疫病神
瞼をこじ開けて虚ろな瞳にペンライトの光を当てる。
「瞳孔拡大、対光反射なし。ネームタグによると……イステオ・マジリスって人らしい」
「シンリ、死因は? 外傷はなさそうだけど」
左袖をまくり上げると、冷たくなった腕には幾つもの痛々しい注射痕が残っていた。
「ドーピングドラッグみたいだね。一本打てば超人になれるらしいよ。彼はそれじゃ満足できなかったみたいだけど」
「最近、やけに多いわね。薬物で死ぬ冒険者。しかも今回はダンジョンの中」
「冒険者は魔物を斃さないと稼げないし」
「それで死んでちゃ本末転倒もいいところよね。あたしは絶対に手を出さない」
「だね。遺体は持って帰れないけど、せめてタグだけでも地上に戻してあげようか」
ダンジョンの石壁に寄りかかって死した冒険者。
決して十分とは言えない装備からネームタグを引き千切って懐にしまう。
「ダンジョンに入るたびに最悪を覚悟するけど、こんな最期だけは御免だわ」
金色のツインテールを揺らして、イリーナは遺体から目を逸らす。
俺だってそう。
この冒険者の生前は遺体の状態からでも読み取れる。
頬はこけ、肋骨が浮き、髪は白く染まり、歯は抜け落ちていた。
薬物によって得た力の代償はあまりにも重い。
「終わったかよ」
「あぁ、終わったよ。お待たせ」
「チッ、ならいくぞ」
我らがリーダーのキルケはなんだか不機嫌そう。
「ねぇ、最近ずっと不機嫌じゃない? キルケ」
「あぁ、それは……」
「意味深な沈黙。ハルはなにか知ってる?」
「えっと、あの……なにも……」
おどおどとした態度で、視線もくれず、口ごもるように、知らないと来た。
「そう」
ハルは性格的に嘘があまり得意じゃない。
これは何かあるなと思いつつ、それを口に出して追究するのは止めにした。
俺のスキル【直感】が危険を予知したからだ。
「キルケ、ストップ!」
「あん?」
先行するキルケが立ち止まった刹那、壁から放たれた矢が鼻先を掠めて行く。
感知タイプのトラップだ。
あのまま進んでいたら右耳と左耳が直通になっていた。
「平気?」
「……このくらい言われなくても躱してた」
石壁に突き刺さった矢を一瞥してキルケは先に進む。
「どう致しまして。いつでも手を貸すよ」
彼なりのお礼の言葉だと思うことにして俺たちも後に続く。
ダンジョンの構造は入り組んでいて迷いやすく、疲弊しやすい。
疲れて判断力が鈍った所に現れるトラップや魔物の待ち伏せによって何人もの冒険者が命を落としている。
けれど、ことこのパーティーに関してはその心配はない。
俺のスキルがすべて予知して回避できるからだ。
「次はあっち」「そっちに進むと死んじゃうよ」「そこトラップのスイッチだから踏まないで」「そこの角で待ち伏せされる」「そっちにはヤバい魔物がいるから迂回しよう」「またトラップ」
危険を予知して回避し、遭遇するのはさほど脅威でもない魔物ばかり。
戦闘面ではあまり役に立てないので、そこは仲間にお任せ。
だいたい剣で二体か三体ほど斃してる間に戦闘が終わってる。
俺にセカンドスキルが発現しでもすればもっと貢献できるんだけど、無い物ねだりしてもしようがない。
自分に出来ることを精一杯やらなくちゃ。
「深層のお出まし」
数々のトラップや魔物を潜り抜けて辿り着くダンジョンの深層。
これまでのような整備された石畳はなく、剥き出しの岩肌が続いている。
淡い光を放つ結晶、細波を立てる苔、天井に咲く花。
ダンジョンの深層には希少資源が眠っている。
それらをいただいて地上に持ち帰るのが冒険者の主なお仕事。
物によっては一攫千金も夢じゃない。
「手早く済ませるぞ。またシンリのスキルが発動しないうちにな」
「あー、非常に残念だけど」
もうすでに直感は危険を予知している。
「走って! なんかヤバいことが起こりそう!」
「なにかってなによ!」
「わがんにゃい!」
駆け出した瞬間、背後から大量の魔物が現れる。
「あぁ、不味い。軍隊型だ!」
群れを成して狩りをするタイプの魔物。
造形は鼠に近く、体格は大型犬ほどある。
最悪だ、追い付かれたが最期、骨まで囓り取られてしまう。
「くそッ! なんでいつもいつもッ!」
「分かれ道だよ。ど、どっちに逃げたら」
「右! 次は左――じゃなくてやっぱり右!」
「はっきりしなさいよ!」
「俺だって必死にやってる! そこを曲がって! 曲がったら天井撃って! イリーナ!」
「いつも指示が急なのよ!」
イリーナの側に光球が現れ、それは矢のように放たれると天井で爆ぜる。
衝撃で天井が崩れて魔物の前列が生き埋めとなり、後列の侵入を拒む。
来た道を戻れなくなったけど、これでなんとか危機は脱した。
「ふぅ、危ないところ――」
「あぁもう、うんざりだ!」
危機を脱して行き着く暇もなく、キルケの吐き捨てるような怒号が響く。
苛立ちはついにピークを迎え、ここだダンジョンだってことも忘れていそうだ。
ほかの魔物にこちらの居場所を知らせているようなもの。
「キルケ、落ち着いて。なんでそんなにご機嫌斜めなのさ」
「なんで、だ? 知りたいか? お前が疫病神だからだよ!」
「疫病神?」
「そうだ! お前がいるといつも危険に見舞われる!」
「ちょっと待って。むしろ逆でしょ。俺が皆から危険を遠ざけてる」
「あぁ、たしかにそうだ。だが、頻度が多すぎる」
危険を予知する回数が、多い?
「ほかのパーティーがそう何度も何度も窮地に陥るか? トラップに引っかかるか? 魔物に追い回されるのかよ! お前はたしかに危機を予知して回避できる。だが、同時に危険を引き寄せてる疫病神だ!」
そんな風に思われているとは思わなかった。
「そんなのただの思い込みだよ! ほら、意識した途端に目に付くようになるアレ!」
「いいや、お前は疫病神だ。実際、お前抜きだと本当に攻略がスムーズだったぜ」
「俺抜きで……もうすでに俺はのけ者だったってこと?」
決して短い付き合いじゃなかったはずだ。
冒険者になった当初からずっと互いを支え合ってきた。
そう思っていたのに。
「……二人も同じ意見?」
返事はない。
「……そう」
なにか隠しているとは思っていたけど、まさかこんなことだとは。
「俺は俺なりにできることをやってたつもりだ。パーティーにも貢献してきた。みんなと苦楽を共にして命を預け合える仲間になれたと思ってた。でも、違ったみたいだ」
「シンリ。私たちは」
「いい、もう十分、たくさんだ。これ以上、なにも聞きたくない」
これ以上はなにも。
「俺が疫病神だって言うなら……いいよ、わかった。これ以上、一緒にいないほうがいい。今日この時、この場限りでさよならだ」
「ひ、一人でダンジョンから出るの」
「そうだよ、そのつもりで切り出したんでしょ? キルケ」
「あぁ、ここまでだ。シンリ、お前を追放する」
なにを間違えたのか、最初から合わなかったのか。
ともかくずっと続くと思っていた日々はたった今、終わりを告げた。
もう二度と戻らない日常に背を向けて歩き出す。
「シンリ!」
「名前なんて呼ばないでよ」
イリーナに振り返ることはしなかった。
ただ真っ直ぐ前を向いて、仲間だった人たちと袂を分かつ。
道は逸れた、二度と交わることはない。
ブックマークと評価をしてくださると幸いです。