別れ
阿賀野が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入った。
体の節々に激痛が走るが目立った外傷はなく、
あまりいい環境とはいえないけども多少は睡眠ができたようで、
拘束もされていない。
どうやらまだ生きているようだ。
起き上がろうとしたが、激しい頭痛に襲われた。
力も入らないが、
それでも起き上がろうとすると、
左手が動かないことに気付いた。
「目が覚めたようだね」
阿賀野は部屋の隅に男が折りたたみの椅子に座っていたことに気付く。
ここでようやくここがどこかの小屋なのだとわかった。
「おーい、川瀬さん。彼が目を覚ましたよ」
由林が呼びかけると、
小屋の外から誰かが駆けてくる音がして入口に麻衣の姿が現れた。
「……麻衣」
上半身だけ起こしている阿賀野に麻衣は駆け寄り抱きしめた。
「大変だったね……」
麻衣は涙を流しながら阿賀野の頭を撫でた。
「私、ニュースを見て芳樹を疑いそうになった。
だけど芳樹ならあんなことはしないって信じることにしたの……!」
「ずっと、話したかった」
阿賀野の声は震えていた。
静まり返った狭い小屋の中に嗚咽が漏れ始める。
「僕は…っ、僕たちは…ただ生きたかっただけなんだ……」
阿賀野は涙が止まらなかった。
すがりつくように麻衣を抱きしめた。
「ここに来るまでにいっぱい殺した…
でも僕たちは話し合おうとしたんだ…!
それなのに…」
「芳樹」
麻衣は阿賀野の言葉を遮りながら優しく語り掛けた。
「私を最後の使徒に指名していいよ」
それから、阿賀野は何も言わずただただ泣き続けながら今までの旅のことを話した。
麻衣はただ頷きながら黙って聞いていた。
由林や片岡たちも固唾を飲んでその話を聞いていた。
すべてを話終わる頃には、もう日が暮れており、
阿賀野も落ち着きを取り戻していた。
「話を聞いてくれてありがとう。
それから、指名してもいいって言ってくれてありがとう。
でも、もう大丈夫だから」
そして、強いまなざしを向けながら告げた。
「もう一度国連に行ってみる」
「私も行く」
麻衣は即答した。
だが、阿賀野は黙って首を横に振った。
「どうして!?」
「麻衣まで巻き込むわけにはいかない。
これは僕だけで片付ける」
だが、麻衣も頑として譲らなかった。
「もともと芳樹を送り出したのは私だよ!
だから私にも責任があるの!!」
こうなってしまった麻衣はどうしようもできないことを、
阿賀野はしみじみと思い出していた。
しかし、彼の思いも決して変えるつもりはなかった。
「わかったよ。
でも、とりあえずはもう一休みさせてもらうよ。
まだまだ全快じゃないんだ」
そう言ってその場で横になり始めた。
「ふん、絶対に一人では行かせないからね」
麻衣も阿賀野の傍で横になった。
(たとえどんな結末になるとしても、
私が最後まで芳樹と一緒にいる。
絶対に一人にはさせない。
私の痛みなんて、芳樹に比べたら……)
阿賀野の言葉は半分本当だった。
能力を完全に使いこなすには、激しく消耗していたため休息が必要だった。
現に、一番消耗の少ない感知でさえ、
半径数十メートルにしか及ばない状態であった。
消耗しており一般人に感知されにくくなっているうえに、
この人気のない山中にいればそうそう見つかることはない。
そう考えて阿賀野は一時の休息を取った。
阿賀野は熟睡してしまい、真夜中にはっと目が覚めた。
通常であれば睡眠時間は1時間も必要なかったが、
消耗しきっていたため、数時間寝てしまったようだ。
おかげでほぼ全快になったようだ。
体を起こして周りを確認すると、
麻衣は横になったまままっすぐとこちらを見ていた。
「麻衣。やっぱり僕は一人で行くよ」
何かを叫ぼうとした麻衣を、
左手首を軽く押さえながら凝視した。
すると麻衣の意識は奪われた。
「ダリルさんの能力って極めればこんな優しい使い方もできたんだな」
阿賀野は麻衣の意識を一時的に消滅させた。
平たく言えば気を失わせたのだ。
「ありがとう、麻衣。
じゃあ行ってくるね」
小さな声でそう囁くと阿賀野は小屋を出ようとした。
すると、由林が声をかけた。
「やっぱりきみ一人で行ってしまうんだね」
阿賀野は振り返って、微笑みながら頷いた。
由林も柔らかい表情を返した。
「川瀬さん、君がこの付近にいると聞いて、
ずっと寝ないで君のことを探していたんだ。
彼女、びっくりするくらいの速さであちこちを回ったんだ」
「そうですか」
阿賀野は少し照れ臭そうに相槌をうった。
「伝えるべきか迷ったんだが……」
由林は少し苦い顔をして続ける。
「川瀬さんのご家族はしばらく前に行方不明になったんだ」
「!?」
阿賀野は思わず大声を上げそうになる。
「君たちが日本に来てから少し経ってからのことだった。
川瀬さんは家を出たままだったのと、
僕たちがずっと一緒に行動していたから無事だったのかもしれない」
阿賀野は顔を大きくしかめる。
しかし、だからと言ってこれからやることは変わらない。
それでも進むのだ。麻衣と約束したのだから。
「麻衣に、ありがとうとお伝えください」
すべてを飲み込んでそう告げると、阿賀野は姿を消した。
* * *
麻衣が幼稚園の頃のことだった。
麻衣は昔から今と変わらないまっすぐな性格だった。
世間一般からするとまっすぐ過ぎるくらいだった。
園で喧嘩があると必ず仲裁に入った。
納得がいかなければ、先生でも遠慮なく質問した。
それゆえに幼少期は孤立することもあった。
親同士が仲がいいうえにご近所ということもあり、
そんな麻衣に何の疑問もなく阿賀野はいつも着いていった。
あるとき、ある園児が言った。
「麻衣ちゃんって男の子みたいだよね」
ずばずばものを言う麻衣に対する、
子供ながらの率直な感想だった。
それが引き金となり、みなが思っていたことを口にし始めた。
「けんかつよそう」
「いつもえらそうにしてる」
「せんせいみたい」
「ぼくこわい」
「わたしはミカちゃんとあそぶことにする~」
このときばかりは、さすがの麻衣も俯いて何も言えなかった。
自分が正しいと思ったことをしてきただけなのに、
それを全否定された気分になったのだ。
「なんでみんな麻衣のことを悪く言うの?
麻衣はまちがってないのに」
そのことを阿賀野は帰ってから母親に聞いてみた。
阿賀野自身も納得がいかなかったのだ。
「そう思うなら、芳樹だけは麻衣ちゃんを信じてあげなさい」
阿賀野の母は優しい目で阿賀野に諭した。
「信じる?」
「そうよ。
これからも麻衣ちゃんのそばにいるのよ?
ひとりぼっちにしちゃダメよ?」
「わかったよ」
そうして、阿賀野だけは麻衣のそばを離れなかった。
他の園児に何かを言われても、
「麻衣はまちがってないもん」
と言い続けた。
その場では阿賀野にも悪口を言われることもあった。
それでも阿賀野は折れなかった。
みなは心のどこかでは麻衣が正しいということを感じていた。
自分たちが間違ったことをしていることを認めたくなかったのだ。
阿賀野は麻衣とは対照的に、静かに諭すように主張を続けた。
手出しをされることはあっても、決して自らはそうしなかった。
やがて、園の皆も麻衣を理解し始めていく。
1ヶ月もすると麻衣はクラスの頼れる中心となった。
やはり麻衣は自分は間違っていなかったのだと確信した。
今度こそみんなに認められたのだ。
でも麻衣は別にそれを誇りに思うこともなかった。
阿賀野が信じてくれたことだけで十分満たされていたのだ。
「だから私も芳樹を信じる」
彼女の強い意志が、ダリルの進化した能力によって失われた意識を取り戻そうとする。
もはや覚醒のときは近い。
そして、急に激しい光が瞬いた……




