第1話 追放村と少年
父さんは、ずっと憧れの冒険者だった。
父さんが話してくれる冒険譚みたいに、胸が熱くなるような冒険をたくさんしたいって、幼いころからなんとなく思っていて……。
でも、気の小さかった僕は、冒険者になりたいと口にする勇気さえ出せずにいたんだ。
そんな時、父さんが僕を冒険に連れて行ってくれて、その日は、忘れられない一日になった。
山より大きな世界樹。
全身に炎をまとった不死鳥。
宝石のようにちりばめられた満天の星々。
話で聞くのと実際に見るのでは何もかもがまるで違って、僕の中でハッキリと、世界中を自分の目で確かめたいという願望が生まれたんだ。
「僕も、父さんみたいな冒険者になれるかな?」
ほんのちょっとの不安感と、それ以上の高揚感。
自分でもわかるほどに弾んだ声。
だけど父さんから返ってきたのは、僕が期待した答えとは全く違うものだった。
「父さんみたいな冒険者? ははっ、やめておけ」
「どうして? 僕、父さんが好きだよ?」
父さんは頬をかきながら眉を顰めると、男らしい岩肌のような手で僕を掴んで、真剣な表情で口にするんだ。
「父さんはな、追放された落ちこぼれなんだよ」
耳を疑った。
父さんは昔から何でもできた。
野草の食べれる食べれないからはじまり、野生の動物の特性、果ては冒険者の心得まで、父さんは何でも知っていて、いろいろなことを僕に教えてくれた。
だから、てっきり父さんのハッタリだと思ったんだ。
「父さん父さん、嘘をつくのは、よくないんだよ?」
「ははっ、嘘じゃあないさ」
父さんは「なぁ、ロギア」と僕の名前を呼んだ。
父さんの声は、すごく、硬かった。
後にも先にも、僕はこの時ほど真剣だった父さんを見たことがない。
「冒険者に夢を見るのはいい。だが、冒険者を夢見るのはやめておけ」
父さんは、そう、口にした。
……冗談じゃない。
「いーやーだー!」
もう、決めたんだ。
非才だろうと無能だろうと関係ない。
絶対に冒険者になって、世界中を旅するんだ。
「あのなぁ、父さんは基礎的なことしか教えられんぞ」
「いいもんねー! 僕には秘策があるんだから!」
父さんとの冒険が終わって村に帰ると、僕はすぐさま剣士のアインズワースさんのところに弟子入りに向かった。
アインズワースさんは、最初、「自分は未熟だから」と僕を弟子にするのを渋った。
だけど僕は知っている。
彼がどれだけすごい剣士かを。
昔、ひどい冷夏の年があった。アインズワースさんはその年、時間を切り裂いて未来から警告しに来てくれたんだ。おかげであらかじめ食料を備蓄して、余裕をもって次の年を迎えられたのを覚えている。
大事なのはここ。
時間を切り裂いて未来からやって来たことだ。
普通の剣士にできるわけがない。
アインズワースさんは特別なんだ。
僕は三日三晩アインズワースさんに付きまとった。
彼が「いつまでそうするつもりだ」というから、僕は「弟子にしてくれるまで」と答えた。
4日目の朝、アインズワースさんは「それだけの熱意があるなら、手ほどきくらいならしてやる」と言ってくれた。
僕は無事、アインズワースさんに弟子入りできた。
師匠の教えは的確だった。
一つ剣を振る度に、自分の動きが洗練されていくのがわかり、それがうれしくて、寝ても覚めても剣のことばっかり考えていた。
僕が斬撃を飛ばせるようになったころだった。
「アインズワースさん、僕、冒険者になれるかな?」
父さんにも聞いた質問。
父さんにはやめておけと言われた。
でも、剣を習った今なら、別の答えが聞けるかもしれない。
……浅はかだったんだ。
「冒険者? ……あれは、オレたちが踏み入れる領域にいない」
「……ぇ?」
訳が分からなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。アインズワースさんはすごい剣士だよ? アインズワースさんが冒険者になれないなんて、そんなはずないよね?」
「……ロギア坊、いいか、よく聞け。オレは、追放された落ちこぼれなんだよ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。オレはただの剣士だ。だが、世界にはサムライや聖剣使いと呼ばれる上級職が存在する。冒険者から見れば、オレは落ちこぼれなんだよ」
「……そん、な」
分かるわけが、ないだろう。
時空を切り裂けるような職業が下級職だなんて、予想できるはずがないんだ。
上級職はいったいどんなことができるのか。
もはや想像すらつかない。
――だったら。
僕も上級職を目指せばいいのではないだろうか。
剣士の上級職には聖騎士がある。
回復魔法が使える剣士みたいなものだと思う。
僕は癒術師のオーディオさんに弟子入りを願った。
上級職を目指すために。
オーディオさんも最初は弟子入りを渋った。
教えられることなんて多くないからと断られた。
それでも、諦めきれなかった。
どうしようもない焦燥感だけがあった。
このまま剣だけを振っていても、人生を棒に振るだけに終わる。そんな嫌な予感が、寝ても覚めても付きまとっていたんだ。
付きまとう僕にオーディオさんは「じゃあ、この本を全部読んでおいで。それができたら教えてあげるよ」といって数十冊の分厚い魔術書を僕に寄越した。
本を読むのは苦手だった。
だけど、冒険者になるためだと思えば苦でも何でもない。僕はひと月ほどかけて読破し、オーディオさんに弟子入りしに行った。
「本当に読んだのかい? アコナイトとトリカブトの違いは?」
「呼び方が違うだけで同じ植物です」
「……驚いた。まさか本当に読み終えたのかい?」
オーディオさんはそれから何個か僕に問題を出し、僕はすべてに解答した。オーディオさんは困ったように糸目で笑った。
「約束だからね、ヒールを教えるよ」
オーディオさんの癒術は冒涜的だった。
まず、指を斬り落とす。
そしてヒールで治す。
これを繰り返すのだ。
本の知識どこに行った。
最初はそう思ったさ。
だけど、繰り返していくうちにその効率の良さを理解するようになった。知識の下地があるからこそ、失って、取り戻すたびに、書物からでは得られないノウハウが身につくのだ。
ヒールの基礎を覚え、解呪やリジェネを習い始めたころだった。ふと、僕はオーディオさんに問いかけた。
「オーディオさんは、僕が冒険者になれると思う?」
なんとなく、返答は分かっていた気がした。
返ってきた答えは案の定だった。
「冒険者か、難しいだろうね。昔は冒険者をしていたのだけど、聖女が仲間になるから癒術師はいらないって言われてね」
「……そっかぁ」
否が応でも、思い知る。
冒険者っていうのは想像もできないくらい過酷な世界に生きている。今なら父さんの言っていた「冒険者に夢を見るのはいい。だが、冒険者を夢見るのはやめておけ」という言葉も理解できる。
だけど、恋焦がれてしまった。
憧れに手を伸ばしてしまった。
夢に向かって走り出してしまった。
立ち止まるなんて、考えられなかった。
僕は村のみんなから、できる限りのことを学んだ。
一つ一つは小さなことでも、積み重ねればきっと役に立つと信じて、貪欲に学んだ。
あるとき、父さんが言ったんだ。
「この村は通称『追放村』。パーティやギルドを追放された落ちこぼれが集う、最後の憩いの地なんだ」
なんとなく分かっていたさ。
誰かに師事するたびに「昔は冒険者をしていたのだけど追放されてしまってな」と聞かされるんだ。
気づかないほうがおかしい。
「なぁロギア。それでも冒険者になりたいか?」
僕の答えは決まっている。
でなければ、こんな修行とっくに放り出している。
「……わかったよ」
父さんは何もないところから剣を取り出した。
なんだ、これ。
空間魔法?
「父さんはな、鑑定士だったんだ。すご腕の冒険者を何人も見てきたし、その動きを寸分たがわず模倣してきた」
肌が灼けつくような緊迫感。
心臓が押しつぶされそうな重圧。
……ああ、やっぱり。
「そのすべてをお前に教えてやる」
父さんは、僕のあこがれの冒険者だ。