あの日の記憶
僕の両親はエリスに殺された────。
台風が過ぎ去った日の深夜だった。長崎に旅行に来ていた僕たち家族四人は、海岸沿いの洞窟近くを散歩していた。なぜ夜遅くに繰り出したのかはあまり覚えていないが、旅行の前半が台風によってつぶされたことへの憂さ晴らしに近かったんだと思う。
岩肌がむき出しになり、海風の当たるその場所は深夜なのもあって人の気配はなく、家族水入らずで楽しむにはうってつけの所だった。僕ら家族は旅行の遅れを少しでも取り戻そうと必死になってはしゃいだ。
海の浅瀬で足首にヒタヒタと触れる水の感触を楽しんだり、小さな洞穴の中に入って冒険気分を味わったり。本当に、楽しかった。
────でも、壊れてしまった。
当時10歳だった妹は洞穴の手前の方では満足せず、そのままはしゃいで奥まで潜って行ってしまった。僕と両親はその後ろ姿にほほえましさこそ感じたものの、危機感などこれっぽっちも抱きはせず、どうせすぐに戻ってくると高を括っていた。それが間違いだった。
5分、10分と時間は過ぎていき、流石におかしいと感じた僕らは駆け足で洞穴の奥へと向かった。そして細い道を抜け、開けた空間に出たところに奴はいた。
高い天井から垂れ下がる鍾乳石、奥の岩肌には一体の聖母マリア像、天井の岩の隙間からは月明かりが射す巨大な空洞。その月明かりの下には横たわった妹がいた。
僕は妹に向かって走り出した。だが、すぐにその歩を止めた。
妹の背後。銀色の月光に照らされて現れたのは、静かに鎮座する────巨大な蛇型のエリス。
十字架の刻まれた瞳。純白のうろこには複数の傷跡。頭部から後方にゆるやかに流れた角。頬から尾にかけて何本も垂れ下がったどす黒い血色の体毛。
その姿に畏怖したのか、あるいは魅了されたのか今となっては分からない。ただ覚えているのは、その場の全員がバケモノを見上げて立ち尽くすしかできなかったことだけ────。
目が覚めたら病院のベッドの上だった。
飛び起きた僕は、すぐに病室をでて看護師に家族の所在を聞いた。看護師が視線を泳がせ、言葉を濁しながら答えた内容は、あの場にいたはずの両親の遺体はどこにも見当たらず、浜辺で横たわっている僕と妹を現地住民が発見したことだった。
「あれから四年か。」
僕は、棚に置かれた白いくびれのある花瓶に赤い花を一凛差してため息をついた。
病室にいるのは僕と妹のミズキだけ。ミズキはあの日からずっと静かにベッドで目を閉じている。快活だったあの頃の笑顔はもうない。
妹の顔から窓の外へ視線を移す。夕焼けに染まっていた東京の町並みは夜の闇に包まれ家々の明かりが天の川のように美しく輝いていた。
その時、いつもの面会終了時間を知らせる院内放送が流れた。
『二十時になりました。面会終了のお時間となります。ご来院の皆様は────』
今日も、目を覚まさないか……。
「じゃあなアイリ、また来るよ。」
院内放送に急かされた僕は、無表情で眠るミズキにそれだけ伝えて病室を出た。
季節は冬。外は雨が降っていた。傘をさすまでもない小雨だ。でも、なんとなく濡れたくなかった僕は、学生カバンから藍色の折り畳み傘を取り出して病院の敷地を出た。
アイリのいる病院は小さな山の上にある。そしていつも、見舞いの帰りには病院近くの小さな個人経営のスーパーに寄るのが習慣になっていた。
「ありがとーざーしたー」
僕は今日の夕飯と明日の昼食を買ってスーパーを出た。そして目の前にある芝生が置かれた大きい公園に歩を進めた。
昔、この辺は大規模な住宅開発がなされ、山の上だというのに多くの団地が立ち並んでいる。そこに住むほとんどの人は、麓の駅まで続くもう一つ隣の整備された明るい道を通るのだが、僕は毎回だだっ広い公園を通る。
理由は単純。人が一切通らないからだ。街灯は少ないが静かで良い。
そんなうっすらと暖色系の街灯が続く公園のなかで、一つだけ煌々と輝く光が遠くの芝生から見えた。
あんなところに街灯なんてあったか?
その光は他の暖色系の光ではなく青白い光で、いうなれば墓に出ると言われている鬼火のような。そんな妖しさのある光だ。
……まさかな。
妖怪。お化け。そんな類のもの、僕は信じていない。いたとしても、たいして恐怖は感じないだろう。そんな風に思えるのも、妖怪よりもっと恐ろしいものを知ってるからかもしれないが。
そんなことを思いながら、僕は歩を緩めることなく青白い光に近づいていく。
だんだんと見えてきた蒼い光。
その光に近づいた僕は首を傾げた。
────卵?
圧力計、配管、メタル加工の施された厚板。表面にそれらの部品が剥き出しになった人一人分もある大きな卵が芝生に埋もれていた。そしてその中央部の一点から青い光は放たれていた。
「なんだ、これ。」
僕は興味がわいてその光に手をかざした。
すると、
『減圧システム作動────成功』
『落下衝撃吸収済み』
『周囲環境────極めて良好』
「な、なんだ?」
機械的な声が卵から流れた。覗き込むと、鋼の卵の装甲に何行もの呪文のような文字が浮かび上がっている。
『人感センサー起動────1名捕捉』
『捕捉に伴いゼロコマンドの起動を要請────バッテリー不足によるキャンセルが発生しました』
『代替措置として人物認証をオンにします────成功』
『雛織 悠。17歳。身長174センチメートル。体重56キロ。釜銅高校在校────』
「は?おい何言って────」
『性格は極めて狂暴。非行履歴はなし。友人関係なし────』
「……。」
卵はつらつらと無機質に僕の個人情報を読み上げ始める。どこから手に入れた情報か知らないが、読み上げが終わるまで離れるに離れられない。
「……近寄らなければよかった。」
僕は頭を抱えてコンッとその卵を軽く殴った。
『────以上のことから危険因子である可能性はゼロ。ロックを解除します』
プシュゥ────
読み上げが終了したとき、卵は突然煙を吐いてガコンッとその扉を開いた。
僕は煙が晴れるのを待って覗き込む。
「なんだ……こいつ……。」
鋼の卵の中に入っていたのは、うずくまって胎児のような姿勢で寝る入院着姿の美少女だった。懸念していた危険な兵器や物騒な薬などではなかったことに安堵すると共に、新たな疑問が二つ湧いた。
なぜこんなところに入っているんだ?という疑問。そして────果たしてこいつは人間なのか?という疑問。
前者は今考えても答えが出ない。僕は後者を先に考えることにした。
目の前の人の形をした少女はだが────明らかに、人ではない。その少女の腰まで伸びた髪は雪のように純白に透過し、艶めいた若い肌は火山灰のように灰黒色をしていたのだ。
「ん……んあ……?」
「うわっ……!」
その人外の少女はむくっと起き上がったと思うと、眠たそうに眼をこすり始めた。
「人……じゃ、ないよな……。」
しかし仕草や体のつくりはとても作り物とは思えない。
じゃあこいつは一体……?
「あなた……だれ……?」
「え?」
驚いた、会話ができるのか。
「僕は────」
「あ!いたいた!!」
僕が口を開いたその時、後ろから声がかかった。
振り返るとそれはキャップをかぶった少女だった。タイトなジーパンに小さめのTシャツ、髪は金と黒のグラデーションカラー。深くかぶったキャップで顔は覗けないが、背格好から察するに同い年くらいだ。
「……だれだ?」
「その子〜、私の妹なんです。ご迷惑かけてしまって申し訳ありませんね〜」
金髪の女は後ろに手を回してへらへらと近づいてくる。
「……へえ、そうか。妹をこんな機械に詰めて、なんか事情があんのか?」
僕は、金髪の女を睨む眼光を強めた。
しかし向こうはひょうきんな態度を崩そうともせず近寄ってくる。
「かくれんぼしたいって言いだしてね?ずっと探してたんです!でも見つかってよかった~!」
金髪の女は僕のすぐ隣で立ち止まり腰をかがめる。
「ほら、おうち帰ろ~」
卵の中で呆けた顔をする少女に金髪の女が手を伸ばす。僕はその手を掴んで止めた。
「な、なにす────」
「この公園、夜になると誰も通らくなるんだ。ほんと、怖いくらいにな。まあ仮にたまたまここを通っただけで、僕と同じようにあの青い光につられてここに来たとしてもな────流石にこれを妹は無理あんだろ」
僕が白髪の少女を見て苦笑すると、金髪の女は僕の手を振り払って後ろに距離を取った。
「ま、そう簡単にいかないよね~。私もちょーっとその子の見た目は計算外だったかな~」
そう自嘲気味に薄く笑う金髪の女はゆっくりと手を合わせた。
何だ……?
それはまるで神への祈り。なにか崇拝する者へ希う際の動作のようで────。
そして女は一言────。
「きませい────混ざる者」
ユラリと女の背後の景色が揺れた。
最初からいたのか、あるいは今現れたのか定かではない。しかし女の背後、そこにいたものに僕は目を見開いた。
それは僕のトラウマ。消し去りたい過去であり、全てが始まってしまった起点。
四年前に見たあの十字架を刻んだ瞳が僕を見据えた。
「なんで……なんでお前が……。」
あの時、妹と親を僕から奪った大蛇がそこにはいた。




