6. アーベイ氏の家族旅行
アーベイ氏のヨリアス考(後編)。
良い暇つぶしとなりますように。
シンシアは、馬車に乗る前は大はしゃぎであったが、宿につく頃には幾分疲れた様子だった。子供たちに至っては寝入っている。
温泉へ行くか、と言った時、妻は子供のように喜んだ。彼の言ったとおり、士族の娘というのは何か機会がなければ家を離れることもない。銭湯は行った事があるかもしれぬが、温泉はなかったのだろう。子供よりも乗り気であった。
子供たちは、馬車に大はしゃぎであった。余程興奮していたのか、二人とも途中で疲れて寝てしまった。まぁ静かになって助かるが。
それでも、宿へついたからには、起きて歩いてもらわねば。
ちなみに、カダッテで雇った子守も同行している。遊びたい盛りの目の離せない子供が二人では、妻も気が休まるまいと雇ったのだ。
カダッテの宿の紹介だったが、なかなか利発そうな娘だ。温泉へ同行できることを喜んでいたが、だからといって子供たちから目を離すようなこともないだろう。
部屋へ落ち着くと、仲居が白湯を運んできた。
ラッパルからカダッテを思えばたいした距離でもないが、狭い馬車に揺られっぱなしだったので、さすがに少し堪える。年を取ったということだろうか。
とにかく、白湯を一服し、気持ちもくつろいでくる。
夕餉までにはまだ少しあると言うが、さて、どうするかな。
子供たちは、子守と一緒に散歩に出掛けた。一眠りして元気いっぱいだ。
「旦那様、そういえば、リシアさんにはいつお会いできるのですか」
湯呑みをおいて、人心地ついた様子で、妻が問う。
「確か、十二日にこちらへ来るという話だったが。明後日だな」
「本当に楽しみです。どんな方なんでしょうね」
「さてなぁ。小柄で働き者で、笑顔がいいと言っていたが、そういえば顔の造作は聞いておらんな」
特徴がないのだろうか。
「そうですね。でも、それだけ内実がしっかりした娘さんなのでしょう。お父様の、ヨリアスさんというのは、どういう方なんですか」
一番訊かれたくない質問だ。きっと妻の中では今までずっと訊く機会を探っていたのだろう。目が輝いている。
「見た目は三十代だが、私と同年ということだったな。政都風のいい男といった感じだったよ」
本物の政都者ではないが、私もその辺りの区別はつけられない。政都、というか新都で生まれ育った者ならわかるのだろうが。
「まあ。どんな方かしら」
何にせよ、妻は人と会うことが嬉しいらしい。
「すぐに分かる。妻女と、もう一人娘さんを連れてくる事になっているからな、にぎやかになるだろう」
女ばかりだ。一体、家の中はどんな風だろう。
「まあ、お嬢さんはお二人いらっしゃるのね。おいくつかしら」
「いくつと聞いたかな。たぶん、十二になると思うが」
確か、昨年会った時に十一と聞いたはずだ。五歳違いと記憶している。
「あら、じゃあマァサと二つ違いね。仲良くしてくれるといいけれど」
マァサは子守の娘で、十四と言っていた。うちの子供たちは、長男は七つ、長女は五つで、まだ幼い。
「そうだな。聞いた話では、その子は父親によく似た人形のようにかわいい娘だそうだ。……そういえば、母親の話は聞かなかったな」
何というか、父親のあくが強すぎて、失念していたらしい。
上の娘は母親似であろうか。
「まあ、いいじゃありませんの。百聞は一見にしかず、と申しますもの。お人形のようなお嬢さんも、楽しみだわ」
何でも良いらしい。全く、新しい知人を得ることが嬉しいようだ。三十路になったとは思えぬ無邪気な様子で、荷物を片付けている。
私は妻ほど無邪気にはなれないが、それでもあの男の日常が垣間見れるかと、少し期待していた。
散歩と風呂の二日間を送り、我々夫婦がひそかに待っていた日がやってきた。二人とも、内心はただの興味本位で会ってみたいだけである。子供たちには関係ないので知らせていない。
「御連れ様がご到着です。こちらにご案内いたしましょうか」
仲居の声に、思わず顔を見合わせる。まだ昼過ぎだ。
ちょうど子供たちは昼寝をしているので、子守に任せることにした。
「いや、こちらから出向こう」
自分でも滑稽だが、どうも好奇心が抑えられない。
妻も同様で、いそいそと身づくろいをしている。
二人揃って玄関へ向かった。
彼は馬乗り袴だ。馬で来たのか?
「この度は御招きいただきありがとうございます。こちらが、妻のイェナ、長女のリシア、次女のサーシャです」
「御世話になります」
隣に並んでいた女たちが、同時に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ、いろいろヨリアスさんには御世話になっております。これは、妻のシンシアです。あと、子供たちは昼寝をしておりますので、また後ほどご挨拶いたします」
やっと、噂のリシアさんに対面だ。まあ十人並みの美人であるが、ふっくらした輪郭が愛らしい。優しげな目許も、その辺の美しいだけの女子より、よっぽど魅力的だろう。恋人に、というより嫁に欲しい、というヘーデンの気持ちも分からんでもない。
母親もどちらかといえば小柄で、こちらはほっそりとしている。三十半ば過ぎだろうか、少し目尻に皺も見えるが、それがより穏やかに見せている。確か、医者の手伝いをしているそうだが、この女性なら、病人も安心だろう。
そして、噂の次女。本当に人形のような愛らしさだ。
それでいて、全体的に父親似の顔だというのが私にとっては何とも言えぬ気持ちにさせる。妻は単純に感心しているだろうが。
ふと、妻が変なことを口走る前に、部屋で休んでもらうよう、仲居を呼んだ。
「それでは、失礼いたします」
四人は会釈を残して奥へ入っていった。
妻はおしゃべりが出来なかったので、少し不満そうだ。
「シンシア、ここではヘーデンのことは口にしてはならん」
「あら、どうしてですか」
「部外者は口出し無用と、約束しておるのだ。だから、私もヘーデンの後見であることは言わぬし、ただヨリアスさんの知り合いということにしている。第一、将来養子先になるかも知れぬと遠慮されたくないだろう」
「そうですわね。あるがままの人柄を確認したいわ」
「だったら、ヘーデンのことは口にせぬように。ただ、私の部下がヨリアスさんに迷惑をかけているので、その御礼だということにしてくれ」
実際その通りだ。ただ、部下の前に「元」がつくが。
「はい。わかりました。名前を出さないようにするのですね」
今度は内緒ごとの遊びのように感じたのか、楽しそうにしている。
全く、あの男の読みどおりといおうか。
彼は、娘に重圧を与えぬために考えたのだろうが、こちらとしても、人柄を確認できるのはありがたい。一応ヘーデンの両親へは責任がある。彼が、娘をココス島へはやらんと言っているのだから、なおさら私がどんな人間であるか見ておいた方がいいだろう。
妻がいらぬ節介を焼かぬうちに、気をそらす。結局、一泊して明日の昼には発つらしいので、この一日さえ乗り切ればよいのだ。
相談がまとまり、部屋へ戻ろうとすると、向こうからヨリアスがやってきた。
「あら、お出かけですか」
妻は気軽く声をかける。相手も調子を合わせて軽く答える。
「ええ。こちらへ来たついでに、ちょっと知人のところへ。あ、うちの女たちは残しておりますので、何か用事でもあれば、気軽に使ってください」
では、失礼いたします、と言って、去っていった。どうやら馬乗り袴はこのためだったようだ。まさか女三人歩かせて自分だけ乗ってきたとも思えないから、来るときは馬助だったのだろう。
「まあ、着いた所なのに、ずいぶん頑健な方ね。……でも、ヨリアスさんは商家のご出身と聞いたけれど、本当は士族だったのではないかしら」
妻の鋭い指摘に、一瞬表情が固まる。が、幸い彼女は彼が去った方を見ていた。何とか平常心を装う。
「ほう。どうしてそう思うね」
実際、今までのところ、立ち居振る舞いにあの頃の士族風を思わせるところはなかった。時々脅しかけられるときの眼光を除いて。
「だって、あの様子でしたら、馬に乗っていかれるのでしょう」
別に振る舞いにそうにおわせるものがあった訳ではないらしい。確かに一昔前であれば、馬に乗るのは士族が大半であったが、時代は変わった。
「ああ、そのようだな。しかし、ここは土地が広いからな。こちらへ来てから乗り始めたのかもしれんぞ」
数は多くないが、乗馬場もいくつかある。利用者も、最初は外国人ばかりだったが、最近では富裕層にまで広がっている。
「そうでしょうか」
実際は、祭都の頃に乗り始めたか、案外その前から乗っていたことも考えられるが、そんな事を言う訳にもいかない。
「どうも、いろんな仕事を手がけている様子だからな。中には乗馬場の手伝いなどもあったかもしれん」
「そうですわね。でも、今から馬でお出かけになって、お夕食には間に合うのかしら」
夕食は二部屋一緒にとるつもりでいる。
「ああ、彼は他へ泊まるといっていたから、その知り合いの所だろう。お前にとっては、女同士心置きなく話せてよいのではないか?」
「まあ」
軽口に少しすねて見せてから、笑って部屋へ戻っていった。
後ろをついて歩きながら、何とかごまかせただろうか、と考える。
その後、子供たちが昼寝から覚めたのを連れて、妻だけでヨリアスの妻子の部屋へ訪なった。何せ女だけの部屋だ、私が出向くのは気詰まりだろう。
マァサも連れて行ったので、部屋の中は私一人だ。
思わず伸びをする。
二間続きといえど、寝るとき以外ずっと開け放しで、常に誰かと一緒というのは、たまにはいいが、家長としてだらしないまねが出来ずに少し窮屈だ。子供らの寝顔や、妻とのやり取りなど、普段意識しようとしなかったものが見えて、差し引き無しと言ったところか。
こうして一人でいると、とても静かだ。
子供たちが散歩に出ている時も静かなものだが、いつも妻がいた。
特に物音を立てていた覚えもないが、いないとこれ程存在感があったのかと思う。妻にとってはどうなのだろう。
日常とは異なった場所にいるせいか、いつもは考えないようなことを思ってしまった。
足音が近づいてくる。
「旦那様、私たち今から温泉を使ってまいりますね。子供たちも一緒に」
訪ないをいれて、入室一番、嬉しそうに報告する。
「そうか。じゃあ私は散歩にでも出よう」
言って、一緒に部屋を出た。
奥さん方と子供たちが、団子のようになって歩くのに、後ろからついてゆく。すると、既に子供たちがお嬢さん方に懐いているのがよくわかる。マァサにもよく馴染んでいたが、今度は打ち解けるのが早い。ものの十分といったところか。リシアはさすがに、一人年が離れているので、保護者役となっているが、あの人形のように整ったサーシャも、ルーシスやルーシャを実の弟妹のようにかわいがっている。マァサはリシアのそばで、それを見守っているようだ。奥さん方は、楽しそうにおしゃべりしているが、よく見ると、シンシアが話し手、イェナさんは聞き手のようだ。……あきれていなければよいが。
一行とは、階段のところで別れた。私は玄関へ向かう。
散歩といいながら、周りの景色などほとんど見ていない。ただ静かな部屋で過ごすのに違和感を覚えて外へ出ただけだ。静かであることが嫌なのではない。あの部屋が静かであることが嫌なのだ。
きっと、カダッテへ戻れば、静けさを懐かしく思うだろう。
さて、リシアの人物鑑定は、シンシアに任せておけばいいだろう。私が見た限りでも、特に文句のつけようはなかった。
話しているのを聞いていないが、あの上品そうな母親が手本であれば、そうおかしな娘が育つとも思えない。先ほど見かけただけでも、しっかりとして気の付く娘と思える。細かい点はきっと妻が見ているだろう。
おおらかに見えても、女が女を見る目というのは厳しいものだ。
私の思いもよらぬところまで見ているかもしれぬ。
翌早暁、馬蹄の音で目が覚めた。
一瞬、何か急な知らせかと思ったが、音は駆けていない。
たぶんヨリアスが戻ってきたのだろう。
どこへ行っていたのかは知らぬが、この時間に戻りつくということは、夜明け前に訪問先を発ったのか。ご苦労なことだ。
寝ている妻を起こさぬよう、そっと部屋を抜け出し、階下へ降りる。
案の定、入ってきたのはヨリアスだった。
「おや、お早いことで」
私を目敏く見つけ、声をかけてくる。
「いや、馬蹄の音がしたので、もしやと思ってね」
嫌味と取られることも承知で、ありのままを話す。
「そりゃ悪かったね、寝なおしてくれてかまわねぇよ」
昨日妻に対した時の丁寧さは幻であったかのように、ぞんざいな扱いである。例の、「女子供に優しい」というやつの裏返しだろうか。
「別に眠気が残っているわけでもない。起きたついでに一風呂あびるのも悪くはない」
適当に思ったことを言ってみただけだが、嫌そうな顔をされた。
「あんたと風呂か……ちと遠慮したいな」
どうも今から入ろうと思っていたらしい。
馬を駆けさせて来たなら、汗もかいているだろう。
「はは、では譲ってやろう。私は部屋へ戻るよ」
一瞬、嫌がる顔見たさに、途中で覗いてやろうかと思ったが、あまりに大人気ないので思うだけにする。
しばらく、どこか疑わしげにこちらを見ていたが、ありがたく頂戴するといって、風呂の方へ去っていった。
それを見て、何となくあの頃のシロス・チターの気持ちが分かる。
確かに、この男はからかうとおもしろい。
どこか潔癖なところがあって、そこをいじられるのを嫌うのだが、かといって、その程度のことで本気で怒ることもない。 結果、どう対処しようか迷うらしい。物事に迷うことの少ない男なので、その様が妙に愛嬌になるというか、隙が出来るというか。
今更、彼がどういう人物であったのか分かってきた。
人物への観察眼、物事への洞察力。
推理力。判断力。行動力。
これだけ能力を兼ね備えていたのだ、時流を読めなかったとは思えない。判っていて、政王府に与したのだろう。
大体、彼にいつ、反政王府に転じる機会があったというのか。
あの頃、仲間内では、時流に乗れぬ愚か者、と言っていたが、あれだけ外国追放を叫んでおいて、まるでそんな過去などなかったように振舞うことが、「時流」だろうか。
神王尊崇に関して言えば、別に彼らは神王を軽んじていたわけでもない。
外国追放に関して言えば、結局は政王府が正しかったことになる。
何をもって、「時流」と言っていたのか?
八年前の話しを思い出す。
先生は、離隊だけでもう身動きが取れなかったと。
先生は、このことに気付いていたのかもしれない。
ただ、政王府の政策をある程度認めつつも、やり方には不満があった。そしてそのまま部隊にいるには不安があった。
あのナーガスの乱を見れば、もう政王政権に余命のないことは明らかだったのだろう。
彼も先生と同じ結論へはたどり着いたはずだ。
それでも政王府にしがみついていたのは何故か。
今更旗幟を翻すのを潔しとしなかっただけか。
それとも、反政王府側が己を受け入れるわけがないと割り切ったか。
案外、もっと単純に、親友が曲がることを潔しとしなかったためか。
全て入り混じって理由となっただろう。それでも、沈む政王府に同行し、沈みきってからも、まだ戦い続けた理由には足りない気がする。
途中で舞台を降りなかった訳は何だ。
彼の相棒であれば、周囲に乗せられてうっかり、と言うことも考えられるが、彼にはそういう人の良さは見受けられない。
親友の代わりだろうか。
中身は複雑な割に、単純明快な行動を好む。
それを思えば、走り出したら思わぬ勢いが付いて止まらなくなった、という事も考え得る。
どこか一本気なところがあったのだ。
行動だけを思えば、その結論にたどりつくのだが、これまで人物の複雑さに惑わされて気付かなかった。
そう思えば、彼と先生は少し似たところがあったのかもしれない。
ただ、表立ったところが正反対だった。
情熱的で思索家だが、最終的には決断力に欠けた先生。
冷徹で策謀家だが反面、計算外の行動をとる彼。
齢を重ねて、やっとこの結論にたどり着けるだけの冷静さを身に着けたのか。それでも、八年前に彼に出会わなければ、今もこの結論へは至らなかったに違いない。
埒もないことを考えるうちに、部屋に着く。
まだ寝ているだろうと、声もかけずに戸を開けると妻がこちらを向いた。小声で「お帰りなさいませ」とささやく。
子供たちはまだ寝ているだろうと、返事は頷くだけにする。
今の生活に不満はない。
ただ、過去に死んだ人々、己の過去に殺された人々のことが、今朝は思われてならない。
彼らは何に殺されたのだろうか。
答えは出ない。あの「時流」という化け物だろうか。
読了ありがとうございます。
これでアーベイ氏はヨリアスに対する複雑な心境から解き放たれ、本格的な野次馬へと(笑)。
……しかし、氏は結構愛妻家ですね。
そしてヨリアス、年齢はさば読んでいます。裏主人公といえる彼ですが(実はアラフィフ)、恋愛に関しても出番に関しても、主人公の前に立ちはだかる壁であり、敵役であり……。




