優しい白光
「――げほッ、げほッ……やっちまった」
なんとか水面から顔を出し、犬の仮面を消して大きく息を吸い込む。
吸い込みすぎて咽せちゃったけど、それも生きているから起きること。
すべてのことに感謝したくなるような殊勝な気持ちになりつつ湖の縁に辿り着くとククの手が差し伸べられる。
「ありがと」
「いえ、こんなことしか出来ませんから」
ありがたく手を取って陸に上がった。
ヘルハウンドの炎は指定対象だけを燃やせるので、戦闘服に染みこんだ余分な水分だけを蒸発させれば乾燥機に掛けたみたいな仕上がりにできる。
これってかなり便利。
「あーあ、もったいない。鬣の一束でも掴めてれば大金に化けたのに。まぁ、命があるだけ儲けものかな」
「そうですね……振り出しに戻っちゃいましたけど」
「いや、目的は達成したよ」
「え?」
湖の水底から輝きが立ち上り、水面の上で仮面になる。
額に生えた一本角が目立つ、一角獣の仮面。
それを手繰り寄せて手に取る。
亡骸は沈んだけど、仮面だけは手に入れられた。
「まだ詳しく説明してなかったっけ。俺は斃した魔物の力を使えるんだ。仮面の形にしてね。つまり」
右手を正面に伸ばすと、手の内に槍のように長い角が顕現する。
「これで病気を治せるってこと」
俺の言葉を聞いて、色々な記憶や感情が駆け巡ったのだろう。
「そう……ですか」
涙が頬を伝い、崩れ落ちるように膝をつく。
「よかった……本当に、よかった」
さめざめと泣いたククもしばらくすると落ち着きを取り戻した。
「こうしては居られません。速くダンジョンから脱出しないと」
「その言葉を待ってました! さぁ、急ごう!」
かなりの遠回りになってしまったけれど、終わりよければすべて良しだ。
いや、すべて良しとするにはあまりにも嫌な出来事があったけれど。
もう過ぎたことだ。
命懸けで戦って、人一人を救い、その人の大切な人まで救えた。
過去のことは綺麗さっぱり吹っ切れた、未練は微塵もない。
俺は俺の道を行く。それでいいんだ。
§
深呼吸をしたククは意を決した様子で病室の扉に手を掛ける。
時刻はすでに午後五時手前、面会時間ギリギリの滑り込みで看護師さんに迷惑を掛けちゃったけど、こちらはそれどころじゃない一大事だ。
一角獣の仮面を手に入れたその足で病院にまでやって来た。
道中は直感と仮面のスキルのお陰でほぼ問題なく深層を抜けられ、そこまでたどり着ければこっちのもの。勝手知ったる表層を駆け抜けて今にいたる。
「ノックしないでいいの?」
「はい。必要ありませんから」
静かに扉は開き、病室に一つだけあるベッドが目に入る。
近づくとそこに横たわる人物が何者なのか察しが付く。
ククの母親だ。
痩せこけ、血色も悪いけど、ククによく似た綺麗な人だった。
「最近はずっと眠っているんです。お医者さんが言うにはもう長くないそうで」
「だから一人でダンジョンの深層に?」
「はい。無謀なことだとはわかっていました。正直、私が死んでも母にはそれがわからない、なんて思ってもいました」
「それは良くないね」
「はい」
父親や兄弟の話が出て来ないあたり、いないんだろう。
家庭の事情だ、俺がとやかく言うことじゃないから確かめたりなんかしないけど。
「じゃあ、モーニングコールと行きますか。もう夕方だけど」
顔に手を翳して一角獣の仮面を被る。
手の内に顕現するのは角の槍。
その穂先をベッドへ向けると輝き、それに呼応するようにククの母親も光を帯びる。
優しい光が体を蝕む病気を消し去り、その役目を終えた。
ククの母親が目を覚ます。
「――クク?」
「お母さん!」
薄く開いた瞼でも娘を見間違えることはない。
幼い子供のように泣く我が子を細い手で抱き締め、彼女は母の勤めを果たす。
子が母を思い、母が子を思う。
なんていい光景だろう。
額縁に飾りたいくらいだけど、この場にシャッター音は五月蠅すぎる。
俺は足音を立てないようにそっと病室を後にして扉を閉めた。
「クールに去るぜ、なんてね」
この場に部外者はいないほうが美しい。
面会時間が終わるまで家族水入らずのまま過ごせるように邪魔者は退散だ。
「そう言えばお礼してもらうんだっけ。まぁ、いいや。いい物見られたし」
夕日に染まる廊下を良い気分で歩きながら帰路につく。
追放を言い渡された時は、この日がこんなに良い形で終わるだなんて思いもしなかった。
人生はプラスマイナスゼロだって言う人のことを信じてなかったっけど、一理くらいはあるのかも。
今日はプラスで終えられた、明日もそうだといいな。
§
早朝、インターホンの音で目が覚めた。
「こんな時間に? ……宗教の勧誘だったら許さないからね」
気怠い体を持ち上げ、欠伸をしながらえっちらおっちら玄関へ。
気が進まないままドアノブを捻ると、家の前には見覚えのある少女がいた。
「おはようございます、シンリさん」
「え、なんでここに?」
インターホンを押したのは、紛れもないククだった。
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