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前日(side A)

 やまなき祭前日の5月4日。よく晴れた日の光に起こされた。肌色ののっぺりとした遮光カーテンは、年季とともにその役割をほぼ失ってしまっていた。部屋のなかに充満する金木犀の香りはなんだかとても甘だるげで、強すぎる芳香剤の存在感にうんざりする。2階の寝室から見える景色には、もうすでに多くの人間が慌ただしく動いているのが見えた。小さな村という性質上、一人の人間が持つ役割は多い。農業休みなしとはよく言ったものだが、今日はそれ以上に祭りの準備に駆り出されているのだろう。昔、というか俺の両親がいたころには、ほかの地域からも人がくるほど賑わっていたらしい。それは俺も納得で山あいの村の規模の祭りとは思えないほど豪勢だとは感じていた。

 昨日は、というものの落ち着いてから民宿千客に戻った。受付のおばさんこと千尋の母には一言断っておいた。千尋には会わなかったが、俺も大人気なさを感じたから今日会えば何か言っておこうとは思う。———これは俺の直観だが、このやまなき祭にはきっと何かが起こる気がしている。100年目、最後のやまなき祭。俺をわざわざ呼んだ手紙の存在。俺の意思を超えたところで何かが動している、オカルトじみた考えを頭の中をぐるぐる回っていた。こんな愚にもつかないことを考えるのは、疲れている証拠である。そんな煮え切らない自分をはっきり現実に戻したのは、朝食の良い匂いだった。千客の料理は極上のもので、したがって俺の青春時代を支えた料理はどれも最高のものだった。今ではそれをお金を払って食すわけだが。香りに誘われ内開きのドアを開けると狭い廊下に一人の男。右隣の部屋に泊まっているらしい。そう言えば昨日俺がここに戻ってきたときにチェックインしていた。俺が呆けて彼を見ていると、こちらに気付いて、しわがれた声で話しかけてきた。


「おはようございます。観光で?」

「ええ、まあ。そちらは?」

「取材さ。記者なんだよ、フリーのな。」


彼は五厘の坊主頭をぽりぽりと書くと俺のドアの前を会釈しながら通り過ぎて、そのまま1階のロビーへと向かっていった。切れ長の目の下には隈がのぞいていた。昨日遅くまで記事を書いていた、とかだろうか。ある意味こうして色々思考巡らせてしまうのは、推理「作家」としての無粋な性と言うべきだろう。俺はもう一つ彼について考えてみた。彼の趣味についてだ。彼はバレエダンサーではないだろうか。よくバレリーナは外股になって歩いてしまうというのがあるが、彼が若干そうだった。アンディオールというので、ガニ股のような膝の向きを踊りでは要求されるというのを耳にしたことがある。男性バレエダンサーのことをどう言うのかは知らないが、彼がそうである可能性が高い、と俺は考えた。もし彼と世間話することがあれば聞いてみるのもいいかもしれない。そんなことをめざとく注目する自分に酔いしれていると、腹の虫は空腹をつげるベルを鳴らした。外では「牧場の朝」が6時きっかりなのを示している。そう、朝にチャイムが鳴るのだ。昼12時にも、夕方5時にも。それにしても早すぎる。田舎の朝は早すぎる。


 階下の広間には俺とあの記者の分ともう一食分の食事が並んでいた。誰かまだ泊まっているのだろうか。珍しい、などと言われた気がするがそうでもないらしい。朝の献立を除くと洋風の内容だ。メインのオムレツにはあんがかかっており、なすや大根、アンズタケのソテーが添えられている。副菜にはキャベツの甘酢和え。そこにわかめの味噌汁とご飯がよそわれていた。なんともちぐはぐなようで、伊瀬家もといこの宿では一般的なのである。辺りを見ても千尋もおばさんもいない。事前に朝食の説明は受けているとはいえ、全く素晴らしい接客業だ。記者の方を見るともう食べ始めている。俺だって限界だった。料理の湯気が冷めてしまわないうちに、と小テーブルから裏返しに置かれたグラスを手に取り、セルフサービスの水を汲んでいると、無防備な背中に気だるい低血圧な声が投げ塗られた。


「あのう、アタシのも汲んでくださるかしら......。」


嫌だった。俺の中にセンサーランプがあるとして、それが警戒すべしとけたたましくサイレンを鳴らし、辺りを赤く照らしている。振り向けばコミュニケーションというもっとも忌避すべき事態が手をこまねいているのはどうしたって明らかだ。ピッチャーの中の水には氷が浮いているでガラガラと音がする。表面の結露が滴となって敷いてあるタオルにしたたるのが見えた。俺の透明なグラスになみなみとそそがれた水が溢れる前に答えは出た。何も聞こえなかったふりをしよう。俺が食卓の方へ向くと右手からずいっと遮るものが。あなや、人の話はちゃんと聞きましょうねか、小学生からやり直す気は毛頭ない。


「ちょっと、無視なんてカンジ悪ーい!」


目を流すと、若く美人な女性。女性に興味がないわけではないが、特別あるとも言えない。俺には心に決めた人がいるのに、一瞬持ってかれそうだった。


「いえ、聞こえなかっただけです。水汲みましょうか?」


自分の水をテーブルに置き、彼女の手からグラスを奪うように取り、水を汲んだ。ピッチャーの持ち手はわずかに冷たかった。気がする。


   ◇


 何故か当然のように彼女は隣に席を寄せてきた。少しばかり話してみると、どうやら大学のフィールドワークの一環でいわゆる田舎にきているらしい。テーマはやまなき祭の変遷とムラ社会の構造、と彼女は言っていた。いちおう若者にも名前は通じるくらいはいまだに存在感があるのだろう。彼女......こと、水無りりかは大学生だった。

 俺は緊張してささと食べ終わってしまった。水無はといえばあちらから話しかけてきた割に、特別こちらを気にする様子はないので膳を下げてしまう。坊主記者はというと、先に食べ始めた割に携帯を見ながらだらだら食べていた。料理が泣いているぞ、と思わないでもないが、世間に蔓延る“こしょく”のあり方とその付き合い方をも否定するまで芯のある意見を持っているわけではない。ではないが彼と今後交わることもないだろうと思う。関係などそんなもんだ。これは長年の勘。


「おい兄さん、自己紹介をしてなかったな、オレは屋嘉村。さっきも言ったが、記者をやってる。盗み聞きの趣味はないんだが、いやでも聞こえてくるわな。んで、嬢ちゃんも調べにきた、オレも取材に来た。あんさんもそうなんじゃねえか?」

「おじさん、大成さんは観光だそうよ。」

「そうかい?そうかもな、オレも朝そう聞いたよ。でもなこれは勘さ。長年記者をやってきた勘。同じ目をしてんのよ。」


勘、ね......。ある意味間違いではない。正直俺がここに来た目的というのは自分自身はっきりしない。強いて言うなら、成り行きというのがもっとも現実に即しているだろう。言葉を借りるなら俺とて勘でここにいる。


「調査......か。そうだとして何を調べるっていうんだ。動機がない。動機なくして行動が先行することなんてあり得ないだろう。」

「なんだよ、てっきり知っててこの場にいるのかと思ってたぜ。」

「私もそのことを卒論にしようと思って来たのよ。だってアフリカの原部族でもなきゃ、この現代で“生贄”だなんて拝めないわよ。」


生贄?そう言ったのか?確かにプリミティブな儀式だが、この六麗村でそれが行われているなんてことは聞いたことがない。俺がこの村にいた3年間は少なくともだ。


「随分驚いた顔をすんだな、本当に知らなかったと見える。久々にオレの勘が外れたらしい。」

「それより、生贄ってのは本当なのか?おっさん。」

「噂に過ぎんがな。オレ自身芸能の記者だが、趣味でオカルトにも傾倒しているのさ。100年目の祭りで捧げられる生贄。まさにロマンの塊だわな。」

「そうよ、オカルト好きなら垂涎モノね、こんな話題は。まあ、あんまし知られていない方がこんな風に調べやすいけれどね。」


把握している以上にこのやまなき祭には何かありそうだ、だけど同時にそんなわけないとも感じた。あるいはこのことを千尋は俺に伝えたかったんだろうか。千尋は間違いなく何か知ってるはずだ。生まれた時からこの村に住んでる彼女なら。


 幾らか会話をした後、そのまま解散となった。屋嘉村は部屋に階段を登り戻っていった。水無はといえば、村の人に話を聞きにいくと張り切っていた。足が向いて外に出ると、思いの外陽光が眩しく瞼を閉じる。室内にいるうちにだいぶ日が昇って来たらしい。食膳を洗い場に下げておいたが、そこにはおばさんも千尋もいなかった。おそらく畑仕事に既に出ているのだろう。戸を開けて一歩踏み出すと、硬めの泥落としががりがりと音を立てた。自分で格好つけてついつい手のひらをおでこに当てる。ひさしのツバにしているとは言え、あんまり意味のあるものではない。5月ってこんなに暑かったか、と地球温暖化の危機感を感じないでもない。よく田舎にいると時間が止まる、というのを聞く。だが、その実は全くの逆であるように感じるだろう。むしろ時間の存在をありありと植え付けられる。太陽の動きに囚われて、天気に左右され、一日の行動が決まるのだ。しかし自分自身の進歩というのは、何もない。空っぽの人形を集めた共同体という大きな生命が、歴史の周期をなぞるようにうごめいているに過ぎないのだ。そこに意志は無い。あるのはただの伝統という名の憐れなウロボロス。時間は動きながらも止まっているのだ。


「何難しい顔してんの、よっ!」


前を見ると作業着に首にタオルを巻いた千尋の姿があった。


「朝ご飯は食べた?美味しかったでしょう?」

「千尋が作ったのか、ああ美味しかったよ。」

「そう?良かった!」


そうして隣に並んではにかむ彼女を見ると、あの頃と何も変わっていない日常が流れているのではないかと錯覚する。


「何してんだ今。」

「何って、見たらわかるでしょ?準備だよ!準備!」


彼女の膝には土が付いていた。農作業をしていたのか、神主の夫として祭りの準備をしていたのか、とにかく暇ではなさそうだった。それより俺は聞きたいことがあった。


「なあ、今年のやまなき祭は———。」


俺の言葉を遮るように、彼女は立ち止まる。


「出店の話?明日になればきっと分かるよ!私もここ数日出ずっぱりで忙しいんだ!じゃね!」


彼女はそういうと、くるっと後ろを向き、手を振りながら駆け出していった。その背中を見送りながら、俺の疑念はある意味で確信に変わっていた。明日、必ず何かある。彼女の目には、何らかの覚悟が宿っているような気がしてならないのだ。


   ◇


 手持ち無沙汰で、適当にぶらついた後民宿に戻った。するとロビーには屋嘉村が何やらニタつきながら携帯を見ていた。


「お、確か......大成さんだったかな?なんでもいいや、聞いたよ、あんたこの村に住んでた頃があったんだってな。」

「そうだけど、どこから......。」


と言いながらも俺はこの村の伝播性の高さを知っていた。誰が病気になったか、あるいは昼何を食べたのか、どんな話題も日が落ちる前には誰もが了知しているのだ。はっきりとした因果はないが、漠然とした村社会への気持ち悪さというのがあって、その一翼を担うのはこうした事情があるんだろう、と思う。


「女将さんからさ、さっきここで会ったのよ。あんたのさっきの発言が気になってな。」

「発言?」

「動機なくして行動しない、とか言ったよな。しかしながらそれじゃああんたは自己矛盾してることになる。理由もなしにこんな村に来るわけはないんだからな。」

「それに観光、とあんたは言うが随分前からやまなき祭りだって規模縮小。現に前日から来るようなヤツなんざほかにいやしないじゃないの。」

「待ってくれ、毎年の祭りならいざ知らず、100年目、最後のやまなき祭となりゃ別に観光に来たっておかしくないだろ?かえって普通の思考回路だ。」

「最後?そうなのか?それは知らなかったな。村長さんにインタビューしたが、そんなことは一言も無かったぜ。なんだい、身内情報かよ。」


屋嘉村はちぇっ、と不貞腐れてスマホに目を移した。俺からしたら意外なのはこちらだ。まさかそんなことも知らないとは思わなかった。いや......。本当にそうだろうか。屋嘉村が本当に知らなかったとしたらどうだろう。俺が最後だという事実を了解したのは、間違いなくあの手紙からだった。人手不足、高齢化、そんな理由が添えられて。俺自身この村に来てから今年で祭りが終わるなんてことは一度も聞いていない。まさか、と思う。あるいは実に簡素なシナプスの終息点。彼女は終わらせるつもりなのではないか。初めから勘違いしていたのは俺で、このもしもが喉の奥につかえていた違和感の正体だとしたら。杞憂だろうか。やまなき祭についての情報を知る機会は、今まで手紙の内容をのぞいてほとんど無かった。思い込みだったのかどうか確かめるのは簡単だ。村人の誰かにでも聞けばいい。それより確実なのは山鳴神社に行くことだろう。俺は何かを知りたいと願っているのだろうか。それとも千尋のため?今はどちらでも良かった。すると思い出したように屋嘉村が無精髭の口を開いた。


「なああんた、村に住んでたころの話を聞きたいんだが、いいか?もし嫌だったら話さないでも構わないが......。」

「なんだよ勿体つけて。」

「ほら、9年前あったことさ。10年近く前の数年間あんたはここに住んでたんだろ?なら知ってんじゃねえのか?9年前の山中でぐるぐるに縛られた女の仏さんが上がったって事件さ。」


「どうしたんだ、そんなに驚いた顔をして?」


「悪いな、トラウマなんだよ。この歳になってもな。」

「何かあったらしいな、9年前に。嫌ならいいんだぜ。」

「いやいい。話させてくれないか、その話。」


屋嘉村は何も言わなかったが、俺はそれをイエスととらえた。まさかあの話が出てくるとは面食らった。なんの因果なのだろう、と思う。話すことで少し区切りをつけたいと思ったからだろうか。今までこの村以外の人間にこんなことは話したことなどない。相手がいなかったというのもあるが、過去を曝け出してしまうのはなんだか弱点を晒してしまうような気がしたからだ。ひっくり返った亀は自力で起き上がれない。そう確信していたのかもしれない。


   ◇


 12年前。俺が10歳で中学に上がる頃この六麗村に越してきた。親父は民俗学の分野ではそれなりに名が知れた研究者だった。親父の仕事の都合で地方の村々を転々とするのはこれが初めてではないのだった。俺もそんな居を落ち着けない生き方と言うのは嫌いではなかった。母はそんな父に対して忠実だった。六麗村の人間はそんな俺たちを歓迎してはいなかったと思う。親父と前神主の陣代芳郎が揉めているのを何度か見たことがある。それでも俺は千尋と出会い、それなり楽しい日々を過ごしていた。その日までは。朝から父の様子はおかしかった。普段温厚な性格からは想像もできないほど苛立っているのが目に見えてわかった。それに朝食の支度もなく、というか母の姿がどこにも見当たらなかった。母について父に聞いても、要領を得ない。父も知らないのだろう。


「俺が間違っていた!事実だったのだ!だったらこんな村に......。」


似たようなことを繰り返してうなだれているかと思えば、村長のところへ行くと言いそのまま出ていった。六麗村の元の空き家を飛び出して父は山鳴神社へと向かったのだ。自分は、といえば学校へ行かなくてはならなかったし次の日に祭りがあるということで重く受け止めていなかった。それを後悔するのは帰宅してからのことだ。俺は初めて死体というものを見た。優秀な知識人だった父は見るも無惨な姿となっていた。柱から垂れ下がる布と首。人でなくなった人を俺は二度と見たくはない。いつまでその場で泣いていたか分からない。家に上がりこんで話しかけられるまで正気を失していたのは間違いない。


「ギイチくん。両親のことは残念だったねぇ。この村にそぐわなかったんだね。それのことは僕に任せて、君は伊瀬家におゆきなさい。」


数人の大人たちにわけも分からないうちに促され、俺は泣き疲れて眠ってしまったのだ。村長たち。彼らが妙に薄気味悪いにたにた顔を貼り付けていたのは記憶に残っている。その翌朝のことだった。両親が死んだということを間違いなく理解できたのは。父は自殺。母は山で遭難してそのまま転落死したと教えられた。はじめ村長たちは警察を入れないつもりだったらしいが、学校経由でそのことが露呈してからというもの、少しばかりお茶の間の娯楽となった。集落で殺人事件があった、といくばくかのメディアが報じていたような気がするが、それもいつのまにか鎮火していた。警察も父も自殺、母も事故死で片付けてしまって以降、俺への追及もほとんどなかった。そんな俺を支えてくれたのが、千尋なのだ。彼女のおかげで立ち直れたし、自分の得意なことも見つけられた。高校生のうちに小さな作家賞もとった。これから上手く行くはずだったのに、今はこうだ。俺の人生はこの村でおかしくなったと言ってもいい。当時のことは考えたくもなかったが、今思い返せば、おかしなことはあまりに多い。母がなぜ死んでしまったのか?それが生贄だったのなら、なぜ母だったのか?そしてなぜ父は自ら生を閉ざしてしまわなくてはならなかったのか?俺は目を背けていたことを今、知らなくてはならない。


「やはりオレの勘は当たっていたな。あんたはそれを調べにこの村に戻って来たんだ。トラウマかも知れねえが、オレが思うにあんたはそれも乗り越える強さがある気がするぜ。」

「長々と話して悪かった。俺もなんだか一区切りついた気がするよ。一応礼を言っておく。」

「お互い様さ。それと、これは経験則なんだが、あんた人と話すの嫌いだろ?なら良いことを教えてやろう。人と話そうと思うからダメなんだ、相手の心や精神と対話するんだよ。みてくれなんざ意味がないし、体は機械でしかない。オートマチックなものだぜ、人間はよ。精神は言わばプログラムだわな、そう思えばいくらかマシだ。機械と話したって疲れるもんじゃない。俺はそうしてるぜ。」


的を射ているのかどうなのか、聞いた限りでは実践してみようとは思わないが。屋嘉村はまた携帯を覗き込んでいる。どうやら取材のメモをまとめているらしい。俺もやるべきことを見つけたのだから、それをする。明日までになんとか掴めればいいが。


「それと最後に、オレも協力するぜ。大成。大学時代ゼミで世話になったんだ。柳内教授にはな。」

「なるほど......、分かった。」


表情も、台詞も淡白だったが、内心では俺は嬉しかったのかも知れない。なんにせよ人手も情報も多い方が良い。多すぎるのはいけないとはいえ。俺はまず山鳴神社へ向かうことにした。情報を集めるならまず行く必要があるだろう。なぜなら神主である陣代三芳、その父であり村長の芳郎。この二人は必ず何か知っている。誰かに電話をする屋嘉村を後ろに俺は歩き出した。


   ◇


 普段運動しない膝がけたけたとわなないていた。何段あるのか、神社までの石畳は来る者をふるいにかけていた。石段に自分の体力を最大限打ちつけていると、石段踊り場のスペースに祭りで使うといった用具が置かれており、とても人が通れない様相である。手すりを乗り越えて行けないこともないだろうが、道が悪く、背の高い草や低木が茂っているため、わざわざ通ろうと思う者はいない。仕方がないので、少し引き返して脇の大回りの坂道を登ることにした。金属が薄錆びた手すりを跨いで、かろうじて道がある。そこは大きな杉林が道に光を届けず、鬱蒼としていた。先ほどの階段の飾りようと比べても訳が違う。当然こちらの坂は普段使われることはなく、あまり手入れされているとは言い難い。この道は本堂の脇に繋がっているのだが、階段から逸れるには獣道のようなところを通らねばならず、まず道の存在に気づく者はいないはずだ。子供の頃の冒険心が今生きたと言えるだろうか。細く急な勾配を登りきるころには額に汗が伝っていた。着くと二人の大人が見えたのでなぜか咄嗟に木陰に身を隠してしまった。俺は人に会いに来たのではなかったか。境内は白と灰の砂利がまばらにあり、階段からの道は綺麗に切り出された石が敷き詰められている。見るに、1人は大男、陣代三芳。もう一人の老人は村長だろうか。なにやら揉めているのか、口論をしている様子だった。


「いねえいうのはどういうことだや!いねえわけがねえやろ!逃げたんじゃったら探し!この馬鹿が!」

「そうはいっても大っぴらに探せるわけないだろ!親父!」


誰かを探している、それは一体何者なのか?一つ言えることは、今気づかれるのはなんだかまずい気がするということだ。思えば意図的に階段を塞いでいた、のかも知れない。考えすぎか。村長が三芳にきつい訛りでがなりたてる。


「なんとしても明日までに探せ!やまなきさんが務まらんと、これは問題だがらな!」

「もちろん、そうするつもりだよ!なんとかしてやる。」


やまなきさん......。聞いたことがなかった。だが、「それ」が一体何を表しているか、俺には思い当たることがあった。そう、イケニエだ。俺の母がもしそうだったなら?あるいはこの因習が実在しているなら?止めねばならない、と思う。とはいえ今この時はその生贄となる人物は逃げだしているということなのだろうか。村長を含めて神主一家には逆らってはならない、というのはこの村の不文律だ。誰かの手助けもなしに逃げることなど可能なのだろうか。村長は本殿の中に戻り、三芳が階段を降りていくのを見送る。いつのまにか自分のノドがからからに乾いているのに気付いた。とりあえず戻ろう。とても話を聞ける状態じゃない。せめて本当にこの祭りが最後なのかどうかだけは知りたかったのだが。


 相変わらず村の人々は忙しい。こうして客観的に集団を見ていると、郷愁だとか原風景だとかに嘆息する人間がいることに頷けなくもない。すると後ろから声がする。


「大成さん!」


背中に声をかけられるのは、今日二度めだ。くるりと体を返すと水無りりがいた。


「成果は、ありましたか?」

「たいした話はないねー。」

「だけどね、オカルトって話の方なら面白い話を聞いたよ?」

「オカルト?」

「そう。なんでも行方不明の女の子がいるらしいの!いつからかは分からないけれど、神主さんいるでしょう?その人が探すのを手伝ってくれてるらしいわよ。」


神主......陣代三芳!まさか、逃げている生贄というのは......?俺たちは宿の方に足を進めつつ話す。


「きっとこれは神隠しよ!そうでなきゃ例の生贄、ねっ!」


人の生き死にをエンタメとして消費する目の前の下卑た民族は少々置いておくとして、なぜ行方不明の女の子をわざわざ“逃げた”と表現したのだろうか。例えばどこかみ閉じ込めておいて、そこから脱出したなら逃げたという表現は至極正しい。しかし単に山で遭難したまま帰ってこないだとか、通学路で誘拐されただとかという場合は行方不明という表現しかあり得ないだろう。


「なぜ行方不明になったか、分かりますか?」

「やっぱりオカルトの気があるカンジ?」


一切ない。


「あります。」

「そんな気がしてたわー!ま、いいや。その子がいなくなったのは3日前か2日前のはずらしいわ。はっきりしないのは発覚したのが一昨日の夜だから。両親が丁度1日家を空けていたそうなの。村長が言うには山に入ってしまったのじゃないか、って村の人から聞いたわ。」

「なるほど。で、今も見つかっていないわけですね。」


事態は相当に深刻なようだ。だが安堵もある。女の子はなんとかこの村の魔の手、脅威から逃げおおせている。逃げるとしたら山中だろうか?村内の誰か協力者が匿っているとか?少なくとも神主一家側は、彼女がいるのは山の中ではないか、と宣いながらその実村内を当たっているところを見ると後者と睨んでいるのだろう。この村にそんな良心を残しているやつなんか......。いやまさか千尋なのか?やはり千尋と話がしたい。今日のことで聞きたいことが多くあるのだ。


「宿に戻ってきちゃった。もうすぐ昼だから足が誘われたみたい。」


どこへ向かっているつもりだったのだ。とにかく昼食ついでに千尋かおばさんに話を聞いてみるとするか。がらがらと古い戸を開くと、数十分前と同じ場所に屋嘉村がいた。こちらに気付くとにたにたとした顔で話しかける。


「随分早いお帰りだな、お二人さん。まだ昼には少し早いぜ。」

「おじさんこそ。それともずっと引きこもり?本当に記者?」

「言うなよ。普通は前日入りなんてしない。今は趣味の男さ。」


ふうん、と聞いたわりにつんけんな表情を浮かべて部屋のある二階に向かって言った。それを少し目で追っていると、屋嘉村がここぞ、といった風にこちらに近づいてくる。すると怪しい取引でも持ちかけんが如くの様子で、ひそひそと言う。


「なあ、重ね重ね聞きたいんだが。そうさ、大成ミステリ研究所について、な?」


検索上位にヒットしないサイトをよく見つけるものだ。ほとんど発音しているようなため息が、自然と出た。

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