プロローグ
たとえば、
誰かの幸せを願うだけの恋があるとしたら、
僕の気持ちは、きっとそのひとつだったんだと思う。
詩乃ちゃんは、昔から変わらなかった。
静かで、まっすぐで、自分のことを多く語らないくせに、誰よりもちゃんと人を見てる、そんな子だった。
小さい頃、夏祭りではぐれそうになったとき、
人混みに立ち止まって動けなくなってた僕の手を、
詩乃ちゃんが、なにも言わずに引いてくれた。
「こっち。ついてきて」
ちょっとだけ照れたような声で、でも真っ直ぐで、
あのときの背中は、子どもながらにかっこいいなって思った。
たぶん、ああいうところが、ずっと好きだった。
それは今も変わらない。
静かで、必要なときにだけちゃんと誰かの隣にいてくれる。
ただ、ある日ふと気づいた。
その“誰か”が、自分じゃないんだろうなって。
詩乃ちゃんが、隼の前でだけ
少しだけ笑うようになった時。
声がやわらかくなって、言葉が優しくなった時。
僕は、きっと誰よりも早く、それに気づいてしまった。
隼は、不器用で、口数が少なくて、
でもたまにずるいくらい真っ直ぐなことをする。
自分が誰かの支えになってるなんて、たぶん思ってもいない。
でも、詩乃ちゃんは、そんな彼に、
ほんの少しずつ心を預けていた。
まだふたりは、自分の気持ちに名前をつけていなかった。
けれど、その距離が少しずつ縮まっていくのを、
僕だけが黙って見ていた。
この恋は、はじまる前から、終わることが決まってたのかもしれない。
だけど、だからこそ、優しかった。
だから、これは、
詩乃ちゃんと隼が、まだお互いを知らなかった頃の話。
ふたりが惹かれていって、僕がその隣で、ただ見ていた時間の話。
誰にも気づかれなかった、
僕の、はじまる前に終わった恋の話。