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⑤最後に推理

 7月22日土曜日午前10時。市川家の居間には四人の人物が集まっていた。

 探偵、イナムラ公夫。

 助手、柿本雪。

 被害者の母、市川奈生。

 被害者の祖母、市川紀子。

「今日はゲストを呼んでいますから、もう少し待ってください」

 探偵の言葉に従い、四人は奈生の用意したコーヒーを飲んで待機していた。

 イナムラの隣に座る柿本が、彼の耳に口を近付けた。

「イナムラさん。本当に警察呼ばなくてよかったんですか?これから推理を披露するのでしょう?」

 耳元でささやく柿本に応え、イナムラもまた彼女の耳に口を寄せ他の二人に聞こえないように話した。

「いいんだよ柿本君。警察は無意味だ」

「無意味って、犯人が暴れたらどうするんですか」

「大丈夫。その心配はない…というか、今回の事件は警察など無意味だ。あらゆる意味において」

「それはどういう」

 柿本の言葉が終わらないうちに、玄関のインターホンが鳴った。奈生とイナムラが玄関へ行き、訪れたゲストを居間へ招き入れた。

 入ってきたのは、目撃者の中学生の一人、渋波充(しぶなみみちる)。イナムラが昨日、無理を言ってここに来るよう約束させたのだ。

 彼は紀子の横に座った。奈生、紀子、渋波の三人と、イナムラ、柿本の二人。テーブルをはさみ三対二で向かい合う形となっている。

「さあ、これで全員が揃いましたね。さっそく、推理を開陳しようと思います」

 イナムラの言葉に、驚いたのは奈生である。

「たったこれだけですか?他の容疑者の方は?それに、警察は呼ばないのですか?」

「つい先ほど柿本君にも言われたのですが。大丈夫、問題ありません。他の容疑者はこの場に必要ありませんし、また警察も、今回の事件に限っては、まったく無力なのです。呼んだらかえって怒られてしまうでしょう」

 奈生と紀子は揃って首を傾げたが、イナムラはその様子にうんうんと首を上下させ、そして推理を披露し始めた。

「さて―」




「この事件の一番の特徴は、容疑者が多すぎることでした。

 死亡推定時刻が16時10分から18時10分の二時間。渋波さんら中学生六人の目撃情報を信じれば、16時30分から18時10分の間に、被害者は殺されたことになります。これは確定していいでしょう。

 しかし問題は外部犯の可能性を一切排除できないことでした。そうですね、奈生さん」

「はい。一はあまりしっかりした性格ではありませんでしたから、帰っても鍵をかける習慣がなかったのです」

「加えて、現場周辺を唯一見張っていた中学生達も、16時30分には解散しており、それから誰が市川家へ侵入したのか、また出て行ったのか、一切の目撃情報がありません。鍵のかかっていない市川家へ侵入することは常に、誰にでも、可能でした」

 柿本は改めてこの事件の難解さに頭を悩ませた。いくらでも侵入が可能ということは、極論、中学生が証言した16時30分から奈生が帰宅した18時10分まで、アリバイがない人物全員が容疑者と云えてしまう。

「どう網を絞ればいいのか。私はそこを考えました。すると、犯人を特定するための条件をいくつか思い付きました。

 まず犯人の条件一。犯人はパソコンからメールを送れた人物」

 犯人は被害者のパソコンを使い666666とメールを送った。だから犯人はパソコンからメールを送れた人物…しかし柿本はこの意見に疑問を持った。

「しかしイナムラさん。犯人ではなく、被害者自身がメールを送った可能性もあるのでは?メールを送った時間は16時28分。死亡推定時間内ですし」

「そうだね柿本君。その可能性も考えられるが…一旦、このメールは犯人が送ったもの、と仮定してみよう。被害者自身が送った可能性は後で検討するから」

「分かりました」

 柿本はしぶしぶ首肯した。

「さて、犯人の条件一。犯人はパソコンからメールを送れた人物。すなわちパソコンの操作方法を知らない人物は除かれます。よって、市川紀子さんは除外」

「でもイナムラさん。紀子さんがパソコンを使えなかったというのは、ただの自己申告ですから…ごめんなさい紀子さん…完全に犯人候補から除外していいのか、疑問に思います」

「か、柿本さん、それはひどいわ。うちのおばあちゃんがパソコンを使えなかったのは、私だって知っています。10年前の事故があってから、携帯電話にも触ってないんですよ!」

「ふむ。柿本くん、奈生さん、落ち着いて。確かに厳密に言えば紀子さんを除外するのはやや早計だったかもしれない。ここは保留としておこう。

 しかしこれは覚えておいて欲しい。犯人は、パソコンを操作できた人物。それが一つ目の条件だ」

 些か拍子抜けした柿本は、コーヒーを一口飲み、少し喉を潤した。

 パソコンを操作できた人物が犯人。しかしそんな人物はこのご時世いくらでもいる。被害者のパソコンにパスワードが設定されていなかったのは、昨日の捜査で判明しているし。こんなことで犯人を一人に特定できるのだろうか、と柿本はなお不安に思った。

「では二つ目の条件。犯人はアリバイのない人物である」

「…それはつまり…」

 紀子さんは自らのメモ帳を取り出し、それを注意深く確かめながら発言した。

「犯人は、中学生の子達がいなくなった16時30分から18時10分の間にこの市川家に侵入したのだから、その時間にアリバイのなかった人物、ということになりますね?

 あの、その、第一発見者の奈生さんがどうなるか、ちょっと分からないのですが」

「そうですね。アリバイの一部はその通りです。念のため奈生さんの可能性も残していいのですが。

 しかし、犯人は16時30分から18時10分の間に侵入した、というのは間違っていますね」

「えっどこかおかしいですか?」

「いいですか。犯人が侵入した時刻は、16時30分から18時10分の間。この可能性の他に、もう一つのパターンもあるのですよ。

 つまり、一さんが登校した後8時2分から、中学生が市川家付近でゲームをプレイし始めた15時53分の間に侵入した可能性です」

「イナムラさん、そんな馬鹿なことはありませんよ。だって家を出る前に鍵をかけるのが当たり前」

「柿本くん、君は自分で言ったことを忘れたのかい?一さんは忘れっぽい性格。そして事件当日は普段家にいる紀子さんが朝から出かけるイレギュラーな状況だった。彼が鍵をかけ忘れていないと、どうして断言できるんだ?」

 被害者が忘れやすい性格であることは被害者家族も認める彼の性質だ。

「でも…一さんが最後に家を出たんですか?奈生さんが最後に家を出たのでは?」

「それは否定できる。帰宅時間から通勤、通学時間を考えればわかるさ。

 奈生さんは17時25分退社、自宅へ着いたのが18時10分。つまり、自宅→市役所まで45分かかる。

 一さんは15時50分に学校を出て16時18分に帰宅。つまり、自宅→学校まで28分かかる。

 そして一般的に、市役所、学校、共に始業時間は8時30分(といっても、実際に市役所職員が出勤するのはもっと早く、また高校はもっと遅く朝のホームルームが始まる学校もあるだろう。しかしこの場合はむしろ好都合だ)。ならば奈生さんが家を出たのは、どれだけ遅くても7時45分。一さんが家を出たのが8時2分。そして紀子さんは7時からゲートボール。

 つまり当日一番遅く家を出たのは一さん。これは決定的だよ。

 友達がおらず、また事件当日学校から直帰したことを考えれば、一さんが部に所属していないのは明らかだ。だから朝練などで登校時間を早める必要はない。一方、仕事だから遅刻するわけにはいかない奈生さんが、7時45分より早く自宅を出る可能性はあっても、まさか遅く自宅を出る可能性はない。

 何しろ彼女はダイエット中かつ、汗の匂いや身だしなみに気を使う必要のない帰宅時ですら45分かかるのだから、朝の歩行速度がそれより格段に速くなることはありえない」

 帰宅時間から通勤時間の割り出し。柿本は真偽を確かめるように、奈生、紀子の方を向いたが、彼女らは揃って頷いた。

「ええ、そうです、そうです。重要だと思わなかったのでイナムラさんたちには言いませんでしたが、当日、一番最後に家を出たのはあの子でした…ああ、確かにあの子なら、鍵をかけ忘れた可能性は大いにあるでしょう」

 依頼人が認めたため、イナムラの言葉は正しいことが確定した。

 しかし柿本はなお疑問に思った。侵入時間のパターンを減らすならともかく、増やしてどうするのだろう。ただでさえ可能性が広すぎて困っているのに、また違う条件を増やされては…。

 彼女の不安とは反対に、イナムラはあくまで余裕を崩さない。

「さあ、これで侵入時間のパターンがもう一つ増えました。これでやっと、あの意味不明な見立てに意味を付けられるのです」

「……見立て、というのは?」

 奈生は困惑した様子で探偵に尋ねた。

「奈生さん、紀子さん。あなた方は気付かなかったかもしれませんが、実はこの殺人事件は、見立て殺人だったのですよ」

「見立て殺人というと…童謡の通りに人が殺される、というあれですか?」

「これは話が早い。そうです。童謡、俳句、フィクション、それらの状況をまねしたように殺されるそれが見立て殺人です」

「それは分かりますが。しかし、今回の事件の見立てとは…」

「これですよ」

 イナムラはバッグから原稿用紙を出した。『その犯人は悪魔』。彼が昨日音読した小説だ。

「自分のパソコンから自分のスマートフォンに『666666』というメールが送信されている。そしてパソコンがベッドに置いてある。この状況は、被害者の書いた小説『その犯人は悪魔』と非常に似ているのです」

 イナムラは、昨日柿本にやったのと同様に、該当箇所を音読した。音読がすすむにつれ、やはり昨日の柿本と同様、奈生と紀子の顔が蒼白になっていく。

「おそろしい、おそろしい…まさかあの子は…自らの死を予言したとでもいうのですか?」

「違いますよ奈生さん。そんなことは不可能です。これは偶然の一致というにはあまりに似すぎています。

 犯人がこの小説に見立てて、被害者を殺害したのですよ」

「えっそれはでも……いやそもそも、犯人はなぜそんな無意味なことを」

 見立てるだけなら時間の無駄である。

 だから犯人には、見立てを実行する確かな理由があったはずだ。

「無意味なんかじゃありません。犯人にとってこの見立ては、確かに最善ではなかったかもしれませんが、非常に意味あることに思えたのですよ。

 ところで渋波君」

 それまで黙り続けていた中学生が、イナムラの言葉に反応し、びくっと体を震わせた。

「な、なんですか?」

「君は事件当日、友人たちと市川家付近で携帯ゲームで遊んでいたそうじゃないか。

 しかし道路脇でゲームなんて、面倒だよね。素直に誰かの家で遊べば、座って、寝転んで、お菓子でも食べて寛げるのに。下校途中とはいえ、なぜ君たちはそんなところで遊んでいたんだい?」

 渋波は小さく舌打ちして探偵を睨むと、苦々しく口を開いた。

「wifiだよ」

「もう少し詳しく」

「だから!僕たちはwifi…つまり無線LANを使ってゲーム機をインターネットに繋いで遊んでたんだよ」

「家でやればいいだろう?」

「僕もそうしたかったけど、友達に無線LAN持ってるやついなかったし、わざわざ漫画喫茶とかファミレスに入るのも金がいるし。

 友達の一人が、ここの、えっと、市川さんの家で無線LANを飛ばしてるのに気付いて、それで、下校途中寄れるから、丁度いいって」

「無線LANのただ乗りってやつだね。だから市川家の付近でゲームをやる必要があったと」

「……すいません、謝りますよ」

「パスワードはどうやって突破したの」

「パスワードなんて設定してなかったよ」

「そうだね。一さんはずぼらな性格だった。自分のパソコンにもパスワードを設定してなかったしね。

 そして、彼が無線LANを所持していたことは既に明らかになっている。つまり」

 そこで柿本ははじめて、犯人の意図に気付いた。

「ああっ!そういうことか!

 犯人はメールを送りたかったわけでも、パソコンをベッドに寝かせたかったわけでもない。勿論、見立てたかったわけでもない。無線LANを外したかったんだ!」

 自分のパソコンから自分のスマートフォンへメールを送る。これは無意味だ。

 パソコン本体とディスプレイをベッドに置いておく。…やはり一見無意味に思える。

 しかし、パソコンと周辺デバイスを切り離した、と考えればどうか。それが、無意味に思える見立ての中で、唯一の有意味足り得る行動ではないだろうか。

 興奮する柿本を宥めるように、イナムラは優しく彼女に問いを浴びせた。

「さて柿本君。なぜ犯人は無線LANを外したかったんだ?」

「それは、中学生達が、市川家付近で屯していたから……ゲーム機を持ち寄った中学生達が道路脇で遊んでいる。犯人には察しがついたんですよ。あいつら無線LANをただ乗りして遊んでるって」

「しかし市川家の無線LANかどうかは分からないだろう?」

「パソコンを調べれば簡単に分かりますし、それに、無線LANはできるだけ近付いた方が良い。彼らはおそらく市川家にかなり近い場所で遊んでいたのでしょう」

「では犯人はどうやって、中学生達が市川家付近で屯していると知ることができた?」

「えっと…そうか。被害者の部屋の窓からは、自宅前の道路を見下ろせる!」

「どうして中学生が邪魔だったんだろう?」

「それは侵入するのに邪魔だったから…ああ違う違う。市川家に侵入する前に市川家の無線LANを止めるなんて馬鹿げている。

 当然、自分が市川家から出て行くために、邪魔だったのだと思われます」

「しかし無線LANを外したかったなら普通にやればいい。なぜ見立てをする必要がある?」

「勿論、見立てをダミーにしたかったからです。「無線LANをはずしたかったのではなく、見立てをするために仕方なく無線LANをはずした」と誤認してほしかった」

「見立ては本来の目的の隠れ蓑だったわけだ。

 しかし犯人も面倒な小細工を施したものだな。犯人にそれほど大きなメリットがあったのだろうか?」

「確かに、費用対効果が疑問ではありますが…いや、犯人には確実なメリットがあります。

 犯人は、中学生を家の前から排除するために無線LANを切った。つまり犯人は、中学生達が市川家付近に集まる前に、市川家に侵入した。

 もし見立てを実行せず、無線LANだけ切ったら、無線LANを切った理由を考え、犯人がいつ侵入したか推察できてしまう(無線LANを切り、また付け直せば見立てを行う必要はないように思える。しかし、無線LANには、いつ切れたか、いつ再接続されたかが記録される。犯人には無線LANを切る何らかの口実がどうしても必要で、それが見立てだった)。

 そもそも一さんが家の鍵をかけ忘れたまま学校へ行ったかどうかは、誰にも分かりません。しかし、無線LANを切った理由を考えれば、中学生達が集まる前=一さんが帰宅する前に、犯人は市川家へ侵入したと容易に想像できる。これは犯人にとって大きなマイナス…少なくとも犯人はそう考えた、とみて不思議ではありません」

「まとめると何が分かる?」

「犯人は一さんが登校した後、中学生達が市川家に集まる前に、市川家へ侵入した。

 その後、帰宅した一さんを殺害。

 市川家を出ようとすると、家の前に中学生達が集まっているのを発見した。

 犯人は、中学生達を退散させるため、見立てをしつつ無線LANを切った。

 ただし見立てはミスリード。無線LANを切るのが目的。

 犯人は、中学生達が市川家付近からいなくなったことを確認し、脱出した」

 柿本の推理に、イナムラは頬を緩めて微笑んだ。

「ところで渋波君。君達は、せっかくゲームをやるために市川家付近の道路に集合したにも関わらず、集合後わずか37分後の16時30分に市川家を離れているね。それはなぜかな?」

「無線LANが使えなくなったからです」

 彼の言葉は、イナムラと柿本の推理が正しいことを物語っていた。




「さあ、いよいよ仕上げに入るよ」

 イナムラの言葉に、柿本、奈生、紀子、渋波、それぞれが緊張し、背筋を伸ばした。イナムラはコーヒーを一息に飲み干した後、その余韻を楽しむかのようにたっぷり時間をとり、そしてついに最後の推理を開陳した。

「犯人の条件一。犯人はパソコンを操作できる人物。これはパソコンからメールを送信したことから明らかだ。

 犯人の条件二。犯人はアリバイのない人物。具体的には、見立てによる侵入時刻の推理から、8時2分から15時53分にアリバイのない人物。また犯人は中学生達がいなくなった後に市川家から脱出したと考えられるから、16時30分までにアリバイのない人物。組み合わせると、8時2分から16時30分にアリバイのない人物。

 そして今ここに、もう一つ、決定的な条件を設定する。

 見立ては被害者が書いた『その犯人は悪魔』という小説から採用されている。つまり。

 犯人の条件三。犯人は見立てを行えた人物」

 条件一、条件二は広すぎて役に立たない。しかし、イナムラの本命は、三つ目の条件にあった。

「でも、イナムラさん」

 柿本は必死に記憶を呼び起こしながら、自分の疑問に間違いがないことを確認した。

「おかしいです。紀子さんによると、被害者は自分の小説を決して他人には見せなかった。奈生さん、紀子さんにさえ…なら、見立てを行える人物など誰もいないのでは?」

 その言葉を待っていたかのように、イナムラは即座に返答する。

「そうかな?よく考えてみてくれ。一人だけ、たった一人だけ、見立てを行えた人物がいるじゃないか」

 一人だけいる?柿本には最初、探偵の言葉を信じられなかった。被害者が自らの小説を誰にも見せなかった事実。そこを変えられないならば、犯人の条件をクリアできる人物はいないはずでは…小さい顎に小さい手を当てて考え…そしてふっと、柿本はある真相を思い付いた。

 そうか、その手があった!確かにこの人物なら、いや、この人物だけが、犯行を行えたに違いない!

 柿本が確信したのと同時に、渋波が挙手して、発言した。

「あっそうか。僕にも犯人が分かった気がします」

 イナムラは笑みを浮かべて、先を促す。

「市川奈生さん、じゃないですか?

 まず市役所職員だから、条件一はたぶんクリア。

 アリバイは一見あるように見えるけど、第一発見者だからクリア。

 被害者の母親だから、こっそり被害者に小説を読ませてもらった可能性もある。だから見立ての条件もクリア」

 淡々と話す渋波とは逆に、奈生の表情は青を通り越して紫色に変わっていく。

「そんな、そんなわけないじゃないですか!私は本当にあの子の小説を読んでいません!それに、私があの子を、まさかあの子を殺すはずが」

「そうですね。渋波さんの意見は間違っていますよ」

 柿本は軽々と断言した。

「見立ての推理により、犯人は少なくとも、中学生が屯していた15時53分から16時30分の間は市川家にいたはずです。でないと見立てをする意味がありませんから。奈生さんは昼食休憩から退社までアリバイは完璧。犯人ではありません。

 それに、私とイナムラさんは被害者作の『その犯人は悪魔』を読みましたが、素人目に見てもかなりの駄作であることは明らか。偶然一度読んだとしても、まさか殺人を犯した後に、それを思い浮かべて見立てを行うとは考えられません」

 渋波はなるほど、と一旦はすんなり受け入れた。

「しかし柿本さんの言葉が正しいなら、もう一つ条件が強化されますね。すなわち、条件三、犯人は被害者の駄作を読んでいただけでなく、それを覚えている人物…こんな人、いるんですかね」

「いますよ」

 やはり柿本は飄々と言った。

「パソコンが使えて、アリバイがなく、被害者の小説を読みその内容を覚えている人物。それは、被害者。市川一さん本人です」

 三人は、あっと息をのんだ。イナムラだけが、柿本の推理に驚かなかった様子だ。

「しかし、そんなことってあるのでしょうか。警察の方が、自殺の可能性を否定したと聞きましたが」

「それに、見立ての意味がなくなるのでは?自殺なら無線LANを切る意味がありません」

 奈生と紀子の反論に対し、柿本は悟ったように、すらすらと答えた。

「警察は確かに自殺を否定しました。しかしそれも巧妙な被害者の罠だったのでしょう。そもそも警察の捜査以外、被害者の自殺を否定する材料は一つもありません。被害者…いえ、犯人は、そこを上手くやったのでしょう。

 そして見立ての意味。確かに、ここまでの推理で『見立ては無線LANを切る口実』ということが、確定したように見えました。

 しかし思い出してください。イナムラさんも言った通り、見立ての推理はあくまで『メールの送信者が被害者ではなく犯人だった場合』を仮定して出した結論でした。

 ではここで、もしメールの送信者が被害者だった場合を考えてみてください。

 被害者は、自分のパソコンから自分のスマートフォンにメールを送信し、そしてパソコン本体とディスプレイをベッドに寝かせ、自らは首を吊って死んだ。

 一見奇妙ですが、周知の通りこの奇妙な見立ては被害者自身の小説に基づいています。つまり、被害者が自分の書いた小説の通りに自殺した。と考えれば、それほどおかしくないと思いませんか?

 第三者が三文小説の見立てをするには理由が必要です。しかしその三文小説が、被害者、つまり犯人自身による創作だったなら?

 自分の書いた小説の通りに死んでやろう。そう考え実行しても、疑問ではありません。

 つまり、この事件の犯人は市川一…いや、犯人は筆者である。それが私の結論です」

 自らの考えを述べた柿本は、ふうと一息ついて、ちらとイナムラの様子を見る。自分の推理に驚いてくれただろうか…しかしイナムラは微笑みを崩さない。いやその微笑みから優しさは消え失せ、人を小馬鹿にしたような、得意気な笑みへと変貌していた。

「被害者の自殺だった。そう考えれば一見上手くいくが、しかし柿本くんは大切なことを見落としているよ。

 確かに、小説の筆者が自分の小説の通りに自殺したと言ってしまえば、理解できないストーリーでもない。

 被害者は自分の小説で『悪魔を召還する』と書いている。だから、自らを犠牲にして悪魔を召還するために、この見立てを実行した。なんて馬鹿げた理屈も通ってしまう。

 しかし、ならばなぜ、見立てが徹底されていないんだ?」

 イナムラは机の上に広げられたままだった原稿用紙を手に取る。

「被害者の小説、『その犯人は悪魔』にて、語り手の死は『眠るような、毒殺されたような、安らかな死』となっている。

 しかし現実はどうだ。彼は縊死。そして縊死の場合の死に顔が安らかになるはずがない。いやそこは小説と現実の違いだから、と理解できても、しかし、小説のほうでは『毒殺されたような』とはっきり書かれている。しかし重ねて言うが現実は首を絞められて死んでいるのだ。これのどこが『毒殺されたような』だ。

 また、小説ではベッドに置かれているのは『パソコン』となっている。『パソコン』がどのパーツまで指すかは分からないが、具体的な描写があるのは、メールを映し出す『ディスプレイ』だけだ。

 しかし現実はディスプレイに加えて、パソコン本体もベッドの上に置かれていた。なぜそんな面倒なことを。ディスプレイだけをベッドに置いておく方が簡単だったのに。

 そもそも小説では『僕は自室のベッドで安らかな死を迎えた』とある。つまり死体はベッドに寝かされていたのだろう。

 一方現実は、死体はベッド脇に寝かされていた。なぜ?ベッドの上で死ねない理由がなにかあるのか?」

 『その犯人は悪魔』と現実の事件は、状況が似ていた。しかし厳密に言えば違う箇所がたくさんある。

 それぐらいなんだ、細かいことを、と柿本は反論しようとして…やめた。

 自らの死をもって小説を現実に具現化する。それは当事者にとってとてつもない大儀式。人生一大イベントとなるのが当たり前だ。何しろ対価は死なのだから。

 なのに、こんなにも小説と違っているのはおかしくないか?と柿本は自分でも疑問に思わずにいられなかった。

 可能性ならいくらでもある。例えば、自殺しようとして突発的に自ら書いた小説に思い至り、それの見立てを行った。だから急には毒が手に入らず、首吊りになった…と考えてもいいが、しかし、パソコン本体の移動は明らかにおかしい。それにベッドでパソコンと共に寝る、というのがこの駄作の「絵」であって、この「絵」を変えてしまうなら、見立てなどする意味がないだろう。

「小説と現実に差異がある。では差異はなぜ生まれたか。

 何者かが突発的に思い付いたからだ。殺人を犯した後で、自らの都合により、見立てをする必要ができた…僕がした推理のように、脱出経路の確保という緊急の任務が発生したからだ。

 つまり見立ては被害者が行ったものではない。見立ては犯人が行ったもの。この事件は自殺ではない」

 イナムラの言葉は、柿本にも理解できた。

 そして理解できたと同時に納得できなかった。

「ではイナムラさん。一体、犯人は誰なのですか。

 いやそもそも、犯人は存在するのですか?

 被害者は小説を誰にも読ませなかった。しかし小説を読んだ者しか犯人にはなれない…ならば、犯人などいないということになります!」

「いや、犯人はいる。確実に。

 ではそろそろ、指名しましょうか。犯人を、その正体を」

 イナムラは、右人差し指で、ある人物を指した。

 ある人物とは奈生ではなかった。紀子ではなかった。もちろん渋波でもなければ、柿本、そして自分自身ですらなかった。

 彼の指は、次元を貫き、読者、つまりあなたを指していた。

「犯人はあなただ。あなた以外考えられない。これはいかなるレトリックでもなく、また読者全般という曖昧な解答ではなく、今我々を読んでいるあなたただ一人が犯人だ。それ以外の犯人はこの小説どころかこの地球上に存在しない。

 犯人の条件を確認してみよう。

 まず、犯人の条件一。犯人はパソコンを操作できる人物。

 これは言わなくても分かるだろう。この小説はネット小説。つまり今この小説を読んでいるあなたは確実にパソコンまたはスマートフォンを操作できる。スマートフォンを操作できればさすがにパソコンからメールを送信するぐらいはできるはずだ。

 あなたは条件一を満たす。

 次に、犯人の条件二。犯人はアリバイがない人物。

 より具体的には6月21日水曜日8時2分から16時30分にアリバイのない人物。

 あなたはこの時間のアリバイを証明できるだろうか?できると思っているならば、認識が甘いと言わざるを得ない。

 ところで、市川紀子は携帯電話を所有していない。その理由は今から10年前に夫と息子を交通事故で亡くしたからだ…そう、それは今から10年前の2018年のことと記述してある。

 もう分かっただろう。今から10年前が2018年。ならば『今』とは当然ながら2028年となる。つまり、()()()()()()()()西()()2()0()2()8()()()()()()()

 さあ、画面の前のあなた。

 あなたはアリバイを証明できるか?

 2028年の6月21日8時2分から16時30分の不在証明を、果たしてできるか?そのとき、どこにいて何をして『いるか』を証明できるのか?絶対、確実に、100%、その日時に市川家にいないと断言できるか?

 まさか。あなたにできるはずがない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あなたは条件二を満たす。

 最後に犯人の条件三、犯人は『その犯人は悪魔』を読んだ人物。

 この条件について、まず小説内の人物について考えよう。

 小説内の人物は、被害者以外、誰一人としてこの小説を読めなかった。この事実は既に紀子の証言により明らかであり、唯一条件を満たす被害者自身という選択肢は、自殺の可能性が否定されたために、既になくなっている。

 次に、小説外の人物だが。

 ここで一つ確認しておこう。

 『六時六郎』という作家が書いた『その犯人は悪魔』などという小説は、この小説の外の現実世界において、()()()()()()()()。嘘だと思うなら、検索エンジンでもウィキペディアでも図書館でも知人でも何でも使うがいい。この日本、この世界、この地球において、そんな小説は絶対に存在しないのだ。

 なに?六時六郎が書いた「その犯人は悪魔」という小説は存在するって?ネットにアップしてあるって?

 それはもしかして、「その犯人は悪魔。」という題名の小説ではないかな?

 私が今話しているのは、「その犯人は悪魔」という小説についてだ。決して「その犯人は悪魔()」という小説について話しているわけではない。そんな小説は、この小説「キミのためのロジック」とはまったく関係ない。どうでもよろしい。また二つの小説「その犯人は悪魔」と「その犯人は悪魔()」がまったく別物であることは、数々の描写から明らかだろう。

 六時六郎が書いた「その犯人は悪魔」などという小説は、現実世界に存在しない。存在しない小説を読むことは不可能だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 小説内では誰も読んでおらず、小説外には存在しない物語。それを読めた人間が、果たしているのだろうか?

 たった一人だけ存在する。

 あなただ。あなただけが、全世界においてただ一人、存在しないはずの小説『その犯人は悪魔』を読んだと断定できる唯一の人間なのだ。

 なぜならば、本小説『キミのためのロジック』の最初に、こう書いてある。

『この小説は、『その犯人は悪魔』(筆者:六時六郎)のネタバレを含んでいます。必ずそれを読了してからこの小説を読んでください。』

 そう、この小説は、『その犯人は悪魔』を読まなければ読み始めることができない。つまり、今この小説を読んでいるあなたは、当然『その犯人は悪魔』を読了しているはずであり、そして繰り返しになるが、小説外において、存在しないはずの書物を読んだと断定できる人物は、あなた以外にはいないのである。加えて言えば、あなたはネタバレを気にしなくていい程に『その犯人は悪魔』を読み込んだはずだから、当然その内容を覚えているはずであり、見立てを行うのに不自由しなかっただろう。

 ……存在しない小説、六時六郎作『その犯人は悪魔』を、あなたがいかにして読んだのか、私には見当がつかない。というかこの世の誰にも分からないが、それはそれとして、今この小説をここまで読みすすめているということは、あなたは何らかの方法で『その犯人は悪魔』を読んだのだろう。

 この小説を読んでいる限り、あなたは『その犯人は悪魔』を読了している。

 あなたは条件三を満たす。


 読むことが犯罪だとか、思うことが犯罪だとか、曖昧なロジックは使わない。

 この小説の犯人はただ一人。犯人の条件を全て満たすものは、小説内、小説外、合わせて、今目の前にいるあなただけ。

 あなたが犯人。つまり―


 読者が犯人だ」

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