Arie.ogg
聴く者の身体を癒す様なピアノの音が流れる。
それはまるで、綺麗な森の中を表現している。
僅かに入る白い陽光が、広大な緑の森を鮮やかなコントラストで映し出している様だ。
「ん……ぅ」
そんなBGMが葉月の耳に入ると、彼女はゆっくりと瞼を開く。
彼女の視界に入ったのは、赤紫色のローブを身に纏った、彼女の身体だった。
其処は、先程まで居た部屋とは違う場所――仮想世界の中だ。
仮想世界――このゲームの名は。
『Neue welt――ノイエヴェルト』。
数多の剣と魔法が紡ぐ世界。
葉月の目の前には、アンティークの小物が幾つか並んだバーカウンター。
周囲をぐるりと見回すと、書物をぎっしりと収められた本棚がある。
バーカウンターの背後には扉の無い入り口があり、奥では又、本棚が数え切れない程並んでいるところが覗ける。
如何やら、図書館と喫茶を混ぜた様な施設に居る様だ。
ちなみに今の彼女のアバターは、二つ結びにした長い茶髪に、丸眼鏡を掛けた魔法少女の姿をしている。
何処か葉月の姿と重なるものが見え隠れする女の子は。
『百里眼のアリア』。
この世界にいる人達からは、そう呼ばれている。
しかし、他にも色々と名称がある様だが、……今はややこしくなるので省くとしよう。
「……よしっ、今日もお仕事開始っ!」
情報は星の数以上に存在し、その情報の正誤は、知る者の判断に委ねられる。
情報に寄っては、金銭や宝石以上の価値があるとする者が居り、又、同じ情報でも紙屑同然とする者も居る。
更には、事の全てを知り過ぎると、己へも向ける刃になり兼ねん運命を辿る者も居る……。
「ようこそ、書庫喫茶『Largo』へ」
仮想世界の葉月――アリアは、この世界で情報屋の喫茶を営んでいた。
その立ち振る舞いは、現実世界での『葉月』とは若干異なる。
この世界ならではの彼女、『アリア』だった。
葉月がこのゲームに身を投じている理由。
――それには先ず、葉月の親について語ろう。
葉月の親は双方共に、有名な音楽家……『だった』。
葉月の父はヴァイオリン、母はピアノに手を掛けていたそうだ。
世界のコンクールでの受賞歴も数々あり、そのトロフィー達が葉月の家に保管されている。
しかし、不思議な事に、木之本の性があるにも関わらず、葉月が有名な音楽家の娘として知られる事は、日本では少なかった。彼女曰く、自慢しても信じる人は居なかったからと、あまり言わなかったそうだ。
……先程、『だった』と過去形なのは、双方共に、現世には居ないからだ。
オーストリアで開かれるコンクールに出る予定があった時、飛行機で日本から横断する途中、事故により亡くなってしまったそうだ。
葉月の親は世を去る前に、遺作の曲を作っていたらしい。どんな曲なのかは、娘である葉月でも知らない。
木之本の名を知る世界中の音楽愛好者達は、今日もその曲を血眼で探し続け、葉月も探し続けている。
如何してこのゲームと結び付くのかといえば、このゲームのBGMの作曲に、葉月の親が手掛けていたからだ。
その為、葉月がこのゲームに手に触れる事自体、不思議では無い。つまり、このゲームの何処かで、親の遺作が聴けるのではないかと信じて、彼女はゲームに身を投じているのだ。
又、葉月がゲームにダイブして初めに流れたBGMも、彼女の親に寄る作品の一つである。
しかし、このBGMは未だゲームが発売されて間もなく、そして親も未だ生きていた時に、幾度も耳にしている曲で、遺作の曲ではない筈と断言している。実際にその後も他に、親が手掛けた曲を色々耳にしている。
「マエストーソ鉱山最上層手前のエリアまでのマップと、その周辺に出現する、ボスについても含めた敵情報を売ってくれ」
アリアの目の前に、背の高い男性が一人、立つ。
男は右手の人差し指と中指を揃え、指先を上から下へと振る。
男の前にポップウィンドウが浮かび、其処から指先を動かして何かを指定している。
すると、アリアの前にポップウィンドウが浮かんだ。男の支払う金額が表示されているが、その数字は……彼女にとっては少ない額の様だ。
「んー……。あそこは情報を得るのに、苦労したんだよね……」
「すまねぇ。これ以上は、装備を整えるのに厳しいんだ」
「……分かったわ。資料を出すから、ちょっと待ってて」
アリアはため息まじりながらも応じ、男は笑顔で頷き、そのまま立ち止まる。
アリアも右手の人差し指と中指を揃え、指先を上から下へと振る。
アリアの前にも、メニューが表示されたポップウィンドウが浮かび、其処から指先を動かしてポップウィンドウを幾つか展開する。
一つの項目を見つけるとそれに触れて、ポップウィンドウを全て閉じた。
すると、アリアの背後にある書庫の、一つの本棚がガタガタと震える。
棚から一冊の分厚い本が勢い良く飛び出し、本は光の様な速さで、アリアと男の居る方へ飛んで行く。
アリアは平然とした表情で男の方へ向いた侭だ。
「っ……!」
本が飛んで来るところが見えた男は、ビクッと全身を震わせた。
しかし、飛んで来た本にアリアは右手を伸ばして、バシッと見事にキャッチ。
そんな彼女の姿に男は脱力する。
「……何だ、冷や冷やさせるな」
「大丈夫だよ。ゲームのシステムに寄って、わたしの身体の動きを補助してくれるから」
「そういう問題かっ! こう、本棚に収まっている本が離れた場所まで飛んで来るとかじゃなく――てか、話聞いてる!?」
アリアは男の突込みを遮り、先程の本を開き、男の求めていた情報を淡々と説明し始めた。
男は、その説明が求めていた情報である事にハッとして、渋々ながらも彼女の説明に意識を集中した。
※ ※ ※
「……ふぅ、今日もそろそろ終わりかな」
アリアは展開していたポップウィンドウを閉じ、腕を伸ばしてリラックスする。
「さて。課題のレポートを片付けないとね――」
「アリアお姉ちゃん! 助けて!!」
女の子の叫び声と同時にドアのベルが鳴るが、叫び声の方が大きかったので、ベルの音は小さな音でしかアリアの耳に入らなかった。
大きな扉の方へ振り向くと、先程の叫び声の主である女の子が泣きながら、アリアに飛びついた。
「!? どうしたの――!?」
又、其処へ新たにやって来た来訪者で、驚きの連鎖反応。
後にやって来た来訪者は、屈強な灰色の鎧を身に纏い、大きな斧を背負った斧戦士だった。
見かけは短髪で無精髭を生やした、二十代後半位の筋肉質の大男だ。
「ガッハッハッハッ!! 大人しく、その子を渡してくれねぇかぁ?」
「貴方は確か……」
斧戦士の名は――『剛力のオウバ』。
「……ゴメン。誰だっけ?」
ズザザザザザザザザザ……ッ!!
キョトンと首を傾げるアリアに、オウバは盛大に滑り転ける。
アリアに飛びついてた女の子は、少し不安な表情で困惑している。
「お前ぇ……っ!!!! 情報屋だろぉぉぉぅがぁぁぁああ!!!!」
「わたしの記憶に響かないという事は……、貴方は大して有名なプレイヤーじゃないという事なんだよ。身形で幾ら強そうな振りしててもダメだよ?」
「何を云うっ!! この斧を見て、何も思わないのかぁぁ!!」
彼の背負う、装飾が派手で大きな両刃の斧は、武器精錬で希少な特殊金属が要求されるので、手にするには少々難しく、ランクAアイテムとして位置付けされている武器だ。
そんな武器を背負うという事はつまり、彼は中堅プレイヤーなのだが……。
女の子はアリアの背後に周り、怯えながら縋り付く。
「まぁ、そんな事より。……止めてあげて。どんな事情があるのかは知らないけれど……、この子、嫌がってるじゃない!」
「……ダメだなぁ。俺様から大事な物を盗んでいるのだぁ!」
「大事な物……?」
アリアは、キョトンとした表情でチラリと女の子の方へ目を向ける。
「だって! そのおじさん、探索の途中で拾った、ファイルオブジェクトのアイテムを横から奪って行ったもん!」
「これはシーフ職に寄るスキル、スティールだぁ。スキル発動者のレベル以上の者は盗めねぇが、モンスターだろうが、プレーヤーだろうが、出来るものは出来るのだからぁ。それに運営からの情報では、別に問題も無かった筈だし、正当な行為だろぉ?」
「でも、これは……わたしの大切なアイテムだもん……」
女の子は今にも盛大に涙が溢れ出しそうだ。
オウバは最近、プレーヤーが拾ったレアアイテムをスティールで掻っ攫うという、あまり良くない噂で有名らしい。
スティールは彼の云う通り、シーフの職で初めに取得するスキルで、人やモンスターの持つアイテムを盗むスキルだ。レベルの高い者に使用する事は出来ないが、アイテムはレアなランクの物だろうが、どんな物でも奪う事が可能だ。
しかし、シーフは斧を主武器として装備する事は出来ない。
斧戦士なのにシーフのスキルを使えるという事は恐らく、基本職でシーフを選択して、育成中に、シーフのクラスツリーの内から斧の扱える上位職――ベルセルクという職へ転職して育てているのだろう。
「うーん……、確かに、オウバさんのした事は、ゲーム上のルールでは問題ない事だね。それなら、この子は――」
アリアはハッと何かに気づいて、女の子の方へ振り向く。
身を低くし、いたわる様に優しく接する。
「そういえば、君は如何して、オウバさんが奪った物を取り返せたのかな? 君もシーフ?」
女の子は泣くのを堪えて、こくりと頷く。
「という事は、この子もスティールを発動して、アイテムを取り返したのなら問題ないよね。んー……」
「……何を迷っているぅ?」
「双方共に、ゲーム上では問題ない行為をしているからよ。でも……、オウバさんは特に良くない噂を聞いているからね……。……それに、オウバさんは今朝、現実世界で学生さんの女の子をストーカーしてたんじゃない?」
「お前ぇ、さっき俺様の事、知らねぇって言ってただろぉぉ!? 可笑しいぞぉ!? それと突然何だぁ? 現実世界で女の子をストォカァ? 何の事だぁ?」
オウバは、今にも大噴火を起こしそうな怒りの表情をしている。
アリアの背後に縋り付く女の子は、凄く怯えて……ついに涙を流してしまっている。
「じゃあさ。……今朝、ラディダスの黒いジャージを着てて、羅瑠狗通りの木々の陰に立ってた人って、現実世界のオウバさんじゃない?」
「なぬっ!? 何故、知っているのだぁ!?」
「……やっぱりね」
アリアは呆れた表情でオウバを見る。
「……てか、現実世界の事は今、関係ない話だろぉ!?」
「うん、そうだね。でもね……、貴方の事で悩ませてる人が現実、仮想、両方の世界に居るのは事実なの。だから、これ以上の悪事は見逃せないわ」
もう既に大噴火を起こしそうなオウバに、怒りのボルテージが更に溜まって行く。
「お前ぇ……、勇者でも気取っているのかぁっ!?」
「勇者、ね。良い響きじゃない。……まぁ、わたし、オウバさんを知らないとか嘘をついちゃったけどね」
「やっぱり、俺を知らないと言ったのは嘘かよぉ!?」
アリアはテヘッと笑って舌を出す。明らかにオウバを挑発している。
「~~~~~~~っっ!!!!」
オウバの怒りのボルテージが再び溜ま――いや、一気に最高潮まで達した。
しかし次の瞬間、オウバの雰囲気がさっきまでと全く変わる。
「……もう、むかつくわ、お前。嘘つくとか舐めてるだろ? 勝負しろ」
その口調は冷たく静かながらも、恐ろしさを感じさせるものだった。
オウバは素早く手を動かし、ポップウィンドウを立ち上げ、何かをしようとしている。
その動きにアリアは睨むと、彼女の前にポップウィンドウが浮かんだ。
如何やらオウバは、アリアに決闘を申し込んでいる様だ。
「……この勝負で若し、貴方が負けたら、この世界でも、現実世界でも二度と悪い事しないでね? 未だ間に合うから」
「友達に嘘ついてまでゲームしてる小娘なんかに負けるかよ。……良いだろう」
アリアはキッと睨んで、ポップウィンドウに表示されている「YES」の項目に触れる。
※ ※ ※
この世界では、武器は剣――『長剣』以外に、先程の『斧』も含めて他にも、『短剣』、『細剣』、『刀』、『曲刀』、『鎚』、『杖』、『棍』、『槍』、『弓』、『指輪』、『魔本』等数え切れない位の種類が存在する。
プレーヤーは数多の武器から『主武器』、『副武器』を装備して戦う。
プレーヤーの使用するキャラの視界左端上部には、上から順に。
キャラネーム。
緑色の横線――HPゲージ。
二重の黒い円で囲まれた橙色の数字と、その右端にある「AKTIV」と書かれた文字へ続く橙色のゲージ――APゲージの表示がある。
橙色の数字は現在溜まっているAPを指し、APはスキルの発動、或いは回避行動を取ると消費する。ポイントがゼロになるとゲージが動き始め、ゲージの右端から左の数字までに辿り着くと、APが最大値まで全回復する。ポイントの最大値は、初期状態では五までしかないが、特定までのレベルを上げると一ポイント分増加する。
持っている武器に気力を籠めると、目の前にアクションコマンドバーが出現する。
コマンドバーに並ぶ丸いアイコンは、キャラが使用出来るスキルであり、放つ技が判る様にエフェクトのトレードマークで示されている。スキルは其々、必要なAPが設定されている。
又、暗く表示されているアイコンは、スキルを使用する事が出来ない。アイコンが暗く表示される条件としては、APが溜まっていない事、或いは特殊な効果を受けて行動不能になっている場合等が当たる。
他に、相手から攻撃を受けたりして受け身の態勢を取らず、仰向けに倒れた場合は、起き上がるまでの五秒間、無敵時間が発生する。この時、APは消費しない。
カウントダウンが始まった。
その場所は何も障害物が無く、途轍もない広さ、決闘をするには正に最適。周囲全てが灰色に染まった闘技場だ。デュエルモードで決闘する時は、この場所へ転移される事になっている。
そして、其処で二人の決闘が始まろうとしている。
アリアに縋り付いていた女の子は、書庫喫茶のバーカウンターから、天井に向かって浮かぶマルチスクリーンで二人の決闘を見守っていた。
アリアは辞書位の分厚くて黒い魔本を構え、オウバをキッと睨み続けている。
「……小娘ぇ、顔が怖いぜぇ?」
オウバの口調は元に戻っていた。余裕の笑みを浮かべている。
「……」
アリアは何も返さなかった。
挑発に乗ったら負ける。
そう考えているから、カウントダウンが終わった後の行動の事に集中している様だ。
カウントダウンは遂に、零の数字を刻む――。
「はあぁっ!!」
「おらあぁっ!!」
声が出たのは二人同時だった。
オウバの持つ斧の両刃が光り、彼はそのまま四回振り回しながら前進する。最後の斬撃は刃の先から衝撃波が飛び、アリアの方へ向かっていく。
オウバが動くと同時にアリアの方では、手にしている魔本が光り、アリアの手から離れる。本は宙に浮いて、ページが自動的に次々と捲れ始める。その動きが止まると、魔本は素早くオウバの方へ向き、開いたページの先から炎の塊が放たれる。
両者の攻撃は間でぶつかり、爆発が起こって相殺。其れに乗じて、オウバは恐れる事無く、飛び込んだ。
「うおおぉぉっ!!!」
オウバの刃がアリアへ迫る。この攻撃は確実に当たるだろう、彼は確信して斧を振り下ろした。
……しかし。
次の瞬間、アリアの身体が霧の様なオーラに包まれて消えた。
そして、オウバの背後から離れた先で、アリアは直ぐに姿を現す。
「なっ……!?」
追い打ちが空振りになり、オウバは戸惑いで動かなかった。
……この時、彼は直ぐに動けば良かっただろう。アリアは直ぐには動けない状態だったが、彼の戸惑いが長かったお蔭で反撃が早かった。
アリアの魔本から放たれた、二度目の炎の塊がオウバへ迫る。オウバが振り向いた時には、目に映った朱色が彼を襲った。
※ ※ ※
デュエルはアリアの勝利で終わり、二人は元の書庫喫茶へ転送される。
しかし、オウバは納得がいかない様子。
「何故だぁ……、アレは何なんだぁ……? どうせ小細工でも――」
「貴方は魔法職について、どの位知っているかしら?」
アリアはオウバの言葉を打ち消す様に訊いた。
「……魔法職など、雑魚の――」
「魔法職を馬鹿にしないで」
「人の質問に答えているのに打ち消すなよ!?」
「それ、わたしの質問への答えなの? 負け惜しみと、魔法職に対しての侮辱にしか聞こえないわ」
「ふん……、勝ったからって偉そうに……。俺の質問には答えないのかぁ?」
オウバが不貞腐れているので、アリアは溜め息をついてオウバの疑問に答える。
「あの現象について教えてあげるわ。あれは『ミラージュスライド』。貴方は物理職だよね? 大体予測の付く攻撃が自分へ向かって来たら、どんな行動を取る?」
「そりゃ、『ドッジロール』で回避するが……」
「魔法職はね、回避手段が『ドッジロール』じゃなくて、『ミラージュスライド』になるんだ。あの時、貴方が直ぐに動いてたら、わたしは負けてたけどね」
先程にも出たが回避行動は、二種類ある。クラスの内、勇者職、物理職を選択している場合は『ドッジロール』――前転を、魔法職を選択している場合は『ミラージュスライド』――霧の様なオーラを纏って、地を滑る様に移動を行う。何れの行動も僅かだが、三秒の無敵時間が発生し、攻撃を回避する事が出来る。しかし、この行動に出た時、APを一ポイント消費する事になる。つまり、APの最大値が五ポイントとすると、五回行ったら出来なくなるのだ。他に行動するとしたら、通常の移動――『歩く(走る)』しか無い。
「……そうかよ」
「これでも納得しなかったら、運営の人に訊いてね? じゃあ、わたしの勝利だから、もう二度と悪い事はしないでね?」
「ふん……、もうそんな物、くれてやるわ。……だが、お前を認めねぇ……、絶対に認めねぇ……っ!」
オウバはアリア達を背後にして振り返る。
そして、素早く手を動かしてポップウィンドウを立ち上げ、一つの項目に触れると、光を放って姿を消した。
「……ふぅ」
オウバが去って行ったのを確認すると、アリアは安堵の息を漏らす。
「アリアお姉ちゃん……、……ありがとう」
傍に居た女の子はおずおずと、アリアにお礼の言葉を述べる。
「うぅん、……未だ、大丈夫と言い切れるかは分からないけど……、何か困ったら又来てね?」
「うん……、あ、そうだ」
女の子は手を動かして、ポップウィンドウを幾つか立ち上げる。
その姿にアリアは首を傾げる。
「アリアお姉ちゃんにあげる……」
女の子は一つの項目に触れると、楽譜の一ページの形をした物が実体化し、アリアの手に渡る。
「これは?」
「探索の途中で拾ったファイルオブジェクトのアイテム、わたしの大切なモノ……」
「え? 君の大切なモノなのに……?」
「うん……、わたしが持っていても楽器は弾けないし……、それに多分、アリアお姉ちゃんが持っていた方が良いと思うから……」
アリアは楽譜上の五線譜にある文字に目を凝らす。
その文字は、アリアにとって見覚えのあるものだった。
「! ……本当に良いの?」
「うん!」
「……じゃあ、ありがたく受け取るね。どうもありがとう」
アリアは女の子に笑顔を向けて礼を言う。
「又、そのお礼に……さっき貰ったモノ、聞かせてあげる。ちょっと待ってて」
女の子は首を傾げるが、アリアはバーカウンターから少し離れた所へ移動する。
其処には、大きな布で覆い被さっている物があった。
アリアは布を引っ張り、軽く畳んでカウンターの机上に置く。
黒い光沢を放つそれは、グランドピアノだ。
立って眺めていた女の子は、おぉ!と感嘆の声を洩らして目を輝かせる。
「近くで聴いてても良いよ。椅子も用意してあげるから」
アリアは序ででバーカウンターから木製の椅子を動かし、ピアノのある場所の近くに置く。
女の子はピアノの近くまで寄り、アリアに用意された椅子に座る。アリアの行動に興味津々で見ている。
アリアは手を動かし、ポップウィンドウを呼び出す。
更に開いたウィンドウから二つ項目に触れると、先程の楽譜の一ページと同じ物が二つ実体化する。
女の子から貰った一ページと、先程実体化させた二ページの楽譜を机上に置き、其れ等を見比べながら鍵盤に触れる。
若干暗いフレーズから、明るいフレーズへ急に切り替わる音を鳴らす。
此処はちょっと忙しそうだねぇ、と呟きながら、別のフレーズの音を鳴らす。
そして又、先程のフレーズの音を鳴らすと、ふぅ、と一息つく。
落ち着いたところで、女の子の方へチラッと向いて笑顔を見せる。
「よしっ、じゃあ、行くよ」
鍵盤へ真っ直ぐ向き直り、ゆっくりとペダルを踏む。
そして、静かに鍵盤上の一つのキーに触れ、音を鳴らす。
曇り空の続く大地を駆け抜けている感じだ。
奥へ辿り着くと、曇り空を貫く程の高さの巨塔が建っている。
巨塔の中に入ると、其処からは先程のアリア曰く、忙しそうと呟いたフレーズ。
若干暗いフレーズの音は、敵との戦闘シーンをイメージさせるだろう。
巨塔の最上階を目指して、敵を倒し進む感覚の音。
音は戦士を指しているらしい。
巨塔の最上階に辿り着き、出入口の扉を開けると、明るいフレーズの音に移る。
苦難の試練からの解放を感じさせるが、
その音は夢から覚めてしまった様な感覚で、短く終わってしまう――。
「んー……、未だ何か、足りない感じかなぁ……」
女の子はその言葉に首を傾げる。
「……この曲は一曲として成立しているけれど、多分……、未だ完全じゃないんだ。この楽譜に繋がる『ちぎれた楽譜』が……きっと、未だ何処かにありそうだね……」
アリアの表情が若干曇るが、直ぐに笑顔を作る。
「でも、君のお蔭で新しい一曲にこうして出会う事が出来たんだ。もう一度、君にお礼を言わなくちゃね。どうもありがとう」
アリアが再度お礼の言葉を述べると、女の子も笑顔で返した。
課題は未だ残りつつも一難が去り、暫くは大きな問題は起こらないだろう。
……そう思い、ゆっくり出来るのも束の間だった。
(To be continued......)