第2話 都会とカツサゲ
ルーシア大陸を空から見下ろせば、南の沿岸部に栄える巨大な都市が目に入る。
港には大きな船が列をなして停泊していて、すこし中心部に向かえば生鮮食品から宝飾品まで様々な店舗が立ち並ぶ。
「ついに、冒険者になる日が来たんだ」
忘れもしない。
父さんとの修業が始まった7年前――いや、8年前だったっけ?
長く、苦しい特訓だった。
結局みんなの技は不完全にしか習得できなかったけど、「後は実戦で身に着けろ」と、父さんからようやく冒険者になる許しを得たのだ。
さて、聞いた話だと冒険者ギルドはこの町の北部。
だから僕はこの町をすこしずつ北上しているのだけど、道はどんどん狭くなり、路地裏をのぞけば猫やカラスがゴミをあさっている。
(もしかして道を間違えたのかな……)
先ほどまでの町の賑わいが急に恋しくなって、引き返すそうかと不安になる。考えるために足を止める。足を止めると、物陰から二人組の男が現れた。
一人はスキンヘッドにヘッドバンドが特徴的な筋骨隆々の大男。
「おうおう、坊主、見ねえ顔だな。誰の許可を得てこの道を通ってんだ」
「え、ぼ、僕ですか?」
「他に誰がいるってんだ!」
「ひっ、す、すみません。通っちゃダメでしたか?」
恐る恐る聞き返せば隣にいた出っ歯が特徴的な短身痩躯の男がこう返した。
「あったりまえだぎゃ! この道を通るときはアニキに通行料を払う! それがここのルールだぎゃ!」
「ご、ごめんなさい! 僕、お金持ってなくて……」
「嘘はよくないだぎゃ!」
「ほ、本当なんです!」
村では、物々交換が主流だった。
というより、必要なものがあれば入手できる人がとってくる、相互扶助が主だった。だから硬貨なんて使ってこなかったし、必要もなかった。
「坊主、アストレアにはどうやってきた」
アストレアはこの都市の名前だ。
「う、海を渡って」
「ダウト。だったら船を渡るだけの金は持ってたんだろ? いくらか余分に旅費を持ってるはずだ。有り金全部寄越せとは言わねえからそれを寄越せ」
「いえ、船ではなく泳いできました」
「はぁ?」
そもそもうちの村には船なんて来ないし。
大工のアーヴィングさんが作った立派な港があるのにとても残念なことである。
「馬鹿野郎! 海には魔物が出るんだぎゃ! それに、一番近い港町からでも船で3日はかかる! それを泳いで渡れるわけないだぎゃ!!」
「大丈夫です! 僕は冒険者を目指しているので!」
「冒険者でもできないだぎゃ!!」
「……?」
何を言っているんだろう。
冒険者なら魔物がいる海だろうと泳げるに決まっているじゃないか。この人たちは冒険者というものがどういう存在なのかよくわかっていないのかもしれない。
わーわーとわめいているやせ男さんを眺めていると、大男さんの方が指をぽきぽきと鳴らした。
「どうやら痛い目を見ないと自分の立場が分かんねえみてぇだな」
「や、暴力は反対……」
「しゃらくせぇ!!」
大男さんがずいぶんのんびりした勢いで拳を振りぬく。よかった、さすがに全力でぶん殴るなんてことはしないみたいだ。
避けるのは簡単だけど、空気が読めないやつだと思われたり、それでさらに不興を買うのも面倒くさい。一発素直に受けるかな。
「アニキに逆らうからだぎゃ! ぎゃーはっは!」
やせ男さんが心底楽しそうに笑っている。
何をそんなに楽しそうにしているんだろうと大男さんの方を見ると、こちらは顔を真っ青にして、顔中から大粒の汗を噴き出している。
「いっ、でえぇぇぇぇぇぇ!!」
「ア、アニキ⁉」
「腕、腕が折れたぁぁぁ!!」
わんわんと大男さんが泣き喚くものだから、僕は思わず両手で耳をふさいだ。やせ男さんは少しの間おろおろとまごついていたが、不意に何かに閃いたかのように口を開いた。
「てめぇのせいでアニキが大けがしただぎゃ! 慰謝料を払ってもらうだぎゃ!」
「え、でも僕本当にお金持ってなくて……」
読唇術を習っていてよかった。
耳を塞いでいても、なんて言っているかわかるぞ。
「うるさいだぎゃ! とっとと払うだぎゃ――」
そんな大げさな。
軽く小突いたくらいで腕が折れるわけないじゃん。
「いしゃぁ、いしゃぁ」
「え、アニキ? もしかして、マジのやつですか?」
「いしゃぁ、いしゃぁ……」
やせ男さんのほうも徐々に顔色が悪くなっていく。
なんだろう。すごく悪いことをした気分だ。
「あ、あの。僕、回復魔法使えます」
「はぁ⁉ 回復魔法だぎゃ⁉」
「ひっ、あ、でも、その、簡単なものだけなんですけど……」
「なんでもいいだぎゃ! アニキの腕を治してくれだぎゃ!」
「はひっ、≪ヒール≫!」
回復魔法を発動する。大男さんの表情から、まるで苦痛が取り除かれていくように見える。
すごい演技力だ。
あ、もしかしたら役者さんとかなのかな。
少しして、仮に骨折してても治るくらいに回復したはずなんだけど、大男さんはいまだに顔を真っ青にしたままだった。あれ?
「わ、悪かった! あんたがすげーやつってのは分かった!」
「あはは……僕はただの半端ものですよ」
「んなわけあるか! あ、いえ、そんなことございません! もう絡んだりしないのでどうか見逃してください!!」
えっと、見逃すってどういうことだろう。
これだとまるで僕が弱い者いじめをしてるみたいじゃないか。あはは、こんなにムキムキな人がボクより弱いわけないのにね。
「えっと、そうだ。冒険者ギルドってどっちかわかります?」
「はい! 大通りまで引き返していただいて一つ右の通りでございます!」
「あ、やっぱり道を間違えてたんだー。ありがとうございます。おかげで助かりました!」
「いえ、今後はくれぐれも道に迷わないようにお気を付けください!!」
「はい! 分かりました!」
そうか。
分かったぞ。
あの人たちは僕みたいな迷子に道を教えてくれる人たちなんだ。
風流な人ほど直接的な表現を控えるって聞いたことがある。通行料を払えって言葉は、道を間違えているよっていう忠告だったんだ。
僕は大通りに向けて運んでいた足を一度引き戻し、二人組の男さんたちのほうを見た。もう一度「ありがとうございました」と口にして大きく手を振ると、二人とも大きく手を振り返してくれた。
父さん。都会の人は冷たいなんて聞いていたけど、親切な人もいるみたいです。
二人の励ましに、勇気をもらいました。
見ていてください。
きっと立派な冒険者になって見せます!