セレーネ姫、サウナでととのう ⑥(終)
同時刻、『みなの湯』裏手。
「なあ、姫様がこの風呂屋にいるって本当か?」
「マジらしいぞ。あー、どっかの隙間から見えねえかなあ、姫様のハダカ」
二人の若い兵士が、別働隊として建物の裏手に回り込んでいた。万が一姫が逃げ出した時、確保するためだ。
「俺、3人いる姫様の中でセレーネ姫が一番好きだな」
「お前はガキのころからセレーネ様に入れ込んでるよな」
「ああ。あの金髪、美しい肌!ハダカが見られたら死んでもいい!」
馬鹿げた会話の合間に、
「へえ……そうなんだ」
不意に、冷たい風が二人の間を通り抜け、不思議な声がした。
「……今、何か聞こえたか?」
「わ、わからねえ。ていうか、なんか急に真っ暗になったな」
「ああ、何も見えねえ、しかも何か寒いし……」
視界が闇に覆われ、急激に体温が下がっていく。一気に冬の雪原に放り込まれたような、芯まで冷える感覚。暖を取ろうと顔に手をてた時、兵士の一人が気がつく。
「違う……暗くなったんじゃあない……目が、目が開かねえんだッ!俺の両目がッ!まぶたが凍って、くっついて離れねえッ」
「さ、寒い……口が、舌が、喉が凍ってッ……た、たいちょ……」
極寒の世界。極度に冷えた空気が、草木を凍らせパキパキと音を立てる。人間の目や口の水分を凍らせていく。体温が急速に低下し、兵士たちの意識を閉ざしていく。
「霧氷の魔術『散華』……静かにしてね。セレーネが好きなら、なおさら……いま、あの子は、うんと安らいでいるんだ……」
倒れ伏す二人の耳に、その言葉だけが届く。それを最後に、ふたたび静寂が訪れる。
「……さて、ベッドメイクをしないと」
ウ族の魔術師、ハラウラは、作業着に着替えて、従業員の仕事に戻った。
―――
翌朝、セレーネは昇った太陽の光で目を覚ました。深い眠りだった。教えられたとおりに、サウナ・水風呂・外気浴を3周ほど繰り返すと、あとは倒れるように眠りについたのだった。
「起きたかい、セレーネ……ずいぶんよく眠っていたね」
「おはようございます。久しぶりにちゃんと眠れたような気がしますわ……体も、まだぽかぽかしているよう」
食堂のような場所に、エプロンをつけたハラウラが朝食を用意していた。隣の席では、主人――ユージーンがもそもそとパンを食べている。
「よかった……サウナには、疲れをとり、眠りを深くする効果もあるんだ」
用意された食事は、パンとバター、牛乳のみという、王城で供されるものと比べてずっと質素なものだった。しかしセレーネはそれを一切れ口に運ぶと、豊かな風味に思わず声をあげた。
「こ、これ、こんなに美味しいパン、どこで?」
そのまま、淑女にあるまじき大きな口で、残りのパンにかぶりつく。
「別に、普通のパンだ。お前、最近ちゃんと飯を食ってなかったんじゃないか」
相変わらずの朴訥な声とともに、男が二つ目のパンを彼女に差し出し、セレーネは夢中でそれを口に入れた。
「確かに、最近は規則的にお腹が空くこともなくて……こんなにお腹が空いて、食べるものが美味しくて、子供のころに戻ったようですわ」
「子供のころ、か……それは良いね。自分が自分にもどったってことだ……」
ハラウラは、コーヒーを用意しながら、穏やかな表情でセレーネに笑いかける。
「どんなに美味しい料理も、からだが受け入れる状態でなきゃ、味がわからないものさ……逆もしかりだね」
「ええ、なんだかとても素晴らしい朝……♪」
窓の外から差し込む朝日も、活動をはじめた鳥や竜の声も、なんだか心地が良い。セレーネは大きくのびをした。
「もう一つ食うか」
「いただきますわ」
またパンを差し出す男の髭面が、少しゆるんだ気がした。セレーネは彼の顔を、はじめてまじまじと見た。
「昨夜はほんとうに焦っていて。無礼をお許しください……あなた、もしかして。どこかでお会いしたことが?」
「いや、いい」
あとの質問には答えず、男は牛乳を飲み干して、席を立った。
「また、疲れたら来い」
背中越しに聞こえる男の声に、セレーネは微笑んでうなずいた。
「じゃあ、セレーネ、気をつけて。また、いつでもサウナに入りにくるといい……その『鍵の腕輪』を使えば、どこからでもここに来られるから……」
森から少し離れた街道沿い。セレーネは昨夜随分走ってきたつもりだったが、夜が明けてみれば王都からはそれほど離れていなかったようだ。明るい空に、高い城がよく見える。
ハラウラは、フードを深くかぶって、セレーネを見送っていた。通りかかった荷馬車の御者に金子を握らせ、王都までセレーネを送ることを約束させる。
「そういえば、キミの服……代金がわりにもらったけど、ほんとによかったのかい」
「ええ、私、大事なことに気が付きましたの。あなたのおかげで」
「ぼくの……?」
セレーネは、おいてきた服のかわりに、ハラウラのサイズのシャツとスカートを身に着けている。体格が随分違うので、腕やお腹やふとももの肌が大部分さらけ出されていた。
「肌を露出することは、すばらしいことですのよ!!!」
「え……」
ハラウラのフードの奥の顔が、予想外のことにこわばる。
「外気に肌を晒すことが、あんなにも気持ちが良いなんて!今だって、太陽が全身にぽかぽかと当たって最高ですわ!殿方の目を気にして肌を隠すなんてもったいない!これからは露出の時代ですわよ!!」
「……その方向にめざめるのは、ぼくもちょっと予想外だったなあ……」
たのしげに白い腕をひろげるセレーネに、ハラウラは苦笑する。
「とにかく、またきてね……まってるから」
「ええ、ぜひまた。旦那様にもよろしく」
「……旦那様?」
フードの奥で、ハラウラが怪訝な表情をする。
「あら、てっきり夫婦なのかと思ったのだけど……まあいいわ。ではまた!」
荷馬車が出発し、手をふるセレーネの姿が遠ざかっていく。ハラウラも、短い手を振って彼女を見送った。
「……夫婦か。夫婦……へへ、ボクとユージーンが……へへ」
ご機嫌にぴょんぴょん跳ねながら戻っていく彼女の姿は、隠形の魔法ですぐに誰からも見えなくなった。
その後――セレーネの嫁いだ隣国は、魔族との相互不干渉・融和政策を目指す世界で初めての国となるのだが……それはまだずっと先の話。
ついでに、将来ミニスカートとかチューブトップとか、そう呼ばれることになる露出の多い服が、街の女性の間で一時的に大流行になる……これはちょっと先の話。
『サウナ&スパ みなの湯』。追放された元英雄と、小さな魔族が営むやすらぎの場所。未だ過酷なことも多い世界のどこかで、今日も営業を続けている。
異世界で追放されても、サウナさえあれば幸せです ーできれば水風呂と外気浴スペースもつけてくださいー
『セレーネ姫、サウナでととのう』 終