第2話 宝石の在処
岩蔵氏の様子に、会場内は騒然とした。
ショーケースの中にあるアメジストは、色が薄くなっていた。
先程まで濃い紫色の輝きを放っていた紫の石を間近で見ていた来場者は、驚きと戸惑いの声を上げていた。
「誰かがすり替えたんだ…誰だ、私のアメジストを偽物にすり替えた奴は!!」
怒り始めた岩蔵氏をなだめようと、慌てた様子で数名の男女がアメジストが入ったショーケースが置かれたキャスター付きの台と共にステージ脇に連れて行った。会場に来た際、具明氏と共に挨拶にやって来た老若男女の人物達だった。
怒り狂った具明氏の様子などから、パーティーが継続できる状況ではなくなり、ここでお開きになった。
突然のことで、会場内には動揺の声が上がったが、致し方ないと多くの招待客は会場を後にすることになった。
香織と由梨乃も、櫻井夫妻と共に会場を後にしようと出口に向かって歩き始めた。
何か考え込んでいる様子の香織に、由梨乃は口を開いた。
「香織、どうしたの?」
「いや、あのアメジストのことが気になって。」
「色が変わっていたわね。それがどうかしたの?」
「すり替わった後のアメジスト、具明様は『偽物』とおっしゃっていたけど、多分あっちが本物なんじゃないかと思って。」
「え?」
前を歩いていた櫻井夫妻も声を上げて香織の方に振り返った。
「どういうことかしら、香織さん。」
「はい。最初に見たアメジストの方が偽物で、すり替わった方が本物ではないかと。」
「何故そう思うんだい?」
「最初の方は、色が鮮やか過ぎたからです。私と由梨乃は遠くからでしか見られませんでしたが、それでもあそこまでの色になるものかと。アメジストは紫色に輝く石として有名ですが、自然の鉱物ですから、色が均一ではなく、複雑なグラデーションになると言います。ですがあれは色ムラも無く、完全なまでに透明でもありました。アメジストを本物と偽物で見分ける特徴の一つです。」
「見た時に私が不自然と感じたのは人工的に作られたからだったということね。」
「おそらく。実際他の招待客の方にも、首をかしげていらっしゃる方がいたのですが、多分不自然なまでに綺麗だったからこそ、偽物だと気付いたからではないでしょうか。」
「じゃあ偽物から本物にすり替えたのは何故かしら。」
「さあ。ただ、具明様は最初の方を本物、すり替わった方を偽物とおっしゃっていたから、区別がつかない。それを知った人物がわざとすり替えたのではないかと。」
京一と眞梨子は顔を見合わせ、再び香織に尋ねた。
「では本物はどこにあるのかしら。」
「恐らくですが…。」
香織の話を聞いた三人は、帰宅する招待客とは逆走して具明氏のいる場所へと向かった。
具明氏がいたのは、会場の隣室にある控室だった。ドアは開け放たれており、周囲には一族が揃っていた。
具明氏は怒鳴り声を散らしている。
「お前たちがきちんと管理していないからこんなことになるんだ!全く、とんだ恥さらしめっ!」
当主には逆らえないのか、一族皆萎縮して怯えている。中には幼子もいて、母親と思しき女性の足元にしがみついていた。
そんな中でも、壮年や若い男性が具明氏をなだめていた。
「父さん、悪かったよ。きちんと探しておくから。」
「お前に任せられるか!あの家宝がどんなものかわかっているのか!我が岩蔵家が大切にしてきたものを!」
「しかしおじい様だってぞんざいに扱っていたではありませんか。」
「そんなことはしとらん!ただ光にかざして見たりしていただけだ!」
「ですから…。」
明らかに入りずらい状況の中、眞梨子がドアをノックして声を掛けた。
「お取込み中失礼します。少しよろしいでしょうか。」
櫻井家の面々を見た岩蔵家の人々は皆眞梨子に視線を向けた。具明氏は彼女の元に行き、深々と頭を下げて言った。
「これはこれは櫻井様。この度は大変失礼いたしました。」
年齢では明らかに具明氏の方が年上だが、家柄では眞梨子が当主である櫻井家の方が格上である為、彼女に対しては低姿勢である。
「いえ、そのアメジストの件でお話したいことが。」
「アメジスト?ああ、この退色した何とも情けない姿の…それが何か?」
眞梨子が香織に目をやると、前に出て具明氏に言った。
「具明様、そのアメジストを拝見してもよろしいでしょうか。」
「ああ、構わないが。」
そう言うと具明氏はキャスター付きの台に乗っているショーケースから素手で石を取り出した。
香織はハンカチ越しに石を受け取って眺めてみた。
眞理子に相槌をする。
「具明様、恐らくこちらの石が本物のアメジストかと思います。」
「な、なんだと。」
この言葉を聞いて驚いているのは具明氏のみ。
「最初にお見せになっていた方が偽物で、こちらが本物です。」
香織が言うと、周囲にいる一族はバツの悪そうな顔をしていた。
「う、嘘を言うな!この薄い色が本物なわけなかろう!第一本物の方、無くなった方は一体どこにやったというんだ!」
「それは恐らくここではないかと。」
そう言うと香織は、控室に置かれていた白い布のかかったキャスター付きの台を指した。均等に敷かれているはずの白い布は一ヵ所だけ長さが短く、しわが多い。よくわかっていない具明氏の為に、香織は「失礼します」と言って部屋に入り、キャスター付きの台からテーブルクロス引きの方法で白い布を外した。台の角には一ヵ所、引き出しになっている小さな箱が取り付けられていた。それは布が短く、しわが多かった部分だった。引き出しを開けるとそこにはパーティーの最初に見た鮮やかに綺麗に光る石が入っていた。
香織はその石も、由梨乃から事前に借りていたハンカチ越しに持ち、両方の石を具明氏に見せた。
「最初にお見せになっていた方は、あまりに綺麗で整い過ぎていたのです。こうした鉱物と言うのは、自然に作られるものなので、いくらかムラがあったり、傷ができるものです。もちろん加工して整えることはできますが、それでも輝き方と言うのは違うのです。」
「で、ではなぜこんな色に…。」
「日光に当てたりしませんでしたか?」
具明氏ははっとした顔をした。具明氏をなだめていた息子や孫はため息をついた。
「アメジストは退色する石でもあります。日光に当てると色が薄くなってしまうのです。一度退色すると元の色には戻りません。」
「そ、そんなこと、知らん。お前たちの誰かがやったんだ!私じゃない!」
「父さん、いい加減にしてくれ!」
冷や汗をかきながら怒鳴り散らした具明氏を止めたのは、息子だった。
「その石を窓際に置きっぱなしにしていたのは、父さんだ。見つけた時にはすでにこんな色になっていたんだ。」
「どうせおじい様のことだから、誰かのせいにする。おじい様は誰の話を聞かない。だから、これを使っておじい様を当主の座から降りてもらおうと思って。」
息子と孫に言われた具明氏は、怒りで震えている。
「櫻井様、それとそのお嬢様。お騒がせして申し訳ありません。すべては私が考え、それを息子や他の一族に協力を願い、このようなことを致しました。」
パーティー中に途中で電気が消えたのも、この計画を実行する上で一族の人間が協力して行ったことだった。
息子は香織と櫻井夫妻、由梨乃に向かい、頭を下げた。
「何故こんなことを?しかもお家の記念すべき日を祝うパーティーで。」
「父の独裁的なやり方を止めさせたかったのです。」
京一が訪ねると、息子と孫が説明を始めた。
「父の代になり、業績は右肩上がりとなり、我々一族は繁栄しました。しかしその一方で、時代にそぐわないワンマンなやり方により、潰された家や会社が多くあり、中には政略結婚という形で家を潰さない代わりにうちの一族になることを強いられた者もおります。そして、このやり方を今も強要し続ける父を当主の座から引きずり下ろしたかったのです。」
「その為には、おじい様のプライドをへし折る必要がありました。それがこのパーティーです。」
「しかし、そんなことをすれば岩蔵家そのものの評判に関わる。あなた達自身も苦しいのでは。」
「正直に申し上げますと、この家を背負う覚悟が私にはありません、父の暴君で離れてしまった方々も多くおります。家よりも私達個人の人生を優先させたかったのです。ですから、この家がどうなっても構わないのです。」
「それに、家宝と言いながら光に当てると綺麗といって退色させてしまった、この石の価値をわかっていない祖父から取り戻したかった。」
息子と孫の言葉に、一族も同じような表情でいた。
皆同意見だったのだろう。
「具明様。」
眞梨子が声を掛ける。
「一度ご家族でしっかり話し合いをされてはいかがでしょうか。せっかくの家の名をこれ以上悪くされるのは、いくら御子息達がそれでも良いとおっしゃっても、あなた様は納得されないでしょうし、代々この家を築いてこられた先代方にとっても残念でしょう。私も、代々付き合いをしてきた家としてそれは残念ですわ。しっかりした御子息達をお持ちですから、この際今後この家がどうあるべきかを決めていく良い機会ではないでしょうか。」
具明氏は口をへの字に曲げ、黙ったままだった。
「小父様、小母様、先程は出過ぎた真似をして申し訳ありませんでした。」
帰宅の途に着いた香織は、櫻井夫妻に深々と頭を下げた。
付き人という立場でパーティーに参加しておきながら、主催者である当主に意見したことに対して。
いくら櫻井家当主の眞梨子から許可を得たとしても、立場上、失礼に当たる行動をしたのだ。
「香織さん、頭を上げなさい。」
眞梨子は香織に向き合い言った。
「助かったわ。ありがとう。私が説明してと合図をしたのだから構いません。それに、あの家は以前から御当主が難だったのよ。いなくなるならこちらも済々するわ。」
パーティー会場では凛とした振る舞いをしていた眞梨子だったが、今は感情をあらわにしている。
「今までずっと意見したかったのだけれど、理由やきっかけがないとただの言いがかりになってしまって、角が立つでしょう。今回は良い機会だったわ。」
櫻井家は、国内有数の名家を代表する四名家の中でも別格の家である。名家の揉め事があるとそれを仲裁するような役割も担っているのだ。
眞梨子は以前からこの岩蔵家当主、具明氏に対する悪行のような行為を聞いていた為、それを咎める機会を伺っていたという。
今回の一件は、香織の博識が役立ったのだった。
「それにしてもよくわかったわね。隠し場所とか。」
「多分隠すなら隠し場所でも作っているんじゃないかと思って。あの台には布が掛けられていたし、隠し場所が作れるだろうと思って。それに、実は電気が消えた後、かぶせられた布が変に短い箇所が一ヵ所あったのが見えたのよね。」
「どういうこと?」
「多分引き出しに布が挟まっていたんじゃないかと。」
「なるほど。」
由梨乃が片方の手のひらに拳を当てて納得していた。
「しかしよくアメジストのことも知っていたね。私はすっかり騙されてしまったよ。私は見慣れないものだったからね。」
京一は苦笑いしていた。
「私は本物のアメジストは見たことが無かったので自信はありませんでしたが、周囲の様子や、小母さまの話を聞いて、もしかしてと思いまして。」
謙遜する香織に、京一は言った。
「さすが、父譲りの頭脳明晰さだ。」
後日、このパーティーでの一件で、具明氏は岩蔵家の当主から降りることになった。
その話を聞いた付き合いのある家々は安堵したという。
息子は家が潰れても良いと言っていたが結局存続することになった。その跡を継いで、孫と共に父親で先代当主の今までの行いに対し、謝罪行脚していて回り、家を再興させようとしていた。櫻井家にも謝罪も兼ねて報告に来ていた。
家として付き合いのある眞梨子と、事業として付き合いのある京一の二人は、息子に支援を申し出たが、まずは自分達でどうにかやってみると言い、見守ることにしたようだ。
学校では、クラスメイトで情報通の千佳が香織達に話し始めた。
「そういえば、岩蔵家では最近御当主が変わったそうよ。」
「あの横柄な方が?」
「何でもこの間由梨乃たちが参加したパーティーで色々とあったみたいじゃない。それが原因で当主を御子息に譲ったそうよ。」
「へえ。由梨乃達、何かあったの?」
「さあ。」
むやみにあの日のことを話すことでは無いと思い、二人は黙って彼女達の話を聞いていた。
「まあ、うちの御贔屓様だったけど、あの方はちょっと色々と面倒な方だったし、御子息はちゃんとしてそうだから、安心しているところなのよね。」
「同じく。」
それぞれ実家が老舗の家業を営んでいる千佳と花音はうん、うん、と頷きながら話していた。
「自分が偉いからって、なんでもかんでも口を出したり、思い通りにさせようとするのは違うわよね。」
「上に立つ人というのは、時に立場を越えて関わらなければいけないと思うわ。」
「私利私欲の為に権力は振りかざすものではないし。」
千佳、花音、はるひの言葉に、香織と由梨乃もうんうんと頷く。
権力とは、人をただ強制的に従わせるためにあるものではない。
誤った使い方をすれば、それはただ恐怖政治でしかないのだ。
「権力より、信頼を得て立ち振る舞える権威を持てるようになることが必要だと思うわ。」
学園一の名家の令嬢である由梨乃が言うと、説得力が増す。
「由梨乃の元なら着いて行くわ!」
冗談めかして言う千佳を見て、皆笑っていた。
ちゃんと推理物になっているでしょうか…?
アメジストは光に弱く、退色します。
また、硬い割に傷などがつきやすいそうです。
スピリチュアル的な要素としては、「石酔い(石を身に付けると体調不良になる状態)」するとも言われているとか。