Apostolos advent
五年前────。
極夜で闇が落ちた北極の地に赤い炎が舞っていた。
「メインサーバーダウン!サブに切り替えます!!」
「環境維持室および減魔室との通信途絶えました!!」
爆発音と振動が研究所に絶えず響く。その度に研究員から現状報告と被害状況が飛び交っている。
耳障りな警報で赤く染まった制御室で、所長の夏目ギンジは歯噛みしていた。
「次弾着弾予想────10秒後です!!」
「対爆撃シェルター展開急げ!!」
「それが────作動しないんです!!」
「なんだと!?」
夏目が目を見開くのと同時、さらなる悲報が飛ぶ。
「抑制室内、八割を超えるエリスの恐怖指数限界値!!鎮圧ダーツによる自傷衝動の抑制────効きません!!パニック状態です!!」
「くそっ……!!理性体を除くエリスの自己防衛本能権限没収!!はやくしろ!!」
「管理用電源がダウン!!使用不可です!!」
「特別隔離室の予備電源は!?」
「────生きています!!」
「……終幕個体だけは他国に奪われるわけにはいかん!!予備電源全てを使用して終幕個体の緊急脱出用意!!」
一瞬の逡巡の後、夏目はデスクを強く叩き、ヒビ割れたモニターから身を乗り出した。その瞳はどこかを遠い場所を見据えるように強い意思がこもっていた。
「しかし所長!!副所長の許可もないとっ────!!」
「ここにいない奴のことなど知るか!!目標は日本だ急げ!!」
「────っはい……!!」
そしてその日、蒼い彗星の打ち上げと共に────────神の眷属たちが放たれた。
◆◆◆◆
木曜午後の昼下がり。心地良いそよ風が流れる教室では、昼食後というのもあって、大半の生徒が静かに寝息を立てていた。もはや彼らの前では、教科書を読み上げる教師の声など、昼寝を助長する子守歌に過ぎないだろう。
「えー今から約45年前の1984年、旧ソビエト連邦シベリア北部域で未確認の生命体遺伝子が発見されました。えー、そして、その生命遺伝子を用いて様々な生物にゲノム編集を加えることで、世界は新たな生物を生み出したわけです。えーその生物は極めて特異な力を有し、その力は”魔法”と名付けられたわけでして────」
腰の曲がった白髪の男性教師は寝ている生徒など気にもとめず、淡々と手元の教科書を読み進めている。
「えー国連機関はその生物を”生物の終着点────『End of Living Things』”の頭文字を取って”Elith”と呼称しました。えーそして1987年、国連機関がシベリアにエリスの特別研究所────通称『アルケー』を設置したわけです」
教師はパラリと教科書をめくる。途端、声のトーンが下がった。それはまるで重々しい話題を報道するアナウンサーのようで。
「そうして、長年エリスの研究を独占していたアルケーですが、その研究は突如として終わりを告げました。皆も記憶に新しいと思いますが、そうですね、五年前に起きた研究所爆破事件です。あの事件以降、研究所で管理されていたエリスが世界各地に散らばり、様々な事件を引き起こしています。なので皆さんはエリスを発見しても、くれぐれも近寄るなんてせず、すぐに警察に連絡を届けましょう。では、授業を終わります」
「きーつ、れー」
「「「あーしたー」」」
終礼と共にチャイム音が鳴る。そこで僕は六限の授業をまるまる寝て過ごしていたことを悟った。
「ちょっと悠、あんたずっと寝てたでしょ!」
うつ伏せで目を開いたところで僕を呼ぶ声がした。
声の主は────、まあ予想なんてせずとも僕に話しかける奴なんてアイツしかいないのだが。
「未海樹、君だって寝ていただろ朝から昼の授業終わりまで。丸々全部」
「私はいいのよ!でもあんたは別!!ただでさえ授業日数足りないんだからちゃんと授業内容聞きなさいよ!!追いつけなくなるでしょ!!」
編み込みの入ったボブヘアを揺らす未海樹環奈は、僕の机をバンッと叩き、耳元で甲高い声を上げた。バタバタと風で靡くカーテンに残響が吸収された頃、僕は反撃とばかりに嫌味を放つ。
「テストで点は取れてんだからいいだろ。とゆうか、未海樹は僕のことより自分の成績を気にするべきだ。赤点取ったんだろ、”また”」
「なっ────!!それは今関係ないでしょ!!」
「大ありだろ。ちゃんと授業内容聞け」
「このっ!!あんたってやつは!!ほんとに心配してるのにふざけてるんじゃないわよくそバカ!!学校こい!!」
激昂し、支離滅裂になった未海樹の罵倒を僕は教科書をしまいながら聞き流す。
「聞きなさいよ!!」
「今日はたまたまアルバイト先がエリス被害にあって、暇になったから来ただけだ。本当なら今日も来るつもりなかったんだよくそ……」
「え、あの駅前のハンバーガー屋!?」
「そう」
「えーーーーーー!!!!!何で今日なのよ!!行こうと思ってたのに!!」
僕に言われても知らない。
「店が半壊したんだと。復旧までにどのくらいかかるのやら」
僕はやれやれとため息をついて見せる。
「ふーん、最近はエリスの被害なんて聞かなかったのに。残念」
エリス。七億年前のものだという特殊な遺伝子と既存生物の組み合わせで生まれた不思議な力を使う異生物。五年前までアルケーがそのすべてを管理していたらしいが、爆破事件をきっかけに研究所から脱走して世界に散らばった。それくらいは授業を聞いていなかった僕でも知っている。
「まあ、もう慣れたさ」
僕がため息をつくと、未海樹は目を伏せ、黙り込んだ。
「……なんで君がそんな顔してんだ」
特に隠す理由もない僕は怪訝な顔を未海樹に向けた。
「だって!!悠の、家族は……」
未海樹は弾かれたように顔を上げるが、語勢を窄めてまた顔を俯かせた。
僕はその言葉の続きを察して窓の外を見た。いつもと変わらない、人工芝の設置されたグラウンドと、その学校を囲む住宅地だ。
「いいんだよもう」
「……嘘つき」
嘘なんてついていない。もう、起きてしまったことなんだから。
「はあ、もういい!それより、火種先生がまたあんたのこと呼んでた」
無言のままの僕に未海樹はため息をついて話題を変えた。火種という教師は僕らの学級の担任だ。
「そうかよ」
「あんた、行かないつもりでしょ」
僕の思惑を察した未海樹は対面の席に座って見透かすように言った。
「当たり前だろ。どうせ例のごとく出席しろだの家庭はどうなの聞かれるだけだ」
「それは悠が出席すればいいだけの話。いいから行きなさい」
「いや僕は────」
「行、き、な、さ、い」
「……。」
語勢を強めて顔を近づけてくる未海樹に僕は根負けした。
教育実習生による帰りのホームルームを終え、太陽の光を強く反射する純白の廊下に出た。
椅子を立とうとしたとき、火種にホームルームを押し付けられただけの教育実習生が「学校に来ないのには何か理由があるのか」と、かいがいしく世話を焼いてきやがったが、当然無視をした。僕は教師面したいだけの学生の体のいい”可哀想役”になるつもりはない。
僕は教室で多くの生徒に囲まれている教育実習生を見やった後、火種のもとへ歩を進めた。
この学校は中高一貫校だ。その歴史は長く、昭和初期からあるらしい。だが、そんな歴史ある校舎もつい最近改築が施され、新築同然の綺麗な校舎に様変わりした。おかげで入学希望者がうなぎ上りらしいが、あまり登校しない僕としては全く関係のない話だ。
僕は丁寧にニスが塗られた廊下を抜け、階段に差し掛かった。
今僕がいるのは3階。そして火種がいる理科準備室は4階にある。
僕は彼女に目をつけられているのか、入学時から高校二年になった今でもたびたび呼び出されては小言を言われ続けている。正直無視してもいいのだが、そうすると今度は未海樹がうるさい。だから僕はまだましな火種の小言に付き合う方を毎回選ぶ。毎度苦渋を呑むような思いでこの階段を上っているが、仕方ない。未海樹のヒステリックよりはよっぽど易しい。
階段を抜け、廊下を渡る。そして理科準備室の前に来た僕は、ため息を押し殺しながらノックをして扉をスライドさせた。
「失礼します」
「ん?ああ来たか、まあ座れ」
書類やら本やらが散乱した部屋で、一人の女性が僕を迎えた。
僕は散乱した書類を足でどけた後、キャスター付きの椅子を手繰りながらチラリとその女性教師を見る。
火種ザクロ。寝癖が目立つ、朱色の長髪に目鼻立ちの整った端正な顔立ち。眼鏡を付けて白衣を身に纏っている姿は、はたから見れば冷静で知的に映るだろう。しかしこいつの本性を知っている僕からしてみれば、その印象は詐欺でしかないと言うほかない。
「今回も未海樹作戦は成功だ。いやーしかし便利だね彼女は。簡単にお前を御せる」
「僕の扱い方を覚えるな気持ち悪い」
「仕方ないだろー?そうでもしなきゃお前は私の説教を聞かないんだから。それに、彼女も私もお前を心配しているからこそ、ここまでやるんだよ。分かってくれたまえ」
火種はコーヒーの入ったカップをくるくると弄びながら得意げに言った。
「……で、呼び出した理由は」
僕は一刻も早くこの場から立ち去りたい一心で話を急かす。
「ああ、それな。え〜と……ここか?いや違うな。これ……でもないな」
火種は思い出したように書類が山のように積まれた机の上をガサガサと漁り始め、1枚の書類を山の中から取り出した。
「雛織悠。欠席50回、遅刻61回、早退14回」
僕は火種に告げられた内容を聞き流す。
始まった。
「……何か言ったらどうだ。卒業どころか進級も危うい数字なんだぞ」
「別になにも」
大した反応を示さない僕に火種はつまらなそうに目を細めた。
「では角度を変えよう。久しぶりに登校してきたと思っても授業も聞かず寝ているだけ。そのくせテストの点は良い。そんなお前を良く思わない教師は、直接叱ることにビビって私に文句を言ってくる。『雛織君の授業態度はなんとかならないのか!!』とね。お前、毎回尻拭いをさせられている私のことは考慮しているか?」
「悪い点を取れと?」
「ひねくれ過ぎだ。いい加減めんどくさいぞ」
頭を抱えた火種は立ち上がって、僕の座る椅子の背もたれに腰かけた。
「お前が学校に来ている場合じゃないのは分かっている。ただな、この学校に在籍している以上私はお前を卒業させなきゃならん。分かってくれよ」
乞うような火種の言葉。だが、僕は静かに席を立ち理科準備室の扉に向かう。
「もう帰るのか?」
「ババアの長話はこたえる」
「まったく、かわいくない奴」
どうとでも言え。
「妹さんの容態は?」
僕の去り際に火種が問う。
「……変わんねぇよ。」
「そうか。」
僕は引き戸の取っ手に手をかけたまま事も無げに答えた。
できるだけ、動揺を悟られないように。




