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間章1 王都側の予兆

 王都送魔局の朝は、紙の音から始まる。


 夜勤明けの記録束が、中央監視室へ運ばれてくる。北環、東塔列、王宮線、下町揚水線。どの束にも、系統名、時刻、測定値、担当者名、封札番号が整った字で並んでいる。


 王都の送魔網は大きい。

 大きすぎて、人ひとりの目では追いきれない。


 だから、紙がいる。

 だから、記録がいる。


 セラ・ミルスは、その考え自体には同意していた。


 中央監視室の窓際には、朝の薄い光が差し込んでいる。夜の負荷が落ち、王宮区の暖房線が少し緩み、下町の揚水塔が朝の起動に備えて低く唸り始める時間だった。


 甲相(R相)乙相(S相)丙相(T相)

 主送魔線。

 接地導魔線。

 封瘴井(※1話前編)


 監視卓の針は、どれも規定値内に収まっている。


 規定値内。


 便利な言葉だ、とセラは思った。


 便利で、必要な言葉でもある。規定がなければ、王都ほどの送魔網は動かせない。すべての小さな揺れを異常として止めれば、王宮線も、治療院線も、下町揚水も、半日で身動きが取れなくなる。


 だが、規定値内という言葉だけで片づけるには、気持ちの悪い揺れもある。


 その朝、セラの前に置かれた記録束も、そういう紙だった。


 北第三配分塔。

 雨天後、床下湿りあり。

 初期脱瘴(※1話前編)短縮運用中。

 夜半、低唸りあり。

 接地導魔線側の零偏(零相)反応、規定値内。ただし前回比、微増。


 セラは、紙の端を指で押さえた。


 規定値内。

 微増。

 低唸り。

 床下湿り。


 単語だけなら、どれも小さい。

 けれど、小さいものが同じ行に集まると、紙の重さが変わる。


「また北第三か」


 背後から、低い声がした。


 バルツ・オーガンだった。


 古参の現場技師で、王都北環の古い塔をよく知る男だ。外套の裾には、昨夜の現場でついた封泥が残っている。片手には錫の杯。中身は、茶というより、煮出しすぎた木の汁のような色をしていた。


「また、というほど多くはありません」


「お前がそう言う時は、多いってことだ」


「規定値内です」


「便利な言葉だな」


 バルツは監視卓の端に杯を置こうとして、セラに見られた。


「置かないでください」


「まだ置いてねえ」


「置く途中でした」


「途中は未遂だ」


「北第三の低唸りも、まだ事故ではありません」


「そういう返し方をするな。胃が痛くなる」


 バルツは杯を持ち直し、系統盤の北環表示を見た。


「で、どう書いてきた」


「北第三担当からは、朝揚水前の背景測定時間を戻してほしい、と上がっています。雨の後は封瘴井蓋縁と床下の反応が下がりきらず、今朝の送魔で出たものか、昨日から残っているものか切り分けにくい、と」


「当たり前だ」


「当たり前、ですか」


「北第三は古い。床下が湿る。封瘴釉(釉薬)の縁も古い。変魔器も、王都の顔をしてるだけで腹は古い。そういうところで脱瘴と背景測定を削ると、音が変わっても、どの値の変化か分からなくなる。昨日から残っていた瘴気か、今朝の送魔で出た漏れか、紙の上では同じ低い反応に見えるからな」


「値は規定内です」


「値だけならな」


 バルツは杯の中身をすすり、すぐに顔をしかめた。


「ひでえ味だ」


「自分で淹れたのでしょう」


「だから文句を言ってる」


 セラは返事をせず、記録束をめくった。


 北第三配分塔は、王都北環の外れにある。王宮区の灯を直接支える塔ではない。貴族街の暖房線でもない。治療院線と下町揚水線へ分かれる手前の、目立たない配分塔だった。


 だが、そこが落ちると困る者は多い。


 朝の井戸塔。

 治療院の保温槽。

 下町のパン焼き炉。

 王都の華やかな灯ではなく、生活の灯を支える場所だった。


「監査院から、昨日の通達が来ています」


 セラは机の端に置かれた青封の紙を示した。


 遮断型零偏補償器の標準運用に伴う、初期脱瘴工程の段階的縮小。


 バルツは、紙面を一瞥して、鼻を鳴らした。


「縮小、ねえ」


「廃止とは書かれていません」


「そう書くと怒鳴られるからだろ」


「監査院の文面です」


「だから腹が立つ」


 セラは、北第三の記録欄に細い字で追記した。


 初期脱瘴短縮運用後、雨天時低唸り。封瘴井蓋縁、雨天後背景反応下がりきらず。朝揚水前の背景測定時間復帰要望。


 少し迷ってから、もう一行加える。


 要観察。


 バルツが、その字を見た。


「上へ出す気か」


「中央監視室の記録として残します」


「監査院が嫌がるぞ」


「記録です」


「お前も面倒だな」


「必要でしょう」


 バルツは低く笑った。


「そこは否定しねえ」


 その時、中央監視室の扉が開いた。


 若い記録係が、別の紙束を持って入ってくる。


「中央監視官。技術監査院より、零偏補償計画の試験予定表です」


「こちらへ」


 セラが受け取る。


 表紙には、整った字で書かれていた。


 王宮線零偏安定化試験 第一段階。

 特別技官 カイウス・ヴェルナー。


 バルツが、露骨に顔をしかめた。


「今度は王宮線か」


「冬灯祭に合わせるようです」


「祭りの灯は派手に点けたい。現場の湿りは端へ寄せたい。分かりやすい話だな」


「言い方を選んでください」


「選んだ結果だ」


 セラは試験予定表をめくった。


 試験区画の負荷投入順。

 遮断型零偏補償器の導入段階。

 零偏成分の基準。

 初期脱瘴工程の短縮条件。


 文面は整っている。

 手順も分かりやすい。

 会議で読みやすい資料だった。


 だからこそ、セラは北第三の記録束を横へ置いた。


 整った紙の横に、整っていない現場記録を置く。


 それだけで、見え方が変わることがある。


「レン・アルバートの処分記録も回っていました」


 記録係が小さく言った。


 バルツの目が、記録係へ向いた。


「余計な噂を運ぶな」


「失礼しました」


 若い記録係は肩を縮めた。


 セラは、処分記録の内容を思い出した。


 未承認試験。

 特別技官への根拠なき異議申し立て。

 無資格、無許可での据え付け式ミアズマ検知双眼鏡(※1話前編)の使用。

 試験場秩序の妨害。


 文面だけなら、困った若手だった。


 カイウス特別技官の式を、自分のものだと言い張る。

 感情が先だった発言をする。

 危険を訴えて、無許可で高性能測定器に飛びつく。


 周囲から見れば、そう見えただろう。


 だが、セラは一つだけ気になっていた。


 レンが、何を見たのか。


 なぜ、無資格使用までして、据え付け式ミアズマ検知双眼鏡を覗いたのか。


 感情だけで、あの大きな双眼鏡へ飛びつくほど、彼は短絡的だっただろうか。


 セラは、まだ答えを持っていない。


 だから、結論欄には書かなかった。


 ただ、北第三の記録束の上へ、処分記録の写し番号だけを控えた。


 関連未定。


 それだけを書いた。



     *



 技術監査院棟の廊下は、中央監視室よりずっと静かだった。


 ユリス・ハルトは、その静けさを好んでいた。


 泥のついた外套。

 焦げた封泥の匂い。

 現場技師が交わす荒い声。

 そういうものも送魔を支える現実の一部だということは、ユリスにも分かっている。


 しかし、王都の送魔網を前へ進める本質は、そこにはないと思っていた。


 本質は、紙の上にある。


 図面。

 記録。

 式。

 再現可能な手順。

 誰が担当しても、同じ条件なら同じ結果に至るための標準。


 だから彼は、技術監査院の乾いた空気を吸うと、自分が技術者であることを思い出す。


 現場で腕を焦がす者だけが技術者なのではない。

 都市全体を見て、系統を整え、個人の勘を制度に置き換える者もまた、技術者であるはずだった。


 その考えを、もっとも美しく形にしている人物が、扉の向こうにいる。


「ユリス・ハルトです」


 名乗ると、内側から低い声が返った。


「入れ」


 扉を開ける。


 カイウス・ヴェルナーは、窓を背にして立っていた。


 三十代前半。整えられた灰金の髪。白と紺を基調にした技術監査院の制服。襟元の金の徽章は、送魔局本庁から特別技官として認められた者だけが許されるものだ。


 机の上には、いくつもの図面と、薄い青紙の記録板が並んでいる。


 雑然とはしていない。

 角が揃えられ、重要度ごとに束ねられ、紐の色まで変えられている。


 ユリスは、そこに秩序を見た。


 現場の混乱を、紙の上で整然と扱える者。

 それこそが、王都送魔に必要な人間だと思った。


「ご指示の資料を整理して参りました」


 ユリスは、抱えていた筒を机の端に置いた。


「王宮線、貴族街区、北環の三系統について、零偏補償計画の導入候補をまとめています。古い変魔器を含む箇所には、念のため現場側の注意欄を残しました」


 カイウスはその言葉に、わずかに眉を動かした。


「注意欄か」


「はい。特に旧式変魔器を含む箇所では、初期脱瘴工程を省略しないこと、と。現場側からの申し送りにも同様の文言がありましたので」


「その注意欄は削ってよい」


 即答だった。


 ユリスは一瞬、指先を止めた。


「削除、ですか」


「そうだ」


 カイウスは椅子に腰を下ろし、資料の束を一つ手に取った。


「初期脱瘴工程は、現場が自分たちの裁量を守るために付け足した保険だ。理論上、零偏環(ZCT)と遮断型補償器が正しく働くなら、大きな漏魔は拾え、危険値に達すれば切れる。背景反応は運用前整備表で足りる。導入前に長時間の脱瘴を要求するのは、実験を重く見せるための習慣にすぎない」


 滑らかな声だった。


 断定に迷いがない。

 だから、ユリスは自分の疑問の方を疑った。


「しかし、旧式変魔器では、接地導魔線側の反応遅れが出ています」


「君も、現場の恐怖に引きずられているのか」


 カイウスの声は荒くなかった。むしろ穏やかだった。


 だが、その穏やかさは、質問の逃げ場を狭くする。


「失礼しました」


 ユリスは頭を下げた。


「私は、ただ確認を」


「確認は必要だ。だが、恐怖を確認と呼んではいけない」


 カイウスは資料を机に置いた。


「王都の送魔網は、長らく現場の恐怖に支配されてきた。もちろん、恐怖そのものを否定はしない。高圧は危険だ。瘴気は残る。事故は起こる。だからこそ、我々は恐怖を標準へ変えなければならない」


「恐怖を、標準へ」


「そうだ」


 カイウスは机上の大図面を広げた。


 王宮線を中心とした三相送魔系統図。甲相、乙相、丙相。そこに接地導魔線、変魔器、接地変魔器(EVT)避魔器(避雷器)、封瘴井の記号が緻密に描かれている。


「零偏補償計画は、個々の現場技師の勘を不要にする。三相を零偏環へ通し、三相和、接地導魔線側の零偏反応、変魔器の応答を手元で読む。これらを式で整理し、危険値に達した区間は補償器(遮断器)で切り離す。誰かが塔の音を聞き、冠石の汗を見て、危ないと叫ぶ時代は終わる」


 その言葉に、ユリスは胸の奥が熱くなるのを感じた。


 それこそ、自分が望んでいた未来だった。


 現場の英雄に頼らない技術。

 年季の入った技師が「俺の勘では危ない」と言えば計画が止まる、そんな旧弊からの解放。

 王都の大きな系統を、誰が読んでも同じ結論にたどり着く紙へ変える仕事。


 カイウスは、それを可能にする人だ。


「レン・アルバートの件も」


 ユリスは慎重に言った。


「局内では、まだ同情的な者が一部にいます」


「同情は構わない」


 カイウスは、大した問題ではないように答えた。


「若い技師補が、未承認の理論を抱え込み、危険な試験場で感情的に騒いだ。さらに無資格で据え付け式ミアズマ検知双眼鏡を使った。規則上、処分は当然だ」


 ユリスは頷いた。


 レンという若手を、ユリスは何度か見たことがある。


 記録帳を抱え、会議では一歩後ろに立っていた。質問を受けると少し慌てる。答えは丁寧だが、声は大きくない。


 悪い人物ではなかったのだろう。

 だが、王都送魔網を背負える人間には見えなかった。


 王都には、勇気よりも制度が要る。

 観察よりも標準が要る。

 そして、標準を作れるのはカイウスのような人間だ。


「彼の着想の中に、見るべきものが全くなかったとは言わない」


 カイウスは続けた。


「だが、着想を制度へ変える力がなければ、それは技術ではない」


「はい」


 ユリスは、深く頷いた。


 その時、カイウスが机の上の薄い資料を一枚取り上げた。


「零偏補償式の本体は、極めて単純だ」


 彼は、三相を表す図を示した。


(R)(S)(T)の乱れを、正しく回る成分(正相成分)逆に回る成分(逆相成分)共通して残る偏り(零相成分)へと分ける。不要な二つを打ち消し、正転成分だけを残す」


 ユリスは、その図を見た。


 彼は、三根(三乗根)零偏式を完全に導けるわけではない。

 相数(複素数)方陣式(線形代数)は、まだ勉強中だ。


 それでも、その発想の美しさは分かる。


 三相の複雑な乱れが、三つの影に分かれる。

 正転(正相)

 逆転(逆相)

 零偏(零相)


 濁って見えていたものが、数式の中で過不足なく並び直す。


 美しい。


 美しいものは、正しいと思いたくなる。


「この式を標準へ落とす」


 カイウスは言った。


「それが、我々の仕事だ」


「はい」


 ユリスは答えた。


 その返事に迷いはなかった。


 少なくとも、この時点では。



     *



 資料整理の終わり際、窓から入った風が、机の端に置かれていた古い草稿紙を一枚めくった。


 正式な監査院様式ではない。

 線も表も、まだ整っていない。

 余白には、小さな字でいくつもの注意書きが書かれている。


 ユリスの視線が、そのうち一行に引っかかった。


 ――初期脱瘴は、安全係数ではない。測定条件である。


 ユリスは、指を止めた。


 測定条件。


 その言葉は、妙に強かった。


 安全係数なら、削れる。

 保険なら、短くできる。

 現場の恐怖なら、標準表で整理できる。


 だが、測定条件なら。


 それを変えれば、同じ数値でも意味が変わるのではないか。

 残っていた瘴気と、新しく漏れた瘴気を分けるための条件なのではないか。


「それは古い草稿だ」


 カイウスの手が、紙の上に重なった。


 声は変わらない。

 ただ、少しだけ早かった。


「初期検討段階のものだ。正式資料ではない」


「……はい」


「整理しておく」


 カイウスはその紙を別の束へ移した。


 ユリスは、もう一度頷いた。


 古い草稿。

 正式資料ではない。

 未成熟な案。


 そう考えれば、矛盾はない。


 だが、さっきの一行だけが、頭の中に残った。


 初期脱瘴は、測定条件である。


 ユリスは、自分の記録板の余白に、ほんの小さく書いた。


 初期脱瘴=測定条件?


 疑問符を付けた。


 断定ではない。

 疑問だ。


 それなら、まだ書ける。



     *



 夕方、技術監査院の小会議室では、王宮線零偏安定化試験の予定が読み上げられた。


 王宮区全灯に向けた第一段階。

 貴族街区半負荷。

 北環の一部遮断型補償器導入。

 初期脱瘴工程の段階的縮小。


 現場技師の一人が、小さく手を上げた。


「北第三配分塔について、発言しても」


 カイウスは、穏やかに頷いた。


「どうぞ」


「雨天後、床下に低い唸りがあります。朝揚水前だけでも、封瘴井蓋縁と床下の背景測定時間を戻させてください。今の短縮手順では、反応が出た時に、雨の残りか、今朝の送魔で出たものか切り分けられません」


「測定値は」


「規定内です」


「なら、経過観察でよい」


 答えは早かった。


 現場技師は、少しだけ口を閉じた。


「ですが、音が」


「音だけで標準を戻すのですか」


 カイウスの声は、やはり穏やかだった。


「現場の感覚は重要です。しかし、標準運用は感覚だけでは動かせません。零偏環にも危険値は出ていない。規定値内なら、運用上は継続です。追加測瘴は許可します」


「追加測瘴、ですか」


「測れば、現場も納得するでしょう」


 ユリスは、そのやり取りを記録した。


 北第三。

 低唸り。

 規定値内。

 追加測瘴。

 背景測定時間、一時復帰なし。


 整った結論だった。


 ただ、紙の余白に書いた疑問符が、まだ消えなかった。


 初期脱瘴=測定条件?


 ユリスは、その行を見ないようにして、公式記録の清書を続けた。


 会議が終わると、窓の外には王都の灯が点り始めていた。


 王宮区の灯は、整っている。

 塔から塔へ、青白い光が均一に走る。

 下町の井戸塔も、貴族街の丸屋根も、中央広場の高灯も、王都らしく美しく見えた。


 ユリスは、その光を見上げた。


 この灯を、もっと安定させる。

 そのために、恐怖を標準へ変える。


 カイウスは正しい。


 そう思った。


 思おうとした。


 その時、北環の端の灯が、ほんの一度だけ弱く揺れたように見えた。


 たぶん、気のせいだ。

 距離が遠い。

 視角も悪い。

 監視卓の針も、規定値内のはずだ。


 ユリスは、公式記録には書かなかった。


 代わりに、自分の小さな手帳へ一行だけ加えた。


 北環端灯、微揺れ。確認未。


 確認未。


 それなら、まだ書ける。



     *



 同じ頃、中央監視室では、セラが北第三の記録束を閉じていた。


 バルツは、帰ると言いながら、まだ監視卓の横にいた。


「帰らないのですか」


「帰るところだ」


「三度目です」


「帰る意思はある」


「意思だけでは帰宅になりません」


「面倒な女だな」


「必要でしょう」


 セラは、記録束の表紙に赤い細紐を掛けた。


 北第三配分塔。

 雨天時低唸り。

 初期脱瘴短縮運用中。

 現場側、一時復帰要望。

 監査院判断、経過観察。


 そして、最後の一行。


 要観察。


 その言葉は、まだ何も止めない。

 誰かを救うわけでもない。

 監査院の判断を変える力もない。


 だが、要観察として残した。


 要観察として残した記録は、あとで見直せる。


 セラは、それを知っている。


 バルツが、北環の系統盤を見上げた。


「西へ行った若造、どこまで行ったと思う」


「レン・アルバートのことですか」


「ほかに誰がいる」


「まだ、ノルク村のあたりでしょう」


「王都を追われて、最初に村か」


「村を軽く見てはいけません」


「分かってるよ」


 バルツは、少しだけ口元を歪めた。


「現場は、たいてい村の方が正直だ」


 セラは窓の外を見た。


 王都の灯は、整っている。


 整いすぎて、ときどき小さな声が聞こえにくくなる。


 西へ向かった若い技師補が、その声を拾えるかどうかは分からない。

 拾えたとしても、王都へ届くとは限らない。


 だが、彼が見たものを何かに残すなら。


 いつか、その紙は戻ってくるかもしれない。


 セラは、北第三の記録束を棚へ戻した。


 規定値内。

 要観察。


 二つの言葉が、同じ背表紙に並んだ。


 王都の朝から始まった紙は、その夜、まだ結論を出しきらないまま棚に収まった。


後書き

【一言メモ】

カイウスは将来技術に含みを持たせて予算確保等をしやすくするため、現状ただの遮断器のことを敢えて「補償器」と呼んでいます。


【用語】

(ルビ:現代の電磁気・科学にて相当する語。)

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