後編
先週投稿しました『徳川家重』の後編です。
本部分で完結です。
「殿、あの者、いががいたしましょう?」
閑散とした本丸の一室、意次が退いたのを確認した忠光は、家重にこう問いかけた。
「うむ、まひめそふな、ひとがあじゃったな」
家重は先程の対面を思い返した。
緊張した顔つきに、うっすら見えた野心をもった目。
間違いない、あの男には、期待を抱かせるなにかを持っている。家重はそう直感的に感じた。
「とりあえふ、こひょうのままでは、もったいない。そばようにんとひて、しばらく、わしのそばに、おかへてみよう」
わしの懐刀たりうるかどうか、暫く見極めてからでも遅くない。
そう答えると、家重はゆったり腰を上げて、ふらふらと部屋から出ていった。
一人ぽつんと取り残された忠光は、
「殿がそれがし以外の武士に、興味をお示しになるとは、な……」
今までの過去を振り返り、いい兆候と感じつつも、若干寂しげな思いを交えて、ひとりごちるのであった。
数日後、家重は少数のお供を連れて、城外の見回りと称し、町へ遊びに繰り出した。
将軍たるもの、むやみに外出することは、禁じられている。そのため、たまの見回りは家重にとって良い気分転換であった。
町の様子は、いかがなものか。
駕籠から外を覗いた家重に、寒い空っ風が容赦なく吹き付けた。
しまった、羽織を持ってくるべきだった。
寒気を感じた家重は、駕籠を止めさせると、侍従を呼び出し、
「かぜがほねみにこたえう。すまぬが、はおひふぉもってまえれ」
体をこすり、自らの意思を伝えた。
侍従は聞き終えると、困惑した笑みを浮かべ、
「はっ、はおいにござりますか?」
家重の顔色を伺い、再度尋ねた。
「そうひゃ、しひゅう、もってまいえ」
しかし、侍従は一向に動こうとしない。
家重はついに業を煮やし、
「ないをそこで、ふったっておる。わしのいうことふぁきこえないのか!」
新米の侍従に、声を荒げた。
「はっ、ははぁ! 至急お持ちいたします!」
お供は、畏れ慄くと、前を歩く先輩侍従に、
「失礼仕る。殿がはおいをご所望なのですが、一体何を指しておられるのか……何卒お力をお貸しくだされ」
不安そうに頭を下げた。しかし先輩侍従も顔をしかめ、
「はおい……困ったのう、上様のお言葉は長年仕えるわしでも完全には理解しておらぬ。あいにく忠光様も、この場にはいないし、いかがしたものか?」
心底困った表情で、江戸城を見上げた。
その時、ふと荷物持ちをしていた、意次が行李を開けて、
「もしかして殿は、この羽織をご所望ではござらぬか」
中から、葵の紋付の立派な陣羽織を取り出した。
「ふん、この中で一番の新参者であるそなたに、上様の言葉がわかってたまるか……まあ、火急の案件、おいこの陣羽織を、殿の所へ持って行って参れ」
十中八九間違いに決まっておる。先輩侍従は、暗にこの新参者に恥をかかせてやろうと、侍従にこう命じた。
「ははぁ!」
侍従は後ろの駕籠に戻り、
「もしかして殿が欲しかったものは、この陣羽織にございますか?」
恐る恐る差し出すと、家重はぶっきらぼうに受け取り、
「うむ、なんえすうに、もってまいらなんのじゃ」
縮こまらせた体に、いそいそと陣羽織の袖を通した。
それを見て、侍従は驚嘆すると同時に、上様の言葉を理解した新米の侍従に、以後一目を置くようにした。
一七五三年、宇都宮藩で四五〇〇〇人の百姓による大規模な打ちこわしが発生した。翌年春には、二一万石有馬氏が治める久留米藩でも、六〇〇〇〇人による同様の百姓一揆が。
どちらも共通しているのは、吉宗政権で行った年貢増長策への、農民たちの反発であった。
「もはや、百姓の怒りは頂点に達しておる。彼らを落ち着かせるためにも、年貢を定免法から元の検見法へ戻すのがよろしいのでは?」
江戸城の一室では、老中五人による、談合が行われていた。その中で、老中首座であり、年貢増長反対派、松平武元は、こう提案した。
「しかし、そうなると、幕府財政はまた元禄・正徳期のような赤字に戻ってしまうのですぞ……何、百姓の抵抗も時期治まる。まさに彼らは、生かさぬよう殺さぬようじゃ」
若造ながらも、近年力をつけてきた、本多正珍が、武元の提案に異を唱えた。
あくまで幕府としては、財政の安定が第一。そのため他の老中も、賛成こそすれ、正珍の意見に黙って追従した。
「それとも何か、武元殿は、年貢増長以外に、幕府財政を潤す別の手段があるとでも仰せになるのか」
正珍はじろりと、武元に鋭い目線を向けた。
「貴様、先輩格のわしに向かって、その態度、無礼千万……」
あわや、一触即発の事態に、他の老中が慌てて止めに入った。
「武元殿、お気を鎮めて。正珍殿も、少し言いすぎじゃ。武元殿は、何とかして百姓一揆を抑えようとしておるのに」
三人の老中が心配そうに武元を見つめた。
「ふん、確かに今は私が、少し大人げのうござったな。されど、現実は私の言った通り……さて、私は私用のため、これにて失礼仕る」
ぺこりと形だけの礼をすると、正珍は颯爽と室を後にした。
おのれ、正珍。武元は他の老中に宥められつつ、閉まりきった襖をキッとにらみけた。
「忠央、郡上の様子はどうなっておる」
闇夜に満月がぽっかり浮かぶ空を眺め、正珍は自室で若年寄、本多忠央と密会をしていた。
「はっ、郡上藩(現、岐阜県)、金森頼錦は、昨日も大量の小判を、殿に贈って参りました」
まるで商人のように、脂ぎった体格の忠央はうやうやしく、首を垂れた。
「頼錦も熱心じゃのう。そこまでして、幕閣の一員になりたいのか……よし、あやつに伝えておけ。お主が地方から出られるかどうかは、わしに贈る饅頭の量次第じゃとな」
「はっ、必ずあやつめに伝えておきます」
平伏低頭のままの忠央に、正珍は表情をピクリとも変えず、
「他藩の様子はどうなっておる」
忠央を上から見下ろした。
「○○藩や××藩も、みなそれ相応の金銭や特産物を殿に送って参ります」
忠央はそこで顔を上げると、にたりと顔をゆがめた。
「うむ、それは何より……いつも通り、一割はそなたのものじゃ。これからも地方の様子、」常日頃確認しておけ」
その話はそれまでと打ち切ると、正珍は女中を呼び出し、忠央と杯を交わした。
将軍が暗愚なおかげで、幕政も地方も全てわしの思うまま。後は、わしに歯向かう唯一の武元をどう排除するか。
満月に武元の顔を重ね合わせた正珍は、忌々しげに舌打ちをすると、グッと杯を飲み干した。
こうして、幕政は各々の老中の思惑に左右されつつも、一七五四年は暮れようとしていた。
師走の寒さが、日増しに強まる城内の大名屋敷。忠光邸では、火鉢で暖を取る忠光と、それに向き合う意次の姿があった。
「内々の儀とのことで、参上仕りましたが、一体いかなる要件にございますか」
先日、江戸城の廊下で、意次は忠光に呼び止められた。
意次、実はお主に話しておかねばならないことがある。公には出来ないゆえ、来週、我が屋敷においで願いたい。
小姓から取り立てられて三年。意次にとって忠光は、側用人の先輩として公私にわたって信頼していた。
忠光邸にも、上様の案件の話し合いや単に盃を交わすため等、何度か訪れていた。
しかし今回のように、一方的に呼び出されることは初めてであった。
不審そうに見つめる意次に、忠光は開口一番、
「今日、お主を呼び出したのは他でもない。実はわしは、来月から幕閣を離れることとなった」
衝撃の事実に田沼は絶句した。
「なっ、なにゆえ、そのようなことが突然……」
即座に意次には理解できなかった。
もしや、何者かによる手回しで。しかし忠光は、自分の気持ちを見透かしたかのように首を振り、
「いや、これは誰かが仕組んだ罠でも何でもない。わしが望んで上様に願い出たことなのじゃ……思えば、亡き吉宗公に命じられ、上様にお仕えして三〇年弱。わしには政務を補助する力などなく、小姓として生涯を終えるはずじゃった」
そこで言葉を区切ると、忠光は自嘲気味に笑い、
「しかし、上様は意思疎通をするのが苦手なお方じゃ。そして幸運にも、わしは上様のお言葉が理解でき、周りから重宝がられた。そして行き着いた先が、小姓の頂点格、側用人の地位、わしは真に幸せじゃった」
まるで意次の存在を忘れているかのように、一人訥々と語っていた忠光は、そこでようやく意次に目を向け、
「お主が側用人に取り立てられた時点で、わしの役目は終わった。それまでわしにしかわからなかった上様のお言葉も、そなたは理解しておる。三年間、側用人の仕事を共にし、もう教えることはない。お主はわしがいなくても、十分上様をお支え出来る」
老けの目立った頭に、温和な笑みを浮かべる忠光、意次は涙が止まらなかった。
忠光は気恥ずかしげに火箸で、火鉢の灰をかき回しつけると、
「ところでわしの、第二の人生の場所じゃが、武州岩槻(現、埼玉県)二万石となった。これからは一藩主として、民百姓の暮らしを支える」
「武州……」
意次はまたも驚愕した。武州岩槻二万石、出自の低い側用人は、五代将軍綱吉の寵愛を受けた柳沢吉保を除いて、皆大名の地位(石高一万石以上)に登り詰めるのは不可能なことだった。
ということは、忠光は吉保に続いて二人目の、小姓から大名への大出世を果たしたのだ。
「おめでとうございます! ついに念願を果たしましたな!」
酒の入った時など、忠光は時々、いつが大名になりたいと愚痴っていたのを、意次は知っていた。
十数年後、大名格からさらに雲の上の存在、老中になるなど梅雨知らず、先程の悲しみを忘れ、尊敬する先輩の出世を祝福した。
「うむ、わし個人としては、もう思い残すことはない……上様のことしかと頼んだぞ、お主はこれから、わしが持ち合わせなかった政務を補助する力も蓄え、私欲を肥やす老中たちに上様の意思を伝えてくれ」
「ははぁ! それがし、しかと心受けました!」
もはや、忠光を引き留める理由など、意次には持ち合わせていなかった。
決意をこめた表情の意次に、忠光は満足そうに頷くと、翌月武州岩槻へと栄進していった。
その後忠光は、木綿や砂糖の栽培や藩内の老後生活支援に精を出し、名藩主として領民から慕われ、一七六〇年、その生涯を全うした。
忠光邸からの帰路、意次はぼんやりと先程の会話を思い返していた、
わしが持ち合わせなかった政務を補助する力を。
それまで意次は、上様の生活と周囲への意思伝達で一杯であり、自ら政務に関与しようとは、考えたこともなかった。
実際、老中が上様に謁見するときも、彼らが述べている、小難しい法・経済用語は上の空。大抵、上様の承諾した言葉を伝達するだけであった。
これからは、幕政の勉学にも勤めるとするか。
師走の慌ただしい町を、月夜がおぼろげに照らしつける中、意次はこう決意し、自邸へ繋がる橋を渡ろうとしたその時、
「なんや、これだけの銀貨じゃ、足らんゆうんか」
橋の近くの川沿い、柳の垂れさがる出店で、うどん屋の主人と客が、小さなもめ事をしていた。
「うどん一杯は、金貨一枚。銀貨でいえばおよそ四枚分の重さと相場が決まっている。もう一枚払わないと、食い逃げとして奉行所に訴うるぞ」
「ちぇっ、わいの銀貨は普通よりも大きいんやぞ。量りにかければ、四枚分の重さっちゅうんに」
渋々もう一枚、銀貨を取り出すと、客は不服そうに店を出ていった。
一連のやり取りを見ていた意次は、その時ふと疑問に感じた。
なぜ、東と西の地域では貨幣が違うのか、またその基準となっている相場は、誰がどんな理由で決めているのか。
ふと湧いた疑問から、あれこれ想像を膨らませていく内に、気付けば自邸の門前に辿り着いていた。
その時意次は、はっと閃いた。
もしや、商いの勉強をすれば、政務の補助をすることが出来るのではないか。
それまで主流であった、百姓の年貢対策、幕府法、対外政策とは別に、一番卑しい勉学、商いの勉強をしようと、決意した。
以後これまでの実務の合間に、意次は、商業関連の勉強を熱心に始めた。
一七五五年四月、春風が闇夜に心地よく吹く宵。
江戸城大奥、家重は側室お遊と、久方ぶりの英気を養っていた。
将軍就任以前は、意図的に暗愚を演じるため、日夜大奥に入り浸っていた。しかし、就任以降は多忙な日々。夜の御勤め以外は、全く大奥から遠ざかっていた。
しかも夜の相手は、ほとんどお遊だけ。素朴な美貌に知性を兼ね備えた彼女は、家重の良き相談役でもあった。
思えば、忠光無き今、自身が最も信頼している意次も、彼女の推薦が無ければ、巡り合っていなかった。
その意味で彼女こそ影の実力者である。そう感じ、家重は彼女に一目置いていた。
「といふわへで、あやつはさいひん、ひまさえあえば、あきないのべんがふばかり。わひが、そんなにおもひろひかとたずねても、わらってごまかひおふ」
純白の寝間着に着替えた夫婦は、床を同じにする前に、幕政の様子について、語り合うのが日課であった
今日も家重が、意次の勉学に軽口を叩くと、
彼女はふふふと艶美な笑みを浮かべ、
「そんなに意次様が勉強熱心なら、いっそ誰か老中様に引き合わせてみては、いかがかしら?
何でも大奥の噂によると、財政収入の方法を巡って、月番(老中五人による話し合い)も真っ二つに割れているとのことですし」
夫の気分を害さぬよう配慮しつつ、お遊は、幕政の動揺を的確に指摘した。
「ろうひゅうにか。もしかひて、あやつ、そえがもくてひで、ねっひんにべんひょうひておゆやも」
前側用人忠光は、万事気が利いたが、幕政に関してはてんで駄目だった。一度老中と引き合わす機会を設けたが、全く己の意見が述べられず、老中から侮りの目を向けられたのであった。
その点、今の意次なら、幕政に何か一石を投じるやもしれぬ。家重は、再び老中との面会の機会を設けようと考えると、
「かもしれませんわね。それと、引き合わす老中様も、誰が適任か考えておいでですの?」
「うむ、おひふぐのいけんがまとをいへいへも、それをりかひふるやふてなへれば、なんのやふにもたたぬ」
五人の老中は、改革派の武元と保守派の正珍とで対立している。現状を打開するためにも、武元と引き合わせてみるか。
家重は適任者も決めると、話し合いを打ち切り、お遊と厚く濃い情事を交えた。
翌週、江戸城本丸。松平武元は老中首座として、この日も月番の内容を家重に具申していた。
「……とのことで、今回も専ら幕府財政を巡る話し合いで、意見が二つに分かれました。
本多正珍殿は、年貢増長の現状維持でよろしいと仰せに、それを私が百姓の負担を減らすために反対すると、では他の解決案を提示せよと述べ、結局堂々巡りに……」
御年四〇弱でありながら、既に頭に白いものが見え始めた武元は、度重なる疲労を隠さずにはいられなかった。
「うむ、ごくろふへあっふぁ。ところへ、たへもと。おぬひ、このあとすこひよひか」
例の如く、意次の通訳越しに、家重が言葉を投げかけると、武元は少し驚いた様子で、主君を見つめた。
「はっ……? 別に武元、この後も特に予定はござりませぬが」
普段は、家重がご苦労であったと決まり文句を述べ、去っていくのが、一連の流れであった。それが、珍しくそれがしにお声掛けになるとは。
武元は、改まった態度で家重の二の句を待った。
「じふは、ここにひかえふ、おひふくであるが、さいひんとみに、あひなひのべんがふにはへんでおふ。そこで、すこひ、ばくせひをめぐって、こやふのいへんをきいてくれぬふぁ」
通訳する意次自身も、緊張した表情で武元を見つめた。通訳を聞き終えると、武元は露骨に嫌悪の顔を浮かべ、
「恐れながらそれがし、側用人の戯言をお聞きになる程、暇人ではござりませぬ」
常日頃、幕政のことしか考えぬ我らでも、良い案が浮かばないのだ。それが、将軍に仕えるだけの側用人に、幕政を述べられてたまるか。
武元は、前の側用人が的外れな意見を述べ、自身を不快な気分にさせたことを思い出し、家重にこう述べた。
「たひかに、おぬひのいへん、ごもっとも。しかひ、たのむ! せめていっとひだへでも、こやつのいへんをきいへくれぬふぁ」
今までに見せたことのないひたむきさで、家重は熱心に頼み込んだ。
それを通訳する意次の言葉にも、熱がこもっているのを武元は感じた。
二人の気迫に気圧されるように、ついに武元は根負けし、
「わかりました……それがしでよろしければ、意次殿の意見お聞き申す。してその意見とは? 幕政を打破できるきっかけになりそうでござるか?」
武元は意次に向き合うと、率直な疑問を投げかけた。
「はっ、幕政を打破できるかどうかは、わかりませぬが、幕府財政を巡って一計がござります」
初めて自ら意見を述べる機会となり、緊張しつつも、意次は今まで学んできたことから、導き出した自分の考えを、今まさに、老中首座に向かって、述べようとしていた。
「これまで、幕府財政の収入は、百姓からの年貢が主でした。元禄期の財政赤字を補うように大君吉宗公は、年貢増長策をひたすら推し進めていきました」
その結果、財政は黒字に転換したが、その代償として百姓の暮らしは厳しくなっていった。そして現在、長年の鬱屈が爆発したかのように、各地で百姓一揆が多発し出していた。
「そんなこと、幕政に関わるものは皆わかりきっておる。今わしが常に考えておるのは、その矛盾をどうやったら、解決できるか、その一点だけじゃ」
何を今更とあきれ顔の武元を、意次は見透かしていたかのように、鋭く目を光らせ、
「確かに、百姓中心の財政政策では、この矛盾を解決するのは難儀やもしれませぬ。しかし、百姓以外を中心においた場合、それは可能となりましょう」
「百姓以外?」
国を守り政治を掌る武士と、米を提供する百姓。我が国はこの二つの身分でほぼ成り立っている。その他に、幕府財政を安定してくれる、都合の良い人間などいるか。
武元はなお理解に苦しむように、意次をいぶかしげに見つめると、
「ええ、老中の皆様より常に金銭のことを考えている人たち、つまり商人にござります」
「商人じゃとおぉっ?」
武元は、思わず素っ頓狂な声を上げた。士農工商と最も卑しい身分、商人については、これまで一度も考えたことが無かったからだ。
確かに、財政の問題なら、その道の専門家、商人の考えを取り入れるのも一つの手である。
しかし自身の儲けしか考えない商人に、果たして幕府財政の矛盾を解決することが出来るのだろうか。
「私の考えでは、まず百姓の年貢は、彼らの負担が軽い検見法へと戻します。そして、その赤字を補うかのように、商人からお金を取り立てるのです。
現在商品の流通は、昔とは目を見張るほど、活発化しています。そこで、その商品に課税することで、金銭の不足を補うのです」
さすが商いの勉学に打ち込んだためか、具体性を帯びた意次の意見に、武元は、思わず唸り声をあげた。
「ううむ、確かに、そうすれば、効率的に財政は安定するやも……」
老中を初め、幕閣の多くは上級武士。そんな彼らにとって、最も卑しい身分である商人のことなど、これまで一度も考えたこと無く、ましてや商いの勉強をしている者など、誰一人いないだろう。
商いという、側用人ならではの着眼点に、武元は感心しきっていた。しかし一点、
「されど、意次殿。商品を課税した所で、一体誰が幕府に金銭を納めるのじゃ?」
もし、商人各自が納めるとなると、規定よりも少ない金銭で、儲けを得ようする者も出てくるであろう。
武元が率直に感じた疑問も、意次は臆すること無く、
「はっ、そのために商人にも、百姓の五人組のごとき、組合を作るのです。商人全員が傘下となった組合なら、金銭を厳格に支払うるだけでなく、江戸の物価もきちんと管理することが出来まする」
「なるほど……」
幕府財政だけでなく、江戸の物価まで見据えていたのか。それまで、上様の通訳係としかみなしていなかったこの男に、武元は魅力を感じた。
自分の意見を述べ終え、再び緊張した表情で武元を見つめる意次に、
「あいわかった。お主の意見、大変参考になった。次の月番で話題に取り上げてみるゆえ、今述べた意見、いま一度詳しく調べておけ!」
意次の意見を聞き終えた武元は、それまで黙って二人の話し合いを見守っていた家重に再度向き合い、
「貴重な話し合いの場を設けていただき、恐悦至極にござりました。この者の意見、大変参考にさせていただき、次回の月番、しかとまとめてみせまする」
武元の言葉に、家重は
「うむ、そういっへくええば、おぜんだへひたかいがあったの」
そう言い残すと、家重は意次を連れて、部屋から去っていった。
その際、意次がこちらにそっと頭を下げたのを、武元は気づいていた。
田沼意次、彼のずば抜けた商いを中心とした幕政の考えは、側用人として留めておくのがもったいない。
それと同時に、彼をうまく取り込むことで、幕政の安定はおろか、正珍方に対抗できるやも。
武元は、今後のあの男の扱い方に考えを巡らせつつ、江戸城を静かに後にした。
この年、意次は三〇〇〇石加増され、合わせて知行五〇〇〇石の側用人となった。表向きは、家重の生活を補佐し続けたことへの、主君のご褒美とのことであったが、真相は意次を味方につけておきたい、武元の奏上の結果であった。
それを裏打ちするかのように、以降、意次と武元は、二人で幕政について話し合うなど、距離を密接に近づけあっていく。
一方、月番では、商の道を幕政に重ね合わせるなど、もっての他と、正珍はなおも反対し、まとまらなかったが、徐々に幕政の緊急さを鑑み、武元の意見に傾いていく者が多くなっていた。
一七五六年、夏、舞台は江戸から遠く離れた美濃の山奥。
田畑が一面に広がる中桐村の一軒家、定次郎宅で、困窮した表情の百姓数名が、集まっていた。
「おい聞いたか、南の穀見野村が、藩側の圧力についに屈したそうだ」
血気盛んな喜四郎の衝撃の一言に、定次郎は嘆息した。
「そうか、屈したか……一昨年の一揆で、誓約を誓い合ったのも、もはや遠く感じるな」
一昨年の八月、過酷な年貢徴収を行う、美濃郡上藩主金森頼錦に抵抗するため、定次郎ら村の百姓は、一揆を起こした。
杉の木々が鬱蒼と生い茂る中桐村の外れ、南宮神社に、定次郎の呼びかけの下、一〇〇〇人の百姓が集まり、お城に強訴をかけたのだ。
しかし郡上藩は、藩主、金森頼錦の命令の下、これを無視。逆に百姓の代表格である、庄屋数十名に、年貢徴収を承認するよう、半ば強制的にこれを承服させた。
このことを知った定次郎らは、以前から連絡を取り合っていた、穀見野村と共に、再び立ち上がり、人数も今度は、総勢三〇〇〇人を超えた。
「そういや、あの村はわしらよりも、まだ田畑が豊かな方だ。過酷な年貢より、事後の厳しい処分に恐れをなしたのか」
だが、大規模な一揆にも、藩側は一切沈黙したまま。そして、長期化する中、次第に一揆側で脱落・脱走する者が目立ち始め、ついに藩側の切り崩しにより、穀見野村全体が、定次郎らと袂を分かちてしまった。
「こうなったら、わしらが直接、頼錦の不当を江戸に訴えにいくしか……」
喜四郎はそう意気込むと、うつむいている定次郎らをぐるっと見渡した。
「確かに、このままじっとして、何も解決しないよりかは」
このままでは、藩側の武力によって、いずれ蹴散らされてしまうだろう。
それなら、一か罰か、江戸まで出向いて、藩邸に直に訴えてみよう。
「よし、わかった。来週江戸へ出発する。他の者には、わしが言っておくから、喜四郎たちは、嘆願書を事細かく書いて置け」
こうして、定次郎ら数十人の代表は、江戸に向かう意を決し、翌週村人たちに見送られて郡上を後にした。
そして同年、秋、彼らは長旅を終え、無事江戸に到着した。
定次郎らの郡上脱出は、彼らの綿密な計画によって、藩側には全く悟られなかった。
そして、それは郡上藩主、金森頼錦とて、例外ではなかった。
「正珍殿自ら、私目の屋敷に来ていただけるとは、頼錦これに勝る幸せはございません」
陽が傾き始めた、江戸の藩邸。本多正珍と本多忠央は、職務を終えた後、二人初めて頼錦邸を訪れた。
「正珍殿は、そなたに聞きたいことがあって、わざわざ直々に参ったのじゃ」
頼錦の大げさなお世辞や忠央のごますりにも、正珍は全く表情を変えずに、開口一番、
「お主の領地で、先日大規模な百姓一揆が起こったようだな」
言外に突き放した調子を匂わせつつ、しかし淡々とこう尋ねた。
「えっ……正珍殿が、どうしてそれを……」
不意をつかれた話題に、頼錦の顔色は青ざめた。
幕閣に何としても入りたい頼錦は、うまく取り計らってもらえるよう、正珍の屋敷に、時には自ら、金銭や特産物を贈っていた。
対する正珍にとって、頼錦は他の大名と同じ、定期的に物を届けてくれる律儀な僕としか捉えていなかった。
ただ、いずれ宿敵武元を追放した後には、幕閣とまではいかないまでも、それ相当の地位に上げるくらいの義理は持っていた。
それだけに、今回聞いた話は正珍を少なからず動揺させた。
「城内の廊下で、大垣の戸田殿と遭遇し、話を聞いたのじゃ。このことが表に取り上げられれば、お主は処分されるぞ。なぜ、今までわしに黙っておったのじゃ!」
それと同時に、このことが万一月番で取り沙汰されれば、芋づる式にわしと頼錦の関係が明るみに出てしまう。そうすれば、決定的にわしは武元に敗北してしまう。
ただでさえ現在、幕政を巡って自身が不利な立場にいるだけに、正珍は些細なことにも、気を巡らしていた。
一方の頼錦は、正珍が一連の事件を詰問したことに、一瞬たじろいだが、すぐさま愛想笑いを浮かべ、
「はっ、なるほど、これだけの事件を殿にお伝えしなかったこと、頼錦、不徳の致す所でござった。しかし、一揆はすでに沈静化しておりまする。暫く立てば、百姓たちも諦めて元の生活に戻りましょう」
江戸にいる頼錦は、先日、藩から、穀見野村の介入に成功したことを書簡で知らされていた。
確かに、三〇〇〇人を超える大規模な百姓一揆が発生した当初は、日夜内心びくびくしていた。しかし、書簡を読んだ今は、この一揆はすでに過去のものとしか捉えていなかった。
頼錦の言葉に、それまで不安げな目を向けていた忠央も、
「それは何より。これで、臭い物に蓋をすることができますな」
心底安心したように、ほっと胸をなで下ろした。
「うむ……」
しかし正珍は、どうも悪い虫の知らせがするようでならなかった。
この話は終わり、この後通例通り、酒を囲み金銭授受のやり取りを始めようかとしたその時、
「頼錦様、門前に百姓たちが直訴しに参りました!」
サッ
障子が素早く開かれ、血相を変えた頼錦の家臣がこう叫んだ
「何だと!」
頼錦は耳を疑った。百姓が江戸まで直訴に。そのようなことは、定期的に届く書簡にも一切記されていないことだった。
「頼錦貴様……」
瞬間、驚く程険しい目つきで正珍がにらみつけた。頼錦はすっかり動転してしまい、
「おっ、追い払え! わしは今留守にしていると伝えろ。なーに、たかが百姓。すぐに引き上げるに決まっている……ふっ、ふははっ!」
「秋元但馬守様のお屋敷は」
同刻、意次は武元に言伝を頼まれ、老中の一人、秋元凉朝の屋敷に向かっていた。
ここの通りを曲がればすぐそこ、辺りが暗くなりかけた江戸の藩邸に、ふと、騒々しい物音が聞こえた。
どんどんっ
「こらー、誰かおらぬのか! わしら、遠路数月かけて、江戸に参ったのじゃぞ!」
「頼錦様、わしらの訴えをお聞き届け下され! どうかいま少し……いま少し年貢をお引き下げ下され。お頼み申す」
とある藩邸の門前で、数名のみすぼらしい身なりの者たちが、門を代わる代わる叩いていた。
「確かあそこは、郡上藩金森頼錦殿のお屋敷……」
一体彼らは頼錦殿に何の御用か。
傍から見ても、尋常ならざる光景に、意次は見過ごすさずに、彼らに近づくと、
「お主たち、一体そこで何をしておる!」
後ろに控えていた一人の男に、恫喝した声音でこう問いかけた。
瞬間、前で叫んでいた者たちも皆、後ろを振り向いた。
「お侍さ……もしかして、あなた様は、郡上藩の者でございまするか?」
「いや、わしは郡上の者ではない。たまたまそこを通りがかった時に、お主たちを見かけ、一体何用で騒いでおる」
意次の言葉に、彼らは怪訝な顔を見合わせたが、その中の一人、定次郎は意を決した表情で前へ進み、
「実は我ら、藩主様の悪政を訴えに、はるばる郡上から参ったのです」
「藩主の悪政?」
意次はいぶかしげに、彼らを見つめた。
「はい、我が藩主、頼錦様は、他藩と比類のない程、厳しい年貢を押し付けて参ります。我らがお城に強訴をしても、藩は聞き入れてくれず……そしてついに、この場にいる代表たちで、江戸の藩邸に訴えに」
始めは見ず知らずの侍相手に、遠慮していた定次郎であったが、次第に、長年の鬱憤を晴らすかのように、熱がこもり始めた。
「ん、ちょっと待て。お主、強訴といったが、一体どれだけの規模で行ったのじゃ」
「はっ、隣村も合わさって、およそ三〇〇〇人を超える人数でした」
「三〇〇〇人!」
意次は驚愕した。
三〇〇〇人を超える強訴、これだけ大規模なものなら、当然江戸の城内で耳にするはず。
しかし江戸まで届いていないという実情に、意次は何者かが意図的に隠しているであろうことを読み取った。
なおも訴え続けようとする、定次郎の話を打ち切ると、
「わかった。幸いにもわしは、江戸城で親しい方がおるゆえ、幕府で審議するよう、取り計らっておこう。したがってお主たちも、藩邸にこれ以上迷惑はかけずに、知らせが届くまで、どこか身を潜めておけ」
そう言うと意次は、日頃懇意にしている宿を彼らに教え、再び秋元邸へと歩を向けた。
だが頭の中には、この一大事をどのように武元に伝えるか、そればかりがぐるぐると反芻していた。
翌日、早朝
意次はいの一番に、武元の屋敷を訪れ、火急の要件と称し、都城前の武元に面会を申し入れた。
「一体何事じゃ。昨日の言伝のことなら、今は時間がないゆえ、また後日にしてくれ」
部屋に入ってきた武元は、身支度に大わらわで、こう命じると、すぐさま引き返そうとした。
「いえ、要件とは、そのことではございませぬ。実は昨日、重大な情報を耳にしました!」
朝の慌ただしい一時を、邪魔するのは忍びなかったが、意次は改まった声で、こう叫んだ。
「重大な情報……? 一体何を耳にした?」
武元も意次のただならぬ様子を感じ取り、動きを止めると、目線を向けた。
「はっ、昨夕、郡上藩邸を通りました折、百姓数名が、門前でたむろしていました。不審に思い、彼らに声をかけたところ、なんと先日、藩で大規模な一揆を起こしていた由にござりまする!」
「なんと……それは、まことか!」
武元は、思わず耳を疑った。
一揆が発生した場合、藩主は幕府に通達するのが、法度となっている。もし、この情報が本当の場合、藩主は法度違反で処罰されねばならない。
「ははぁっ! もし彼らの証言をお聞きしたければ、いつでもご連絡下さい。それがしが手配した宿に泊まらせているゆえ、いつでもお呼び寄せさせます」
「でかした、意次!」
武元はこう叫ぶと、彼に近づき、満面の笑みを浮かべた。
もし、意次が彼らに気付かなければ、郡上藩はこれを黙殺。一揆も直訴も全て、闇に葬られていただろう。
顔を上げた意次自身も、表情は破顔の笑みであった。武元は再び厳しい態度に戻すと、
「よし、わしは今すぐ登城し、上様にこの一件を報告する。それまでお主は、郡上藩に嗅ぎ付けられぬよう、百姓たちと共に、自邸で待機しておけ」
颯爽と部屋から出ていった武元は、途中の身支度を再開し、定刻少し過ぎに、駕籠に乗って、江戸城へと向かった。
このことを月番で話せば、年貢減免はもはや確実となるだろう。
道中、駕籠の中で、武元は正珍の悔しがる様子を目に浮かべ、何度もほくそ笑んだ。
しかし、この一件は、武元の予想をはるかに超える事態へと大きく展開していった。
「百姓は、今日も来ていないだろうな」
郡上藩、金森頼錦邸。
あの騒動から数日、頼錦は常に彼らに怯えていた。
(まさか江戸まで、直訴しに。しかもよりによって、正珍殿と忠央殿が訪れている時に来るとは)
「はい、今日で三日になりますが、あれっきりに彼らは姿を見せませぬ。恐らく、殿の居留守功を奏して、その日の内に郡上へ戻ったのでは」
家臣の慰めにも、頼錦は全く安心できなかった。
(あの時の、正珍殿のお顔)
嫌悪感むき出しのそれは、今までの信頼が崩れたことを物語るには十分であった。
もはや、幕閣への出世の道は途絶えた。それならせめて、これからは、年貢を元に戻して、百姓を楽にしてやるか。
そう考えた頼錦は、手のつかないでいた書類に、形だけの目を通そうとした所、
「失礼仕る! 奉行所の者でござるが、頼錦殿はご在宅か!」
玄関口で何者かの声が聞こえた。
「何者じゃ?」
頼錦の問いに、部屋に入ってきた家臣は、体を震わせ、
「奉行所の方が……殿をお呼びに……」
「奉行所――」
おのれ、百姓たち奉行所へ訴えおったか!
奉行所の催促に、もはや逃れようのない現実を頼錦は思い知った。
憔悴しきった家臣の後ろに、奉行所の者が続々と入ってき、
「金森頼錦! 当藩において、悪政の訴えが届いた。聴取をするため、至急奉行所にお越し願いたい」
そう述べると、奉行所の数名が頼錦をひったて、玄関口へと向かわせた。
その間、頼錦は無言のまま、ただじっと、彼らに促せられる道を見据えて歩いていった。
「よし、頼錦は屋敷を出たな。これより、一揆を裏付ける書類が無いか、家宅捜索する」
こうして、頼錦邸は、奉行所の者が手分けし、一気に関連する書類の捜索が始められた。
「百姓一揆の書類、書類」
その時、役人の一人が、文机から一枚の巻物を取り出した。
「巻物、もしかして何か事件の手掛かりになることでも」
巻物を開いてみると、そこには頼錦自身の几帳面な筆跡で小さい字が記されていた。
「正珍殿、金貨十両、米五俵……忠央殿、酒樽三杯、銀貨二〇枚!」
そこには驚愕の内容が記されていた。
「大変な書類を見つけた……これは、本多正珍殿への頼錦の賄賂書だ!」
翌週、江戸城。
本多正珍は、突然の老中の召集に、急ぎ足で渡りを歩いた。
毎回、月番が行われている城内の一室に向かうと、既に他の老中は着座していた。
「お待たせいたし、まことに申し訳ありませぬ」
正珍が遅れを詫び、座に着すと、
「よし、これで全員、揃いましたな。さて、今回、突然貴殿方をお呼びしたのは、他でもない。実は我々で話し合う、ある案件が発生してな」
そう口火を切ったのは、今回、月番の老中に号令をかけた、松平武元であった。
ただし、彼の口調には、平常では見せない、緊迫した色が見受けられた。
「ほう、その案件とは、一体いかがなものにござりますか」
老中一人の言葉に、武元はややためらいがちに、
「実はとある藩で先日、三〇〇〇人を超える大規模な一揆が発生したらしい」
瞬間、正珍の脇からぬるりと、冷や汗が滴り落ちた。
まずい、やはり表に知れ渡る形となったか!
あの夜、動転する頼錦や忠央をなだめ、百姓の声が聞こえなくなった頃合を見計らい、正珍は裏門からばれないよう一人帰った。
そしてその晩は運よく、誰とも遭遇せずに無事自邸まで帰り着くことが出来たのだ。
残念だったな、頼錦。
もはやこの場で話し合われることとなった以上、あやつは厳重に処罰されるだろう。
(しかし、このままでは、わしと頼錦の関係が明るみに出てしまう)
そう考えた正珍は、この後、頼錦邸に行き、今までの賄賂関連の書類を一切処分しようと思いを巡らせた。
「それが武元殿の申す、案件にござりますか」
今度はまた別の老中が、武元に尋ねた。
彼らにしてみれば、各藩の一揆など、本来幕府の中枢で話し合う案件では無かった。
他の老中の不思議そうな目で、武元を見つめると、
「いや実は、その一揆のあった藩主と、ここに控える正珍殿の関係を少し確かめておきたくての」
抜群の頃合いで、武元は正珍にこう投げかけた。即座に、他の老中が今度は正珍に顔を向けた。
「何を突然藪から棒に……わしと今の述べた案件と、一体どういう関係があるというのか?」
なぜ、武元がこのことを知っている!
内心心臓が跳ね上がる程の衝撃であったが、とにかくここは何としてでもしらを切らないと、
「そもそも、この案件も、武元殿がこの場でおっしゃるまで知らなかったこと。それを、わしと関係あるとは、皆目見当がつきませぬな!」
正珍、迫真のとぼけた演技に、他の老中も皆納得した。
すると、武元もなぜかしら追及をやめ、
「わかり申した。どうやら、それがしの勘違いでござったな……では、この話はこれにて打ち止め。最後に幕政の商業政策について、決を採らせていただく」
武元が以前提案した。幕政の商いの道導入は、ほぼ決定事項となっていた。それが、今回の大規模百姓一揆を利用し、一挙に可決にもっていこうというのか!
既に正珍以外の老中は皆賛成であった。
いかん、このままでは、幕政は武元の思うままになってしまう。
今回も何とかして、この案にけちをつけようと、
「お待ちいただけ! 今回の郡上藩一揆で商いの道導入の決は、まだ早すぎにござる。この案には、まだまだ疑問の点がいくつもござる!」
瞬間、目の前には、したり顔の武元と驚愕した表情の他の老中。
武元は勝ちを得たと、誇らしげに、
「郡上藩……わしは、今まで具体的な藩名は明かしていなかったのに、なぜ正珍殿が知っておられる?」
しまった、してやられた!
興奮のあまり、墓穴を掘った正珍に武元は二の句を継がせず、
「観念しい、正珍! お主と郡上藩主、金森頼錦との関係はすでにばれておる! 不正に金銭をやり取りしていたこと、奉行所から知らせが参った」
そう言うと、懐から薄汚れた巻物を取り出した。武元はそれを畳の上に広げ、
「正珍殿、金貨一〇両、米五俵……頼錦が今までお主に渡していた金物の一覧表じゃ! 追って奉行所より、沙汰が下さる。それまで、お主は一切途上停止じゃ!」
正珍は目を疑った。頼錦、こんな物を書きつけておったのか! しかし、それも、もはやどうでも良いことだった。
幕政を巡って武元に負けただけでなく、賄賂の関係が表に出るとは。
他の老中からの侮蔑の視線も気にせず、正珍は茫然自失の態で立ち上がると、一人の城を後にした。
翌月、郡上一揆を巡る奉行所の判決が下された。
……郡上藩主金森頼錦、悪政の咎で改易
百姓定次郎、喜四郎等数十名、暴動を起こした罪により、獄門、死罪
老中、本多正珍、事件を聞き知っていたにもかかわらず、適切な処理を怠ったとして、老中罷免
若年寄兼、遠江相良藩主本多忠央、右に同じく、若年寄罷免、合わせて改易……
なお遠江相良藩二万石は、藩主改易により、側用人田沼意次がこれを継承する
「武元殿! これは一体いかがしたことにござりますか!」
判決文を瓦版で読んだ、意次は真っ先に武元の下へと向かった。
「それがしごときが、二万石を頂戴するとは、全く恐れ多いことにござりまする」
謙遜する意次に、武元は温かい笑みを浮かべ、
「今回の最大の功労者は、そなたに決まっておろう。これは、そのささやかなわしからの褒美じゃ」
武元はこう述べた。難敵本多正珍、忠央等に勝利した武元にもはや、怖い者などいなかった。
そして、念願の年貢減免、商いの道導入も昨日無事月番で可決された。
「どうか意次、受け取ってくれ。その代わりこれからも、わしの懐刀として、よろしく頼 むぞ。
「はっ……ははぁっ! それがしには、もったいないお言葉にござります!」
感極まったのか、意次の目に、熱いものがこみあがってくるのが感じられた。
卑しき身分である側用人のそれがしが、つ
いに大名へ。しかも尊敬する大岡忠光殿と
同じ二万石。
「そうか、受け取ってくれるか」
うんうんとうなずく武元の顔も、真っ赤に紅潮していた。
これ以後、田沼意次は大名として本格的に
幕政に参加する形となり、武元の死後、俗に
いう田沼時代を展開していった、
一七六一年六月、徳川家重は病の床に臥せ
ていた。
「父上、お体の調子はいかがにござりましょう?」
隣では、成長した息子家治が、心配そう
に父の顔を覗いた。
「おお、いえはうか……うむ、あまいかんばひふなひのお」
十数年前、祖父に呼び出された際は、用意
されたカステイラに大はしゃぎしていた子供
が、今では一人前の好青年。
家重は、亡き母親似の真面目で控えめな顔
立ちの息子を、頼もしげにじっと見つめた。
「……意次殿、父はなんと仰せになった」
対する家治は恥ずかしげに目線を反らすと
後ろに控える意次に目線を向け、こう問いか
けた。
「はい、何でも、病状があまり芳しくないとのことで」
数年前より家重の言語障害は更に悪化し、息子家治も理解できぬ程であった。
あの騒動と同年、京の都を揺るがした宝暦事件。翌年の家重子息、徳川重好の清水家分家、そして去年の家治将軍就任。
目まぐるしく動く幕政を武元と共に携わりつつも、意次は一貫して家重の世話を一人黙々と続けた。
「何をおっしゃられます。まだまだ父上には教えてもらうことが山ほどあります! それなのにこんな所で、病に負けてはなりませぬ!」
悲しみに暮れる息子に、弱弱しい笑みを浮かべると、家重は再び瞼を下ろした。
「良い家臣を見つけ育てることが出来たか、家重!」
その時ふと、どこからか父吉宗の声が聞こえた。
「……ひひふえ? どこにおられまふふぁ?」
暗闇をさまよう家重の前に、父吉宗の姿がぼんやりと現れた。
「わしが残した遺言じゃ。お主は無事達成することが出来たのか?」
将軍就任前は、自身の生れ持った言語障害に人生を諦め、意図的に将軍への道を避け続けた。
それが、父吉宗の一言で将軍就任を決意。弟宗武との対立、そして老中本多正珍一派とその後家重らを阻む壁は決して低くは無かった。
そしてそれを乗り越えた今、家重は胸を張
って父にこう返答することが出来た。
「はひ、まわひのものたひとの、きょうりょふのおかげへ、りっふぁな、かひんをそだえあえまひた」
その者を見つけ出した側室、お遊。その者と手を携えてくれた松平武元。彼らに感謝しつつ、今、家重は心の底から信頼できる家臣を育て上げた。
「いえはう……いいふぁ、よふひへ」
家重のか細い声に、家治は耳をそばたて、
「は……いったい、何にござりましょう?」
「こんご……こんご、なにふぁこまったこおがあえば、おひふぐをたようように。こえが、わしの……さいごのたのみじゃ」
この言葉を最後に、家重は昏睡状態に陥り、翌日あっけなく息を引き取った。
結局、生涯家重の言語も内面もほとんどの者には理解されなかった。
彼、最後の言葉も、意次の通訳によってしか、息子には届くことが出来なかった。
当時の文芸サークル会内誌あとがきより、一部抜粋
「徳川家重について、従来のイメージ(暗愚将軍)を払拭したかったのが、書き始めた動機。
ただ気づけば途中から、田沼意次の方が主役級に。もう少し家重を多く登場させてもよかったのではと反省。
参考文献として、大石慎三郎著『田沼意次の時代』(岩波書店 1991年)を多く活用させてもらいました」
P.S.連載中の『親不孝』新編は鋭意執筆中です。
ただ時間も限られ、かつ筆も中々進まず、次投稿は11月頃になりそうです。
途中ですが、本作品も読んで感想評価いただければ、大変ありがたいです。