第2妖 理想的なボーイミーツガールって難しい
「―――い」
自転車をあんなに飛ばしていた私が悪いんだ。そう自分を納得させながらも、
悔しさと悲しみは抑えられない。
どうして、どうしてと責めたてる。他でもない、自分自身に。
「―ぶ――か」
あんなに急ぐ必要がどこにあったというのか。冷静に考えてみればわかることだろう。
何をいまさら後悔しているのか。
「ぉ―――い」
馬鹿だ。自分は大馬鹿だ。死んだら後悔だって出来やしない。
こんなにくよくよ思い悩むことも出来なくなるのだ。
………出来なくなるのだ?……出来てない? あれ、出来ていないか?
「おーい!きみ!しっかり!生きてる?大丈夫?起きてくれー!」
倒れたままうーんうーんと眉根を寄せて考え込む少女の傍で、
少女と同じ学校の制服を着た男子生徒が、彼女の頬を軽く叩いたり、呼びかけたりしていた。
日は昇る。すでに時刻は早朝を過ぎ、通勤・通学の混雑した時へと変わっている。
* * *
「いやービックリしたよ。まさか上から女の子が降ってくるなんてさ」
「ごごごごめんなさい!私重かったですよねっ!手とか怪我してませんか!?」
「平気へーき。全然。どこも怪我してないからさ。気に病むことないよ」
「で、でも……」
おっちょこちょいな少女は、同じ学校の男子生徒に助けられたらしい。この少年が語るには、
崖下にいた自分の元に少女が落ちてきたので、死に物狂いでキャッチし事なきを得た。自転車も仲良く落ちてきたが、そっちは面倒見切れないので自由落下させた。以上終わり。とのこと。
家屋2階分の高さから落っこちた人間を無傷でキャッチするなど到底信じられないが、
実際自分は助かっているし、少年にも傷一つないところを見るとどうやら真実のようだ。
それを「運が良かったんじゃないの」の一言で済ませるこの男の子もどうかと思うが。
兎にも角にも命の恩人だ。
名前を教えてください、と言うと、少年はおどけた表情で調子を付けて言った。
「へえっ…と、名乗るほどの者じゃございやせん」
「…えへへ、なにそれ。面白いね」
急に可笑しな言葉でかしこまって話す少年を見て、自然と妙な笑みがこぼれた。
冗談で自分を落ち着かせようとしているんだと理解して、ますます少年に好感を持った。
少女は気が楽になったこともあり、少年の容姿を改めて観察した。染められた茶色の髪の毛。
指定の学ランを羽織るようにして、中に着ている赤紫色のTシャツがわざと見えるようにしている。
あんな状況で自分を助けられるなんて、未だに信じられないけれど、身軽で運動好きそうなイメージは確かにある。
「自転車壊れたかな」
今は少年が代わりにひしゃげた自転車を押して歩いてくれている。自分は何度もいいからと断ったが、あんな事故の後だからと言いくるめられ、結局言葉に甘える形になってしまった。壊れたかな、というよりどこをどう見ても壊れている。前かごはくしゃくしゃ、ライトはプラスチックが砕け散り、
ベルの上半分もどこかへ行ってしまった。後輪は無事なものの、前輪はガードレールに乗り上げたときに傷つけて、空気が抜けてしまった。もうタイヤを変えないと乗れないだろう。
というか、再びこの自転車に乗ることになるのだろうか。いっそ新調した方が安いかもしれない。
「そういえば、だいぶ急いでたみたいだけど…何かあったの?」
「……うん」
うん、と言ったきり黙ってしまった少女を見て、少年は首を傾げる。
暫く二人は沈黙した。
ややあって、言わない、ということは言いたくないってことかと鈍い少年はようやく思い当ったようで。
「まあいいや。朝練とか、先生に頼まれたとか、そんなんだろ?」
「えっ!?…あー、は、はい!あされん…朝練です!そうです!」
こればっかりは詮索したところでお互いの為にならない、と思ってくれたのかどうかはわからないが、明らかに動揺する少女を慮ってか、少年はわかりやすく話題を変える。
「そういや何年?同じだったらゴメン」
「2年…です」
「げっ。同じだ…ごめんな知らなくて」
「6組もあるから覚えられなくてもしょうがないですよ。私も自分のクラスの人しかよく知らなくて」
「そっかー…じゃあ廊下でまたばったり会うかも。ってこれじゃすぐ名前バレそうだな」
恥ずかしいのか、少年はそれ以降自分の名前を出さなかった。
それから短い話題を振ったり振られたりしながら、二人は自転車を駐輪場へ停め、下駄箱まで一緒に歩く。そこで少年は少女に向き直り、真剣な顔をして言った。
「保健室に行った方がいいと思う」
全く考えていなかった。
こけた時についた擦り傷切り傷は、持っていた絆創膏で何とかしたものの、
消毒もせずにいるのは化膿する危険もあるから、きちんとしておいた方がいいと彼は言う。
もしかしたら頭を打ったりしているかもしれないからと、もしもの事態が怖いからと半ば強引に
連れて行かれた。
さすがに室内まで連れて行ってもらうのは躊躇われたので、少年とは保健室前の廊下で別れることに
した。ちゃんと事情を説明しなよと念押しした後、少年は2年生の教室がある3階に上がる階段を
ダッシュで駆け上っていく。
ぼうっとして見送っていたが、少女ははたと気が付く。
「あ、ありがとう!本当にありがとうございましたっ!」
後背に最後の礼をこぼすと、少年は手だけ振って応え、見る間に消えてしまった。
少女は気づいていなかったが、この時実はとっくに1時限目のチャイムは鳴り終わっていたのである。