表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

④そして現場

 14時。イナムラと柿本は市川家を訪れた。

 市川奈生、紀子両者が彼らを出迎え、紀子が二階の現場、被害者の自室まで彼らを案内した。

 被害者の自室。

 現場の六畳間は綺麗に整頓されていた。被害者はズボラな性格とのことだったが、警察の捜査が終わった後に、奈生と紀子が片付けたそうだ。

 入って左手には壁に平行する形でベッドがあり、その反対、右手側には勉強机がある。ベッドの横には大きな半透明のボックスがある。中には被害者の衣服が入っているらしい。その反対側、勉強机の横には本棚があり、ずらりと小説が並んでいる。

 イナムラは失礼と断りを入れると、まず半透明のボックスの中を検めた。それが終わると本棚を調べはじめる。被害者は推理小説を好んでいたのだろう、と柿本は考えた。英米古典的名作から、既に著作権が切れていてなお輝きは増した感すらある国内作家の作品。背表紙の黄色い昭和後期から現代にかけての本格推理小説も数十冊置かれている。

 どれか拝借できないかしらと呆けている柿本を無視して、イナムラの興味は本棚から隣の勉強机へと移った。

「デスクトップパソコンがありますね。ここにあるということは、一さんの専用ですか?」

 紀子は頷いた。

「あの子が貯めたお金で買ったものです。どうしてもノートパソコンよりデスクトップの方がいいんだとか何とか。私はそういったものはやらないのでよく分かりませんが。ちなみに、奈生さんは別に自分のノートパソコンを持っています」

「こちらは警察が調べましたか?」

「はい。警察の方が持っていって、また戻ってきたのですが」

 そこで紀子は言葉を濁し、しわの目立つ顔をさらにしわくちゃに顰めた。

「何か気になることがありましたか?」

「ええ。それが…何か悪戯をされていたみたいで」

「悪戯。犯人が何かしたのですか?」

「そこまでは分からないのですが…警察の方が言うには、事件当日に、そのパソコンからメールが送られていたようなんですよ」

「メールを送った時間は分かりますか?」

 紀子はこめかみに手を当てて思い出すような仕草をする。

「確か、16時28分…とおっしゃられていたと思います。

 あっ警察の方に言われて、パソコンの中身は極力触っていないはずなので、その、調べられるはずです」

「履歴が残っていると?」

「ああ、履歴って言うんですか。すいません、私、2018年頃から携帯電話すら持っていませんから。パソコンもまったくの素人で、よく仕組みが分かっていなくて」

 紀子の許可を得て柿本がパソコンの電源を入れる。パスワードは設定されていなかった。

「被害者も、パソコンにパスワードを設定していませんでしたか?」

「はい、そう聞いています。私も奈生さんもパソコンに疎い方なので、中を見られる心配はないと考えていたのでしょう」

 メールソフトを開いてその履歴を確かめると、確かに、事件当日の16時28分。このパソコンからメールを送信した記録が残っていた。

 メールの本文にはただ数字だけが書かれていた。『666666』と。

「この数字は何か意味があるのでしょうか?」

 イナムラの言葉に紀子は大きくかぶりを振る。

「知りませんよ。奈生さんも分からないと言っていました」

 666666。不吉な数字6が6つ並んでいる。何かの暗号だろうか。それとも、何かのメッセージか。

「ところで、送信先に何か心あたりはありますか?送信先のアドレスを見ると××××(スマートフォンのアドレス)となっていますけど」

「それは…その…」

 紀子は、忌々しそうにパソコンのディスプレイを睨みながら言い淀み。もごもごと口を動かし、やがてはっきりと言葉を話した。

「警察の方に聞いたら、そのアドレスは、あの子のスマートフォンのメールアドレスなんだそうです」

「あの子?奈生さんですか」

「違います!違うんです。一の、孫の、メールアドレスなんですよ!」

 送信先のメールアドレスは、一のスマートフォンのメールアドレス。

 つまり、一のパソコンから、一のスマートフォンへ。被害者のパソコンから、被害者のスマートフォンへ、『666666』という内容のメールが送られたのだ。

 被害者が死の直前に、自分自身へメールを送る。その姿を想像し、柿本は気味が悪くなった。

 しかし彼女はすぐに考え直した。被害者が送ったのではなく、犯人が送った可能性もある。いや、被害者が自殺でないとしたら、そんな奇妙なメールを送信するのは犯人である可能性の方が高いだろう。

 が、だとしても疑問が残る。犯人はなぜそんなことをしたのか。一体、何の意味があって被害者のパソコンから被害者のスマートフォンへメールを送ったのか。

「パソコンについて、いくつか質問してもいいですか?」

 イナムラは既にパソコンの画面を見ていなかった。背筋をびしっと伸ばし、紀子と正対している。

「私の答えられる範囲内なら」

「ではまず確認です。このパソコンは一さんの所有物で間違いありませんね?」

「はい」

「では犯行当時、このパソコンはこの部屋にあったということですね?」

 デスクトップパソコンだから当たり前だろう、と柿本は思ったが、紀子の答えは彼女の予想と少し違った。

「この部屋ではあるのですが、実は、ベッドの上にあったんですよ。私は直接見ていませんが、奈生さんや警察の方が言っていました」

「ベッドの上?すると位置的に当然コンセントから抜かれた状態ですね。それとも、ディスプレイだけですか?本体もベッドの上?」

「ああ、すみません。私、パソコンの名称は全然分からなくて。ただその、大きな銀色の長細い箱と、ディスプレイ、というんですか?この画面だけが、ベッドの上に放り出されていたそうです」

 銀色の長細い箱とはパソコン本体であり、画面とは、ディスプレイのことだ。この二つだけがベッドの上に置いてあったと言う。

「周辺機器はどうでしょう?今現在、このパソコンはマウスやキーボード、それに外付けハードディスク、無線LAN、勿論電源とも繋がっていますが、それらが全て取り外され、ベッドに置いてあったということですか?」

「そうです。今は繋がっていますが、これは後から繋げ直しただけです。警察の方がこのパソコンを持っていって、返ってきてから奈生さんがもう一度繋いだのです」

 メールも奇妙だが、パソコンの場所も奇妙だ。そこにどういった意味があるのか、柿本は分からなかったが…すぐ後に、その意図の一部を知ることになる。

 質問を終えたイナムラは、今度は机の引き出しに手をかけた。引くと、中には400字詰めの原稿用紙が大量に入っていた。数十枚単位で右上をホッチキスで留め、まとめてある。

 イナムラがその束の一つを手に取る。柿本も横からその束を覗き込むと、そこには汚い字で文章が書かれていた。

「これは…小説、ですね」

「はい。あの子は本が好きで、自分でも書いて楽しんでいたみたいなんです。ただ極度の恥ずかしがり屋で、私や奈生さんには絶対に見せてくれませんでしたし、あの子の性格を考えると、他の人にも絶対に見せていないと思います」

「絶対ですか?」

「絶対です」

 彼女はめずらしく断言した。

 柿本もイナムラに続いて、原稿用紙の束を一つ取って読む。一番上のページには、右端にタイトルが、そしてその一つ左の行に筆者名らしきものが書いてある。

 六時六郎。筆者の名前はそうなっていた。しかし紀子の証言では、これを書いたのは市川一に間違いない。どうも他の束の筆者名も全て六時六郎になっているらしく、ペンネームだろうかと柿本は推察した。

「ところで、この引き出しには鍵がかかるようですね」

「そうです。今はかけていませんが、あの子の生前は常に鍵がかかっていて、しかもその鍵をあの子自身が持ち歩いていたので、見たくても見られなかったんですよ」

「事件当日はどうでしたか?」

「やはり鍵がかかっていたはずです。この部屋を整理整頓したときに、あの子の遺体のポケットに入っていた鍵を警察の方から受け取り、私が開けたので」

 言いながら、イナムラは束を次々と手に取り、原稿用紙に目を通していく。そして、ある一つの束を手に取ると

「すいません。この原稿用紙の束だけ、貸していただけないでしょうか?どうしても駄目ならコピーを取らせて欲しいのですが」

「いえ、いいですよ。警察の方にも特に注意されていませんから」

「ありがとうございます。

 …おや、外が騒がしくなってきましたね。中学の下校が始まったのかな?」

 イナムラはドアの反対側にある北向きの窓へ歩いていった。そこから下を見ると市川家前の細い道路が見渡せる。

「15時30分になったようですね。すいません、お茶もお出ししないで。一旦休憩にしましょうか?」

「そんな。いいんですよ紀子さん。うちのイナムラはこのまま一時間でもいくらでも捜査し続けられますから」

 柿本が言うと、イナムラは得意気に笑い、首を横に振った。

「いや柿本君、そろそろ帰ろうか。もうかなりの部分が分かったから」

「えっ。そ、それじゃあ!」

 と驚いたのは紀子。

「ええ、すぐにでも推理を開陳…したいところですが、駄目押しが必要です。そうですね、明日10時にまた伺いましょうか。そこで真実を明かしたいと思います」




「本当に分かったんですか、イナムラさん?」

「僕の言うことを信用できないのかい、柿本君?」

 二人は市川家を出て、しばらくその周辺を歩いていた。イナムラの提案で、しばらく現場周辺を散歩することになったのだ。

 夕日がオレンジ色を濃くし、下校中の中学生の声が遠くに聞こえる。そこは市川家前の道路とはまた別の、住宅が密集した細い道。二人はぶらぶらと歩き続けている。

「私にはまだ犯人の見当もつきません。パソコンがベッドに置かれていた意味も、メールの意味も、分かりません…」

「犯人は分からなくても仕方ないかもね。ただ、後者二つの意味は、この原稿用紙を読めば分かるよ。そうだ、今読んであげよう」

 イナムラは、右上がホッチキスで留められている原稿用紙をバッグから取り出した。先ほどイナムラ家から借りてきた原稿用紙だ。ページをぱらぱらと捲り、そこに書いてある文章を音読し始める。

「『悪魔を召還する方法をずっと考えていた。悪魔などこの世にいないと友人達から石を投げられ、家族から見放され、それでも悪魔を召還するためにずっと頭を悩ませていた。ああ、悪魔よ。神の化身よ。その姿をこの僕の前に現しておくれ。そう願いながら、なかば諦めていた。そう、この方法を思いつくまでは…』」

 怪奇物、ホラー物だろうか、と柿本は思った。だが、イナムラの音読を聞く限り、文章はダラダラ、支離滅裂で馬鹿馬鹿しく、彼女の興味は失せていった。

 そんな彼女の様子に勘付きつつも、イナムラは音読を続ける。

「『…悪魔とは神ではない。人外ではあるが人外ではない。一人一人、誰もが心に悪魔を飼っているのだ。悪魔を召還するには、外から材料を集めるのではなく、自らの内に潜む悪魔に語りかけるしかない。

 ではどうすれば自らにそう語りかけられるのか。「悪魔よ召還せよ」と心で叫び続けても、一向に変化は表れない。心だけでは駄目なのだ。自分に語りかけながら、それは自分ではなく外部からの語りかけでなければ。

 外部から自分自身へ語りかける。通常の方法では不可能だが、今の僕には、そう、こんな便利な道具がある。パソコンとスマートフォンだ。この二つを使えば、自分から自分へ語りかけることができる。』」

 パソコン、スマートフォンという単語が出てきて、柿本は思わず足を止めた。パソコンとスマートフォンを使って自分へ語りかける、ということはつまり…

「『つまり自らのパソコンから自らのスマートフォンへメールを送信するのだ。パソコンとはパーソナルコンピュータ。つまり個人の象徴であり、またスマートフォンはどんな恋人よりも近しい自分の化身なのだ。この二つの道具を使えば、自分から自分へ語りかけることができる。

 言葉はどうするべきだろうか。よく分からないが、6は悪魔の数字と聞いたことがある。666は悪魔の数。しかし悪魔の数と言いながら、現実世界には悪魔など存在しない。

 ならばパワーアップさせればいい。6を三桁並べるのではなく、六桁並べるのはどうだろう。666666。6に魔力があるのなら、桁数も当然にして6桁であるべきだ。

 僕はさっそくパソコンを立ち上げ、本文に666666と打ち込み、宛先に自分のスマートフォンのアドレスを打ち込む。送信ボタンをクリック。しばらくしてスマートフォンに着信音が響く。メールを開くとそこには悪魔の数字、666666が』」

「イナムラさん、これはっこの小説は!」

 柿本は辺りを憚らず大声を上げた。しかしイナムラはやはり彼女を無視して、最後まで読みきる。

「『666666が届いた。そのとき、ああ、その数字を見た瞬間、僕の意識は遠ざかった。遠ざかって、薄くなって、磨滅されて、それで、それで。

 僕は自室のベッドで安らかな死を迎えた。眠るような、毒殺されたような、安らかな死…ベッドに寝かされた僕の死体のすぐ横には、パソコンが置かれている。パソコンは電源から切り離されているはずなのに、そのディスプレイは光り輝いていた。そこには、送信したメール、その内容、666666の数字が…終』」

 イナムラが読み終わると、柿本は素早く彼の手から原稿用紙を引ったくり、急いで読み始めた。そこにはイナムラが音読した通りの内容が書かれていた。最後数ページだけ読み終えると、束になっている原稿用紙の、一枚目へ戻った。そこにはやはりタイトルと筆者の名が書かれている。タイトル『その犯人は悪魔』筆者『六時六郎』。

「ど、どういうことなんですかこれ。だって、この小説の内容って、そのまま…」

「ははっ実にくだらない小説だったね。ホラーのつもりらしいが、文章力の欠如が悲惨だ。全然怖くない。内容も、ありきたりだしね」

「…いえイナムラさん。それはもっともですけど。そんなことより、この小説はいったい…」

「おっと柿本君。その原稿用紙をちょっと持っていてくれないか。やっと目標人物が見つかったようだ」

 柿本がはっとして原稿用紙から顔を上げると、前方数メートル先に、中学生の姿が見えた。一人、二人…計六人の中学生が、道の脇に集まっている。

 イナムラはその集団に近付こうとしたが、それを察知したのか、彼らは互いに顔を見回し、イナムラと柿本から距離をとろうと離れる。しかしイナムラが手を左右に振り『違う違う』というジェスチャーをしつつ、柔らかい微笑みを彼らに投げかけると、少し警戒心を解いたのか、彼らの一人が、耳につけていたイヤホンを外し、六人の代表者のように、イナムラと柿本へ近付いてきた。

「えっと、僕らに何か用ですか?」

「何をやっているのかな、と思ってね」

「はあ。みんなで遊んでるだけですが」

「うん、分かってるよ。きみたちはみんなで遊んでるんだよね。そうつまり、◯◯◯◯を使って」

 ◯◯◯◯の部分を聞いた瞬間。その中学生は固まり、そして後ろを振り向き、逃げようとした。

 イナムラはその腕を掴み彼を捕縛しつつ、しかし声音は優しいまま言葉を続ける。

「いいんだよ。相手側にも問題があるんだから、別に僕は気にしないよ。ただ、認めて欲しいだけだ。

 きみたちは◯◯◯◯を使って遊んでいる…どう?僕の言ったこと、間違ってるかな?」

 腕を取られ、身動きができない彼は、抵抗をやめ、そして、躊躇しながらも、イナムラの質問にしっかりと頷いた。

 それに答えるようにイナムラも頷き返し、そして柿本の方へ振り向いた。

「もう分かっただろ柿本君。これで事件は解決だ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ