2. リシアの愛
当小説では珍しい(笑)、ヒロイン視点です。
・・・でも、主人公とはまだ出会っていません。プロローグその2。
初日はここまで、以降一日一話ずつ更新を予定いたしております。
では、良い暇つぶしとなりますように。
何年前のことだったろう。
それは、どこか浮世離れした、美しい風景に見えた。
実際は、見慣れた家の裏庭だったが。
窓辺で、どこか遠くを見ているような父様に、小さな妹が声をかける。
優しい声で、父様が答える。そして小さな妹を膝に座らせる。
見慣れた、普通の親子の情景のはずだ。
それが、とてもこの世のものと思えないのは、父様の遠い目のせい。
そして、二人の会話の内容のせい。
「父様、その方たちにお会いしたいの?」
まだ少し舌っ足らずに、サーシャが言った。でも、私には何のことだか全くわからない。私はずっと庭にいたが、妹の言葉は唐突だった。
「そうだね。会いたいね」
幼い妹に笑いかけ、抱き上げて自分の膝に座らせる父様。
「お会いしないの?」
かわいらしい、高い声で問いを続ける。
「まだ会えないね。ひょっとすると、待っているかもしれないが、仕方のない話だ。勝手に終わらせる訳にはいかない。サーシャ、声が聞こえたのかい?彼らの」
父様の声は優しかったけれど、どこか哀しんでいる様でもあった。
そして、やはり何を言っているのかよくわからなかった。
幼い妹には、わかったのだろうか。
「ううん。父様の中に住んでいるの。見えるのよ」
会話は成立しているようだけれど。
「そうか。この人たちは、父様の大切な人たちだよ。けれどこの事は、誰にも言っちゃいけない」
「なぁぜ?」
「母様が悲しむから。父様が遠くに行くような気がするそうだよ。だから、この人たちのことは、内緒にしておこう」
「わかったわ」
妹は、確かに父様にべったり懐いているけれど、それなりに母様のことも大切に思っているようだ。
「それともう一つ。この人たちは、きっとお前の他の人には見えないよ。同じように、目で見えるものの他は、他の人には見えないから、きっと誰にも言っちゃいけない。わかるかい?」
「うーーー、目で見えるものって?」
「そうだな……じゃあ、目をつぶっても見えるものがあるかい?」
「うん。父様の中に住んでいる人たち……あれ、私になっちゃった」
「そうだろう。今見えている様なのは、他の人には見えていないんだ。だから、誰にも言っちゃいけない」
「よくわかんない。でも父様の色は好き」
「じゃあ、もう少し大きくなったら教えてあげよう。それまで目をつぶっても見えるものについて、誰にも言わないこと。いいかい」
「うん。お約束する」
とにかく、私に理解できたのは、父様がサーシャに何かを禁じたことだけだった。
ところで、誰にも言ってはいけないことを、私は聞いていたのだけれど。父様は、私に気付かなかったのかしら。
「リシア」
思ったとたん、声をかけられて、飛び上がりそうになる。
「お前も、今聞いたことは誰にも話してはいけないよ」
「はい」
何が何やらわからなくとも、父様との約束は守る。
我が家では、母も含めて女三人共、父様が一番好きだった。
父様が誰を一番好きかはわからない。別に誰でもいい。
きっと、私たちが一番だと、何の気もなく信じられたから。
たぶん、あれはサーシャが五つか六つの頃だろう。
私は、庭の菜園で水遣りをしていて、父様は夕涼み。
母様は夕餉の仕度をはじめて、そちらから妹は出てきた。
夏だった。
最近になって思い出したのは、恋心を自覚してしまったせいだろうか。
けれど、この恋は、誰にも知られてはいけない。
そっと、抱き続けるか、いつか消えるのを待たなければ。
好きになったのは、当たり前だったと思う。
私は、ずっと優しい父親にこがれていた。私と母様を大切にしてくれる存在。特別な人。
別に、私たちが周囲から疎んじられていた訳でも、ひどい扱いを受けていた訳でもない。ただ、両親の揃っている友人たちがうらやましかったのだ。
だから、あの人が現れた時に、私の父様だと思った。
実は、母様が家事を手伝いに通っていただけだったが。
私は勝手に「父様」だと思い込み、そう呼んでいた。
最初は母様にたしなめられたが、父様は許してくださった。その上、私を実の娘のように、かわいがってくださった。
そしてそのうち、本当に父様になってくださった。
かわいい妹も生まれて、私はとても幸せだった。
その頃は、まだ父様が実の父親ではない事がわかっていなかったし、父様も妹と分け隔てなく接してくださった。
そのうち、血がつながっていない事もわかったけれど、父様がお優しくて、サーシャがかわいい事にはかわりなく、全く平気だった。
いつから、父様を男性として見ていたのだろう。
大好きであることに変わりなく、ただ苦しいだけだ。
サーシャに対して優しいことは嬉しいのに、母様に対するそれには胸がひりつく。厭らしい自分。母様から父様を奪ってしまいたい。
けれどそんな事はできない。母様の事だって、愛しているのだから。
この心をどうしよう。
誰にも、告げることは出来ない。
きっと、父様のあの遠い目にホレてしまったのだ。
あまりお寂しそうだから。お傍にいたいと思ってしまった。
きっときっと、誰にも気付かれてはいけない。
でも、本当に気付かれていないかしら。
態度に出ていないかしら。
母様に八つ当たりしなかった?父様のことを目で追ったりしなかった?
でも、年頃だから気まぐれなんだろうと思ってくれたかしら。
それに、父様を追いかけるのは幼い頃からずっとだもの、気にはならないかも。
「最近の姉様は、何だか母様にそっくりね」
夜、サーシャの髪を梳いていると、何か思い出したのか、突然言われた。
「そう?どこが似ているのかしら」
私も十五になって、そろそろ大人らしくなってきたということかしら。外見はそれほど似ているとも思えない。母様はほっそりとしたお顔だけれど、私はまだぽっちゃりとしている。幼い子の顔の丸いのは何とも愛らしいものだけれども、私はそろそろ気になりだした。私、丸顔だわ。母様みたいな顔が良かった……。
「ええと、そう。父様とお話している時の色が。何だか似てきたわ」
少し、ぎくりとした。色って、何のことだろう。そこはわからないけれど、父様を見る視線が母様と同じなのかしら。
サーシャは、何か感づいている?
「色って、何のこと?」
内心どきどきしながら、言葉の意味を確かめる。
「ええと。姉様の周りに感じるのよ。目をつぶっても……あっ」
思わず、手が止まる。
「どうしたの?」
「お約束、破ってしまったわ。父様に、誰にも言わないって……」
どうやら、あの幼い日の約束らしい。ずっと守ってきたのだ。
サーシャがあまり悲しそうな顔をするので、何とか慰めようとする。
「ああ、でも、あの場には姉様もいたもの。きっと父様も許してくださるわ。明日、伺ってごらんなさい」
「はい……」
まだ悲しそうだけれど、これ以上、どう言っていいのかわからない。
「さあ、今日はもう寝ましょうね。母様は遅くなるとおっしゃっていたもの。もしかすると、今日は戻られないかもしれないわ」
母様は、ちょうど出産の手伝いに出掛けている。父様は隣の部屋にいらっしゃるはずだけれど、物音は聞こえない。
視線を感じて、サーシャの方を向く。目で何かを訴えている。
「……今すぐ伺ってみる?」
「姉様、ご一緒してくださいますか?」
「いいわよ。少し待ってね」
サーシャは寝間着でいいかもしれないが、さすがに私は憚りがある。
羽織を羽織ってから、隣室へお伺いをたてた。
「お入り」
やはりまだおきていらしたみたい。すぐに返事があった。
「父様、サーシャはお約束を破ってしまいました」
「そのようだね。まぁ。今まで良く守れていたと思っているよ」
会話が聞こえていたのか、即答された。けれど別に怒っていらっしゃるわけではないみたい。
それで安心したのか、サーシャの表情が緩まる。
「リシア」
「はい」
サーシャに向けていた意識を父様に向ける。
そういえば、色って何のことかしら。
「お前は、何があってもサーシャの味方だね」
「もちろんです」
父様の言葉がどんな意味かはわからないけれど、サーシャがかわいい妹であることには何の変わりもない。
私の返事に、父様は頷きだけを返して視線をサーシャへ戻した。
「サーシャ、そろそろお前にも理解できるだろうが、お前が目を閉じても見えているものは、人の心のうちだよ。そう、きっと「色」というのは感情のことだろう。それらは、大抵の人には見えていない。見えないのが普通だから、人に見られることを嫌う。わかるかい?」
「誰にも見えないの?」
「私にも見えない」
不思議そうなサーシャと、優しく答える父様。
あの約束をした日と同じように、どこか現実離れして美しく感じる。
サーシャは、人の心のうちを見ることが出来るのか。
私は驚きすぎて、何も考えられないというのに、父様は落ち着いている。それは、五・六年前からわかっていたためだろうか。
「今は、私の中に誰がいる?」
「父様の中……?わかりません」
「そうか。では、少しは見えなくなってきたのかな。それでも、感情は見えるのか。どんな風に見えているんだい」
「えーと、いつも父様は晴れた空みたいなの。今は、お日様の色」
ずいぶんきれいで、何だか父様らしい。
私も見てみたい。
「姉様は、お隣の猫みたいに白いの。今は、少し黄色い」
「ふむ。今はわからなくても、そのうちそれがどんな感情かわかってくるだろう。運がよければ、成長につれて見えなくなるだろうが、さて。サーシャ、今度こそ、約束を破ってはいけない。私と、姉様以外、母様にも言ってはいけないよ。自分の内側なぞ、誰もが知られたくないものなのだ。今はわからなくとも、追々わかってくる。きっと、口に出してはいけない」
「はい、父様。……姉様は良いのですか」
「リシアはきっとお前を守ってくれるだろう。けれど、なるべく口に出さない方がいい。誰に聞かれるかわからないからね。誰にも知られないようにしなさい。本当に信頼できると思った者以外には」
「はい。きっと守ります」
確かに、人の感情が見えるというのは便利のようだが、見られる方は、隠していることもある。それが何か禍になるかもしれない。
「リシア。お前は、サーシャに対して嘘をついてはいけない。隠し事はいいけれど、けっして嘘をつかないように。サーシャも、リシアに対していつも本当だと思えることだけを伝えなさい。二人互いに信頼を損なわないように気をつけなさい」
嘘つきが悪いのは当然だ。けれど……
「隠し事は良いのですか?」
「必要な秘密というのはある。今話していることを母様には隠しておくように。全て何でも話せば良いというものでもないよ、信頼関係を築くのは」
よくはわからないけれど、そういうものらしい。
「誠実であることと、思いやりを忘れないことだ。思いもかけぬ言葉が人を傷つけることもある。事実をそのまま話せばいいというものでもないし、全て、耳に快く聞こえればよいものでもない。お前たちは、互いに嘘をついてはいけない。けれど思いやりは大切だ。話したがらぬことを無理に聞きだそうとしないように。そうすれば、信頼関係は長く続くだろう。きっと忘れぬように」
「はい、父様」
私たちは、とにかく返事をした。サーシャにどれ程わかったかはわからないけれど、きっと私たちはこの言葉を守るだろう。
この世で二人きりの姉妹だもの。
この世で一番大好きな父様のお言葉だもの。
「サーシャ、お前が人と違うことは、お前を苦しめることもあるだろう。けれど、人の感情や心の動きというのは、その人をよく知れば誰でもある程度わかるものだ。お前だけに見えるものに頼らず、よくその人を見るようにしなさい」
「はい」
それもそうだ。人を見る目を持った人には、感情なんて筒抜けのようなもの。サーシャの「色」は、勘が鋭いくらいのものだろう。言葉にさえ気をつければ、誰にも不審がられることはない。
きっと味方すると約束をした私は、何から守ればいいのかわかった。
世間の目だ。
他の人たちに、サーシャが少し人と違うということを隠さなければいけない。恐れる人、利用しようとする人から、見えないようにするのだ。
「リシアは賢いな。しかし、何も特別なことはしなくて良い。今まで通りに接しておれば、自然とサーシャは守られる。サーシャもきっと、お前を守ってくれるだろう。……さぁ、話は終いだ。もうお休み」
父様に促され、私たちもお休みのご挨拶をして部屋へ戻った。
寝支度を整え、灯りも消す。
「姉様、どうもありがとう。お休みなさい」
「良い夢を」
答えながら、私はすぐには寝付けなかった。
部屋に戻ったことで、隣室を訪うきっかけになった言葉を思い出した。
私と母様の、父様と接するときの「色」が似ている。
抱いている感情が似てきた、ということのようだが、サーシャはその意味までわかっているのだろうか。……いや、今はわからなくとも、そのうち気付くかもしれない。
気付いたら、父様に言ってしまわないかしら。
そうしたら、どうしよう。
いえ、どうしようもない事だわ。どちらにしても、何もなかったように振舞わなくては。
そう、もし父様に言ってしまったら、サーシャは今夜言われたことの意味を知ることになるだけ。
私が少し、つらくなるだけ。
父様が少し、困るだけ。
そうね、他愛のない失敗で済む。他の誰かを傷つける前に、サーシャの教訓になるのは、悪くない。
いいわ。言ってしまったらその時のこと。それに、私の目の前では言わないでしょう。母様に言うことは決してないでしょう。
そう思えば、心は落ち着いてきた。隣の寝床では、サーシャが安らかな寝息をたてている。
かわいらしい。
きっと私は、この子にどんな仕打ちを受けたとしても、生涯愛してゆけるのではないかしら。
大好きなサーシャ。
父様に良く似たきれいなお顔。真っ白な肌。真っ黒な髪。
口元だけは、母様に似て、少し小さめで、おちょぼ口。
二人のいい所ばかりとったみたい。
きっと、町一番の美人になるわ。
うらやましいと、思わないわけではないけれど、誇らしい気持ちが強い。
きっと守ってあげる。
大切な妹。
読了ありがとうございます。
ヒロインの初恋話、と見せかけて、「妹ラブ」というお話でした。
次回、ようやく主人公(と書いておもちゃと読む)登場です。