第11話 統率と殲滅
アストレアを東に向かうと、ルーシア大陸を二分するようにそびえたつ山脈がある。冬に積もった山頂付近の雪が溶けだすころになると、ある動物が繁殖期に入る。
「見つけた、セラドンリカオンの足跡よ」
「え、これが?」
セラドンリカオン。
長い四肢と丸い耳が特徴的な灰色の犬の魔物、らしい。山脈に向かって歩く道中でミュトスさんから聞いた話そのままだけど。
「? そうだけど? 何かおかしい?」
「もっと大きいのか小さいのを想像してた」
僕の育った地域だと、魔物は5メートルを越える大物か、あるいは30センチ程度の代わりに厄介な能力を持つのが普通だった。
だけど残された足跡から推測するに、セラドンリカオンの体長はおおよそ1メートル弱程度。魔物にしては中途半端な大きさだ。
「あのねぇ、リカオンの特徴は発達したコミュニケーション能力と連携の取れたハンティング。魔物の強さは大きさだけじゃ決まらない」
なるほど。
セラドンリカオンは知性が発達した魔物らしい。
小さくなるには脳が大きく、群れを形成するために大きくもなれなかったということかな。そんな魔物が弱肉強食の世界で生きていけるのだろうか。
「それに、この時期はネズミ算式に増える。群れが大きくなると飢える個体が増える。そうなると、飢えを満たすために人里におりてくることもあるの」
人里は人の縄張りだ。
そこに住む人が安心して眠れる程度に安全が保障されていて、逆に人以外にとっては蜘蛛の巣のように死線が張り巡らされた領域でもある。
知恵のある動物はまず近寄らない。
だけど、飢えれば別だ。
「あんな風にですか?」
「あんな風?」
ミュトスさんは分かっていないようだったから、僕は方角を指さす。ミュトスさんは目を凝らしたようだったけど、そうじゃないんだ。
「向こうから、死臭がします」
「死臭? 何も感じないわ」
「いいえ。必ずあります」
ミュトスさんは上唇溝に人差し指を当て、数秒黙った。それから「確認しに行っても問題なさそう?」と僕に聞いてきたから、「脅威といえるほどの敵はいない」と返す。
「確認しに行くわ」
ミュトスさんはそういうと、死臭のする方へと足を向けた。うっそうと生い茂る木々をかき分けて、深い森へと足を進める。
およそ1キロほど歩いただろうか。
それは突然現れた。
「……なに、これ」
緑の広がる樹海に、突然現れた白い世界。
「もしかして、これ全部セラドンリカオンの骨⁉ いったいどれだけ繁殖してるのよ!!」
「ミュトスさん、リカオンの骨だけじゃないみたいです」
「はぁ?」
疑問符を投げたミュトスさんが僕の視線の先を追うように首を回す。その先には、5メートルはあろうかという人体模型のような骨が横たわっていた。
「な――、まさかこれ、ゴブリンキ――⁉」
「ゴブリン? これが、ゴブリン」
実は、僕が生まれた村にゴブリンはいなかった。
だけどゴブリンの名前は聞いたことがある。
というより、アストレアで冒険者を目指す人間で、ゴブリンを知らない人はいない。
「はぁー、冒険者さんって、こんなおっきな魔物を軽々倒しちゃうんですね」
ゴブリンは、初心者冒険者が狩る獲物として有名だ。言い換えれば、冒険者ならだれでも倒せる魔物というわけだ。
「ち、ちがっ、ゴブリン、ゴブリンキン――」
「ゴブリン菌?」
なんだろうそれは。
あれかな、死霊術師のスクルドさんが子供のころ受けたっていういじめと同じあれかな?
――きゃー、スクルド菌がうつったー。
――おれバリアはったからむーてき!
的なあれなのかな。
いかに相手が魔物とはいえ、死者に対してその扱いはどうかと思う。
「っ! とにかく、この場は離れるわよ!」
「? どうしてです?」
「リカオンと接敵する前にギルドに情報を持ち帰るのよ!」
「なるほど。もう見つかってますけど」
「え?」
2時の方向。
一匹の犬が幽鬼のようにこちらを覗いていた。
ミュトスさんはその犬と目を合わせたみたいだ。
いいのかな?
こっちが気づいているって宣言してるようなものだけど。
「くっ、貫け! ≪穿天燕矢≫!」
ミュトスさんは一本の矢を引き抜くと、それはリカオンめがけて真一文字に飛んで行った。
リカオンは回避が間に合わず、脳天を狙ったであろう矢が深々と目に突き刺さる。
「ギャンっ! アオーン!!」
「っ、しまった!! 逃げるわよ!!」
逃げるらしい。
だったら目を合わせる前に倒しちゃえばよかったのに。
ミュトスさんの行動に謎は残るが、この場において僕は彼女のサポーターだ。行動指針はミュトスさんのものに従う。
『アオーン』
『アオオォォン』
走っている最中、四方八方からリカオンの遠吠えが聞こえてきた。
「くっ、囲われてるわね」
「倒しますか?」
「冗談、この数を相手になんてしてられないわ!」
この数、か。
うーん、確かにめんどくさいかな?
でもアポフィス・ナラヤナ(僕の住んでる地域に生息する蛇の魔物で、攻撃すると分裂する)と戦うことを考えればどうってことない気がするけど。
「っ! こいつら、私たちの先回りをして――!」
前方、セラドンリカオンの群れが壁を作る。
左右から時間差を置いてこちらに牙を向ける。
だけど、それより早く矢をつがえたミュトスさんがまとめて迎撃する。
「薙ぎ払え! ≪嵐玉矢≫」
「ギャウンっ⁉」
その矢には暴風がまとわりついていた。
矢がリカオンに触れる前には大気の斬撃によってズタズタに切り裂かれていく。
「っ!」
だけど、矢は進むほどに空気抵抗を受けて威力が減衰していくようだった。近くにいたリカオンは切り裂かれて絶命したようだけど、少し離れたところにいたリカオンたちは多少の切り傷にかまわずとびかかってくる。
「よっ」
だから僕が斬った。
「は?」
ミュトスさんが素っ頓狂な声を上げる。
どうしたんだろう。
「え、ちょっと待って。ロギア、今何をしたの?」
「何って、普通に斬りました」
「あんた剣を使えたの⁉ っていうかさっきまで剣なんて持ってなかったじゃないの!」
「それはもう、こうやって空間魔法から取り出して」
追加で一本ショートソードを取り出し、手に納めるついでに抜刀。とびかかってきていたリカオンに斬撃を飛ばす。
「ああ! もう! 生きて帰ったらきっちり説明してもらうんだからね⁉」
「え? これ以上何を」
「いろいろよ! いろいろ!!」
なんか知らんけど怒鳴られた。
所業はいよいよ無情である。
「あ」
「もう! 今度は何!」
「僕、ようやくわかりました。ミュトスさんの意図」
あたりから漂う獣臭さは強まっている。
それはつまり、リカオンがこの一か所に集まっているということ。
(ミュトスさんは逃げ回っていたんじゃない。一網打尽にするために呼び集めていたんだ)
だとすれば初撃の、命を奪うに足らない一矢にも説明がつく。あれはもともと殺すつもりではなく、呼び集めるつもりだったのだ。
だとすれば、ここからは僕の出番、かな?
「分かったって、何がっ」
「ミュトスさん、僕の側に」
「話聞いてる⁉」
みなまで言わないでください。
全部わかっていますから。
「凍てつく夜よ、白銀世界より来たれ!
≪白銀世界の怠惰領≫!」
来るべき結末は刹那ののちに訪れた。
集まっていたリカオンは、一匹とて残すことなく、物言わぬ氷像と化した。まるで時間を切り取られたかのように。これはそういう魔法だ。
ミュトスさんは初めて見たのかな?
口をパクパクさせている。
しばらくして、錆びたブリキの人形のように首から上をぎこちなく回したミュトスさん。
「ロギア、あなた、何者?」
どういう意味だろう。
僕はロギアだけど、それはミュトスさんも分かってるだろうし。
だとするとなんだろう、出身とか、経歴とか?
うーんと? そうだなぁ。
「僕はロギア。落ちこぼれ村の落ちこぼれ代表です」
僕はちょっと気恥ずかしくて、曖昧に笑った。
ミュトスさんも顔をほころばせた。
それからこう言った。
「んなわけないでしょ」
あるよ。




