
「特別?」
「そっ!特別っていうのは~……あっ、ちょっと喋りすぎちゃった!今のなし!!」
女がパタパタと誤魔化すように両腕を振る様子に、僕は違和感を覚えた。
「お前は、なにが目的なんだ……」
「もう分かってるはずだよ」
女は僕の後ろで無表情に座る少女を指さした。
少女は雨に濡れた白髪を鬱陶しそうに手でどかすだけで、金髪の女には興味もない様子。
「だから、ね?あなたはその子を置いて逃げてくれるだけでいいの。あなたは何も見なかった。終幕個体も私もアスクァエナも、全部。そしてただこの公園を通って帰路につく。それだけでいい。……できるよね?」
女が僕の顔を見据える。やっと見えたその顔はフランス人形のように美しい。だが、女の恐ろしく鋭い蒼い眼光は間違いなく僕を脅している。
従わないなら……分かるよね?と。
「ああ、分かった」
僕は女に背を向け、足元の終幕個体と呼ばれた少女を見下ろす。小雨だった空は、いつの間にかへそを曲げて、雨脚を強めていた。
これでいい。これでいいはずだ。そもそもこいつと僕は何の関係もない。何者なのかも分からない。これ以上面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。
僕は強く目を閉じて、雪に埋もれたように重くなった足を無理やり動かす。強まった雨音が、車内にいるのかと錯覚するほど遠く聞こえる。
「また一人にするの?」
少女を横を通り過ぎた時、背後から声が聞こえた。振り向くと少女がこちらをジッと見つめている。
ひとりにするのかだと?そんなの僕には関係な────
不意に、少女とミズキの姿が重なった。なぜかは分からない。だが、気が付けば僕は少女の手を引いて、雨に濡れた芝生を駆けだしていた。
「……チィッ!!」
やってしまった……!なんで助けた!!関係ない、関係ないはずだろっ!!
「え~!そういう感じ~?」
背後で女の失望を孕んだ声が聞こえる。
「まあいいか。アスクァエナ、終幕個体捕えるよ。」
ため息一つ。金髪の女はアスクァエナの頭にひょいと飛び乗り、指示を出した。
指示を受けたアスクァエナは悠然と地面を這い始める。巨体に見合わずその速度は原付ほどで、通った芝生は抉れて地面がむき出しになっている。
僕は芝生を抜け街灯が薄く灯る道に戻った。雨のせいで視界が悪いが何回も通った道だ、目隠してても余裕で走れる。
この先は小さな道路を下にした橋がある!あの巨体じゃ石橋なんて渡れねぇはずだ!
「う~ん、何考えてるのかイマイチわかんないな~。その子渡せば助かるんだよ?」
蛇の頭の上で器用に立っている女がつまらなそうに尋ねる。
「うるせぇな!俺でもよく分かんねぇんだよ!!」
「よく分かってない動機で命張るの?もしかしておバカ?」
「かもしんねぇな!!」
雨で霞がかった景色の中で、見覚えのある青の鉄骨が見えた。
間違いない!!橋の欄干だ!!
目的地までついた僕はプラン通り、橋に向かってさらに加速する。が、
「疲れた」
「なっ!!」
少女がぴたりと歩を止めた。腕をつかんでいた僕も連動して止まってしまう。
そして停止してた少女はつまらなそうに僕を見上げた。
「おんぶ」
「はあ?」
「して」
「なんで今……あーくそっ!!」
拒否するつもりだった。しかし後ろから迫りくる大蛇の影が見えて、僕は仕方なく少女を抱えて走りだした。
今ので少し距離が縮まってしまった!だが……!
視界に映る石橋を前に、僕の口の端が思わず上がる。
僕は迷わずその橋に足を踏み入れ、真ん中辺りに来たところで後ろを振り返った。
ここまでくればあいつらも迂回せざるを得ないだろ!!
僕の見立て通りアスクァエナは橋に入ってこず、入り口でぴたりと静止していた。
その様子に安堵した僕は前に向き直り、対岸に向かって走り出そうとした。その瞬間だった。
「アスクァエナ”やれ”。」
かすかに聞こえた、大蛇の頭に乗った女の声。
それが耳に入った時にはもう遅かった。石橋にいくつもの亀裂が入り、やがてその橋は下に崩れ落ちた。
「は……あああああああああああああああ!!????」
「あーー。」
下の道路へ落下した僕と少女。幸い道路には車は来ておらず、僕たちは瓦礫の山の上に落下した。だが、5mほどはあるところからの落下で体中が打撲と擦り傷だらけでボロボロだ。
「なん……だ。今のは……」
「……魔法」
一緒に落ちたはずの少女が、けろっとした顔で僕に告げた。
「今のが……」
エリスが使うという物理法則を無視した超常の力。それが魔法。
今の……一瞬で橋を崩した力……あれがあいつの。
「何休んでるの~?」
遠くから女の声、そちらを向くと蛇の大きく開かれた顎が眼前にまで迫っていた。
「うおっ!!」
僕は咄嗟に重心を下げた。
大蛇の口が僕の頭上を通過した名残の風が吹く。
一瞬反応が遅れていたら首ごと飛んでいた!!
「くそっ!!」
僕は少女の手を引いて瓦礫の山を降りて再度駆け出した。
女も再びアスクァエナの頭に乗り、僕たちの追跡を開始する。
不意に瓦礫の中の太い鉄骨に目が行った。
あの鉄骨……さっきまでは青色に塗装されていたはずなのに、全部が剥がれ落ちてボロボロの錆と雨染みだけになってる。他のもそうだ、青い塗装なんて見当たらない……。落下のせいか?
「ほらほら~よそ見しな~い。」
後ろを向いていると、少女の陽気な声が響いた。
すると今度は両脇の土砂を支える擁壁がゴロゴロと音を立てて崩れ始めた。
「そんなんもできんのかよ!!」
「アスクァエナは良い子ちゃんなので!!」
支えるものが無くなった土砂は、ダムから解放された水のように一斉に押し寄せてくる。
まずい!!このままじゃ挟まれる!!
「くっ……そが!!」
僕は走る元気のない少女を無理やり抱えて速度を上げた。
この道を過ぎればT字路!!ひとまず土砂は回避できる!!
少女を抱えながら見出したわずかな希望。僕はがむしゃらに道を駆けた。全身が痛い。雨のせいで歯の震えが止まらない。耳が切れそうなほど寒い。ああ────しんどい。
疲労と痛覚で朦朧とする中だった。濡れて目にかかった前髪、その隙間からかすかに見えたのは白いガードレール。T字路だ。
「あああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
僕はすべての力を振り絞り、目の前のT字路めがけて走る。
そしてガードレールの目の前、『止まれ』の白線を踏んだあたりだった。
左からバキバキという音。見ると、擁壁で崩れた土砂に植えられていた一本の木が、僕目掛けて落下してきていた。
僕は悟った。回避できる余裕はない。防ぐ手段もない。死んだな、と。




