夏の日のパピヨン
1
「ユウキ、もういいですよ」
ボクはゆっくりと後ろを振り返った。
「どうかしら……おかしくありません?」
そう言ってテーブルの上でケイティは両手を横に広げる。
「大丈夫、おかしくないよ。似合ってる」
ボクは受け合った。別にお世辞じゃない。
彼女は童話に出てきそうなゴスロリ風の衣服を着ている。アイボリーに深い緑の落ち着いた色合いでフリルは控えめ。おばあちゃんの作ってくれた中でも由美子の一番のお気に入りだった。
「装着の仕方はこれで良いのですね。確かに裸の時より身を守れそうな気がします。ありがとうユウキ。ですが……」
ケイティは伏し目になって言いよどんだ。
「本当に良いのですか?」
「迷惑?」
ボクが尋ねると「そんな」と言ってケイティは首を振った。
「協力してくれるのは嬉しいのですが、貴方を危険に晒すのではと……」
「危険だったら余計に君ひとりを行かせる訳にいかないよ。来るなって言ってもついて行くから」
それを聞くとケイティは泣くのをガマンしているのか目を閉じて深呼吸した。一回、二回。
「ありがとう、本当に……」
ケイティは目を開くと静かにそう言った。そして両手で自分の顔を二度叩いて気合を入れた。
「では行きましょう、ユウキ」
「うん。ボクの背中に乗って」
テーブルに前足をかける。ケイティはボクの首の後ろに回り込んだ。
「落ちないように気をつけて。首輪を放しちゃダメだよ」
「ええ、分かりました。やってください」
首輪を掴むケイティの手に決意がこもる。
「行くよ!」
ワンッ!
力いっぱい鳴くと、ボク達はお嬢専用のネコ用出入口から冒険の旅に出発した。
ケイティの両親の仇討ちの為に。
2
「まずはお嬢さんの言っていた『神社』という場所へ向かいましょう」
ケイティがボクの耳の後ろで言った。聞きやすいよう、耳を少し横へ向ける。
「伯父さんはそこにいるの?」
ボクの問いかけにケイティは首を横に振った。
「分かりません。なにせ別の世界へ飛ばされるなど初めてなのです。手掛かりといえば、私がこの世界に来た時にユウキが見たという桃色の光と、お嬢さんが『神社』で見た桃色の光が同じものである可能性があるというくらい……」
そう、あれは昨日の事。由美子の部屋だった場所で昼寝していたボクの目に、急に桃色の光が飛び込んできたんだ。光は由美子の写真や宝物を飾ってある真新しい勉強机の上から放たれていて、由美子が一番大事にしていた着せ替え人形が光っているのが分かった。ボクは突然の事に吠えるのも忘れて見ていたんだけど、本当にビックリしたのは光が消えた後だった。着せ替え人形が(つまりケイティが)動き出して「ここはどこですか?」って訊いてきたんだ。
「すみません。こんな事に巻き込んで……」
ボクが昨日の事を思い出しているのを勘違いしたのかケイティが申し訳なさそうに言ってきた。
「あ、気にしないで。よし、神社だね」
ボクはケイティを乗せて田んぼのあぜ道を西へ進んだ。今は夏。セミがミンミンだかワシャワシャだかジリジリだか、まあそんな感じに鳴いていて煩いったらない。途中、知らないご夫婦が猫車を押しながら来たのにすれ違った。特にボクらの事を気に留めはしなかったみたい。顔見知りだったらお父さんに『ボクが脱走した』と告げ口されるとこだった。
「何度見ても大きいですね……」
ケイティは人間にまだ慣れてない。確かに自分の何十倍もある生物を見たら普通は怖いだろう。
「大丈夫、怖くないよ。お風呂の時以外は」
ボクが安心させる為に言うと、ケイティは「ニンゲンより恐ろしいなんて……。そのオフロには出会わずに済めばいいのですが……」と言って少し身を震わせた。
3
神社の階段をハッハッハッと登ってナントカっていうデッカイ鈴の付いた建物の場所に出た。社殿とかいうらしいけど、しがないパピヨンのボクは詳しくは知らない。
「なぁにアンタ。一人で来たの?」
どこからかお嬢の声がする。どこだろうとキョロキョロしていると「コッチよ」と木でできた箱の上から聞こえてきた。
「一人じゃないよ。ケイティもいる」
ボクが答えると箱の上から黒猫のお嬢が顔を覗かせた。
「あらま。で、散歩以外で家を出た事のない臆病者のアンタが何しに来たのよ」
「私が頼んだのです」
ケイティが首の後ろで答える。
「お嬢さん、貴女が見たという光はどの辺りで光っていたのですか?」
「その一番大きい木のところよ」
それは建物向かって右側にある大木で、マーキングのしがいがある感じだった。
「昨日の夜、ここでリスを食べてたら急に光り出したのよ。桃色の光は少しの間フワフワ漂っていたけど、そのうちにあっちの方へ飛んで行ったわ」
ボクとケイティは『あっち』を覗き込んだ。まず見えたのはボクの家。線路沿いにあって田んぼに囲まれている。
「あっちだってば」
キョロキョロしてると、お嬢が尻尾で指してくれた。線路とは反対側に進んだ先の川向こう、亀井さんの家だ。
「ずいぶんと距離がありますね……」
ケイティの首輪を持つ手から不安が伝わってくる。
「大丈夫、あのくらい。ボクだって犬のはしくれだから」
「ユウキは頼りになりますね」
ボクは得意になった。そうだ、ボクは血統書付きなんだぞ。
「暑いんだから水を飲んどきなさいよ」
階段を下りようとしたボクにお嬢がお節介してきた。いつの間にかチョロチョロと水の音がする石の上にいる。
「ボクには届かないよ、そんなの」
「じゃ、家に寄るべきね」
本当にお節介だ。
4
ボク達は一度家に帰った。ケイティを日陰に待たせて庭の池で水を飲む。ケイティの住む世界では生き物は体を持っていなくて、飲んだり食べたりしないらしい。そうでなくとも今の体は由美子の大好きだった『騎士団♡プリティラ』のプリティパラディン人形だから食事したとして消化されるのか疑問だった。
「ね、アンタ」
水を飲んでいるボクに、お嬢が耳打ちする。
「なに?」
「あのバケモノと何をするつもりなのよ。家来にでもなったの?」
バケモノは酷い。ちょっとカチンときた。
「困ってるから助けてあげようと思っただけだよ。お父さんとお母さんを殺されて、かわいそうなんだから」
「お姫様ならお家騒動に巻き込まれるのは当たり前でしょ。朝の海外ドラマでは常識よ。それより人形に別世界人の魂がのりうつってるなんてクレイジーでしょ?」
「だからって一人で放っておけないよ」
お嬢はボクの顔をジロジロ見る。
「それだけ?」
なんなのさ。
「それだけだよ。それにご両親を殺した伯父さんは軍隊の総大将をしてたんだ。ケイティ一人で勝てるわけない、助けないと。それが何か変なの?」
「べっつに。ただアンタそんなに勇敢だったかしらねって」
そう言って池の鯉にちょっかいを出し始めたお嬢をボクは睨んだ。いや、睨もうとしたんだけど目の端に線路をコッチにやってくる列車が見えた。
「ケイティ、もういいよ。行こう」
「はい」
ボクは首を下げてケイティを乗せると亀井さんの家を目指して走り出した。
5
亀井さんの家に行く為には川に掛かる橋を渡らなくちゃならない。ボクがカリカリと音を立てながら熱いアスファルトをガマンして歩いていると橋の向こうから、鶴岡さん家のブルドッグ『ジャンヌダルク』が来るのが見える。しかもリードを持っているのは五歳のかいざあ君だ。
「ユウキ? どうしました?」
ボクの歩く速度が遅くなったのをケイティは見抜いてしまった。
「よお、今日の散歩は一人なんだな。もしかして脱走かよ」
ジャンヌダルクがボクに話しかけてくる。用なんかないんだから放っておいてくれればいいのに。
「違うよ。ちょっと急ぐから……」
「まあ待てよ」
ジャンヌダルクはボクの行く手を塞いだ。かいざあ君がリードを引っ張ってるけどお構いなし。ビクともしない。
「あの線路近くの道にある電柱よぉ、あれに最近オレ以外の誰かマーキングしたみたいなんだが、お前知らねえか?」
知らねえかって、あそこはお前の散歩コースじゃないじゃないか。ボクの家の前なんだからボクに決まってるだろうに何でわざわざ訊いてくるんだよ。
「知ってんなら教えろよ」
ジャンヌダルクがヨダレを垂らしながら言う。そうか、かいざあ君ならコースなんて無視してもつれ戻されないもんな。どうしよう……、散歩の時はお父さんかお母さんが抱っこしてくれるから安全だったけど。
「なに黙ってんだよ」
仕方ない、カッコ悪いけど謝って先へ進もう。そうボクが思いかけた時だった。
「ユウキ……」
ケイティの不安そうな声が聞こえてくる。グッと首輪を掴んでるのが分かる。ようし!
「それはボクです。あれはボクの家の前にあるのでボクの縄張りです」
震えるなよ前足。
「どこにあるかなんてのは犬の社会には関係ねえな。強い者が縄張りもメスも手に入れるのよ」
ジャンヌダルクが睨んでくる。負けたくなかった。目に最大限の力を込めて睨み返す。でも心から恐怖を追い出した分、それは体へ移ってしまったらしい。知らず知らずのうちにボクの尻尾は下がって隠れるように股の間に入っていた。足は前も後ろもプルプルと震える。それを見てジャンヌダルクは不遜に笑った。
「強がっても所詮は小型犬よ。ま、許してやらねえ事もねえぜ。そのオモチャを置いていけばな」
オモチャ? ケイティ?
「……ません」
「ああん?」
「そんな事できないって言ってるんだ! このブスドッグ!!」
「テメエ!」
ジャンヌダルクが大きく口を開けてボクに噛みつこうとしたその時だ。
「にゃにゃにゃにゃー」
欄干の上をとんでもない勢いで走ってきたお嬢がジャンヌダルクに飛びかかった。空中から攻撃を受けてジャンヌダルクが一瞬怯む。
「今よ、逃げなさい!」
ボクとお嬢は一目散に走った。ジャンヌダルクが「待てこのヤロウ」とか言ってるのが聞こえたけど、流石にかいざあ君を引き摺って怪我でもさせたら飼い主に叱られるのだろう。追いかけてはこなかった。
6
亀井さんの家に着いたボク達は中を調べる為に入れそうな場所を探した。亀井さん家も猫を飼ってれば良かったんだけど昔に犬を飼ってただけ。その犬は娘さんが結婚して引っ越す時につれて行ったから今は動物を飼ってない。ま、その犬がジャンヌダルクなんだけど。
入り口が見つからずボクが困っているとお嬢が玄関を開けてくれた。扉に付いたバーにジャンプして飛びつくと簡単に開いた。お嬢は得意気に尻尾を立てて家の中へ入っていった。
家の中に入ったボク達は手分けしてケイティの伯父さんの捜索を開始。台所、居間、寝室は異常無し。もしかするとケイティと同じように何かにのりうつってる場合もあるので、ただの物に見えても油断できなかった。
「ユウキ、そちらは何かありましたか?」
後ろから話しかけられた。臭いを嗅いでいたボクが振り向くとそれはケイティだった。
「なにも。ケイティの方は?」
「いいえ……」
ケイティはそう言うと、しゃがみ込んで膝を抱えてしまった。心なしか目が潤んで見える。ケイティの体は着せ替え人形のプリティパラディンだったけどまばたきもできるし、しゃべることもできる。涙も流せるのかも知れなかった。
「気を落とさないで、みんなで探せば何か見つかるよ」
「はい。ユウキには助けられてばかりで本当に感謝しています。ありがとう」
「そんな事ないよ……。ここを教えてくれたのはお嬢だし、玄関を開けてくれたのもお嬢だし、ジャンヌダルクから助けてくれたのもお嬢だし……」
自分で言ってて情けなくなってきた。また尻尾が垂れ下がってきそうになった瞬間、ケイティが言ったんだ。
「私はユウキに助けられています。自信を持ってください」
ケイティは服の内側にしまっていた鎖だけのペンダントを引き出した。
「父と母を殺され、私も伯父上の手に掛かろうという時、ペンダントの魔石が桃色の光を放ち出して、気づけばこの世界にいました。たった一人で異世界に来た私の話を、ユウキは疑う事なく信じてくれた。初めて会ったのが貴方でなかったらと思うと震えが止まりません。貴方は私にとって勇者そのものです」
「勇者……。ボクに勇気なんてあるのかな?」
「ありますよ」
ケイティはボクの鼻先を撫でた。
ボクとケイティは一緒に扉の開いていた次の部屋へ移動した。そこには子供用のオモチャが散乱していた。おそらく娘さんの子供、孫のかいざあ君の為の物だろう。
「何も無さそうですね」
ケイティはそう言ったけど、ボクは違和感を感じてた。臭うんだ。
「ちょっと待って。あの辺から知ってる臭いがする」
ボクはゴツゴツしてツノのある人形に近づいた。由美子がプリティラを待ってる間、つまらなそうに見ていたテレビに少しの時間だけ映ってた気がする。確か車みたいのが何台も合体するやつ。何とか大将軍とか言ったかな?
「大丈夫ですか、ユウキ」
「大丈夫。でもこれって……」
ケイティの匂いじゃないのかな?
ボクがそれに気づいた瞬間だ。
横にあった大きなクマのぬいぐるみがボクに覆いかぶさってきた。しかもかぶさっただけじゃない。前足を使って自由を奪ってくる。
「ふふふ……、ハハハハッ!」
突然、何とか大将軍が浮かび上がった。ボクは自分の目がおかしくなったかと思ったけど本当の事らしい。大将軍はケイティの方を向いている。
「その鎖はペンダントの……。見つけたぞ、ケイティ」
「伯父上!?」
ケイティは驚いてまばたきも忘れている。
「飛んで火にいる夏の虫とはこの事だね、父上」
クマがボクの耳元でやかましく言う。
「その声は……イーズィなのですか?」
「その通り」
またしゃべる。ボクを放せ、この!
「ケイティ、よくも我々をこんなおかしな世界に飛ばしてくれたな。だがお前自身が現れたのは敵に塩を贈るようなもの。我らとしてはありがたく受け取るがな」
「私がこの世界へ飛ばした? 違います、あれは魔石の暴走で、私の意思では……」
「では魔石には世界を移動する力があるということだな。魔石はここにある」
大将軍の胸が開く。バネが仕込んである穴の一つに紫色の小さな石が入ってる。
「これをお前が使えば元の世界に帰れるという事だろう?」
大将軍は魔石を手に取りケイティに近づく。
「言う事を聞けばお前は助けてやろう。それどころか王太子妃として次の王妃にしてやってもよいぞ。さあ、ワシらを元の世……」
「お断りします! 私と共にこの世界で果てていただきます!」
パンッ!
あ、アイツ! ケイティを引っ叩いた!
「姪っ子だからと優しくすればつけ上がって! まあ、時間はたっぷりある。しばらく経てば考えも変わるだろう」
「何をするの? 放して!」
大将軍はケイティを捕らえると手刀を食らわせた。
「ウッ……」
ケイティは気を失ったのか動かなくなる。ケイティ……ケイティ!
「イーズィ、基地へ帰るぞ」
「はい、父上。この気色悪いのはどうします?」
「放っておけ」
言うと大将軍は空へ浮かび上がった。ご丁寧に部屋のドアを閉めるとケイティを抱え、クマに足を掴ませると窓から外へ消えて行った。
くそっ、くそっ! 早くケイティを追いかけなきゃ!
ボクはドアノブに飛びついた。でもボクは猫じゃない。ジャンプ力が決定的に足らなかった。でもあきらめる訳にいかない。ボクは何度も何度も飛んだ。
も一回!
も一回!!
も一回!!!
ドテッ!
着地に失敗した。痛いような気もする。いや、気がするだけだ。もう一回飛ぶぞ!
キィ……。
その時、ドアが開いた。廊下にはお嬢がいる。
「アンタ、何やってるの?」
また助けられたけど恥ずかしがってる時間はない。説明は後回しにしてボクはお嬢をつれて走り出した。
7
ボクは走った。室内犬のボクは実を言うとそんなに長い距離を走った事はない。強がって犬のはしくれなんて言ってはみたけど全然得意じゃない。それでも泣き言は言ってられない。ケイティを一刻も早く助けなくっちゃ。
「基地の目星はついてるの?」
お嬢が体をしならせて走りながら言った。
「多分、かいざあ君の部屋だよ。昨日の今日で基地が作れるはずないし、元々あったものの事だと思う。ならかいざあ君のオモチャ箱か何かだよ」
「そうかしら。とりあえず可能性から潰しましょ。鶴岡家ね」
ボクはこの時、頭に血が上って忘れてたんだ。鶴岡さん家の場所を。
プワーン。
汽笛の音が聞こえた。線路を列車が走ってくる。列車は田んぼの中を進み、ボクの家の横を通って向こうの山の方へ消えた。
「大丈夫なの?」
お嬢が訊いてきた。いつもの茶化すような調子はない。
「大丈夫」
ボクの耳は自分がそう言ってるのを他人事みたいに聞いた。
やがてボクとお嬢は踏み切りの前まで来た。脇に真新しいお地蔵さんがあって、苺大福が供えてある。毎日、新しいのが一つずつ。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
このパンティングは暑さのせいだ。ボクは自分に言い聞かせた。
「行けるの?」
心配そうにお嬢が聞く。いつも馬鹿にしてくるやつが心配してくる。嬉しいってやつもいるかもしれないが、ボクは嫌だった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
一歩、一歩、踏み切りへ進む。ジリジリと照りつける太陽。トンビが旋回する青空。焼けるアスファルト。腐っていく苺大福。ボクを見つけて走る由美子。止まれない列車。鼓膜を突き破りそうな汽笛。泣き叫ぶお父さん。気を失うお母さん。ボクの目の前には何だかよく分からない赤いもの。赤い、赤い、赤い……。
ボクは吐いた。草も食べてないのに。
「私が行ってくるわ」
お嬢がぴょいとボクの前に出る。
「待って」
ボクの頭はもう何も考えてなかった。口と心だけで話してた。
「行く」
お嬢は黙ってボクを見ていた。
一歩、一歩、また一歩。ボクは前足と後ろ足で進む。ボクは負けられないんだ。ケイティと、そして由美子の大好きなプリティパラディンを助けられるのはボクだけなんだ。
一歩、一歩、一歩。
またボクは吐いた。線路が汚れた。
一歩、一歩、一歩。
由美子、お母さんは出て行っちゃったけど絶対帰ってくるから。お父さんとお母さんはボクが守るから。
一歩、一歩、一歩。
「もう大丈夫よ」
お嬢の声に我に帰るとボクは線路を越えていた。ボクの家が線路の向こうに見える。
「急ぎましょ」
お嬢が走り出した。ボクも後を追う。
そうそう、走る前にお地蔵さんの大福にハエがたかってるのが見えた。お前、帰りにボクがやっつけてやるからな、覚えてろよ。
8
鶴岡さん家の玄関は開けてあった。お嬢は元野良で市内の団体からもらってきた猫なので「無用心ね」と言った。でもボクの住んでいるのは田舎だからそんなに珍しくないんだ。
家へ上がり込んだボクらは手分けして子供部屋を探した。これも田舎に多いらしいけど家がとんでもなく広い。小型犬のボクには見て回るのも一苦労だった。ひと部屋ひと部屋確認して、そして、ついにボクは見つけた。
「お前、どうやってあの部屋から」
クマがこちらを見つける。
「ケイティを返せ!」
ボクは精いっぱい唸った。
クマは床に立って仁王立ちしてる。大将軍は似たような尖った体の人形達が入ったガラスケースの上にいる。そのケースの中を良く見ると……。
「ケイティ!」
「ユウキ!」
良かった。怪我はしてないみたいだ。ガラスケースはとても大きくて(人間の大人に近いくらいある)、ケイティのいる高さまで行くにはどうすればとケースの足もとを見た。
ボクは一瞬、凍りつきそうだった。かいざあ君がうつ伏せに横たわっていたのだ。
まさかコイツら、かいざあ君を?
でもそれは杞憂だった。かいざあ君は動く絵が映る板を見ていて、そのまま寝てしまっただけみたいだ。ホッとはしたもののボクの目的はケイティの救出だ。ボクは大将軍とクマに向き直った。
「お前達、許さないぞ」
大将軍はほくそ笑んだ。
「ふふふ……。生意気な口を聞く異形の生物め」
大将軍は空中へふわりと浮き上がると両手を前へ突き出した。
「ロケットパンチ!」
大将軍が叫んだと同時に、拳が体から離れて飛んでくる。信じられない攻撃方法にボクはまともに食らってしまった。
「ううっ」
痛くはあったものの致命傷じゃない。まだまだいける。手が飛んでくるなんてボクの理解を超える事だったけど、もう二度と同じ手は使えないし手を失ったヤツは戦闘能力が低下するはずだ。攻撃する度に体の部位を失っていくのなら勝てるかもしれない。そう思った時、ボクに命中したヤツの拳はクルッと旋回してまた腕に戻ったんだ。
「そんな……」
「ハッハッハッ! どうだ、驚いたか!」
大将軍は得意気に高笑いした。
「ワシもこの体に入り込んでしまった時は頭を抱えたものだがな。どのような技を使えるのかさえ分かってしまえば拳を飛ばしたり、空を飛ぶ事も自由自在」
「さすが父上。手本を一度見ただけでマスターするなんて凄いや」
「なぁに、それほどでも……あるな」
二人はそろって下品な笑いをあげた。
「やめて! ユウキに何をするのです!」
ケイティが叫ぶ。大将軍はケイティの様子を見るとニヤリと口の端を持ち上げた。
「そんなにこの異世界の者が大事か。ならば早いところワシらを元の世界に戻したら良い。戻さぬと……」
大将軍が顎をしゃくる。
「はい、父上」
クマがボクに襲いかかる。危うくさっきのように押さえ込まれるところを間一髪で躱した。距離をとって攻撃に備える。
「ケイティ! ボクは大丈夫だから、言う事を聞いちゃダメだ!」
「ユウキ!」
クマがボクを襲ってくる。悔しいけど今は反撃手段を思いつかない。逃げながら弱点を探すしかない。ボクは部屋を出た。
「待て!」
クマは足音も立てず追いかけてくる。さすがぬいぐるみだ。
ぬいぐるみ? そうか!
ボクは走った。クマが見失わないように、ワザと距離を保った。そして小部屋にヤツを誘い込んだ。ボクは高い所へ飛び乗る。
「ヘッヘッヘッ……。袋小路に追い込んだぜ」
クマが迫ってくる。勝利を確信したんだろう。ゆっくりと、ゆっくりと。
「今だっ、食らえっ!」
クマは飛び上がるとボクに全力で殴りかかってきた。何が「今だっ」だ。それはボクのセリフだ。ボクは横っ飛びでヤツの攻撃を躱した。
「なッ!?」
ボクのいた場所を殴りつけたクマは驚きの表情をした。ヤツを誘い込んだこの場所は『お風呂』、ヤツが殴ったのは『お風呂のフタ』。ヤツはフタと一緒にドボンとお風呂に落ちた。
ザバァ!
「くそう! 許さないぞぉっ」
浴槽から這い出てきたクマのぬいぐるみは怒りに満ちた怒声を上げた瞬間、べちょりと音を立ててタイルの上へ墜落した。
「な、なんだコレは! か、体が水を吸って自由が利かない!!」
へんっ。見たかボクの頭の良さ!
「そこでジッとしてれば命までは取らない」
ボクはそう言って子供部屋へ取って返した。
9
「ケイティ!」
ボクはありったけの力で叫んだ。
「ユウキ! 無事なのね、良かった……」
「な、なんだと? イーズィはどうしたというのだ!」
大将軍が狼狽する。
「ボクが倒した。お前も降参しろ、殺しはしない」
この時、ボクは甘かった。情けをかけている余裕はなかったんだ。
「バカ、逃げなさい!」
声の方を見るとお嬢が床に倒れてた。それに気づくと同時にボクは何者かの攻撃を受けた。
「うっ!」
ボクの体が跳ね飛ばされる。ボクに攻撃してきた相手、それは大将軍に似た姿をした人形だった。しかも六人もいる。
「ワシの体が一つだと思ったら大間違いだ。この体は十二体合体。今のワシは六体しか合体していない状態なのだ。ソレ!」
大将軍は分離して六人の小将軍になった。合わせて十二人の将軍達はボクとお嬢を休みなく攻撃する。
「うああっ!」
「きゃああっ!」
ボクもお嬢もすでに打つ手なしだった。
「やめて、やめてぇ!」
ケイティが叫ぶ。ごめん、ケイティ。
「ケイ……ティ、叔父さんの言う事を……聞いてっ。君だけでも……」
「はーはっはっはっ!」
十二小将軍は声を合わせて笑う。
「これでワシの勝ちだ。何もかも全てワシの物だ。ワシの……」
カッ!
突然の事だった。ボクの目の前を眩しい光の帯が走ったんだ。その七色の光は将軍達を直撃し、落書きを消すみたいにどこかへ消し去って行く。お嬢も何がなんだか分からないみたいだ。
光が少しずつ消えていくと将軍はいなくなっていて、光の帯が伸びてきた方を目で辿るとケイティの姿が見えた。
「プリティプリズムレインボービーム……。本当にできた……」
茫然自失で呟くケイティ。その真下で気持ち良く眠るかいざあ君が抱える魔法の板には、勝利のポーズを決めるプリティパラディンが映っていた。
10
その日の夜、神社でボクとケイティはサヨナラをした。
「私、貴方の事を一生わすれません」
そう言うケイティの目には涙が光っていた。
「ボクも、一生わすれない」
犬は鳴く事はできても泣く事はできないんだ。こんなに悔しかった事はない。
縛り上げたクマと一緒にボクらと離れて立つとケイティは石の付いたペンダントを両手で握り締め、祈りの言葉を呟いた。するとケイティは光に包まれ、次第に眩しさを増していく。
「さよなら、元気で」
ボクの言葉にケイティが笑った時、光は唐突に消えた。そして後には動かないクマとしゃべらないプリティパラディンが残されていた。
ボクは泣いた。多分だけど涙も出た。そう思いたい。
「カッコ良かったよ、アンタ」
そう言うとお嬢は先に家に帰った。いつも馬鹿にしてくるやつに褒められると嬉しくなるなんてのはプライドがないやつだと思ってた。ボクはプライドがない犬で構わないと思った。