③次に検討
探偵と助手は、市川奈生から一通り話を聞いた後、彼女を自宅へ返した。昼過ぎにまた市川家を訪ねる予定だ。
残った探偵と助手は、奈生に聞いた情報と、事前に仕入れていた情報を改めて検討し始めた。
「現場は愛知県犬田市猪町四丁目、一戸建ての住居。市川家二階、被害者の自室です」
「住居周辺の情報」
「市川家周辺は住宅が密集しており、北側以外横斜め後ろ全て住宅です。市川家北側は玄関となっており、その前は軽自動車二台がやっと通れる程度のやや細い道路です。2kmほど南東に犬田第一中学がありますが、それ以外に目立った施設はありません」
「住居の情報」
「一階は食堂、居間、キッチン、被害者の祖母市川紀子の寝室があります。玄関入って横に、二階へ上がる階段があり、二階は被害者の寝室、被害者の母市川奈生の寝室、物置があります」
「現場の情報」
「現場は二階の部屋で最も北側にある被害者の寝室です。広さは六畳。被害者は、ベッド付近で縊死していました」
「当初は自殺と推定されていたようだが?」
「はい。ロープの一方は被害者の首に、反対側はベッドのヘッドボード(簀子状)に結ばれていました。ワッカを作って軽く首を絞めてうつぶせで床に寝転び、自らの力と自重により強く首を絞め、死亡したと見られていました。
ただし警察の方で明確な手抜かり、手違いがあったようで、鑑識により調べ直すと直ちに他殺と判明しました」
「警察にしてはありえないミスだな」
「今回は非常に稀なケースと云う他ありませんね」
「他殺は明らかなんだな?」
「はい。自殺の可能性はありません」
「被害者の情報」
「市川一17歳高校生。電車を使い隣市の猿山市猿山高校に通学。不登校ではありませんが一年生の頃から今までいじめにあっていたらしく、友人は皆無だそうです」
「被害者の家族は?」
「市川家に住んでいたのは、故人の市川一を含めて三人。被害者の市川一17歳、母の市川奈生40歳、父方の祖母の市川紀子70歳。それぞれ高校生、市役所職員、無職です」
「父親や祖父はいないのか?」
「父の市川一夫、祖父の市川彦次、共に10年前の交通事故で亡くなっています。奈生側の祖父と祖母は富山県在住です」
「その交通事故がこの事件と関係のある可能性は?」
「ないと断言してかまわないでしょう」
「了解。事件当日の時系列を頼む」
「6月21日水曜日15時50分。授業終了と共に被害者下校開始。
15時55分、猿山高校最寄の猿山駅で犬田市方面の電車に乗車。16時15分、犬田駅で下車。共に複数の同級生が目撃しています。
16時18分、駅から徒歩で帰宅。犬田第一中学校生徒六人の証言です。
18時10分。定時で退社した市川奈生が帰宅。玄関で『ただいま』と言うといつも被害者自室から『おかえり』と聞こえるところ、当日は返事がなかったため疑問に思い、二階へ上がって被害者の自室の扉を開けた。ベッドの脇で縊死している被害者を発見。警察に連絡。
18時48分、朝から友人達と会っていた祖母が帰宅。事件を知らされる。
死亡推定時刻は18時10分から2時間前。つまり16時10分から18時10分までですが、先の目撃情報を考えれば、中学生六人が被害者の帰宅を確認した16時18分から18時10分までと推定できます…ほとんど違いはないですが」
「疑問点が二つ。一つは六人の中学生。
被害者の帰宅を証言した中学生六人は、どこで、何をしていて、被害者の帰宅を目撃したんだ?周りは住宅しかないのでは?」
「犬山第一中学の下校途中、市川家付近の道路脇で携帯ゲーム機を持ち寄り、遊んでいたそうです」
「警察が来るまで遊んでいたのか?」
「いえ。警察が来た時には市川家付近には既にいませんでした。六人のうち一人が市川家近辺に住んでおり、警察の捜査で証言したそうです。被害者の帰宅時間と、自らの行動を」
「その証言に間違いはないだろうか」
「他の五人にも確認したところ、六人の証言全て、矛盾する点はなかったそうです。まだ中学生ですから、さすがに六人揃って偽証したという可能性は、ないと考えていいでしょう」
「了解。ではもう一つの疑問点。祖母の行動だ。
柿本君によると、祖母、市川紀子の帰宅は18時48分とあるが、なぜそんなに遅い。奈生が息子の訃報を知らせてやらなかったのか?」
「紀子は携帯電話を持っていません。また当日はレストランで友人たちと夕食を共にしていたのですが、その場所を事前に知らせていなかったため、連絡できなかったようです」
「高齢者とはいえ、今時めずらしいな。簡単なスマートフォン程度、持たせてやればいいのに」
「元々、スマートフォンではなく携帯電話を所持していたのですが、10年前に解約してそれっきりとのことです。
というのも、先に触れた被害者の父、祖父を亡くした交通事故は、相手側の余所見運転によるもので、その余所見先が携帯電話だったそうです。紀子はそれに怒り、以後、携帯電話は所持していません」
「なるほど。しかし市川紀子は友人と会っていたと言うが、朝から晩までどこで何をしていたんだ」
「友人十人と朝七時からゲートボール、昼は喫茶店、夕方はレストラン、と一日中一緒にいたそうです」
「ではアリバイは完璧」
「いえ。それがそうとも言い切れません。ゲートボール場、喫茶店、ファミレス、いずれも犬田市内にあります。また十人の団体行動だったため、誰かが数十分程度抜けても気付かなかった可能性があると友人達は証言しています」
「そんなものか。では被害者の母、市川奈生のアリバイはどうだ」
「昼食休憩終了から17時25分退社まで市役所でデスクワーク。その間のアリバイはありです。ただそれ以降のアリバイはありません。なにしろ第一発見者ですから」
「18時10分に帰宅したそうだが、通勤に45分もかかるのか?」
「奈生は最近ダイエット中らしく、歩いて通勤しているそうです」
「なるほど。しかし18時前退社に18時帰宅とはさすが公務員だな」
「私立探偵に言われたくないかと」
「…ごめんなさい。
では、他の容疑者を見ていこう」
「はい。まず動機の面から、被害者と同級生かついじめの加害者主犯格である、金子光。被害者家族から何度もいじめの相談を受けながら、それをつっぱね続けた被害者の担任教師、北川流。また市川奈生にプロポーズしながら、被害者の存在を主な理由に断られ続けた奈生の同僚住村仁。
アリバイの面から、被害者宅の向かいに住むニートの三山上。被害者宅西隣に住み過去に犯罪歴がある矢村弓。学生を狙って恐喝を繰り返していた猪町在住の松本林。犬山第一中学生徒を狙った盗撮で逮捕され、なお当日現場付近を徘徊していた水米武。続いて」
「待て待て。多いな。それに脈絡がない」
「仕方ないですよ。被害者宅は鍵がかかっていなかったらしく、誰でも侵入できたようですから」
「なぜ鍵が開いていたと分かる?」
「奈生や紀子の証言によると、被害者はかなり忘れっぽく、またズボラな性格で、鍵をかけ忘れることしばしば。普段は祖母の紀子が一日中家にいるので問題ないのですが…被害者が帰宅してから鍵をかけ忘れた可能性は、非常に高いと思われます」
「ならば、頼みの綱は被害者宅前の道路で屯していた中学生六人組か。
もう少し詳しく、中学生達の行動を知りたい」
「はい。彼らは、下校途中15時53分から16時30分まで市川家の自宅付近でゲームを楽しんでいたと証言しています」
「その間、侵入者を見たり、不信な音を聞いたりしなかったのか?」
「帰宅した被害者を除き、侵入者や不審者は見ていませんが、音は不明です。彼らは全員イヤホンを装着してゲームをプレイしていたので、もし何か大きな音が響いても気付かなかったと思われます」
「なるほどな。ではより簡潔にまとめてみよう。
15時53分、中学生六人が市川家自宅付近でゲーム
16時18分、被害者帰宅(中学生六人の証言)
16時30分、中学生六人が解散
18時10分、市川奈生帰宅。警察へ連絡
18時48分、市川紀子帰宅。
死亡推定時刻、16時10分から18時10分。
容疑者一、市川奈生→一部アリバイあり。
容疑者二、市川紀子→アリバイ微妙。
そのほか、同級生金子光。担任教師北川流。奈生の同僚住村仁。ニートの三山上。被害者宅西隣に住む矢村弓。猪町在住の恐喝常習犯松本林。現場付近を徘徊していた水米武など、容疑者多数。
今上げた人物の中で、奈生、紀子以外の容疑者は全員、アリバイがないということでいいのか?」
「はい。他多数について詳細な情報は必要ですか?」
「いや、現場を見てからにしよう」
イナムラが事務所の時計を見ると、13時を回ったところだった。
「では、そろそろ行くか」
「はい」