リラの村
一時間後、阿賀野たちはまずはリラの祖母に会うべく、
彼女の故郷を目指して出発していた。
市街地からは遠く離れた森林の中であり、
通信機器が使えないため、
少ない荷物の中に入れていたコンパスを頼りに鬱蒼と生い茂る森の中を進んでいた。
「もう一つ決めなければならないことがある」
先頭にいたダリルは後ろの様子を確認することも兼ねて、
振り返って歩みを止め、一行の顔を見ながら告げた。
「これからどうするかということについてだ」
ただひたすら歩き続けた身体的な疲れと、
期待は裏切られ状況は悪化していることによる精神的な疲れの中、
最も辛い現実を突き付けられた。
「今はいい。だが、いずれは決めなくてはならない。
よく考えておいてくれ」
遅れている者はいないことを確認し、ダリルは再び歩き出す。
それにみな無言で着いていく。
数分後、阿賀野たちは大きな湖にたどり着いた。
水は澄んでいて、付近にたくさんの野鳥もいる美しい湖であった。
「もうすぐ着きます!
ここは家の近くの湖です!
一人で考え事をしたいときはよく来てました!!」
リラは先ほどまでの疲れを忘れたかのように無邪気に笑っていた。
しかし、やはりどこか影があることは隠しきれていない。
「村の様子を窺いながら入ろうと思う。ここで一休みしよう」
ダリルはそう告げると近くに座り込んだ。
リラは岸へやや早歩きで向かっていった。
アレスと藍那もそれに続いた。
「この水、飲めるの?」
藍那は水面を見ながら少し晴れやかな表情になっているリラに尋ねた。
「はい!村の人はたまにここに水汲みに来ます」
それを聞いたアレスが手ですくって水を飲む。
「うめえーー!!こんなうまい水飲んだことないぜ」
そう言うとまた手ですくって水を飲み始める。
「確かにきれいな水ね」
藍那も水を口にした。
「フィルソヴァ、村に脅威は感じるか?」
ダリルも水を水筒に入れながら尋ねた。
「いえ、特には脅威を感じません」
獣が襲い掛かって来ることはすでになくなっていた。
後は人間の敵意次第であるが、リラはその可能性も否定した。
「それに、能力を使わなくたってわかります。
この村の人たちに悪い人はいません」
おそらく、村の民とはみな顔なじみなのだろう。
赤の他人ならまだしも、実際に見知った顔であれば、
対話のときのようにいきなり敵意をむき出しにして襲い掛かってくることは考えにくい。
しかし、阿賀野は心の奥底から信用することはできないでいた。
対話がもたらした彼の人類に対する不信感は、いまや大きな心の歪になっていた。
「今のお前にはとにかく休息が必要だ」
水筒に水を汲み終え、戻ってきたダリルが声をかけてきた。
阿賀野は無言でこれからのことを考えていた。
いや、考えようとしているが、
何をしても裏切られるかもしれないという自問自答のループに陥っており、
何も考えることができなかった。
(もう何も信じられないのかな……)
阿賀野はぼんやりと湖の景色を眺めていた。
その後、湖を出発して10分ほどで、ついにリラの故郷の村にたどり着いた。
僻地の村だけあってあんなことがあった後でも、大して騒ぎがあった様子がない。
ダリルはひとまずの安全を確認すると先頭をリラに任せる。
ダリルの家のようなログハウスのような家が点々と並んでいる中をしばらく進んでいくと、
村の外れにある大きな木造の家が見えた。
「あれが私がおばあちゃんと暮らしていた家です」
リラは家に入ろうとドアをノックした。
少し待っていると、優しそうな顔立ちをした70代くらいの女性が出てきた。
「リラ……!帰ってきたのね!」
「おばあちゃん!」
リラは祖母に抱きしめられた。
「もう会えないかと思ったけど、
なんとなくリラが近くに来た気がしたの」
2人は涙を浮かべていた。
ひとしきりやりとりが終わると、リラの祖母は阿賀野たちのことを彼女に尋ねた。
「こちらの方たちが仲間なのね」
「私と同じ神さまに選ばれた人だよ。
ここまで助け合って来たの」
そう言うとリラは一人一人を祖母に紹介し始めた。
全員の紹介が終わると、今度は祖母が自己紹介をした。
「リラの祖母のエレーナです。
あなたたちには娘を助けていただき感謝の言葉もありません」
そう言うと優しげな微笑みを浮かべた。
「さあ、中に入ってください。
温かい飲み物を出します」
リラの家は外見は少々古びていたが、
中に入ると整頓されており、ゆとりのある清潔感のある家であった。
「さっきリラのおばあちゃんがリラが近くに来た気がしたって言ってたけど、
召集権の影響だよね?」
「だろうな」
藍那とアレスがひそひそと話した。
(やはり、あまり多用はできないな)
ダリルも召集権を使うことのデメリットをひしひしと感じていた。
「色々と大変だったでしょうが、この村は安全です。
少なくともここの村の者は争いを好みません」
エレーナは阿賀野たちの荷物を降ろさせると椅子に案内し、
温めたミルクやコーヒーを差し出した。
「さっそくで悪いが何か情報が得られるものを貸してほしい。
ここはテレビかラジオは使えないのか?」
ダリルは村で安全に過ごせる場所を確保したら、
次は情報収集をすると決めていた。
ラジオは持っていたが、電波が入らなかったため、
召集権を使った後の国連の行動や発表はわからないままであった。
「この村にはないですが、
車で山を下りて町まで出ればいくらでも可能です」
「そうか……」
ダリルは舌打ちした。
あれだけの大きな行動に出たのだから、国連からの何かしらの発表はあるはずだった。
もしかすると、国連を非難する世論が形成されているかもしれない。
今すぐにでもその情報を確認したいところであったため歯がゆい。
「仕方ない、とりあえず今日はここで休ませてもらおう」
「ぜひそうしてください!
おばあちゃん、寝る場所を用意しなきゃ」
そう言うとリラは部屋へと駆けていった。
「あんなことがあった後だからな」
アレスは微笑まし気にリラが部屋を出ていく姿を目で追った。
(目の前のことに集中することで、現実からほんのひと時逃れることも必要か……)
ダリルは無言でコーヒーに口をつけた。
ダリルにはその味が少々苦く感じた。
次の日、阿賀野たちが朝食を取った後に、
リラが意気揚々と提案をしてきた。
「私の故郷を案内します。
これからみなさんでこの村を見て回りましょう」
「駄目だ。今の状況で不用意に外出し、人目に晒されるのは危険すぎる」
ダリルが即座に反対した。
「じゃあ、私の能力でみんな隠せばいい?」
「お、藍那が珍しくやる気だな」
アレスに茶化され、少し頬を赤らめながらも付け加える。
「この村の人はみんなリラの顔見知りで信用できる人たちなんでしょ?
前みたいに赤の他人ってわけじゃない」
「藍那……」
リラは感謝のまなざしで藍那を見た。
彼女は照れ隠しか、そっぽを向いた。
「さっきおばあちゃんに聞いたことです。
おばあちゃんは私が旅立った後に、村の人たちに私のことを話しました」
ダリルの眉がピクッと動く。しかし、黙って聞いている。
「村のみんなは私の話を聞いても、ただ笑ってこう答えたそうです」
リラは目を細めながら続けた。
「大丈夫、リラなら心配いらない、と」
このとき、リラは今後のことについてある程度の決意が固まった。
自分でもこんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。
「私たちの対話が失敗してしまった今、この先どうなるかわかりません。
だからこそ、どうしてももう一度だけ会ってちゃんとありがとうと言いたいです」
あくまでも別れの言葉ではなく感謝の言葉であった。
「わかった。だが、最大限の安全は確保させてもらうぞ」
こうして、ダリルたちはリラの強い意志に負けて外出をすることになった。
その後、すぐにリラたちは出発した。
自然豊かな村の空気は澄んでおり、とても気持ちのいい朝であった。
リラの家を出て、最初に向かったのはすぐ近くの家であった。
阿賀野たちは少し離れた木の下で待っていることになった。
リラは家の前まで行くとドアをノックした。
しばらくすると老夫婦が出てきた。
「リラ……リラじゃないの」
夫人はリラを抱きしめた。
「よく帰ってきたな」
老人もリラの頭を撫でた。
「私、みんなにお礼が言いたくて戻ってきました」
「私たちはみんなリラの味方よ」
夫人は涙を流しながらまたリラを抱きしめた。
ひとしきりやりとりが終わると、
リラは送り出してくれた礼と次のところへ向かう旨を告げ、
老夫婦の家を後にした。
「私が小さい頃、あの家の人にはよくおやつを分けてもらっていました」
阿賀野たちのいる近くに戻ってくると、
少し照れ臭そうに頬を染めながら自分との関係を話した。
リラの村は確かに小さい村だが、村人はみな仲が良く、
信頼しあっていることが窺えた。
この後も、こんな調子でリラは阿賀野たちに村を案内しながら、
ほぼすべての家を訪問して回った。
藍那はところどころで休みを入れながら能力を使い続けるつもりであったが、
村人の様子を見て途中からは能力を使うのをやめていた。
通信機器はおろかテレビすらないため、ダリルも警戒を解いていた。
「なんていうか、リラって愛されていたのね」
藍那は寂しそうに遠い目をしながら見つめていた。
「高嶺さんも召集権ではやっぱり家族に会いにいきたいの?」
「どうだろう、わかんない」
何か言葉をかけようとして質問した阿賀野であったが、
余計に落ち込ませてしまったように思い後悔した。
その後も順調にいき、昼前にはリラの行きたい所はほぼ回りきることができた。
「次で最後です」
小さな村とは言え、あちこちを歩き回った後であったが、
リラは疲れを感じさせない様子であった。
「そうか、ならばそれが済んだらやりたいことがある」
ダリルは待っていたかのように切り出した。
何となく察しはついていたが、アレスは尋ねた。
「それはここでやることなのかい?」
「いや、ここではできなさそうだ」
「情報収集だろ?だったら街まで出なくちゃな」
アレスも同じことを考えていたようだ。
「まさか歩いて行くつもり?」
藍那はあまり昨日の今日で長距離を歩きたくないようだ。
「でしたら、私が車を貸してもらえないか聞いてみます」
「できるのか?」
「ちょうど最後に行こうとしていた家にはあります」
リラは歩きながらその家を指さした。
簡素な木造の車庫が見える。
シャッター代わりの幕があり中までは見えなかったが、
予備とみられるタイヤが積んであり期待できそうだった。
「俺たちはここで待っている。聞いてみてくれ」
「わかりました」
リラは一人でその家に向かっていった。
そして、ドアをノックした。
中から中年の恰幅のよい男が出てきた。
男はリラを見て初めは驚いたが、
すぐに人当りのよさそうな笑顔を浮かべて話していた。
リラはほかの村人にもしたことと同じ内容を話した後、
情報を得るため町に出たい旨を伝えた。
すると、その村人が自動車を快く貸してくれることになった。
「本当にありがとうございます」
「いいってことよ。でも気を付けてな」
こうして、リラは村のすべての人間と会話をすることがかなった。
時間は昼を回っていたので、一旦彼女の家に帰ることにした。
昼食を済ませた後、リラはエレーナに街へ向かう旨を告げた。
すると、エレーナはリラたちをリビングで待つように言い、
奥の部屋に入っていった。
その後、布の包みを持って出てきた。
「街行くならお金が必要でしょう。
これを持っていってください」
財布は藍那に向かって差し出された。
「えっ、私……?」
藍那は少々困惑している。
リラは微笑みながら彼女の肩に手を乗せた。
「いいんですよ。持っていきましょう」
言われるがままに藍那は財布を受け取った。
「あ、ありがとうございます……」
「いいんですよ、リラを助けていただいているんですもの」
エレーナは藍那の手を握った。
藍那は少し頬を染めながら財布をそっとしまった。
「じゃあ、行くとするか」
アレスは少しニヤニヤしながら出発を促した。
アレスとダリルはドアを開け家の外へ出た。
阿賀野はエレーナに会釈しそれに続く。
藍那は咳払いし付いて行った。
「リラ、いってらっしゃい」
「いってきます。おばあちゃん」
微笑みながらリラはドアを開け、家を出た。
ドアが閉まった後、一瞬エレーナの頬を風が撫でた。
相変わらず爽やかな風であった。




