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比翼のエリス  作者: 帯川 葬


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11/11

再会、再開────。

 きめ細やかな雪が、音もなく降り続けていた。


 真っ暗な空に引かれる無数の白線は、力なく揺れながら落ち、寂れた運動競技場のトラックに触れた瞬間、静かに溶けて消えていく。


 厚い雲に遮られた月光の代わりに、点けっぱなしのスタジアムライトが、舞い落ちる雪片を硝子の破片のようにきらめかせていた。


 無人の観客席。プラスチック製の長椅子が並ぶそこに、二つの影があった。


「私、雪は嫌いだな」


 静かな声が雪に吸い込まれた。


 ヒビ割れた椅子に腰をおろした少女は、手の平に落ちてくる雪をじっと見つめている


 目深に被ったキャップが表情を隠し、灰色のパーカーに包まれた細い身体からは、どこか現実から遊離したような物憂げな空気が漂っていた。


 その近くで、もう一つの影が動いた。


「俺ちゃんは今日で雪が好きになった!んまいっ!!」


 手すりに積もった雪を鷲掴みにし、それを口いっぱいに頬張ったまま、少年は深く頷く。


 パンチパーマのアフリカ系人種。

 アニメのキャラクターがプリントされたTシャツの上から黒いジャケットを羽織っていて、どこかガチャガチャした格好をしている。


「そっか、ザードくんはアフリカ出身だったね。雪は初めて?」

「生まれはナイジェリア〜。でも生まれてすぐ先生に拾われたから外は知らない」

「……」


 イカロスは地下施設。外出の機会はなく、ただ人工的に演出された室内空間の昼と夜を繰り返す。ザードはそこに赤子の頃からいたらしい。


「胸花チャンはロシアにいたんでしょ?なのに雪が嫌いなの?」

「だからだよ。雪は……故郷を思い出すから」


 胸花は、手のひらに積もった雪を握り込む。


 体温で溶けたそれは、あっという間に形を失い、水となって指の隙間から滲んだ。


 その光景に、ザザッと過去の記憶の断片が蘇った。


 白い雪。赤い血。


 視界いっぱいに広がるのは、色のない夜に塗られた赤。


 少女の手のひらには、べっとりと血が付いている。


 雪の上にへたり込んだ彼女の前には、血の海が広がっていた。


 音はない。風もない。ただ鼻を刺す鉄の匂いだけが、冷たい夜の雪山に重く漂っていた。


 ガシャンッ。


 遠くの方で音が鳴った。胸花は現実に引き戻される。


 音の方を見ると、対面の鉄網の扉の方に二つの影が見えた。


「来た」


 雛織悠と終幕個体(エンディングナンバー)。それが彼女の標的だった。


 少女の視線を追いかけた少年は、つまらなさそうに目を細めた。


「簡単に吊れた。張り合いね〜の……」

「張り合いなんてない方がいいんじゃない?」

「胸花チャンはそうだろ〜ね、次失敗したら後がないし!ヒャヒャヒャッ!!」


 退屈そうだった少年が、今度は大袈裟に笑った。

 少女は怪訝な顔をしつつも、特に言い返すことはない。


 向かいの二つの影が、スタジアムに降りた。

 悠の顔には、荒々しい殺意が剥き出し表れている。


「怒ってら怒ってら!そんなにこの女が大切〜?俺ちゃんのタイプじゃないんだけどなぁ」


 少年の視線は、観客席に横たわる未海樹に向けられていた。


「……人が何を大切にしているかなんて、当人にしか理解できないよ。君が私と違って、先生を好きなようにね」


 少女は未海樹を持ち上げる。見下ろす瞳には、どこか寂しさと嫉妬の色が滲んでいた。


「そう言う胸花チャンには、大切なモンがあるの?」

「あった。でももういらない」


 雪が弧を描いて、跳ねる。二人は、観客席からスタジアムに降り立った。


 ◆◆◆◆


 ナナの鼻を頼りに誘拐犯を追いかけ、僕はショッピングモール近くの古い陸上競技場に辿り着いた。

 今は陸上競技はオフシーズン。人はいない。スタジアムには、1.2センチほど雪が積もっていた。


 サクッ


 二人の誘拐犯が観客席から降りてきた。女の腕には未海樹が抱えられている。


 口元から白い息────。未海樹は気絶しているだけだ。


 未海樹の無事を確認し、僕はひとまず安堵した。


 それより……


「やっぱりテメーか。鬼ごっこの次はかくれんぼって……ガキとやっとけよ」


 女はあの時の傭兵だ。俺の勘違いじゃなかったらしい。


「つれないな〜。君とやるのが楽しいのに。ね、雛織ゆ〜くん?」

「チッ……」


 相変わらずの「私は余裕です」みたいな笑みだ。気にくわねぇ。


「私は胸花・フォン・リーネ。胸花って呼んで」


 気味が悪いほど透き通った、耳心地のいい声。だが、それがかえって僕には不気味に聞こえた。


「ナナ、両腕」

「ん」


 短いやり取りを交わす。

 直後、ナナの腕は消え、僕の腕に白銀の装甲が巻き付いた。

 骨なのか樹木なのか、未だはっきりしないそれはナナの魔法だ。


「御託はいい。さっさと未海樹をこっちによこせ」

「お買い物の約束……してる、の」


 僕とナナは一歩詰め寄る。

 緊張した空気が場を支配している。


「もちろんもちろん!でもその前に、私たちのお願いも聞────」

「ヒャハッ────!!」


 胸花の言葉は途中で断ち切られた。


 アフリカ系の少年が雪を蹴って、一気に懐に入ってくる。

 低い前傾姿勢。硬く握られた拳は、僕のみぞおちを狙っている。


 判断は一瞬だった。


 僕は、ナナの魔法を纏った両腕を交差させ、拳を防ぐ。

 衝撃はほとんどない。軽い振動が伝わっただけ。


 しかし、


「いってぇーーー!!死ぬーー!!死ぬーー!!」


 少年の方はそうもいかなかったようで、拳を抱えて転げ回っている。


「アホかこいつ……」

「いた、そう……?」


 そりゃそうなるに決まってる。落ちてくる木すら受け止めた腕を、生身の拳で殴ったんだから。


「ちょっと!ザードくん作戦覚えてる!?」


 僕とナナが呆れ返っていると、胸花が慌てた様子で叫んだ。

 だが、ザードと呼ばれた少年は首を傾げて、


「んあ?んだっけそれ」


 あっけらかんと言い放った。

 どうやらこの奇襲は、胸花にとっても想定外のことらしい。


「まずは交渉!!それから────」

「交渉?そんなんしてたら、また失敗しちゃうよ〜ん!よいしょっ」


 さっきまで痛がっていたのが嘘みたいに、ザードは軽く跳ねて立ち上がった。


「人質がいる。主導権があるのは俺ちゃんたちの方だ。違う?」


 ニヤッ、と口角を上げた少年。

 胸花は苦虫を噛み潰したような顔になっている。


「いかにもって感じのゲス発言だな。保険がなきゃ戦うの怖くてできません〜ってか?」


 僕が軽口を叩くと、少年は振り向いて不愉快そうに顔を歪ませた。


日本人(ジャップ)が、生意気……」

「なら帰ってママに泣きついとけ、『バカにされた悔しい〜』ってな。得意だろ?お前みたいなやつは」


 ギリっ、とザードの歯が軋む音が聞こえた。


「俺ちゃんにママはいない……!」

「ああ通りで。碌な育て方されてこなかったんだな」

「ああ!?」

 

 ザードの声に怒気がこもった。額にも血管が浮き出ている。


「よくも……よくも先生をバカにしたな……!!ボコボコのグチャグチャにしてローストしてやる!!カモン────アルニコル!!」


 ザードが頭上を指差す。

 そこには、優雅に寒空を泳ぐ魚がいた。

 揺れるヒゲ。波打つ透明な背びれ。トサカのような触覚。


 リュウグウノツカイを思わせる十メートルほどの巨体には、宇宙空間が映し出されていた。


「お前……バディいたのかよっ……!!」


 てっきり、生身で攻撃してきたからいないもんだと思っていた!畜生、キレさせたのは判断ミスだ!!


「これで、2対1!今更謝っても許してやらないぞ!!なあ胸花チャン!!」


 少年がこちらを睨んだまま叫ぶ。

 しかし胸花は、静かに僕を見ていた。


「……」

「あ?胸花チャン?」

「……はいはい。おいで────アスクァエナ」


 小さく嘆息をついた少女。その背後が歪む。

 竜と見紛うほど神々しい白蛇が、姿を現した。


「くそが……」

「ウヒッ!そうそう!それでいいのだ!!」


 ザードが歓喜する。


 目の前にいるのは、過去にすべてを奪った存在。そして未知の脅威。

 俺は歯を食いしばり、その二体を睨みつけた。

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