骨の髄まで愛したい
骨の髄まで愛さなきゃ、気が済まない。
重い?怖い?夢見がち?
むしろ逆だと思う。骨の髄まで愛せるほどの人なんていない。
いたとしても、そしてその相手と相思相愛になれたとしても、きっとそれは永遠じゃない。
永遠の愛なんて所詮最初の燃え上がりに寄りかかっただけのおとぎ話。本当にそんな愛があるのなら、この世におとぎ話なんて、恋愛ドラマなんていらない。
実現する確率なんて、ゼロどころが言わせてもらえばゼロ以下。だから、この世界は商業恋愛に満ち溢れている。
夢見がち、そして徹底的な現実主義者。
…それでも誰かを愛したいと、愛されたいと思うのはこんな現実主義者の私にも共通の欲求のようで。
矛盾していると感じながらも私は現実主義者であり、そして骨の髄まで愛せる誰かを夢見る存在だった。
骨の髄まで愛せるほどの人。
今まで少ないながらも私が付き合ってきた人の中に、そんな人はいなかった。どこかしら、嫌悪する部分があって、そこを見つけてしまうと彼らの中で素敵だと感じていた部分は一瞬にして消えてしまう。
優しいけれど食事の仕方がなっていない、気が利くけれど悪口を吐く、私のことを考えてくれるけれど干渉が激しい。
我慢はできるけれど、もしこれから先ずっと一緒にいることになったとした時、私はこれでいいの?
この先ずっと、この相手の嫌気のさす部分と向き合わなければならないとしたら?
…そう考えると身震いがして、嫌悪が顔に現れる。そして結局「何を考えているのか分からない」と突き放される。
その度、傷ついたりなどしなかったし、泣いたりもしなかった。相手に申し訳ないと感じた。そして同時に、ほっとしていた。…心から愛せる相手ではなかったのだ、そう言い訳していたし、友人からも(そんな必要はなかったのだが)そう慰められた。
誰かと一生を添い遂げる必要はない。けれど、それがひとつの大きな幸せであるという風潮に満ち溢れている時勢に、友人の「結婚したい」「子どもが欲しい」なんて言葉は当然のように受け入れられる。肯定される。社会からも求められる。
…訳がわからない、というのが私の本音だった。
今日の新聞に、ニュースに、雑誌に溢るるは結婚してからの不満、育児の辛さ、結果としての離婚…幸せに満ち溢れるはずの世界は何処へ?
永遠に愛せる人なんていない。一瞬でも愛した人の愛する人に同時になれるなんてことも、そうそうない。
骨の髄までは愛せなくとも、それに近い人と単調な人生を歩むことは、小さな幸せを感じるための正解なのかもしれない。
永遠に心から愛せる誰か以外に人生を捧げるだなんて、無意味で、愚かなこととしか私にはとらえられなかった。いつか、全てを愛せる…そう思える人と出会えるかもしれない。だからいくら小さな欠点だとしても、嫌悪が生まれればそれでおしまい。
どんなに夢の中のおとぎ話であるかも分かっていた。
それでも私が誰かを愛するのなら、嫌悪すべき欠点など存在しない人だと、そう確信していた。
「…だめじゃん。」
そう呟いたのは久しぶりに誰かを心から好きになりかけた瞬間。結局また、すぐにいらない芽を見つけてしまった。
優しい、周りをよく見ている、他人を真っ向から否定しない、背が高い、穏やかな口調…しかしそれらの良点を覆い隠すひとつの欠点。それだけでいきなり萎えた。借りたノートを、顔を、声を、もう感じたくないと閉じる。
その後は簡単。借りたノートは返す、メールも返信に悩んだりしない、友達とも言えずの関係を続けてフェードアウト。さようなら。
「まただめだったんだ?」
呆れたような、面白がっているような友人の声。じゃないかもしれない。私の心の、夢見ている部分がそう言っているだけなのかも。
「何がだめなの、どうして嫌いになるの」
私は、綺麗なんかじゃない。人並みの容姿で、それなりに清潔で、生活に困っていることもない。
それでも360度、どこかの視点から見ればとんでもなく不細工な顔もあるし、どこからでも良い匂いがする訳じゃないし、なんなら自分の注意だけではやりきれない、自覚していない汚い箇所も絶対にある。
きっと、誰もがそう。
汚い私を、汚いと自覚していない箇所をもつ他人が愛するなんて馬鹿げている。
汚い、綺麗じゃない部分を綺麗な部分で補ったり、むしろ「完璧じゃない不純さ」をときめきのポイントとして世間は捉える、らしい。私には分からないけど。
いつからこうなったんだろう。
私とてはじめから不純さを持ち合わせたこの現実世界の人間と恋愛することを嫌がっていたわけじゃない。
綺麗じゃない私を、綺麗だと言った彼のせいか。
そう言いながら汚い私に触れたからか。
汚い私に、汚い指で触れた彼が嫌いだ。顔も思い出せないけど。
自分が汚いからといって、汚い他人と触れ合って慰め合うのはごめんだ。
汚いに汚いを重ねても綺麗さは生まれない。愛なんて不純だ。嫌いだ。
………消えてしまえ。
このままきっと、私は綺麗さを求めるし、酸素を吸って、息をして、ごはんを食べて、生きていく。
綺麗さの塊を見つけてもきっとその先、どちらかの汚さに触れて私の希望は死んでいくんだろう。
それでも、
骨の髄まで染み込んでくる綺麗さを、愛しさを、今日も求めてる。
こちらから見てどこからでも美しく映る綺麗さの塊の向こう側に、手を伸ばして。
そして、絶望するんだろうな。