幸せなあなたの物語を
このエッセイは、「小説家になろう」サイトのランキングや流行りの作風、傾向に、日々不満を募らせている方々に向けて執筆したものです。
元々は詩の形でさらりとお届けするつもりでした。
詩のジャンルでは「なろう」をテーマにするとポイントが跳ね上がる傾向がある為、ドス黒い野望を胸に仕上げたものの(笑)、エッセイジャンルに注目している「本当に読んで欲しい方々」の目には届かないのではないかと気付き、エッセイの形に書き直しました。
私がこの、「小説家になろう」サイトに初めて来たのが2019年の10月。
それ以来、エッセイのジャンルでは定期的にこのサイトに於けるランキングや流行りの作風への批判、批判への批判が繰り返されています。
私個人としては、このやり取りが続くのは健全だと思っています。
キャリアの長いユーザーにとって、分かりきっていてウンザリする様な内容であったとしても、このサイトの現状や疑問を新鮮に感じる新世代のユーザーが、自分の意見を示す為に常に出入りしている証拠でもありますからね。
つまり、作品の質うんぬんはひとまず置いといて、「小説家になろう」サイトが衰退している訳ではないと考えます。
しかし一方で、このやり取りが繰り返される背景には、提起された問題意識が承認欲求に敗北してしまい、突くべきであるはずの核心が常にぼかされてきたという現実もある様に思えてなりません。
ランキングを批判する過程で、ランキングという巨大な誘惑の波に飲み込まれたという事ですね。
例えば、批判のテーマとしてよく取り上げられている「テンプレ」、「ご都合主義」、「長文タイトル」の3つを例に挙げます。
私個人としても、これらの要素は余り好きではないのですが、それはあくまで、「先代の築き上げたテンプレの外から一歩も出ないで、作者の経験や価値観を絡めようとする動きすら見せない作品が好きではない」という事なんですよね。
また、ご都合主義に関しても、「物語を円滑に進めるご都合主義ではなく、作者自身が広げた伏線を回収しきれなくなって繰り出す、相手側の信じられない失態による自滅の様なご都合主義解決の作品が好きではない」という事になります。
最後に長文タイトルに関してですが、「あらすじを示すのは問題ないが、タイトル内のざまぁやもう遅い表現に作者の卑屈な人間性が窺えてしまう作品は好きではない」という事になりますね。
上記の意見に同意してくれるユーザーは、テンプレや長文タイトルを好んで使う作者の中にもいるでしょう。
批判エッセイを書くユーザーは、そこで感情的になり過ぎる事なく、丁寧に主語を絞る必要があると思うんですよ。
しかしながら、タイトルや主張にインパクトがなければ読んで貰えない。
何より、自分では批判していたランキングのシステムに乗らなければ多くのユーザーの目に留まらない。
その為にはポイントが必要……と、炎上覚悟の強くキツい言葉を使うユーザーが、エッセイジャンルでは多数存在しています。
これは何も、「小説家になろう」サイトに関する内容だけではなく、個人を狙い撃ちしている様に見せかけて主語を大きくしているものや、その逆に政治や思想を持ち出した個人攻撃の作品もありますけどね。
私個人としても、一部作者の姿勢などに関してはエッセイで批判した事がありますし、他人の作品の感想欄でヒートアップしてしまった事もあります。
例えその批判が一般論的には許されるレベルであったとしても、書いた本人は満足感と背中合わせで、何処か不安や後ろめたさを感じたものでした。
これは全く罪滅ぼしにはならないのですが、私はそんな時は暫くエッセイや感想欄から離れ、自分の小説や詩を書く事に専念しています。
自分の作品を読んでくれる、それだけで素晴らしい読者の為にも、継続的な創作活動がマイナス感情に支配されないセーフティネットの役割を担っていると感じますね。
さて、ここで本エッセイのタイトルの由来について述べたいと思います。
私は過去のエッセイで書いている様に、学生時代のいじめや就職氷河期での非正規職員時代の長さ、ブラック企業に勤めて鬱病になった経験など、今の世の中に於ける苦労みたいなものはそれなりに経験しています。
とは言うものの、私の場合は家族関係が良好でしたし、隣人や友人にも恵まれ、ちょっと努力すればちょっと報われるという、振り返れば笑い話に出来る程度の苦しみしか経験せずに今日まで生きてこれました。
私がランキングや読者受けを意識しない「唯我独尊」創作が出来るのも、自分の書きたいものがここで受けないなら仕方ない、小説投稿サイトで認めて貰えなくてもまあいいやと考えられる、ハッキリと幸せな人生を現実世界で送って来たからなんです。
若い頃に戻れたら何したい?
そう訊かれたら、「全く同じ人生を送り、あの時食べた醤油ラーメンをやめて塩ラーメンを食べてみたい」と答えますね(笑)。その程度ですよ。
ここで考えてみましょう。
追放からの名誉回復系の作品がずらりと並び、一目で内容が分かるタイトルを採用しないとなかなか読まれないという現実。
元来好きなものが分かりやすいテンプレだった……という作者と読者以外は、余裕や幸せを実感出来ない、或いは意識もしないユーザーに支えられているのが小説投稿サイトであると言えそうですね。
言葉の選び方に違いはあるかも知れませんが、基本的には私と「小説家になろう」サイトのランキングや流行りの作風に不満を募らせている批判者は似た者同士だと思います。
だって、わざわざ短いタイトルから内容を想像したり、ストレス展開も、リアリティと引き換えに爽快感が僅かばかり失われる事も受け入れる事の出来る、小説を読む時間、或いは書く時間に関してだけは余裕を持てる人間という事になるんですからね。
そう考えると、少なくとも小説を読む時間、或いは書く時間に関して余裕のある人は、幸せなあなたの物語を世に出すべきだと思うんですよ。
自分の作品に厳しい批判が来ると、作者は「ならお前が書いてみろ!」というメンタルになりがちです。
こういった言動から、偉そうに批判している人が自分の作品を書いたら、その仕返しに袋叩きに来るんじゃないかと思っている方もいるかも知れませんね。
でも実際は、大半の書き手は「同じ土俵に立ってくれる仲間が増えた」とプラスに考えてくれます。
作品を書き始めるハードルは意外と低いものであり、テンプレやご都合主義を嫌うスタンスの作者であると示せば、数は少なくとも一定の注目が集まりますよ。
創作活動に関して、理想やロマンを追う事の出来る作者の作品は、個人的な感想として極端な展開の落差を敢えて作らず、腸が煮え繰り返る様な悪党も出てこない印象があります。
それは短時間で読者の興味を惹き付けるWeb小説の世界では不利な点なのかも知れませんが、サイトの多様性には必要な存在だと思いますし、私個人も読んでいて作品と作者、両方に安心感を得る事が出来ます。
ただ、現実問題として、ランキングを度外視すればテンプレに沿わず、極端なご都合主義もなく、短くまとまったタイトルを持つ作品も山程あるんですよね。
そういう作品が読みたいというユーザーが、実は一生かかっても探しきれない程の数の作品が……。
探せば山程あるのに、検索の煩わしさやハズレを掴まされる不安で手が出せないというユーザーの気持ちも分からなくはありません。
しかしながら、一番の無駄は諦めて何もしない事です。
私のブックマークには、完成度や面白ささえ度外視してチャレンジスピリットを感じる作品や、私の作品と同じ残念さを持つ(笑)作品などが詰め込まれています。
勿論、内容的に素晴らしい作品や、相互ユーザーの期待している作品もありますが、単にタイトルだけが素晴らしくてブックマークしたものの、まだ読んでいない作品などもあり、他のユーザーの参考にはなりにくい本棚となっていますね。
つまり私は、息抜きや気分転換、或いはスランプ時の刺激に他の作品は読みますが、自分が本当に欲しいものは自分にしか作れないと考えているのです。
自分が求めるものが漠然としていたとしても、ランキングや流行りの作風、傾向に対して批判精神を持つユーザーは「これは嫌だ」というものがハッキリしています。
実はこのメンタリティは、大半のなろう作者よりも作者向きなんですよね。
自分自身をよく理解した上で綴られる、幸せなあなたの物語を期待しています。