二章 動機と初めての殺人事件
目覚めたら、夢であってくれたらいいのに――。
そんなボクの願い虚しく、目を開いたら寝る前と同じ天井が目に入った。時計を見るともう七時だった。開かない窓からも少しではあるけど光が入ってきている。光すら遮断されているような、そんな地下のような場所でないだけマシだろう。
「そろそろ起きないと……」
身を起こすと、ボクは青いシャツに黒いズボン、そして黒いパーカーを着て、廊下に出た。
廊下にはソフィさんが立っていた。確か、彼女はアイドルだったっけ?
「おはよう、ソフィさん」
「あ、おはようございます」
ボクが挨拶すると、彼女は笑顔で挨拶を返してくれた。
「小松君、で合っていますよね?」
「うん、そうだよ」
頷くと、彼女はぱぁあと顔を明るくした。どうしてそんなに嬉しいのかと聞くと、
「私、外国人だからなかなか日本人の名前を覚えられなくて……」
少し暗い顔でそう言った。今は日本で活動しているのだけど、また数年しか滞在していないのだそうだ。
「そうなんだ……」
そんな理由があったんだ……。
「それなら、ゆっくり覚えていこうよ。ボクも協力するから」
そう提案すると、彼女は「はい!」と頷いてくれた。
そういえば、皆はどこにいるのだろう。ボクが尋ねると、
「皆、食堂にいると思うよ」
ソフィさんはそう言った。食堂か……そういえばどこにあるんだろう?昨日はあのまま寝てしまったから一階の探索をしたいところだけど、先に顔を出さないと皆が心配するだろう。
「ソフィさんは行かないの?」
「私は後から行きます。先に行っていてください」
それならいいけど……。
ボクはソフィさんを心配しながら、看板を頼りに食堂に向かった。
ボクが食堂に入ると、そこには既に何人かの姿があった。机には料理が大量に置かれていた。その光景に頭が痛くなる。
「ひ、ひびや……さすがに作りすぎじゃないか……?」
「何言っている?りんたろう。高校生ならこれぐらい当然だろう?」
「い、いくら勝手に補給されるからって……こんなに食べられないですよ……」
……どうやらひびや君が作ったみたいだ。
そういえば彼は料理人だったと思い出していると、あかねさんがボクに気付いたのか話しかけてきた。
「小松さん、丁度良かったですね。今出来たばかりなんですよ」
「そうなんだ。……ねぇ、あかねさん」
ボクは彼女に恐る恐る聞いてみた。
「何ですか?」
「これ、全部食べないとダメかな……?」
「……………………」
無言。その顔は笑顔だけど、何というか……少し怖い。
「……無理して食べなくていいですよ、菊地さんが張り切って作りすぎただけなので。食べ過ぎて何かあったら大変ですし。それに、いざとなれば体育会系の人達が何とかしてくれるでしょう」
「……うん」
なんか心もとないけど、だからといって男子にしては小食のボクではそんなに食べることが出来ないだろう。ここはあかねさんの言う通り他の人達(主に体育会系の人達)に任せた方がよさそうだ。ボク達二人は自分達が食べきれる分だけ取って少し離れたところで朝食を摂ることにした。少し離れた場所で言い合っていた人達はそんなボク達には気付かなかったようだ。
朝食の後片付けも終わり、自由時間になったのでボクはとりあえず適当に探索することにした。そこで得られたことは、ロビーにまだ使用されていない暖炉や薪や未開封のマッチ箱があること、視聴覚室や図書室、保健室があること、それから赤い扉があることぐらいだ。赤い扉の先は開かなかったので中を見ることは出来なかった。
これからどうしようか悩んでいると、ららさんが話しかけてきた。
「あ、はじめ君」
「どうしたの?ららさん」
確か、彼女は音楽家だったよね。ボクに何の用だろう?
「いや、ちょっと暇でね。誰かと話したいと思っていたらはじめ君が歩いていたから」
そういうことか……。まぁ、ボクも何しようか悩んでいたところだったから丁度よかったのかもしれない。
「突然で悪いけど、はじめ君はどんな音楽が好きなの?」
どんな音楽って……クラシックとかロックとか?でも、ボク、そんなの分かんないんだよな……。
「あ、質問の仕方が悪かったね。どのアイドルが好きなの?」
アイドルか……。それなら、
「ボクは――」
彼女の質問に答えようとすると、急に放送がかかった。
『えー、皆さん。今すぐに体育館に来てください』
放送の主はミミックだった。本当なら従いたくないんだけど……。
――本気で倒したいなら、今は我慢するべきです。
昨日のあかねさんの言葉を思い出し、ボクは怒りを鎮めながら体育館に向かった。
体育館に行くと、そこには既に全員の姿があった。
「お前ら、早く殺し合いをしてくれないと困るんだけど」
来るや否や突然現れたミミックが面白くないとでも言いたげに告げる。そんなこと言われたところで誰が殺人なんて犯すもんか。
すると、ミミックが「そうか!動機がないから絶望が起きないんだね!」と意味不明なことを言い出した。
「じゃあ、お前達、すぐに視聴覚室に来い」
そして嵐のように去っていった。何だったんだ?
「……えっと、視聴覚室に来い、でしたね」
あかねさんがミミックの言葉を復唱する。視聴覚室は確か、ここを出て右に曲がったところにあったハズ。校舎内は広いから、迷子になりそうだ。
周りを見ると、あかねさん以外は既にいなかった。皆、早い。
「とりあえず、行こうか」
ボクが誘うと、「そうですね」と微笑んで彼女はドアを開いた。
視聴覚室に行くと、ミミックが早速ボク達一人一つずつDVDを配った。
「それを見てみるといいよ」
わけが分からずボクらはそれぞれDVDを見る。そこに映っていたのは、ボクの家族だった。ただの応援メッセージかと思っていると画面が暗転して――。
次に画面が映った時は、家が荒らされていた。それだけではない、お父さんも、お母さんも、妹も、誰一人映っていなかった。
「な、なんだよ……これ……」
他の人を見ると、ほとんどの人が顔を青くしていた。唯一、あかねさんだけは顔色一つ変えていなかったけれど。
「……なるほどね」
彼女のそんな声が聞こえてきたけど、誰の耳にも届かなかった。皆、それ程までに衝撃的な内容だったのだ。
「ほら、気になるでしょ?大切な人の安否がさ!」
ミミックの言葉に唇を噛む。その通りだったからだ。
今すぐにでも帰って皆の無事を知りたい。でも、ここから出るためには他人を殺さないといけない……。
確かに、誰かが殺人を犯すには十分すぎる。動機とはこういうことかとミミックの――正確には黒幕の――性格の悪さを思い知った。
夜時間になり、廊下で少し放心状態になっているとあかねさんが話しかけてきた。
「小松さん」
「あ、どうしたの?」
心配そうに彼女はボクの顔を覗き込む。今のボクの顔は青くなっているだろう。
「大丈夫ですか?さっきからボーッとしていますが……」
「……大丈夫、ではないかな。いきなりあんな映像を見せられて……」
目を逸らしながらボクは正直に答えた。
自分の家族に何があったのか。今はそれだけが気になる。
そういえば、あかねさんはどんな映像を見せられたのだろう?全く動じていなかったけど……。
彼女は何かを考えていた。そして、
「……あの、小松さん。迷惑でなければ、今から一緒にお茶会でもしませんか?」
突然そんな申し出をしてきたあかねさんに驚いたけど、このままでは何をしてしまうか分からない自分もいた。だから、ボクは彼女の誘いに乗ることにした。
食堂に来たボクにあかねさんが出してくれたのはクッキーとボクの好物であるドーナツだった。彼女が淹れてくれた紅茶もいい香りがする。夜時間なのであまり食べすぎるのもどうかと思うけれど……今日ぐらいいいよね!
「おいしそうだよ、あかねさん」
ボクが素直な感想を告げると、
「よかったです。どうぞ食べてください」
そう言ってくれたので、ボクはドーナツに手を伸ばす。一時雑談を楽しんでいると、不意にあかねさんの表情が真面目なものになる。
「……あの映像、何が映ってたのですか?」
彼女の口から出るとは思っていなかったそれにボクの動きが止まった。
「あ、ごめんなさい。人に聞くならまず自分の方から言うべきでしたね」
戸惑ったような表情を見せるボクに告げられたその言葉に驚いた。
「……話して、くれるの?」
「話して減るものではありませんし、それに、皆思い詰めているようですから」
やっぱり、彼女には気付かれていた。それには驚きはしなかったけど、まさか自分が見たDVDの内容まで話してくれるとは思ってもいなかった。
「私が見たのは、自分の両親が殺されていた映像でした」
「え?でも、あかねさん、全く動じてなかったよね?」
両親が殺された映像だったのなら、ボク達と同じ反応になるハズなのに……。それとも、彼女は両親が死んでほしい程嫌いだったのだろうか?しかし、それは違うということは、彼女の続けた言葉で分かった。
「そりゃあそうですよ。だって、私の両親は既に亡くなっていますから」
「………………へっ?」
「まぁ、弟がいますけど、今は親戚の家に預けていますから」
今、あかねさんはなんて言った?
サラッと言われ、彼女の言葉が上手く頭の中に入ってこない。しかしそれを理解するとなぜ彼女が冷静だったのか分かった。
元々両親を失っているならいくら殺された映像を見せられたところで意味がない。
「それ、ボクが聞いてよかったの?」
不安になってボクが聞くと、あかねさんは何も気にしていないかのように笑った。
「えぇ。さっきも言ったでしょう?話して減るものではないと。そんなことより、今度は小松さんの話を聞きたいのですが」
自分の両親のことを「そんなこと」ですませるのはどうかと思うけど。そう思いながらボクは自分が見た映像のことを話し出した。
話し終えると、あかねさんはやはり何か考えるようなしぐさをした。そして突然ボクの頭を撫でだした。
「わっ⁉」
「大丈夫ですよ、小松さんの家族はきっと無事ですから。だから、希望を持ってください」
それはどこか確信めいた強さがあった。
「あかねさん……」
もちろん、気休めにしかならないことは知っている。でも、彼女の優しさに感謝する。彼女がいなければボクは今頃一人でうじうじ悩んでいたことだろう。
その時、急に食堂のドアが開いた。そして入ってきたのは……。
「どうした?お前達。こんな状態で仲良くお茶会か?」
ひびや君だった。彼の言葉にあかねさんは首を傾げた。
「何か悪かったですか?」
「いや……あかね、といったか。お前、よく平然といられるな」
ひびや君が不思議そうに彼女を見る。
確かに、彼女はこんな状況なのに全く慌てた様子がない。まるで既にこうなることが分かっていたかのように……。
「そうですか?……まぁ、確かに他の人よりは冷静でいると思いますが」
そう言う彼女は、やはり焦っているわけではない。こうしてお茶会まで開けるくらいには余裕があるのだ。でも、それがむしろ頼もしいというか。
――男性より男らしいよな……あかねさんって。
「あ。あの、菊地さん。よかったら一緒にお茶でも飲みません?」
「……まぁ、少しぐらいなら」
あかねさんの誘いにひびや君は頷き、近くの椅子に座った。彼も一人で不安だったのだろうか?時計を見ると、十時半だった。この生活だと時間なんてないようなものだろうけど。
「そういえば、ひびや君はどうしてこんな時間に?」
「オレか?オレは喉が渇いたから水を飲みに来たんだ」
なるほど、それならこの時間に来たのも納得出来る。
「……………………」
ひびや君を誘った本人はさっきからずっと黙ったまま。意識ここにあらずといった感じだけど、どうしたのだろうか?
「……あかねさん?」
「あ!なんですか?小松さん」
ボクが話しかけると、ようやく反応した。
「いや、せっかくひびや君もいるんだから一緒に話そうよ」
「それもそうですね。……それでは早速なんですが、菊地さんの得意な料理は何ですか?」
あかねさんが彼に質問した。
「得意な料理か。全般的に出来るが、和食が一番得意だな」
和食か……少し意外だ。彼はなんというか、フランス料理とかイタリア料理とかが得意そうなイメージだった。
「あかねは信仰者だったな、宗教は何なんだ?」
今度はひびや君があかねさんに質問した。
「私ですか?私はキリスト教、もっと具体的に言えばプロテスタントですね」
プロテスタントって、新教の方だよな。詳しいことは分からないけど。
こんな風に、ボクらは十二時まで雑談をしていた。
――まさか、ボク達が楽しくしゃべっている時にあんなことが起こっていたなんて思ってもいなかったのだ。
あの後、片付けはあかねさんがしてくれるということだったのでボクとひびや君はそのまま自分の部屋に戻って眠りについた。そして朝、起きて食堂に向かうと、そこには既にあかねさんの姿があった。一番遅く寝ているハズなのに、早いな。
「おはようございます、小松さん」
「おはよう……今日はひびや君、まだ来てないんだね」
周囲を見てボクは聞く。すると彼女は苦笑いを浮かべながら答えた。
「はい。彼が来るまでに準備した方がいいと昨日学びましたから」
確かに、ひびや君の料理はおいしかったけどボクはあんなに食べられない。それはあかねさんも同じだったようで、並べられた皿に適量を盛り付けていく。
「……昨日も思ったけど、あかねさんって料理上手なんだね」
「いえ、親が共働きだったので慣れているだけですよ」
そう言って彼女は笑った。両親が共働きって、それは大変だっただろうな。弟もいるって言ってたし。
ただボーッと立ってその様子を見ているわけにもいかず、ボクも手伝っていると、他の人達が食堂に集まった。
「早かったね、二人共」
ららさんがボク達の姿を見てそう言った。
「これ、二人で作ったのか?」
かれんさんが料理を見て聞いてきた。
「料理は全部あかねさんだよ。ボクはただ盛り付けを手伝っただけで……」
……って聞いてないし。
既に何人かは朝ご飯を食べ始めていた。まぁ自由にしていいけどさ。
周りを見渡していると、ボクはある人物がここにいないことに気付いた。
「あれ?ソフィさんは?」
すると、今まで穏やかな表情だったあかねさんの顔色が変わった。
「……まさか……」
そして、彼女は食堂から飛び出した。ボクは慌ててその後を追いかける。
あかねさんが向かった場所はソフィさんの部屋だった。ボクがあかねさんの肩を掴むと、驚いたように顔をこちらに向けた。
「小松さん……来ていたんですね」
「う、うん。だって、あんなに慌てて出て行っちゃったし」
「先に聞きます。覚悟は出来ていますか?」
唐突に聞かれ、ボクは疑問符を浮かべた。覚悟も何も、あかねさんはソフィさんを呼びに来ただけなんだよね?
「……ドアノブが壊されていますね。ネジが取れています。少々気が引けますが」
少しドアノブを見て、彼女は呟く。すると、何の躊躇いもなくあかねさんは個室のドアを無理やりこじ開けた。
「ちょ、ちょっと……!」
勝手に開けたら怒られるよ。
その後に続くハズだった言葉は目の前の光景のせいで出てこなかった。なぜなら、そこにいたのは、いや、「あった」のは……。
――壁に寄り掛かったソフィさんの変わり果てた姿だった。
「うわぁああああああああ!」
思わず悲鳴を上げてしまった。その悲鳴が食堂にまで響いたのか、他の人達もやって来た。
「なんだ⁉」「ど、どうしたの⁉」
皆の声が聞こえてくるけど、ボクはそれどころじゃない。目の前の光景がまるで夢みたいで、でも現実で……。つまり、混乱しているのだ。直視できない。
「……お腹の刺し傷が致命傷みたい、ですね」
そんな中、あかねさんは冷静に状況を観察していた。ここまで冷静だと逆に怖くなる。二つ結びの黒い髪が片方解けていて、争った跡があると彼女は言っていたけど、ボクの耳はそれさえも拒絶していた。
すると、連絡用のスピーカーからミミックの声が聞こえてきた。
『死体が発見されました。六時間の情報収集後、学級裁判を開始します。至急、体育館に集まってください』
その放送はまるで、この状況を見ているようだった。いや、実際に見ているのだろう、あの監視カメラから。
正直、逃げてしまいたかった。でも、それでは何の解決にもならないと自分に言い聞かせ、ボクはノロノロと体育館に向かった。
「あ、皆来たね」
体育館に来ると、既にミミックがいた。今度は何の用だ?
「お前ら、素人だからいくら検死するにしても限界があるでしょ?だからぼくがまとめておいたの」
そう言ってミミックはあかねさんにファイルを渡した。
「……もしかして、殺人が起きた時も見てたんですか?」
あかねさんは冷たい視線をミミックに向けたけど、ミミックがそれに動じた様子はなかった。
「もちろん。そうじゃないと公正に裁判を見ることが出来ないじゃないか」
「……はぁ」
あかねさんのため息。ボクも同じ気分だった。本当に悪趣味だ。
「そんなこと聞くより、お前らはとっとと情報を集めた方がいいんじゃない?時間は有限なんだしさ」
こいつにだけは言われたくないけど、その通りだ。ボク達は体育館から出ようとするけど、一人だけ動かない人がいた。
「……あかねさん?」
どうしたのだろう?するとあかねさんは「私はそこのぬいぐるみに聞きたいことがあるので先に行ってていいですよ」と言った。聞きたいことって何だろう?なんか気になることでもあったのかな?
疑問に思いながら、ボクはまずある場所に向かった。
――もし凶器が持ち出されたとすれば食堂だ。
そう思ったボクは食堂に向かった。そしてその奥――厨房の方を見る。そこには包丁が並べられていたけど……。
「あれ?一本足りない……」
ボクは入ったことがないから分からないけど、これは元々なのだろうか。それとも……。
「他の人に聞いた方がいいかもね……」
現場には凶器らしきものはなかったし、後でひびや君やあかねさんにでも聞いてた方がいいだろう。確か、厨房に入っていたのはこの二人だけのハズだ。そう思ってボクは食堂から出た。
ロビーに来ると、まず違和感に気付いた。
「ん?暖炉の中に……燃えカス?」
そう、使用された跡があったのだ。昨日見た時はこんなになってなかったのに。マッチ箱の中身を見ると、マッチ棒が減っている気がした。
「でも、薪は使われてないよね……」
じゃあ、何を燃やしたんだろ?
恐らく証拠隠滅のために使われたんだろうけど……。何も分からないまま、ボクは現場に向かった。
現場であるソフィさんの部屋に来ると、そこには体育館で別れたあかねさんの姿があった。彼女はしゃがんでソフィさんの遺体を調べているようだ。高校生でそれが出来るなんてすごい。ボクなら絶対に出来ない。
「あかねさん……」
「どうしました?」
ボクは早速厨房の包丁について聞いてみた。すると、
「あぁ、あれですか。私も最初から気になったのでさっきミミックに聞いたんです。一本足りないのは元々だそうです」
と、返事が返ってきた。じゃあ、包丁が凶器ではないのか。なら、何が凶器なのだろう。
「小松さん。すみませんが、ナイフを見せてくれませんか?」
あかねさんの発言にボクは一瞬何か分からなかったけど、もしかしたら事件に関係があるのかもと思って一度部屋に戻った。そして、ボクはそれを彼女に見せた。
「……なるほどね」
何を納得したのか分からないけど、ボクからナイフを受け取ったあかねさんはナイフをよく見て、そう言葉を零した。そして立ち上がって、
「今回の犯人は男子の可能性が高いですね。というより、男子です」
「え?何で?」
なぜ男子だと断定出来るのだろうか。すると彼女はナイフを返すとともにさっきミミックに渡されたファイルを差し出した。
「それを見てもらえば分かりますが、やはり腹部の刺し傷が致命傷のようです。そして凶器と思われる物は現場に残されていない……さらに凶器は二十センチ程度の刃物……となれば私の推理だと、男子に配られたナイフしか考えられないんです」
それを受け取ると、ボクは早速開いた。
被害者はソフィ。死亡推定時刻は午後十時三十分。腹部の刺し傷が致命傷となった。
凶器は長さ二十センチ程度の刃物と思われる。
本当にまとめられてる……。見ていたというのは本当なんだな……。
「でも、それだけじゃ誰なのか分からないね……」
肩を落としたその時、ソフィさんの後ろに何か書かれていることに気付いた。
「これは……」
いわゆるダイニングメッセージというものだろうか。でも、謎の文字でよく読めない。でも、あかねさんはすぐに分かったらしい。「なるほど……」と声を零した。
ところで、他の人達はどこに行ったのだろう?この場にはいないようだけど……。
「あぁ、他の人達は別のところに行きましたよ。多分、厨房に行ったんでしょうね」
心を読んだのか、あかねさんがボクの疑問に答えた。皆、ボクと同じ考えになったのだろう。すると、不意にあかねさんが質問してきた。
「ところで、ナイフは使ってないですよね?」
「当たり前じゃないか!いつ使うっていうんだよ!」
ボクが声を荒げると、彼女は小さく笑う。
「いえ、確認です。……昨日は一緒にいたので使っているハズないですもんね」
ただの確認か……。驚いた。
それにしても、本当にいつ使うんだろ?ナイフなんて。工具セットはまだ分かるけど……。
「それにしても……なんで彼女が殺されないといけなかったんだろうね」
ソフィさんは他の人の名前が覚えられないことにコンプレックスを抱えていた。それでも必死に覚えようとしていた。それなのに……。
「……仕方ないことですよ。運が悪かっただけです」
あかねさんが暗い顔で答えた。そんな表情をさせたくて言ったわけじゃないのに。
すると、さっきと同じようにスピーカーからミミックの声が聞こえてきた。
『えー。今から学級裁判を開きます。至急、赤い扉の部屋に来てください』
「……始まるみたい、ですね」
命懸けの裁判が――。
赤い扉のところまで一緒に向かう途中、あかねさんは口を開いた。
「小松さん。昨日遅くまで食堂にいたので真っ先に私かあなたが疑われると思います。ですが、諦めないでください。私も、出来る限りサポートしますから」
その言葉にボクは頷いた。彼女がいてくれるから大丈夫――そう思えた。
少し用事があるからとあかねさんは一度自分の部屋に戻った。ボクもナイフを机の引き出しに戻すために部屋に戻り、またあかねさんと合流した。
二人で赤い扉の前に着くと、そこには既に全員集まっていた。
「遅いぞ」
かおる君が冷たい目でボクらを見る。そんな彼にきくさんが「そ、そんなに怒らなくていいじゃないですか」と弱々しく反論した。無理して反論しなくてよかったのに。するとだいち君が冷たい口調で言い放った。
「だって、こいつらが犯人の可能性が高いんだろ?厨房の包丁が一本ないわけだしさ」
やっぱり疑われている……。でも、仕方がない。昨日遅くまで食堂にいたのはボクとあかりさんだから。
でも、ボクらじゃないということは何より自分が分かっている。それを証明したうえで本当の犯人を見つけないと!
らい君が赤い扉を開くと、そこは互いの顔を見て議論しやすいようにするためか、円形の裁判場みたいになっていた。そしてもちろんそこにいたのは……。
「遅いよ!ぼく、ずっと待ってたんだからね!ほら、自分の名前のところについて!」
ミミックは赤い王座のような椅子に座っていた。ミミックに言われた通り、ボク達は自分の名前が書かれているところにそれぞれつく。十四個席があるけど……ここにいるのは十一人だ。確か、十三人しかいなかったけど、なんで一つ多いんだろう?気になるけど、聞いちゃいけないと直感的に思う。
「えー、それでは学級裁判を開始します」
ミミックの声を合図に、まずは皆で現場の状況を確認することにした。
「確か、ソフィさんのお腹の刺し傷が致命傷になったのよね」
さくらさんが顎に手を当てながら言った。現場を思い出しているのだろう。
「その凶器が包丁の可能性が高い。現場に残ってなかったようだがな」
「それは違います!」
かおる君の言葉にあかねさんは早速反論した。そういえば、確か凶器は現場になかったんだっけ……。
「凶器は包丁だけでなく、男子に配られたナイフの可能性も十分に考えられます」
「なるほど……。なら、なぜ厨房の包丁がないんだ?」
りんたろう君が聞いてきた。確か、厨房の包丁がないのは……。
「それは元々なかったみたいなんです。それはそこのぬいぐるみが証人です」
「ぬいぐるみなんて酷いな……まぁその通りだよ。そこに真っ先に着目するなんてさすがあかねさんだよね~」
「そんなのはどうでもいいので」
ミミックの言葉をバッサリ斬り捨てる。なんか、こうして聞いてると本当にあかねさんがミミックに対して冷たいんだけど。
「ってかさー、実際のところ、はじめかあかねが犯人なんでしょ?凶器が包丁か何だか分かんないけどさ」
かれんさんがボクを指差してそう言った。ここで違うと言っても意味はないだろう。何か証拠があればいいんだけど……。
「いや、それはあり得ないぞ」
すると今度はひびや君が反論した。まさか彼が反論するとは思っていなかったから意外だった。
「オレが食堂に行った時は十時三十分……確かその時間に殺人が起きたんだったな。丁度その時オレは食堂に行ったんだが……その時間は二人共食堂にいたぞ」
それは事実だったのでボクは肯定する。
「うん。昨日見た映像がどうしても忘れられなくて……その時にあかねさんがお茶会に誘ってくれたんだよ」
「え⁉お茶会してたの?私も誘ってほしかった~……」
いや着目点そこじゃないでしょ、さくらさん。そうツッコみたかったけど、それは喉の奥にしまっておくことにする。
「それに、ひびや君が来る前に誰かが食堂に来たわけでもないから、包丁が凶器とは考えられないんだ」
「じゃあ、三人は犯人じゃないってこと……?」
ららさんが呟くように言う。まぁその通りなんだけど、この程度で疑いが晴れるわけがない。案の定、その予感は的中した。
「もし三人が共犯だったらどうする?」
りんたろう君がそう言ってきた。かおる君も「その通りだ」と頷いた。すると不意にあかねさんが考え込んだ後、
「……ねぇ、ミミック。聞きたいことがあるんだけど」
「はい。何でしょう?あかねさん」
首を傾げるミミックにあかねさんは疑問に思っていたのかこんなことを聞いた。
「もし仮に共犯者がいたとして、その人にメリットはあるんですか?」
「いや、ないよ」
即答するミミックに彼女は「やっぱり……」と誰に向けるでもなく呟いた。何だったんだろ?一体。それに共犯者って……ロクでもないことを考えてるな……。
どちらにしろ、ボクらの疑いが晴れた訳ではない。じゃあ、どうすれば……。
「えっと、私達が無実だという証拠、ですよね。……そういえば、ドアノブのネジが外されていましたね。小松さん、工具セットは持っていますか?」
「え?あ、うん。持ってるけど……」
ボクが工具セットを取り出すと、あかねさんはこう言った。
「ほら、小松さんの工具セットに使った跡がないでしょう?さっき言いましたが、ドアノブのネジが外されていたんです。なら、工具セットを使っているハズでしょう?」
「オレのも見せようか?」
ひびや君も工具セットを取り出す。もちろん、彼の工具セットも使った跡がなかった。
「それじゃあ、三人は犯人じゃないんだ……」
ららさんの呟きにかおる君が「ちっ、振り出しに戻ったか……」と舌打ちをした。
「あの、ね。これ、言っていいのか分からないんだけど……」
すると、きくさんが小さく手を挙げた。何だろう?
「これ、暖炉の前に落ちてたんです……」
そう言ってボクらに見せてきたのは、血の付いた白い何かだった。あかねさんがそれを見ると、目を見開いた。
「それ……シャツの袖じゃないですか?暖炉を使った形跡があったので、もしかしてと思って探してたんですよ。あなたが持っていたんですね」
そう言って優しく微笑んだあかねさんにきくさんは「えへへ……」と笑った。なるほど、確かにシャツの袖に見える。すると、彼女は不敵の笑みを浮かべた。
「では、早く終わらせましょうか。ね?村崎 りんたろうさん?」
「――なっ⁉」
なんで彼を指名したのか?その答えはすぐに分かった。
「あなたですよね?ソフィさんを殺したのは」
それは、既に確信しているようだった。証拠は少ないのに。
「お、俺なわけないじゃねーか!」
もちろん、彼は反論する。しかし、彼女はりんたろう君の全身を見て聞いてきた。
「では、なぜ服が変わっているんですか?」
そういえば、確かにりんたろう君は昨日白いシャツを着てたのに、今日は青いシャツを着ている。言われるまで気付かなかった……。
「そ、それは、その……ほら!俺、朝は着替えるタイプなんだ!」
「へぇ……まぁ、まだ納得のいく回答ですね。では、ナイフ、もしくは工具セットを見せてくれませんか?」
「え……」
手を差し出して、そう言った。あかねさんは確実に彼を追い詰めていった。
「私の推理に間違いがなければ、あなたのナイフや工具セットには使った跡があるハズです。先に言っておきますが、失くしたはなしですよ。使ったのならどんな用途で使ったのか説明してもらいます」
りんたろう君はあかねさんの言葉に反論できないようだった。そうか、ナイフと工具セットを使ったのなら、それが証拠になる。だからボクにナイフを見せてほしいと頼んできたのか。それに、さっき工具セットについて触れたんだ。
でも、なんで彼が犯人だと断定出来たのだろうか?すると、彼女はある写真を取り出した。こんなもの、いつの間に現像したんだ?というより、いつ撮ったんだ?
「ほら、ソフィさんが遺したダイニングメッセージがあったでしょう?あれを百八十度回転させると答えが出てきますよ」
いろいろツッコみたいけど、今は置いておこう。
あかねさんの指示通り写真を百八十度回転させる。そうして見えてきた文字はR、Ⅰ、N……「りん」……。
「あっ!なるほど、それで……」
きっと、最後まで書ききれずここで力尽きてしまったのだろう。でも、それだとどうやって部屋に入ったのだろう?すると、ボクの思っていることを読んだのか簡単に説明した。
「恐らく、ソフィさんが彼を入れないようにしたのでドライバーで無理やりこじ開けたのでしょう。ドアノブが壊され、部屋に争った跡があるのはそのためだと思います。悲鳴が聞こえてこなかったのは気になるところですけど、個室は防音壁で作られているようですし、食堂もかなり遠いですから」
もちろん、ただの推測でしかありませんけどねと彼女は困ったように笑った。そんな彼女にりんたろう君は必死に反論する。
「で、でも、偶然って可能性もあるだろ⁉」
でも、それに確信がない彼女ではない。
「だから、ナイフか工具セットを見せてと言ったではありませんか。百歩譲って工具セットは使うところがある可能性があるとして、ナイフなんてこんな密閉された空間では使わないんですから。何か隠していない限り見せることが出来ると思いますが」
「っ、クソ!」
すると、りんたろう君は自分のナイフを取り出し――ボクめがけて振り上げた。
刺される――!
そう思って目を閉じるけど、来るハズの痛みは来なかった。
「大丈夫ですか?」
その代わり、優しい声が聞こえてきた。恐る恐る目を開けると、そこにはボクを庇ったあかねさんの姿。なんと、左手でナイフを掴んでいたのだ。黒い手袋が掴んだところから血で滲んでいた。
「あ、あかねさん……!」
「コラー!神聖な学級裁判の場で暴力は許しません!」
すると、今まで傍観していたミミックが威嚇のように手を振り上げた。すると、自分の負けだというようにりんたろう君はその場に座り込んでしまった。
「仕方なかったんだ!野球仲間が、皆倒れてて……!」
その言葉にボクは一瞬泣きそうになった。あぁ、やはり、あのDVDが動機になってしまったのだ。
「それで、ソフィさんを?」
あかねさんは目を閉じ、何かを考え出した。でも、そんな彼女の様子を誰一人気にすることはなく。
「決まりだな、りんたろうが犯人だ」
「結論が出たね。それでは、お手元のスイッチで投票してください。先に言っておくけど、必ず誰かに票を入れてね。処刑されたくないでしょ?」
ボク達はミミックに言われるまま、票を入れる。結果はもちろん、満場一致でりんたろう君が選ばれた。
「ウヒヒ。正解だよ」
ミミックの無常な声が響く。まだいろいろと疑問は残るけど、それでもクロを見つけることが出来た。だけど、まだ信じられない。まさかこの中の誰かが本当に殺人を犯したなんて……。
「さすがだね、あかねさん。自分が疑われてからの逆転なんて」
「……どうでもいいです、そんなの。全部、あんたのせいなんですから」
ケラケラと笑うミミックに対して、彼女にしては珍しく怖い顔をしていた。でも、彼女の言う通りだ。こんなことになったのはミミックのせいなのだ。そう考えると、ミミックに再び怒りが沸き起こった。
「えー?でも、殺人を犯したのは間違いなくお前らでしょ?」
「そもそもあんな映像を見せたのはあんたでしょう。そのせいで村崎さんはソフィさんを殺してしまったんです」
言い合いをしている二人はやはり仲が悪いようだ。でも、ミミックはあかねさんなどお構いなしに歪んだ笑みを浮かべる。
「まあでも校則だから、クロであるりんたろう君は処刑するよ」
すると、りんたろう君は顔を青くした。
「ま、待ってくれ!」
必死の懇願。でも、それに耳を貸す程ミミックは優しくない。
「待ちません。では、始めましょう!」
そう言って、ミミックは赤いボタンを押した。すると、りんたろう君はどこかに連れ去られた。ボク達はその様子を映像で見せられていた。映像には『百本的あて』と出ていた。
りんたろう君は高い場所に縛り付けられた。そして、何かの機械が出てきた。するとその機械から無数の野球ボールが放たれる。それがりんたろう君に全部当たっていく。それがどんどん速くなっていって――。
終わる頃には、りんたろう君は口から血が出ていて、動かなくなっていた。人の死とは呆気ないものだと、思い知らされた。
ボクらは皆、その場から動くことが出来なかった。いや、きっと一人になることが怖かったのだ。
そんな中、あかねさんがボクに近付いてきた。そして、こう言った。
「……こんな絶望に屈してはいけませんよ。それこそ、『奴』の思うつぼですから。私達は彼らの死を乗り越えていかないといけないのです」
そう言われても……ボクには他人の死を乗り越えられる自信なんて、ない。でも、引きずっていくことも出来ない。だって、ボクは平凡な高校生だから。
それに、『奴』って……?あかねさんはやっぱり何か知ってるの?
ボクは……ボクはどうしたらいいのだろう?
それに答えてくれる人はいなかった。ただ、彼女の温かい手が背中から伝わった。
――そうして、最初の学級裁判が終わった。
夜、私は一人、部屋で今日のことを思い出していた。
ソフィさんが殺されて、村崎さんが処刑された……。
自分が昨年巻き込まれた事件はほんの序章に過ぎなかったのだと思い知らされた。
被害に遭ったソフィさんは優しい人だった。皆の名前を覚えられないことを思い悩んでいたけれど、それでも誰かのために何かをしようとしてくれていた。
村崎さんも、本当は情に厚い人だった。殺人なんて犯すような人ではない。
……いや、分かっている。人は何かあると、すぐに変わってしまうということを。
だって、私はそれをずっと目の前で見てきたんだから。それも、黒幕のせいで。
絶望と悪意……そう、私達を絶望と悪意に堕とすことが黒幕の目的だ。
でも、私は諦めない。
ここで私が諦めたら、誰が皆を守るというのだろう?……いや、正確には「彼」を守ることが出来るのは、私だけだから。
たとえ皆が何も覚えていなくても構わない。
黒幕なんかに、負けてたまるものか。そのために、私は時間をかけて彼を見つけ出したんだから。
それから、なかなか眠れなくて、私は起き上がる。そして、ある場所に向かった。
私が来たのは、小松さんと「初めて」出会った教室だ。ここで、私は歌を歌い始める。
寂しさを紛らわすように。
孤独を紛らわすように。
そうでもしないと、私が耐えられなかったから。
皆の前では冷静さを保っているけれど、本当は誰よりもこの状況に怯えているのだ。
それこそ、神頼みをしたいほどに。
でも、それでは何も進まないのだと自分に言い聞かせる。不安に押しつぶられそうになりながら、私は歌を歌い続ける。
その歌声と抱える不安は、誰にも届かない。そう、あなたの元にさえ――。