懸念
サンドロ・ドニゼッティという男がいた。
中年で太っており、黒ひげを生やしはげかかった頭をしたひどく清潔感のない風貌の男であった。
ドニゼッティは普段から酒や女に溺れ、定職も持たず暴力的な男であったが、
その悪知恵でここまで生き延びてきていた。
そんな男だから特に親しい者もおらず、
町の有名人というわけでもなく、
日陰で暮らす生活であった。
転機を迎えたのはあの使徒の指名の日であった。
彼は混乱が始まったとき既にこの場をどう掌握するかについて頭を巡らせていた。
その中でこの混乱を利用するという手立てを思いついたのだ。
彼はあることないことの情報を巧みに流して人々を扇動し、
混乱に乗じて多くの店や金庫を襲った。
それを続けた結果、彼は町の大部分を影で掌握するようになった。
しかし、そこに来て阿賀野の対話宣言であった。
これによりこの町には使徒はいないことが露呈し、
暴動や混乱が起きる理由がなくなったのである。
そこで、彼は新たな手段に打って出た。
彼は対話を反対し、使徒を一方的に抹殺することを声高に主張したのだ。
これに同調する人々は次第に増えていった。
一方で、彼は裏で人々の不安や怒りを煽るような情報を流して暗躍した。
その結果、対話反対派の集団はますます大きくなっていき、
その中心人物たるドニゼッティはいつのまにか英雄視されるようになっていった。
そして、権力を得たドニゼッティは自分の意見にそぐわない者、つまり対話派を弾圧し始めたのだ。
阿賀野たちがこの町に着いたときに異様に静かだったのは、
怯えた対話派が自宅に閉じこもっていたからなのだ。
どちらにも興味を示さない者もいたが、
いきり立った反対話派に身の危険を感じて、
対話派と同じく家に閉じこもるほかはなかった。
阿賀野たちが打ち合わせをしているところで、ドアをノックする音がした。
「お、帰ってきたんだな!!」
アレスが嬉しそうに駆け寄る。
ドアを開けると、そこには3人のアレスと同じくらいの年齢と思しき若い男女が笑顔で立っていた。
孤児院での生活をともにしたアレスの家族である。
アレスは彼らと笑顔で抱擁を交わした。
「こんなに早く会えるとは思わなかったぜ!」
「こっちもだぜ、エドガルド」
アレスと同じくらいの体格で、黒髪で色白のエドガルドは阿賀野たちを見た。
「こいつらがアレスの仲間か」
「それで、ジーモはまだ潜伏しているのか?」
「そうみたいだな。あいつ、あの状況を半分楽しんでいやがる。
でも、お前が帰ってきたって知ったらすっ飛んでくるぜ」
ジーモという青年が対話反対派の集会に現在進行形で紛れ込んでいるらしい。
アレスと会話をしていたジャンピエロという青年からの話である。
「ドーラ、ミレーナたちは何してんだ?」
「彼女たちはローザやカルロと一緒に暴動が起こりそうなところに行って、
避難の呼びかけをしているわ。ひと段落着いたらきっとここに戻ってくるはず」
「あんたたち、あんま無理しちゃだめよ。
ここの子たちだって心配してるんだからね」
アルダはドーラたちをなだめるように言った。
現在もこの孤児院で暮らしている幼い子供たちは、
今は学校に行っている時間らしく、アレスとの再会とはいかなかった。
「こんなときでも学校あるんだな、いいのかよ」
「どっかの誰かさんと違ってみんな真面目なのよ」
ドーラがアレスに茶々を入れると皆がふっと笑った。
その様子を阿賀野たちは横で見ている。
「よく考えたら、私たちは別行動して待機してるべきだったかな」
藍那が自嘲気味に笑う。
「いや、単独行動は危険だ。多少の気まずさは耐えろ」
ダリルは特に表情は変わらず、あまり気にしていない様子であった。
「ここは私と同じ宗派の多い良い国です」
ヴァリオにいたっては大変居心地がよさそうである。
「でも、話が逸れたのは確かだな」
ダリルが咳払いをすると、アレスははっとして議題を思い出し、エドガルドに尋ねる。
「それで、俺たちはこの暴動をなんとかしようとしているんだが、
何かもっと役に立ちそうな情報はあるか?」
「そうだなあ、潜入組と前に会ったときに聞いたんだが、
どうやらこの暴動を仕切ってる幹部が何人かいるらしい」
アレスは阿賀野たちにそのままこれを伝えると、藍那が言う。
「ふーん。じゃあその中で首謀者をこらしめればいいってわけね」
「具体的には殺害するということでいいのか?」
「ダリルさん、殺害するなんてそんな……」
リラはそこまでしなくてもいいのではないかと訴える。
「だが、最終手段としては考慮に入れておくべきだろう」
リラは悲しそうにうつむいた。
アレスは取り繕うようにエドガルドに追加で質問をする。
「ほかには?というか今回お前らはやけに察しがいいけどどうしたんだ?」
「ドーラが言ったんだ。何かひっかかるって」
「あぁ、あいつの勘はよく当たるからなあ」
「それに俺たちだってこの町を守りたいんだ」
「俺だってそうさ。たとえもう二度と帰って来れなくてもな」
アレスは遠い目をしながら窓の外を見た。
これ以上ないくらいに穏やかな陽気であった。
「そうだ、俺たちも何かできることはないか相談してたんだ。
とりあえず、こいつは使えそうだぜ?」
アレスは部屋の端に並べられた箱を指さしながら、
その中の一つの箱を開け中身を取り出した。
彼が手に取ったのはドローンだった。
「まさかこれ全部?」
「これ以外にも無線機やら盗聴器やら色々あるぜ。全部ヴァリオさんの能力で出してもらった」
エドガルドは思わず阿賀野たちの方を見た。
目が合うと阿賀野はにっこりとほほ笑んだ。
「本当にありがとう。俺たちもできる限りお前たちに協力する」
「感謝するのはまだ早いぜエド。他には情報はあるか?」
「ここにいる俺たちが把握してるのはこんなもんだ。
あとはジーモやミレーナたちが帰ってくるのを待つしかないな」
このときから阿賀野一行とエドガルドたちとの共同調査が始まった。
当面の目的は今回の暴動の首謀者を発見することであった。
阿賀野は世界中に顔が知れ渡っているため、
あまり拠点から出ることはできないが、
ドローンの操作などをしたり、
集めた情報をまとめて分析したりしていた。
(やっぱり召集権を使ってよかった)
阿賀野の貢献はわずかかもしれないが、
それでもそれが大きな輪になっていくことに、どこか温かみを感じていた。
非番になったダリルは、コーヒーを飲みながら椅子に腰かけている。
(だが、小さな街とはいえここまでピンポイントな人物を探し出すのは、
あまりにも無謀な話だ。
おそらく、対話までにほかの場所に行くことはかなわないだろう)
コーヒーに一口つけ、冷静に分析を続ける。
(一日前には時間を作って最終確認をするとはいえ、
せめて身を守る術くらいは全員に教えておくべきか……)
孤児院は現在平日の昼間であり、子供はおらず静まり返っている。
窓から入ってくるそよ風が心地よい。
ダリルは残りのコーヒー飲み干すと結論を出した。
(やはり、様子を見守ろう。俺一人だけ焦っても仕方ない)
その後も2、3日調査は続いたが、阿賀野たちの奮闘むなしく、
ダリルの予想通り調査は難航した。
それでも、少しでもやれることはやっておきたいという阿賀野の意見にみなが同調しており、
異を唱える者はいないどころか、いきいきとしていた。
だが、阿賀野たち一行の中で一人だけ焦りを感じている者がいた。
(まずい、このままでは次に進めない。対話まであまり時間の猶予はないというのに)
その日も孤児院のメンバーを含め全員で街中を探し回ったが、
まさに暗中模索であり、思ったような成果は得られなかった。
その者は夜の当番と交代した後であり、
休憩用のベッドの中で唇をかみしめていた。そして、とある決意を固めた。
(仕方ない、裏で動くとしますか……)
その者はベッドから起き上がり、周りの様子を確認した。
部屋は個別だがいつ誰が入ってきても隠せるようドアに鍵がかかっていることを確認し周囲の音を窺う。
どうやら大丈夫そうだ。
(今朝生成されたドローンに追加効果を付け加えよう)
その者はドローンに手をかざし、能力を行使した。
ドローンの見た目に変化はない。
(うまくいったか?あとは使ってみるしかないな)
その者はドローンを起動させた。
部屋の窓から飛び出したドローンは上空に上がっていく。
(現在巡回中のやつらのドローンの位置は表示されている。
こいつらに見つからないうちに事を進めなくては)
ドローンはとある方角を目指してふらりと進み始めた。
夜であることと、田舎町のため大きな明かりがないことに加え、
夜空が保護色となり、常人には到底気付かれない状態になっていた。
数分後、とある方向に向かって一直線に進んでいたドローンが一度ピタリと停止し、
一つの民家へゆっくりと降下を始めた。
(うまくいった。ここからは手動に切り替えよう)
ドローンは民家の周囲を旋回し、開けっ放しになっている窓を発見すると、
そのそばに移動した。
窓からは中年で太っており、
黒ひげを生やしはげかかった頭をしたひどく清潔感のない風貌の男が、
ベッドで大きないびきをかいて寝ていた。
部屋の明かりはついたままだが、ほかには誰もいないようだ。
(こいつか?どうする?ここで殺すか?)
その者は今回の騒動の首謀者らしき人物の発見に成功したようだが、
どう対処するかを考えた。そして、結論を下した。
(いや、直接話を聞こう)
それから、その者は部屋を抜け出した。




