片島暦のクリスマス
片島神社の神事を司る神職の家計である片島家には、クリスマスを祝うという伝統が無い。クリスマス・イブも同様である。
片島家の長女である片島暦には、その事が今まで19年間生きてきてどうにも気に入らなかった。
世間ではプレゼントだのパーティだの恋人との甘いひと時だの、あんなに楽しくて素敵な事物が溢れているというのに、何が嬉しくて普段どおりの暮らしをせねばならないのか。
一応、今年は暦にもクリスマス・パーティのお誘いがあった。しかし。
『必ず男の子を連れてきてねー』
お誘いの文句と一緒に言われた条件を苦々しく思い出す。
大学生ともなれば、こういう時にちょっと羽目を外したい仲間が集まってイベントをするという事もある。今回企画されたそれは、半分は彼氏彼女自慢、もう半分合コンみたいなものであって、必ずペアになる男を連れてくるというのが参加条件にされていた。
片島暦にはそういう相手は居ない。
この19年間、タダの一人もだ。
そういう訳で、そのパーティへの参加は保留という事にしてある。断りを入れずに保留という事にしたのは、彼氏も男のあても無い事を隠したい暦の見栄だ。
そんな事情もあり、暦にはクリスマス・イブには何も予定が無い。
さすがにそれは悲しすぎた。
決意を瞳に宿して、重い身体を炬燵から出す。
とにかく街に出よう。何も当ては無いが、取り敢えず街に。
部屋に戻り、クローゼットを漁ってお気に入りのセットを取り出した。特別な何があるわけでも無いのだが、とにかく外見に気合を入れておきたかったのだ。
準備を終えて玄関に向かう暦に、母の弥生が声をかけた。
「あら、出かけるの?」
「うん、約束があって」
母の口調に危険を感じ、嘘はすらすらと口を突いて出た。
「そう? お買い物を頼もうかと思ったんだけど」
やっぱりだと暦は思った。クリスマス・イブに夕食の買い物。それだけは厭だ。
「ごめんね。今日の夕食は何?」
「カレーライスよ」
カレーライス。
クリスマス・イブの晩にカレーライス。
何たることよ、カレーライス。
暦の脳裏に一つの光景が浮かび上がる。
テレビから流れるクリスマス・キャロル。それを聴きながら一家はカレーライスを突付いている。
テレビの中の登場人物達はしきりに愛だの恋だのを語りながら、甘ったるく熱っ苦しく盛り上げる。
「ねえ、クリスマスって何?」
次女の水江が父に尋ねる。父はきっとこう答えるだろう。
「キリスト教の悪魔払いの日だよ。悪魔は柊やヤドリギを嫌うから、その日は柊やヤドリギをぶら下げておくと悪魔が近付いてこないんだ」
「それじゃあ、どうしてあの人たちはクリスマスが特別な日だって言ってるの?」
「あれはもう悪魔に取り憑かれた人だから……、悪魔が自由を取り戻す日だからさ」
沈痛な表情で俯く片島父。水江ははっと息を飲む。
「そんな……父さんが助けられないの?」
「もう、手遅れなんだよ。ああなっては……もう、治らない」
「そんな事って……っ!?」
「だからせめて水江は安全な家の中に居るんだ。いいね?」
「うん、判ったよ父さん」
厭だ。
そんなのは厭だ。
何故かは判らないけど厭だ。
理由も無く、とてつもなくその想像が現実の未来に近い物だと言う確信がある。言うなれば運命というやつだ。
暦は考える。
ならばどうする?
決まっていた。
運命に、反逆する!
「あ、ごめん。今日は友達のパーティに行くから、晩御飯要らないの」
「聞いてなかったわよ?」
しれっと言い放った暦に対して、弥生の表情に険が差す。
「言うの忘れてたわ。本当にごめんなさいっ」
言い捨てて、暦は走り出した。逃げ出したとも言う。
参道の階段を降りながら、暦は携帯電話を取り出して友達に電話をかけた。
「あ、サチコ? うんうん、あたし。今日のパーティ、今からだけど参加って事でいい?
……あ、大丈夫大丈夫。男の子ちゃんと連れてくってば! やだな。もう、疑うの? 期待しててよ。背の高いの連れて行くからさ。
それじゃ~~ね~」
電話を切った。
(これであたしの退路は絶たれた。あとは前に進むのみッ!)
ニヤリと笑って、暦は走り始めた。
クリスマス・イブに予定が無いのは何も暦だけではない。
この男もそうだった。
「……何しに来た?」
不機嫌そうに眼鏡の位置を直しながら、左京戒は低い声音で尋ねる。暦にとっては1年後輩、幼馴染の仲である。
戒の目の前には、やけに気合の入った服装をしながら、玄関で息を切らせている暦が居た。
「何って、クリスマスパーティのお誘いに来たに決まってるじゃない」
「行かん」
戒は一言で断りを入れた。
「そんなぁ~~。行こうよぉ。きっと楽しいよ?」
暦は猫なで声で戒を引き止める。
冗談じゃない。戒は心の中で吐き捨てた。暦はこのように甘えた調子で迫ってくる性格ではない。もっと一本筋を通して凛とした……というと贔屓目にすぎるが、もっと堂々と我を通すタイプなのだ。それに普段に比べてしつこすぎる。裏に何があるか判ったものではない。
「楽しくても行かない」
「何よー。何か用事でもあるの?」
戒の内心では、年上の女の我侭とはいえここまで強く誘われて少し心惹かれるものがあった。だが、努めて苦々しい表情を保った。実際、戒は暦のことを嫌い抜いている訳ではない。ただ、暦と2人で知らないメンバーのパーティの只中に放り込まれ、どう振舞って良いのか判らない。仮に、彼氏彼女の関係のように振舞えと言われても不器用な戒には無理だと自分でも判る。かといって今繰り広げた会話を会場で繰り返すのも場の雰囲気を壊すだろう。また、借りてきた猫のように肩身の狭い思いをするという未来予想は、想像するだけでも居た堪れない。
これが、片島家で行うパーティだとか、暦と2人だけで祝うのであれば……と考えて、慌てて気を引き締めた。
「用事は無いが、そういう場は苦手だ」
うーんと短く唸った暦は眉をへにゃっと八の字に下げて、拍手を打って戒を拝んだ。
「苦手を押し付けちゃうのはゴメンなんだけど、あたしを助けると思ってさー」
「は? どういう事だ?」
暦の声の調子が弱々しいものに変わり、訝しく思った戒は事情を尋ねた。
「ちょっと困ったコトになってんのよ。パーティに参加するためにさー、男を一人連れて来いって言われちゃってね」
「その為に、俺を呼んでいるのか?」
「そ。でもね、誰でも良いって訳じゃないのよ? 戒君だから呼ぶんだからね」
しおらしい事を言っているが、暦の言う内容は戒をパーティの参加チケット扱いするという事に他ならない。それが戒の気に入らなかった。
「そんな風に言っても駄目だ。俺はパーティチケットじゃない」
「そんな事言ってないじゃない! あたしはただ、戒君とパーティに行きたいなーって」
考えてみたら、今まで暦相手にはそんなのばかりだった。硬軟交えて暦が戒を振り回す。そこに戒の意思は存在しない。唯一、戒が暦を揺さぶった事もあったのだが、それは戒自信も思い出したくない歴史の暗部だ。
だから、戒は暦に反逆する。
「俺は行きたくない」
「あ、そう? そうなの」
急に暦が鞄を漁り始めた。中から白い封筒が姿を現す。
「じゃーん、これなーんだ?」
「それはッ!?」
それは戒の一世一代の不覚、恥の記憶。戒が中学生の時に、急に大人になったように見えた暦を意識したときに、何を血迷ったか暦に送りつけたラブレターだった。
「戒君が来てくれなかったら、あたし何かお詫びしなくちゃいけないのよねー。
身近にある受けを狙えるネタってコレしかないんだけどなー」
封筒を目の前にかざしてふふんと笑う暦。
内心の動揺を押し隠して戒は反撃を試みる。
「好きにしたら良い。どうせパーティに参加する人間は俺のことを知らないだろう」
「え? 女の子達はみんな同じ高校のOGばかりだし、あたしの友達ばかりだから、戒君のこと知ってる人達だよ」
うぐ、と、喉が鳴った。
数秒間の沈黙。
「……解った」
納得はしなかったが。
「結局だ」
相変わらず不機嫌そうに戒は溜めた息を吐き出した。白い息が風にもぎ取られるように消えていった。
「俺はあんたに振り回されてばかりだ……」
背負った暦の位置をちょちょいと直して、戒は止めていた足を再び動かし始めた。
暦は酔って寝ている。もしかするとパーティの間の記憶も残っていないかもしれない。
それでいいと戒は思った。
色々と有ったが、つい1時間前の出来事が一番暦にとっては痛い出来事だろう。久しぶりに顔を会わせた先輩達に取り囲まれた戒を酔った暦が
「これはあたしのオモチャだ」
と言い切って奪い取り、周囲を固めていた女達を追い払ったのだった。
その行動は女達を取られて文句タラタラだった他の男性陣には好評だったが、女性陣にはまるで檻の中の猛獣に肉塊を放ったようなものだった。あとは、滅茶苦茶だ。戒自信も何があったか正確に覚えていない。
負われている暦が眠っているのは承知していたが、戒は肩越しに問い掛けた。
「これから、あんたどうするんだ? 俺まで先輩達に誤解されたぞ」
「……戒くん」
寝ているはずの暦の声に戒は驚いた。
「あたしの方がお姉さんなんだから……それ寄越しなさい……」
「…………寝言か」
暦を背負ったまま器用に肩を竦ませ、戒は片島神社までの道を歩きつづけた。
「んま、今日の暦の相手って誰だろうって思ってたんだけど、やっぱり戒君だったのねー!
どうだった? 暦ってこのとおりガサツだから色々ガッカリさせただろうけど、これに懲りずに可愛がってあげてね」
「いや、そういう事ではなく」
先輩達よりも、弥生の誤解を何とかする事に戒は骨を折ったそうな。
メリー(クリスマス+5ヶ月くらい)!
季節感なぞ飾りです! 偉い人にはそれが(略
Vis de Mana です。初めまして。