幸せなカフェテリア
その平屋は一面緑の蔦に覆われていた。赤褐色のレンガ調が特徴的な温もりある外壁も、緑一色の下に隠れてしまっている。
家主のふしだらさが見てわかる様相に、ミーコは不機嫌に頬を膨らませて、扉をノックした。
「ミーコじゃぁんっ、おっひさぁ!」
古びた外観に反して、現代的な明るさで飛び出してきたのは親友のアカリである。SNSにダンスやメイクの動画を投稿しており、学校内ではちょっとした有名人である。そのせいかどうかはわからないが、アカリはピンクのへそ出しトップスに膝上スカートという、派手な身なりをしている。
一方のミーコは上下とも黒のトレーナーである。
「おっひさあ、じゃないよ。せっかく立派な平屋に住んでるのに、あれじゃあ台無しだよ。お手入れさぼったら、家から追い出されるよ?」
「大家はアタシだからいいの。それより中に入って。一緒にテパしよ、テパ」
テパというのは、お茶会、すなわち「ティーパーティ」の略である。二文字でもだいぶ省略されたが、アカリはさらに削って「テ」の一文字にしかけたこともある。さすがに理解が苦しむということで、結局「テパ」に落ち着いた。
お茶会とは名ばかりで、インスタントの紅茶に、150円くらいで買えるビスケットをつまみながら談笑する、小さな催しである。だが学生の身でお金の無い彼女らにとっては、お茶会への憧れを満たすには十分事足りていた。
「ミーコは最近何やってんの?」
「何もやってないよ。アカリは?」
「ダンスの練習かな。次投稿しようと思っているダンスの振り付け、ちょいムズだからさ」
「楽しそうだね」
「うん、めっちゃ楽しい! 特に最近はね! もう、生きてるぅ!! って感じがしてたまらないの!」
アカリは紅茶はぐいと飲み干し、満面の笑みを見せる。
「彼氏はどうしてるの?」
「それが、なかなか連絡つかんのですよ。おいトオルっ! アタシの連絡シカトすんなやっ!」
真っ黒な画面に向かってひとしきり声を荒げるアカリ。
無論その携帯も、ハートやダイヤのデコレーションでキラキラしている。
「まあ、アカリが第一にすべきは蔦の掃除だね。汚くしちゃだめだよ」
「それ色んな人から言われて耳タコ焼きなんですけど。めんどい。アタシ自身磨くならまだしも、家磨いてどうすんの」
アカリは目いっぱいのため息を上に出す。こう態度が悪くなってしまえば、アカリを手懐けるは難しくなる。
だが蔦の件も無視できない。我が物顔で住んでいるが、ここはアカリの家ではないのである。あくまでも、与えられた家なのである。
「あっ、そうだ」
カップを置いて紅茶の香りを嗅いだ時、ミーコは妙案を思いついた。
「アカリが手入れ面倒なら、いっそのことカフェにしちゃわない?
「ん、カフェ?」
「うん。蔦の張ったカフェ。そういうテイにしちゃえば、蔦もわずらわしいものじゃなくなる。あと、ここって少し森に囲まれた場所じゃん? 自然の中のカフェっていうコンセプトを打ち出せば、好きな人は足しげく通ってくれるはずだよ」
そう説明し終えるか否かのところで、アカリはぐいんと身を乗り出してきた。
「めっちゃ良いアイデアじゃんそれ! 森の中のカフェ、めっちゃ良い! 考えただけでうっとりする! しかもそれで売れたらアタシの人気もうなぎのぼりの一石二鳥! さすがミーコ! 頼りになるアタシの相棒だよ!」
「いやいや、褒めすぎだよ……」
でもミーコはとても嬉しかった。自分の案が賞賛されたことより、アカリの役に立てた自分が一番嬉しかった。
「よおし! 善は急げ、『ゼンイソ』、『ゼンイソ』! 早速カフェオープンだ!」
それは突発的で計画性の無い青写真のように思えるが、アカリの行動力はそれらの欠点を飛び越えてしまうほど、優れた勢いを持っていた。
アカリはSNSを駆使して、これからカフェを始める旨を大々的に宣伝した。アカリにはそこそこのフォロワーがいるが、いきなりカフェを始めますの一言で、はたして彼らが動くのかとミーコは半信半疑だった。だが反響は想像以上で10万もの資金が集まった。少しでも力になれたらと、わざわざ足を運んできた人もいた。本格的にカフェを始めるには難しいが、いつも二人でやってる「テパ」の延長的な規模なら、十分可能だった。
メニューは料理の得意なミーコを中心に、皆で案を出して作っていった。「これはいける」と思って作ってみたらまずかったり、逆に「これはさすがに……」、というものが案外美味しかったりする。 料理とは奥が深くて一筋縄ではいかないが、やりがいがあって飽きることは無かった。
そして、アカリのために自分の役割を全うできている。この自覚こそ、ミーコ最大の幸せだった。
初めは平屋のリビングでやりくりしていたものが、人が人を呼び、人気が人気を呼んで、順調に金と人が集まり、平屋丸ごと改築して一軒のカフェテリアを開くに至った。
改築に伴って生い茂っていた蔦は除去されてしまったので、当初のコンセプトとはかなりずれてしまったが、カフェを開くという突飛な目標を達成できたのだから、気にすることではない。
店名は「tepa」、もちろん、アカリが口癖のように言っていた「テパ」からきている。
おしゃれにテラス席まで作ってしまった「tepa」の外観を眺めながら、アカリとミーコは感慨にふけっていた。
「はあ。いつ見ても夢みたいだよ。アタシたち、本当にカフェ作っちゃったんだね」
「うん。これも全部、目を見張るアカリの働きぶりのおかげだよ」
「ええー! アタシは何もやってないって! 全部ミーコのおかげ! カフェやろうって言いだしたのはミーコだし、メニューも考えてくれたし。本当、死んでもミーコに足向けられないよ」
「死んじゃったら足も顔も無いでしょ」
「あ、確かに」
くすくすとささやかに笑い合っていると、ミーコは一人の客人に目が行った。そして突然慌ててアカリの腕を掴んだ。
「ねえねえっ、アカリ! あれって、トオル君じゃない!?」
「えっ、トオル!?」
ミーコの差した指先の向こう、その客の姿を頭からつま先まで確認したアカリは歓喜の黄色い声を上げた。
「トオルじゃんっ! えっ、嘘っ!?」
見るもの信じられないという驚きで、アカリは口に手を覆う。そのまま固まって、ミーコをじっと見つめる。
「嘘じゃないよ。あれはたしかにトオル君だよ」
「でも、今の今まで連絡つながらなかったのに」
「アカリの開いたカフェって聞きつけてやってきたんだよ。ほら、行きなよ、アカリ」
ミーコはアカリの背中をそっと押す。風に吹かれるタンポポの綿毛のように、ふっと柔らかに足を前に出す。
「……トオル!」
意を決して呼びかけた先、学生服を着たトオルが振り向いた。そしてトオルも、アカリが驚いた時と同じように、目を見開いた。
「アカリ!」
そう呼ばれてアカリは確信した。
トオルだ、アタシが愛したサイキョーイケメンキングのトオルだ。
アカリはスキップするように駆けて、抱き着いた。 二人はメリーゴーランドのようにきらびやかに一回転して、落ち着いた。
「トオル。ああ、本当に、トオルだ」
4㎝上のトオルを間近で見上げて、アカリはつぶやく。その目は透明な涙で潤んでいた。
「何泣いてんだよ。来たじゃないか。お前と俺の、約束通り」
トオルは人差し指でアカリの下瞼を押し上げて、たまる涙を拭き取る。
トオルの指はとても温かった。その温もりで、アカリはさらに涙をこぼした。
「もうっ、遅いよっ、どこで何やってたんだよっ」
「ああ、痛い痛いっ、そんなにボコすか殴るんじゃないっ」
アカリはわんわんと泣きながら、トオルの胸を拳で何度もたたく。
トオルがアカリの慰めに困っていると、ミーコの存在に気が付いた。
「あ、ミーコちゃんじゃないか。君もいたんだね」
「うん。アカリのカフェオープンの手伝いをしてた」
「ミーコはね、すんごい料理が得意で、カフェのメニューをたくさん考えてくれたんだよ。看板商品のオムライスも、ミーコ特製なんだから!」
アカリは涙を止めて、ミーコの自慢をする。だが咽んだばかりの声はところどころ詰まっていた。
「へえ、そうなんだ。ミーコちゃん、すごいな」
「私なんかより、アカリをもっと褒めてやって。一番の功労者はアカリだから」
「そうか。頑張ったな、アカリ」
トオルはアカリの髪を優しく、ゆっくりと撫でる。手のひらから伝わるトオルの温情に、アカリはすぐ感極まって泣きじゃくった。
トオルぅっ、会いたかったよトオルぅっ!
こう一方的に抱き着いてくるから、トオルの学生服はアカリの涙と鼻水がべっとり付いてしまった。
「そういや、ナナミちゃんはどこだい? いつも、三人一緒にいたじゃないか」
「あ、確かに。言われてみれば、ナナミ呼んでない」
「よし、じゃあ早速ナナミも呼んじゃおう! ナナミもいた方が絶対楽しいし! ゼンイソ、ゼンイソ!」
アカリはぐちゃぐちゃの顔のまま携帯を取り出して、慣れた手つきで画面をタップする。
「これで送信っと。オッケー。はあ……、ナナミ、早く来るといいなあー」
「なんだよそれ。俺への当てつけか?」
「それはどうかなあー。……ふんっ、トオルのバーカ、あっかんべーだ!」
アカリはいじらしく舌を出して、カフェに向かって走り出した。
「全く、困った奴だ」
やれやれお手上げだという心の内を表すように、トオルは肩を上げながら、アカリの後を追った。
ミーコは嬉しくてたまらなかった。これでアカリが望んでいたものは全て揃ったのだ。手に入らない満足のために、ひたすら何かを追い求めることも無くなったのだ。アカリはこれで幸せになったのだ。
アカリの幸せは、ミーコの幸せでもあった。
私は今日も学校を休んだ。
親しかった同級生が同時にいなくなったのだ。そしてもう一人、学年一番のイケメン君の彼が、後を追って。
学校側は心理カウンセラーや精神科医の力を借り、総力上げて生徒の心の傷を癒しているし、事件の中心から離れている生徒たちからも、たくさん励ましの言葉をもらっている。だが支援を手厚くしたところでおいそれと立ち直るものではない。
そう諦める一方で、必死に手を伸ばしてくれている彼らに何も報いることができない自分が苦しくもあった。いつまでも暗い部屋の中で閉じこもっている自分が不甲斐なくて仕方なかった。
今日の新聞をちらと見た。地方の人口減少を憂う記事がトップになっていて、この事件は下っ端の小見出しに収まっていた。発生直後はさすがに大きく取り上げたが、その盛り上がりは二日も続かなかった。社会は目まぐるしいスピードで進んでいって、私たちみたいな人間を置き去りにしていく。それも、どうしようもないことだけど虚しかった。
私の手首には、試したけど何度もためらって失敗した傷跡が、かさぶたとなって残っていた。両親もカウンセラーもこの事は知らない。大人は、子供が望んでいるよりもずっと子供の事を見てくれていない。この事件に関わりたくないという嫌気すら感じる。だが、そこまでは私の考えすぎなのかもしれない。
ふと、携帯が鳴った。メッセージが一件。どうせ学校か、あまり仲の良くない同級生からの励ましの言葉だ。億劫だけど、一応確認してみる。そして、携帯が確かに、間違いなく受け取っていたメッセージに、私は思わず声を漏らした。
「明梨……」
一回読んだだけじゃ頭に入らなかったから、何度も読み返した。それでもまだ意味が分からなかった。でも、背中に冷たい刃先が突き付けられたような、おぞましい悪寒は確かに感じた。そして、行き場の無い心がすとんと落ち着いてしまうような、不思議な安らぎも同時に感じていた。