8. アーベイ氏の休日
野次馬休暇も終わりのようです。
よい暇つぶしとなりますように。
ヘーデンは公休日だと聞いていたので、ヨリアスの離れへのぞきに行った。
行った時はちょうど休憩中だったが、今日はサーシャがいた。
いつも呼ばれるときは昼頃だったので、その時分に行ったのだが、行動を読まれていたのか、薄茶が出てきた。
何でもできる男だとは思っていたが、一体いつ身につけたのだろうか。最初は驚いていたが、そのうちヘーデンの困惑顔の方が面白いので、気にしないことにした。第一、彼の私を見る目が気に食わなかったことだし。あれは私が驚いているのを心底楽しんでいた。
で、ヘーデンのため、というよりヘーデンをからかうために、ヨリアスのかくし芸を聞いていくと、出るわ出るわ。遊所の高級娼婦並みに芸を持っている。まぁそれらがどの程度通用するものかはおいても、自分で言うくらいだから、素人相手に聞かせられる位はできるのだろう。
それで食っていけるほどではないのだろうが。だと思いたい。
その後、ヘーデンの稽古を見物して、カダッテを発つ挨拶をして帰途につく。
見物して思ったのは、まだ稽古と呼べる段階にない、ということだろうか。
ヘーデンも、剣はまぁ人並みより上手く遣うが、無手はドがつく素人だった。
相手が素人相手にも慣れたヨリアスだから、たいした怪我もしていないが、ただ腕が立つだけの人間なら、骨の何本か折れていただろう。
その辺は、リシアの父親があの男で、ヘーデンは運が良かった。
しかしそのほかの点では。
「先生、あの師匠に、せめて追いつくことはできるでしょうか」
散々投げられたせいか、少し弱気だ。
内心、無理だろうなと思いつつも、それは言えない。
「まぁ努力は無駄にならんだろう。少なくとも武術は、お前の仕事の役に立つはずだ」
「そうですね。しかし……他の芸はどうすればよいでしょうか……」
弦楽やら歌謡やらは完全な遊芸だ。お堅いこいつには向きそうにない。
「さあなあ。せめて書道くらいは、誰か師匠を探してはどうだ?これも仕事に役立つものだ」
「そうですね。……さすがに師匠も、そこまでは面倒を見てはくれませんよね……。学業も、もう少し身を入れておくべきでした」
そうは言っても、三男で、養子先も決まらず、比較的豊かな実家でのんびり育ったのだ。本来なら、文武両道を目指して、養子先を見つけるべき立場だろうが、剣にのめりこんでしまったのだな。
それも、同年に比べればよく遣う方、特別秀でた才能があるというより、好きこそ物の上手なれ、という型だ。
あの男は、才能はそこそこ、特別なものではないが、平均よりは上。人より勘が良く、努力もし、修羅場をくぐってきた。
対してヘーデンは、共に南方へ行きそこそこ危険であったといっても、彼の生きてきた場所とは比べるべくもない。しかも今は平和ボケしていないか?
元の性格が、そもそも平和なのだろう。
だからこそ、学業の方はそこそこであったのではないか。
「まあ……頼んでみないことには分からぬが。武術の方は、案外あっさりと引き受けたことだし」
「そうですが……、技は盗むもの、と言われても……」
そこまで基本から教えられたらしい。やはり親切な男だ。
「それは、習うときの基本だろう。ま、書道は別に師匠を見つけた方がいいだろう。あまり何でもヨリアスさんに頼るのも情けないし、これに関しては、教え上手を探した方が良い。一人ずつ特性を掴んで教えてくれるような師匠だな。紹介だけ頼んでみたらどうだ」
「そうですね。機会を見て、頼むことにします」
やっと顔が明るくなってきた。もともとそう長時間思い悩める方ではない。
「あとは……歌道ですか……。これは、駄目です」
またはっきりと言い切った。まぁ何となく分かるが。
「諦めが早いな。まぁヨリアスさんも、自分で下手の横好きと言ってはいたが。形だけでも習ってみるとか……」
「いえ、たぶん私は書道で手一杯になります。こちらが何とか形づいてくれば、次に取り掛かります」
賢明な判断、かもしれない。
「いっそ、歌道の方は諦めて、書道を来籍の達者に習う、という手もあるぞ。本人が苦手と言っていたのだから、こちらの方が手っ取り早く上回れるかもしれない」
少し煽るように言ってみる。無責任なものだ。
彼が言っていた「好む友人」というのは、心当たりがある。
そういえば、その人は独学で習字を勉強していた。
「……誰か、好みの書を見つけて、それを書写する、という手もある」
思い出したことをそのまま提案する。が、これには集中力と観察眼、それに忍耐力がいる。
「探す時間が惜しいです。やはり、師匠に誰か紹介をお願いしてみます」
「それが確実かな」
自分をよく解っている。書写は、余程その字に惚れ込まないと、苦しい作業だ。ヘーデンのような、じっとしているのが苦手な若者には向かない。
それよりは、時間を区切って人と相対して習った方が、身が入るだろう。
「とにかく、当面は合気術と書道に精進します。しかし、あの師匠、これ以上隠し玉はないでしょうかね……」
実はある。
多芸無才と本人は言っていたが、実は一軍の将だったのだ。軍学か、もしくはそれに相応する才能があったのだろう。そして、人を動かす才能。人徳とは異なった、もっと実務的なまとめる才能だ。
祭都時代、隊長には人徳らしきものがあったが、彼にそれをうかがわせるものはなかった。
それでも、幹部には信頼されていたし、平隊員はどんなに嫌っていても、殺そうとまではしなかった。
隙がないとはいえ、あれだけ大勢に嫌われていたのだ。徒党を組んで襲えば、いかに腕の違いがあろうと殺害は可能だったろう。
それが、私も含め、誰も実行しようとしなかった。
したのは、政権移譲成った後だ。が、結局実行する機会はなかった。
思わず黙り込んでしまい、不審に思ったのか、ヘーデンが不安そうに言う。
「先生?何かご存知なのですか?」
そりゃ、ヘーデンにすれば大事だ。今わかっているだけでも、追いつけるかわからないというのに、まだあるとなっては。
「いや。ふと、料理は手伝いと言っていたが、材料を切るだけなのかと思ってな。一通りやるのかね?」
「さあ。私は火を焚く位しかできませんが。やはりこれもできねばなりませんでしょうか」
「いや、大丈夫だろう。第一、リシアさんだが、ヨリアスさんの何を指して、それより優れている人物と判断するのか言っていないのだ。実は背の高さだったりしたら、お前どうにも努力できんぞ」
ヘーデンはヨリアスよりも指二本ほどは低い。それでも私よりは高いが。
あの男が存外高いのだ。身体の厚みがそれ程ないので、あまり大きく見えなかったのだが。何せあの頃周りにいたのは猛者ばかりだった。大男も多かったし、特に幹部になるようなのは、刀槍だけで身を立てられる程の者ばかりだったから、がっしりした者が多かった。もちろん小兵もいたのだが。
「それはそうなのですが。とにかく、分かるところから近づいてゆきます」
若者らしい前向きさは、見ていて気持ちがいい。
「そうだな。頑張りたまえ」
言われなくとも、自分の全力を尽くすだろうが、とにかく奨励して別れた。
「お帰りなさいませ。今日はごゆっくりでしたのね」
部屋へ入ると、シンシアが珍しそうに言った。
温泉旅行から帰ってから、あの離れへは何度か行っている。
別に用事はなし、散歩の道筋に入れているだけで、特にヨリアスに会いたいわけでもない。どちらかと言えば、会いたくない。
ただ、「ヨリアス」を知る人物に会いたいとは思っている。今のところ、あの若い僧くらいだが、できれば院主にも会ってみたかった。
あくまで偶然に出会うことが目的なので、今回は会えないようだが。
「うむ。今日はヨリアスさんに別れの挨拶をしてきた。ついでにヘーデンの稽古具合も見てきたのだが」
「そうでしたの。それで、ヘーデンさんはいかがですか?」
「どうだろうな。かなりの修行が必要かと見たが。まぁ、やる気だけは充分あるのだし、一年もすれば見られる程度にはなろうか」
あんなに「優しく」教えられているのだから、そのくらい上達してもよいだろう。まぁヘーデンにすれば「易しく」教えてもらいたいところかもしれぬが。
「優しく」扱われて、頭を使う余裕を残してもらうよりも、何でもズバリと簡易に言ってもらう方が、自分の悪い点はわかりやすい。
しかし反面、自分で気付かなければ、教えられたことの全てが身につくものではない。何か取り残しが出るものだ。
「そんなに大変なのですか?ヨリアスさんは、余程お強いのですね」
どこか不思議そうに言う妻に、思わず笑みがこぼれる。
「いや、それもあるが、ヘーデンがな、無手は素人なのだよ。道場の板間ではなく庭で稽古して、今までたいした怪我をしていないのは、ひとえに師匠が良かったためだな。今日も、私が見ている間だけでも、ぽいぽいと四、五回は投げられとった」
腕に差がありすぎるので、一方的に投げられるのは当然だが、懲りもせずに、ずっと同じように突っ込んでいった。
ヘーデンはまだ足りないような面付だったが、ヨリアスが止めた。
興奮状態では、自分の体調は解らないものだ。
「まあ、そうでしたの。ヘーデンさん、剣は目録をお持ちだと伺いましたけれど、それ程異なるものなのですか」
「少なくとも、ヘーデンにとっては全く勝手が違うだろうな。どう違うかに気付けば、多少進歩するだろうが」
「あら、お師匠様は教えてくださらないのですか?」
どうやら意地悪だと思ったらしい。非難するような目だ。
「それくらいは、自分で気付かねば。ヨリアスさんは優しい方だ。怪我をせぬよう気遣っているからな。きっと私事で仕事に支障をきたしてはいかんと思ったのだろう。ヘーデンは気付いていないようだが」
「まあ。そういうものですか。でも、ヨリアスさんがそんなに良いお師匠様なのでしたら、ルーシスさんもお願いしてはいかがですか」
どうもヨリアスを褒め過ぎたようだ。どんなにいい師匠だろうと、あの男に愛息をまかせたくはない。
「それは無理だろう。我々はもうラッパルへ帰らねばならんし、ヨリアスさんはカダッテを離れる気はないだろう。それに、ルーシスはまだ幼い」
年頃で言うとすぎるほど早くもないが、ルーシスは年より小柄なぐらいだ。まだ武術は早いだろう。
「そうですわね。少し残念です。私も、ヨリアスさんとお話してみたかったのですが」
そういえば、温泉地では、最初の挨拶と奴が出掛ける時、それに帰宅の挨拶の三度声を交わしたくらいで、まともな会話はなかった。
「ふむ。興味あるかね」
子供たちはどこか遊びに出ているようなので、気兼ねなく話せる。
「はい。イェナさんに伺ったのですが、お二人は御見合いではなくて、恋愛結婚なのですって。しかも、療養中のヨリアスさんに、イェナさんのほうから申し込んだとおっしゃるのよ。もう、お芝居のようです。あ、はしたないなんておっしゃらないでくださいませ。イェナさんは、それはもう慎み深い方でしたのよ。その方が、思わず恥じらいも捨てて思いを告白なさったと言うのですもの、一体どんな方なのか、興味がわきますでしょう」
「成る程なぁ」
全く、中身はいつまでも子供だ。いや、乙女か。
少しあきれつつも、妙に納得もいく。
妻は、浮気心を持つような女ではない。何というか、そうなるには子供っぽいというか、純粋なのだ。ヨリアスが美男子だからと言うだけでは、それ程心動かされることもないだろう。
「それに、二人のお嬢さん方も、とてもお父上をおしたいしている様子でしたもの。お二人とも、しっかりした教育を受けられているようで、子供たちのお勉強を見てくれましたの。どちらで身につけられたのかお尋ねしたら、お父様に習ったのだとおっしゃって」
「ほう」
一体いつ、そんな時間があったのだろうか。
私は目的の半分であった「ヨリアスの日常」を垣間見ることができなかったが、シンシアはしっかりと目的を果たしたようだ。
「それで、リシアさんはどんな人物だった」
「見たとおりの、優しく気配りのできる女子と見受けました。言葉使いも丁寧ですし、士族の奥方になられても、何も違和感はございませんでしょう。きっと、ご両親とも、家庭での言葉には気を付けてらしたのでしょうね。サーシャさんも、まだ幼い所がおありだけど、きちんとしつけが行き届いている様子でしたもの」
確かにそのとおりだ。
「そういえば、今日ヨリアスさんと一緒に来ていたよ、サーシャちゃん」
「あら」
「歓迎してくれたのだが、最初、奥から身を乗り出して話していたのを窘められたらしくてね。きちんと、部屋の端まで出てきて、挨拶しなおしてくれたよ。その後、薄茶をいただいたのだが」
「まあ、サーシャさんが?」
「いや、ヨリアスさんだ。おかげでヘーデンの奴、武道以外にもいろいろとやることができて、困っていた」
「何か御用を言いつけられましたの?」
「いや、私もまさかヨリアスさんに茶道のたしなみがあるとは考えていなくてな。意外に思ったので、他にどんな芸事を隠しているのか聞いてみたのだ。すると、読み書きそろばんはもとより、弦楽に歌謡、歌道もたしなむと言うのだからな。案外多芸な人だ」
言いながら、まるで商家の隠居みたいだとチラリ思う。
「まあ。一体どのようにして身につけられたのかしら」
妻は素直に感心しているが、私は茶屋遊びではないかと思う。
歌道はともかく、弦楽や歌謡というのがよくわからない。
「わからんな。しかし、こちらへ来てからでも、十二年は経っているのだ。その間のことかもしれん」
「そうですわね。……あら、十二年ですの?」
どうやら、リシアも実子だと思っていたらしい。
「イェナさんに聞かなかったのか?リシアさんは連れ子だそうだ」
尋ねたわけではないが。十七年前なら奴は祭都にいた。
その頃の愛人とは思えないので、そういうことだろう。
「そんなことは全く。全く気付きませんでした」
母親の態度も、姉妹間のやり取りも、全く自然だったと言うことか。きっとヨリアスも分け隔てなく接しているのだろう。
「それでは、実父はどんな方だったのでしょう」
「さてな。どちらにしても、今はヨリアスさんが父親なのだからどうでもいいではないか」
「そうかしら?」
「少なくとも十二年は父親だったのだ。きっとリシアさんも実父のことなど覚えていないだろう」
「それはそうでしょうけれど。でも、ヘーデンさんのご両親には」
「黙っておればわからん事だ。どうせヘーデンもしらんだろう」
それに、ヘーデンの両親にとっては、平民の娘と言うだけで、その両親に対する関心は終わっている。私が養父になるのなら、親戚づきあいは私までで、実の親のことは無視するだろう。
「そうですわね。ヘーデンさんならありそうですわ。娘さんご本人しか目に入っていませんもの」
「そういうことだ。リシアさんに問題がないのだから、話しをややこしくすることはない。小さなことだ」
「はい。そのとおりですね」
「ところで、子供たちはどこまで行ったんだ?」
全く帰ってくる気配もない。妻が落ち着いているのだから、何も心配は要らないのだろうが、少し遅いのではなかろうか。
「今日は、少し荷物を片付けたいと思いましたので、またマァサに頼みました。お山のほうまで行って戻ってくると言っておりましたので、もうしばらくかかりましょう」
マァサに全幅の信頼を寄せている。
「そうか。しかし、子供ばかりで大丈夫なのか?」
「マァサは子守になれていますもの、危ないところは通らないでしょう」
「なるほどな」
その通りだろう。マァサは私よりも道に詳しいだろうし、子供のとりそうな行動も知っているだろう。
第一、子供たちの体力では、山のふもとにたどり着くだけでも精一杯、山登りなどは考えまい。ふもとで少し休憩して、引き返してくるのだろう。
読了ありがとうございます。
そしてアーベイ氏はカダッテを去ってゆくのであった……。
野次馬の後継者はちゃんといますしね!
例によって嘘八百または大法螺を吹いております。見苦しい点などございましたらご連絡ください。




