第3妖 先生!魑魅魍魎ってなんて読むんですか?
人外要素が濃いです
特ににょろにょろしたものが嫌いな方はお気を付けください
「まあ、コーヒーでも飲まないか。ちょうど今湯を沸かしていたところでね」
保健室の先生は、この春転任してきたばかりだと聞く。体調も滅多に崩さない少女は、
会うのは今日が初めてだった。若く見えるが、それなりの歳にも見える男の人だ。
本来授業中である時間帯に少女が入ってきたことで少し意外そうな驚いた顔をしたが、
すぐ彼は朗らかな笑みを浮かべていた。
事情を説明すると、先生は素早く丸椅子に少女を座らせ、絆創膏を剥がし、盥に汲んだ水で
残った汚れを洗い落とし、傷口に赤茶色の消毒液を塗る。擦り傷で範囲の大きなものは大判の絆創膏、それ以外は私物と同じサイズの絆創膏を新たに貼ってもらう。
怪我の治療が完全に終わったところで、先生から唐突にお茶の誘いを受けた。
「コーヒーですか?でも先生、私授業に戻らないと…」
「もうとっくに1時限目は始まっているよ。いまさら行ったって気まずいだけだろう。
安静にすることも大切だから、2時限目までゆっくりしていきなさい」
「ええ…でも……」
「まあ、ゆっくりしていきなさい」
「でも、みんなに心配されるから」
「担任の先生には僕から伝えておくよ。安心して」
「……えーと」
心配してくれるのは嬉しいが、少々強引な教師の態度に、少女は所在なさげに
足の先をもじもじさせた。朝から非日常の連続だったから、形だけでもいつもの生活に
早く戻りたいのだが、といってもこの微妙な心情をわかってもらえるかどうか。
ふいに、それまで仄かなアルコール臭が漂っていた保健室内に、芳香剤に似た甘い香りが満ちてきた。
少女の鼻孔をくすぐる香りは甘ったるくてしつこい。だが彼女はその香りに瞬く間に魅せられた。
もっと嗅いでいたい。ずっとこの香りの素を持ち歩きたい。
そんな衝動に突き動かされるほど魅了される。
そのとき、少女は微かな異変を感じた。
「せんせ…?」
少女の世界が震える。目の焦点が合わなくなり、身体が小刻みに揺れ出した。
自分を保っていられなくなるほどの眩暈と頭痛が襲ってくる。
(どうしよう…このままじゃ、私……たおれ……)
そして、彼女は昏倒した。
背もたれのない丸椅子からあわや転げ落ちるかと思われたが、
傍らの教師がその細い身体を抱き留める。まるで事前に倒れることを知っていたかのように。
ごく自然に、である。
慌てることもなく、教師はそのまま女生徒を抱きかかえ、シーツや枕が整えられた
ベッドへと寝かせた。
学校保健の専門家とはいえ、手慣れすぎている。第三者が居ればそう思っただろう。
あるいは少女が意識を失わず、ふらついただけであれば同じことを考えたかもしれない。
* * *
「驚いたな。こんな上客がこの学校にいたのか」
淡々と話す。彼の顔にもはや笑みはない。
「ふうむ。しかし、魔力に満ちている。よくわからん人間だな」
養護教員は保健室の戸締りをゆっくりと確認すると、最後に自分のデスクへと寄り、
コーヒーメーカーの隣に置いてある香炉の火を消す。
教師は女生徒を一瞥し、わざとらしく舌なめずりをした。
その舌は明らかに人間のものではない。異様に細く、先が二股に分かれている。
さらにその瞳は妖しく金色に輝く。
そして、ずるり、という音がする。
長く太い尾。長さは約2m、太さはベッドで寝ている女子生徒がすっぽりと収まるくらい。
白亜を連想する純白の鱗。その尾が、養護教師の腰から下にかけていつの間にか生えていたのである。
―そう、この学校の養護教諭、野槌一伸は間違いなく妖魔、魔物の類であった。
……ついでにいうと、いたいけな女生徒を気絶させたのもこの男の仕業である。
「とにかく捕まえてみるか。よいしょ」
言うと、彼は生えた尾を自在に、器用に操り少女にぐるぐると巻き付けた。締め上げないように
注意しながら、微妙な加減でぐにぐにと押さえつけてみる。
すると、彼女は寝ながらも微かに気持ちよさそうな顔をした。マッサージチェアみたいなもので、
全身を万遍なく揉まれている感覚らしい。
ツボに入ろうが入るまいが、身体を揉み解されるのはエステにも似た心地よさだろう。
「うーん」
合点がいかないといった顔で、野槌は少し離れた場所で弄っていた少女を自分の方へ引き寄せる。
身体を揉みながら顔を掌で触診する。頭を撫でれば魔力の有無を確かめられる程度の技量はあると
自負していたが、感じる魔力は安定せず、高まったかと思えば次の瞬間には霧散してしまう。
「もしかすると…いや、しかしありえん、ありえんなあ」
こういう魔力の安定しない人間のことを以前書物で読んだことがある。
その血に魔物の力を僅かに残す者。
脆弱な魔力に見えて実は、はち切れんばかりの力を無意識に押さえつけている者がいると。
「喰ってもいいが、事後処理も面倒だし、どうしたもんかね」
よくわからないなら取り敢えず食べてしまうのも手だと考えたが、女生徒一人消えても大騒ぎになる
ご時世である。もっと昔は緩かったんだがなあと心の中でぼやくと、野槌は頭を掻いた。
もしもこの娘が、強大な魔力をその身に秘めた千年、いいや万年に一度の逸材だとすれば、
その身を喰えばたちまち強大な力が得られるだろう。
そうすればこんな辺境の島国に潜ってこそこそ隠れ住む、さもしい生活ともおさらば。
人間は悉く己の前に平伏し、厄介な魔物ハンターたちは速攻抹殺。ラミア特有の吸精特性を無尽蔵に、如何なく発揮し、俺オンリーハーレム建築だって夢じゃない。
そんな白昼夢は、途端にけたたましい音を立てて開いたドアによって豪快にぶっ壊された。
――開いた?
「あれ、戸締」
「テメェ何してんだこの変態教師―!!」
「ブフォエヴァ!!」
顎を叩き割られる勢いの捻りを利かせたアッパーを喰らった野槌は、華麗に一回転してその場に
伸びる。回転が功を奏し、少女に巻きつけられていた尾は代官に花魁が腰帯を引かれる様にくるくると解けた。が、彼女もよほどの剛の者である。妖術にかけられているとはいえ、
床にぽてりと落ちて、これだけどんちゃん騒がしくしても全く起きる気がない。
「一向に出てこねーし!おかしな物音はするし!見れば変態プレイ中じゃねーか!」
気を失いそうになる自分を律して、改めて眼前の人物を見てみれば、この学校の男子生徒
であった。顔を真っ赤にし、拳を威嚇するように振るっている。怒鳴り声の内容から察するに、
この生徒が少女の話に出てきた人物だろうか。
(ええー…俺の姿見てこの反応……)
変化させた自分の身体は、一応この国での「仮装大賞」なる娯楽や「特殊メーク」なる変装術を遥かに凌駕した造形をしているのだが。というかモノホンなのだが。
仕方がない。
「バレてしまってはしょうがない。とお決まりの口上も述べたところで」
突如、目にも止まらぬ速さで野槌の尾が動く。人外の動きに対応できる術も無く、
真っ当で親切な男子生徒は身体を雁字搦めに封じられ、身動き一つ取れなくなった。
「うわっ…んだこの…」
「お前運がないな。この子を助けなけりゃーもうちっと長く生きられたかもしれないが」
と、少女の時とは比べ物にならないほどの膂力で男子生徒を絞め上げる。
途端に男子生徒は息を詰まらせ、激しい痛みに苦痛の表情を浮かべた。
「残念ながら目撃者を黙って逃がしてやるほど甘くはないんだ。男は喰っても固くて気が乗らないが、まあ腹の足しにはなるしな。それに久々の人間だ」
本当に気乗りのしていない、つまらなさそうな表情で、野槌は小さな獲物の生命を奪っていく。
この絞める時が一番退屈だと、野槌は常々思う。野生の蛇は小動物を生きているうちから絞め殺してから頂くそうだが、存外自然界の蛇もこの時間を暇に感じるのかもしれないなと、益体も無く考える。
ぼーっと獲物が弱る様を眺めていた彼は、ふいにそれを喪失した。
「あ?」
無い。居ない。忽然と男子生徒は姿を消した。
「ど、どうなってる!?何が……」
まさか、あり得ない。人外ならまだしも、あの力に打ち勝って拘束から抜け出るなど不可能だ。
一介の平均的な男子生徒ができる芸当ではない。
―では、人外なら。
「こっちだ、この変、態!」
シャラン、と金属の擦り合わさった快い音が響く。瞬間、野槌は右頬を鈍器でぶっ叩かれた。
「ヘヴゥ」
またもや奇声をあげて、部屋の隅まで真っ直線に飛んでいく。短く呻いた後、
野槌はのそりと起き上がる。一に顎、二に頬と、顔面変形起こしても不思議じゃないほどの
衝撃を受けて、尚も正気を保っていられるのはその魔性ゆえか。
しかし、目は虚ろに明後日の方を向いている。
二度三度頭を振って目の焦点を取り戻した後、必死に攻撃の主を探す。
すぐに見つかった。
まず目に入るのは見事なまでに漆黒の双翼。身に纏うのは蘇芳の山伏装束。
そして、手に持つのは磨き上げられた錫杖。僅かに血の付いたそれは、間違えようも無く
野槌を殴りつけた得物である。
「人間に、しかもこんな女の子に手ぇ挙げて、ただで済むと思うなよ!」
錫杖を野槌に突きつけ、牽制する男子生徒。もはや彼は人ではない。
人外をものともせず、それを上回る力で押さえつける超人。
人ならざる者。
有翼人。野槌の故郷にも似たような種族はいたが、この国では、確か―
「テング、そうだ天狗と言ったな!貴様、同族の癖に…この俺を騙していたのか!?」
先ほどあっさり捕まり成すがままであった様子と、今の姿を見る限り、舐められていたとしか
思えない。すると、天狗は気づかないほど一瞬目線を泳がせて、それでも険しい顔を崩すことなく
言い放つ。
「ああそうさ。手前がいい気になってるもんから、ちょっとばかし遊んでやろうってな」
口の端を少しつり上げて嗤い、野槌を挑発する。どちらかと言えば普段から冷静な方だが
度重なる顔面への攻撃に怒り心頭に達していた彼は、臨戦態勢を取る。両手の爪を構え、
尾の先はどこから襲い掛かろうかと忙しなく動く。
最初に動いたのは天狗の少年であった。両手で印を組み、呪を唱え始める。
「高天原に神留まり坐す、皇が親神漏岐神漏美の命以て八百万神等を神集へに集へ給ひ」
この国の知識には疎いところのある野槌だが、本国では魔術妖術の類を齧っていたこともあって、
少年の成そうとしていることがなんとなく読めた。気の高まりからも察するに、強力な魔力を直接
ぶつけるつもりのようだ。しかも、かなりの速さで祝詞を詠み、力の収束もあっという間である。
回避、並びに攻撃は間に合わないと咄嗟に判断した野槌は、太い尾を身体よりも前に差出し、
防御を図る。
「今日の夕日の降の大祓に祓へキヨも給うことを…諸々聞食せと宣る!」
シーン。シ――――――ン。
「え?いや、あの……宣る!」
「……お前今噛んでなかった―」
「修験道キック!」
「ボゲラッ!」
修験道キックというトンチキな掛け声とともに繰り出されたのは、なんの魔力も感じられない
ただの蹴りであった。
上手く尾の妨害を回避して突進してきた少年は、きっちり正確に野槌の左のこめかみに入れた。
ぼぐっという下手すれば頭蓋骨が砕け散ったような音をさせて、
野槌は蹴られた方とは反対側へかっ飛ぶ。
「見ろ、これぞ修験道キック!大和ウン千年の歴史によって編み出された秘技なりッ!」
少年はやりきった顔でカンフー映画の主役のような構えをして見せる。
野槌はまたもや意識を飛ばしかけながらも、のそりと起き上がる。頭の隅で、
(何か違うんじゃないか)
と思いかけたが、生憎彼にはそこら辺を突っ込めるだけのこの国の一般常識が無い。
「参ったか!」
ドヤ顔で決める少年。
もう野槌は参りたかったが、あの少女が未練である。
千載一遇のチャンスをぽしゃりたくない一心で、野槌は無駄に虚勢を張った。
「…は、はは。正直大したことはない。この国の同族はこの程度か」
「なーにーいー…?」
すかさず少年はおどろおどろしい声をあげてガンを飛ばす。
立場だけ見ればさながら教師を脅しつける不良生徒である。
「とうとう俺最強の技を使わざるを得なくなったというわけか……」
言うが早いか、へたっている野槌の腰をがっちりと両腕で固定し、そのまま翼をはためかせて
いつの間にか開け放たれた窓から飛び出す。
嫌な空中散歩である。
このままでは碌なことにならないのは目に見えているため、必死に野槌は抵抗した。
しかし自重のせいで頼りの尾は力を込めても上方へ行かない。
腹筋や背筋周りを鍛えておかなかったことを後悔しながら、今度は言葉で訴える。
「おい、ま、待て!もうあの子には手を出さないと誓う!だ、だからここは穏便にだな…」
「そんなん信用できるか!行くぞ、上がれえええええええっ!」
形容するならスペースシャトル、そんな勢いで二人は蒼天へとぐんぐん上がっていく。
これが異なる状況なら、遊園地のアトラクションよろしく、さぞ楽しいことだろう。
が、眼下に広がる街を一望する余裕は無く、そもそもランデブーしているのは野郎二人である。
ピタリ、と天狗は止まる。
自分の思いが伝わったかと、安堵を滲ませた顔を野槌は少年へと向ける。
が、少年の怒りと嗤いが入り混じった表情を見て、すぐ顔面蒼白になった。
「俺の名前を覚えて逝け!―鞍馬勘介!ここいら一帯を仕切る党の頭となる男だ!」
せーの、という掛け声を合図に、勘介はその場で回り始めた。野槌を抱え込み、
竜巻のようにローリング。
回る廻る。目視できないほどの速さで回る。
「必 殺! しゅげんどーう、ロッォオーリングッ、スロォオイング、バスタァアアーッ!」
説明しよう!修験道ローリングスローイングバスター。相手を抱え込み飛び上がった後、
空中で相手ごと高速回転し、遠方へ放り投げる勘介の超必殺技である!
見事に修験道ローリングスローイングバスターを決められた野槌は、虚空にほっぽり出され、
ただただ地球の重力に任せて穏やかに降下していく。
そして、今度こそ、と前以上のドヤ顔をしている少年に向かって言い放った。
「それ修験道でも何でもねえだろおおおおぉおぉおぉおおお!!」