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シフォンの長い告白  作者: 動物園ひかる
4/4

4.エルデ

――実を言うと、そこから先しばらくのことは、よく覚えていない。

ガトゥのことが心配で飛び降りようとしたけど、馬車はすごく速くて躊躇してる内にどんどん遠ざかってしまったし、何よりエクレアが追いかけるのを許してはくれなかった。


やがて意気消沈し、馬車が止まってからも呆然と座り続けていたら、エクレアに何ごとか声をかけられる。

……けど、それも良く覚えていない。覚える義理もない。

その後もしばらくそのままでいると、今度は兵隊さん達から声をかけられた。

最初はそれも無視していたのだが、やがて、

「失礼します、急いでおりますので」

思ったより細い声の主によって、問答無用、軽々と抱き上げられてしまう。

昨晩、ワジさんと話していた、兜に羽飾りのついた兵隊さんだった。


持ち物扱いには腹が立つけれど、抵抗する気力も起きない。ただただ、自分が情けなかった。

ああ、でも、これだけは聞いておかないと。

「……ガトゥは、無事でしたか?」

「貴方達に同行した隻腕の少年ですか?でしたら、ご安心下さい。我々と合流した後村人に預けております。自力で起き上がっていたので、命に別状はありませんよ」

「そう、ですか」


――良かった。

もしガトゥがあの時死んでたなら、全力で暴れてやろうと思ってたけど。

彼が生きてこれからも平和な村で過ごせるなら、もう、暴れるだけの理由も気力も、無くなってしまった。

失意の中、兵隊さんに抱き抱えられながら目を閉じる。

せめて荷物になってやろうという、ささやかな抵抗……というよりはもう、どうとでもなってしまえという投げやりな気持ちだったと思う。

しかし、眠かったつもりはないのだけど、自身で思う以上に、私は疲れていたようで。

目を閉じて狸寝入りをしていたら、そのまま本当に眠ってしまった。



やがて、目が覚めた。

覚めたとは言っても、実際のところ目は閉じたまま、しばらく起き上がる気力も起きずに微睡んでいた。

最初に感じたのは振動だ。次に音。ガタンガタンと回転する滑車のような。

音と振動は等間隔で、連動しているように感じる。

寝心地はやや硬いながら、すべすべとした肌触りのベッドの上にいるらしい。毛布もかけられているようだ。

頭の下の枕は独特の感触で、ふっくらして、温かかい。……なんだか知っている感触のような気もする。

春の日だまり。お母さんの笑顔。頭を撫でられる。

不思議と、そんなイメージが次々と浮かぶ。

枕の正体が気になって、寝返りpってうつ伏せになり、枕に顔を埋めてみた。

ほんのりと、桃みたいな匂いがする。枕は中心に奇妙な隙間があって、隙間の奥から香っていた。

隙間の中心のほうが柔らかくて、なんとなくそこに鼻をこすりつけたりして、ーーと、

ここで、枕の正体に気づいて我に返った。


慌てて上体を起こせば、知らない人が上から私を覗き込んでいた。

整った顔立ちにきりりとした緑の瞳と、短くざんばらに切られた栗色の髪。目と髪の色はどちらもラーライト人特有のそれだ。

中性的な顔立ちで、化粧もしていないから少し分かりにくいが、女性のようだ。

上半身には、鎖帷子のようなものをつけていて、その上から黒い上着を羽織っていた。

下は簡素な黒いズボン。股の辺りだけ、白く分厚い革のサポーターのようなものが取り付けられている。


「おはようございます」

短髪の女性は、あくまで淡々と言う。

「……おはよう、ございます」

あまりに平坦な対応に、こっちが恐縮してしまった。

ーーつまり私は、今までこの人の膝枕で眠っていたというわけだ。

「失礼致しました。お側にいても心労の種になるだけかと悩んだのですが、手頃な枕がなかったもので」

「あ、いえ、えと、結構なお手前で……」

気恥ずかしくて、訳のわからないことを言ってしまった。


改めて今いる場所、その周囲を確認してみる。

細長い部屋の中だ。

左右に同じサイズの長椅子が等間隔に並んでいて、チラホラと知らない人が座っているのが見える。

真ん中が通路になっているのだろうが、丁度人一人が渡れるような広さしかなく、鎧を着て通るのは大変そうだ…と思った矢先、向かい側の長椅子に甲冑が脱ぎ捨てられていた。

彼女が着ていたものだろうか?兜には羽飾りがついている。

なるほど、他の座っている人たちも兵隊さんで、今は鎧を脱いでいるということなのだろう。

そこで、自分もまた違う服を着ていたこと気づいた。

白いドレスに、同じく白のケープコートを羽織っている。寝ている間に着替えさせられたらしい。

下着も、やけにスベスベした別のものに取り替えられていた。か、勝手に……。


それにしても、ここってどこなんだろう?

ずっとカタカタと振動しているし、臼を挽くような音もうるさくて落ち着かないんだけど……。

「あの。ここってどこなんですか…?」

素直に聞いてみた。

「まだ石壁を出たばかりです。まだ窓の外を覗けば見えますよ。ご覧になりますか?」

答えてはもらったものの、彼女の言葉はこの建物についてというより、単に現在地を示すものだ。

そういうことじゃないんだけどな……。


って、え?

何?移動中?この部屋って、動いてるの?

「ちなみに、私はアデリーと申します。以後、お見知りおきを」

「あ、はい、アデリー……さん」

ついでのように自己紹介を終えたアデリーさんは、私の前を横切って、外側の窓を操作した。

ガチッという金属音とともに窓が枠ごと外れる。

「ガラス越しでは見づらいでしょうから、どうぞ。身を乗り出しすぎないようご注意下さい」

「は、はあ」

外を見ろということだろうか。そんなことよりこの建物の正体が聞きたいのだけど……。

促されるままに、窓から上体を乗り出して辺りを見回す。


忘我するような景色が、そこに広がっていた。

まず、どこまでも続く青い空。

下を見れば、どうやらこの建物はとてつもなく巨大な橋の上を高速で駆けているようで、橋の下にはやはりとてつもなく大きな、異様に青い湖が広がっている。

辺りに視線を巡らせると、湖の中心、遠くにぽつんと一つ小島が見えた。

小島を縁取るように石壁が取り囲んでいて内側はよく見えないが、橋はそこの石壁まで真っ直ぐに伸びていて、今もどんどんと離れている。

「……もしかして、あれが」

「そうです。あの石壁の内側が、あなた方のいた村です」

あまりのことに、呆然と眺めるしかない。


湖がスープなら、私の知っていた世界の全てはその真ん中に置かれた麦粒一つ。

私の住んでいた村も、皆で育てた小麦畑も、丘の上の風車も、自然豊かな山々も、魔物に出会った黒い森も。

その全ては、麦粒の上の世界だったのだ。


村から目を逸らし、今度は進んでいる橋の前方を見る。

湖はまるで永遠に続いているように見えたが、どうやらそうではないらしい。

村が収まっている小さな小島をぐるりと囲む巨大な青い湖。その更に外側には、黒土の大地が延々と伸びていた。

これ程までに巨大なものを見たのは初めてで、正直な話、まるで現実感がない。

まだ夢の中にいるのかとも思ったけれど、頬に当たる冷たい風は痛いほどで、今この瞬間が現実であることを教えるようだ。

青い湖にも、黒土の大地にも、まるで不純物がなく、ただただ広く続いていた。

そこから伸びる、真っ直ぐの白い橋。永遠に続きそうな景色。


……でも、なんとなく、似たような景色を見たこともあるような。


「美しいですか?」

淡々と彼女が聞いてくる。

正直、まだ起きぬけで頭が回らない。

この状況を悲しめば良いのか怒れば楽しめば良いのか、さっぱりわからないままにぼんやりと答える。

「あ……えっと、はい。すごく、広いし、あの湖も、青くて綺麗で……こんな景色、はじめて見ました」

私の答えに何を思ったのか、アデリーさんは腕組みをして、何事か考えているようだった。

言うべきことを、本当に言うべきか迷っている、という感じ。

「どうか、したんですか?」

「……いえ、貴方の純朴さに目が眩んだだけですよ。お気になさらず」

歯の浮くようなことを言われてしまった。褒められてるのか、あるいは何かの皮肉なのか。


「少し、昔話をしましょう。80年ほど前、まだ神が王の上に君臨し、そして王が民を独裁していた時代です」

「王の主導の元行なわれた、とてつもなく大規模な政策がありました」

「それは当時の国中に点在していた沢山の神を選別し、()()()の住む土地だけを残して()()()を間引くというものでした」

「……どうして、そんなことを?」

「神という奴は、人間に力を与える見返りに、理不尽な戒律やおぞましい生贄の要求をするものが大半だったのですよ」

「何よりも、悪神を討伐しその土地を奪えば、人間が自由に支配出来る土地を手に入れられるというメリットがありました」

「善神の周辺は最低限の人と自然を残して石壁で囲う大規模工事が、逆に間引かれることが決まった『悪神』は魔物と名を改めての討伐が、それぞれ始められました」

「ですが、これが良くなかった。とても、とても良くなかった」

「……どうして?」

「己の都合で神を殺す慢心に、善神達さえもが怒り狂ったのです」

「神の怒りは、神亡き土地を冒し、破壊し尽くしました。自然環境は様々な激変を起こし、国はこれ以上なく乱れ、疲弊しました」

「じゃあ、もしかして、この大きな湖って」

「はい。貴方に宿った銀の腕ーーその本来の持ち主の仕業です」

「そうする内にやがて、善い神も悪い神も関係なく、まとめて魔物と呼ばれるようになり、恐れられるようになりました」

「そうこうしているうちに、悪神だった魔物たちは当時と形を変えながらも生き残り、人の信仰を集めて国に反抗してさえいます」

「つまりこの国は、魔物と人間を交えた内乱の真っ最中なのですよ」

「どうして……私に、そんな話を……?」


「貴方に、その平定を手伝っていただきたいからです。シフォン様」

「かつて善神だった魔物達は、人に罰こそ与えましたが、彼らにとってはそれで済んだ話になっているらしく、祝福は未だに与えられていました」

「魔物の力を借りるのに抵抗はありますが、それらはこの荒れた土地と、魔物と、人を治める素晴らしい力となる。それ故に、我々は貴方のような方々を集めています」

「この国の内乱を治め、人の世を作り出すために。シフォン様に力をお貸し頂きたい」


「……あの」

「なんでしょう。質問があれば、何なりと」

「えっと、でも、ちょっとバカみたいな質問で」

「構いませんよ。どのようなことでも」

「じゃあ……」

「私達って、今、どこに居るんですか?」

「え?いえですから、貴方の村の外――」

「そうじゃなくてですね!えっと……」


「この建物って、なんですか?なんで、ずっとガタガタ動いてるんですか?」


「…………」

アデリーさんは目をぱちくりとさせていた。言葉を咀嚼できないでいるようだ。

しかしやがて、意図を察したのか、バツが悪そうに頭を下げた。

「っ失礼致しました!なにぶんすべき説明が多すぎたもので……いや、これは参ったな、そうか、そうですよね……」

アデリーさんが初めて感情らしいものを見せる。

(もしかして私は、私自身が思っているよりだいぶ恥ずかしい質問をしていたのだろうか……?)

恐縮して縮こまっていると、アデリーさんが弁解してくれる。

「ああ、いえ、説明不足だった我々の落ち度です。シフォン様が知るはずもないことですから」

「これは乗り物なのです。馬よりも遥かに速く、車よりも多くの人を乗せられる現代の移動手段で――」


「機関車と、我々は呼んでいます」



それから、機関車は私達を乗せて随分と長い距離を走った。

鎧を脱いだ兵隊さん達は、時にぼうっと窓の外を見て、時に談笑して、時に歩き回って何事か作業をしている。


エクレアの姿は見当たらない。アデリーさんに聞くと、先頭の個室に居るそうだ。

恐らく出てくることもないだろうとのことで、正直ホッとした。

そうこうしているうちに、湖の外周にあった黒土の大地も越える。地平線どこまでも続いていると思われた景色は、一時間もすると、やがてぽつぽつと草木や大きな岩が見え始めた。

明らかに景色が変わってきた。木々の匂い。知らない動物の鳴き声が響く。

そこかしこにそういった光景が見え始めると、やがて遠くに人家の姿も確認できた。

「この辺りから、人の入植も許可されております。集落もありますよ」

しかし、アデリーさんの言う集落は、私の村に比べると明らかに寂れている。

小さな畑があるものの、お世辞にも上手く育っているとは言えない。どう見ても土が痩せている。

こんな場所に住む意味が分からなかった。

アデリーさんが補足してくれる。

「確かに住むには厳しい土地です。ですが我々の管理するこの線路沿いでは、定期的に配給を行なってますので、あえて近くに住む者は沢山いるのですよ。主には、魔物や蛮民(ばんみん)に肥沃な土地を追われた難民たちです」

「……蛮民?」

聞き慣れない言葉だ。アデリーさんの説明を待つ。

「先程お話した『悪い神』の生き残りを信奉する集団をそう呼びます。魔物とその力は国家の所有物であるのがこの国のルールですので、要はまあ、犯罪者集団です」

「国を乱す彼らは、いずれ討伐しなければならない相手です」

「そういう……争いのために、私は呼ばれたんですか?」

「今ではありませんが、遠くないうちに」

「……人を、殺すこともあるんでしょうかね、やっぱり」

なんだか現実感がなくて、誤魔化すような言い方になってしまった。

そんな私の幼さを、アデリーさんは見透かしているのか、ほんの少しだけ厳しい顔で告げる。

「ないとは申せません」

人を、殺す。……殺す、かあ。

「……嫌だなあ」

「そうでしょうね」

ぽつりと呟いた私の言葉に、アデリーさんは勿論「じゃあしなくても大丈夫ですよ」なんて言ってはくれなかった。



「集落を通りがかる度に、配給のため停車することになります。お暇でしょうが、しばしお付き合い下さい」

アデリーさんは他の兵隊さんと手早く荷室へ移動し、何やら大きな箱を持って機関車を降りた。

それと同時に、殆ど廃墟のような家の中から思ったよりも小綺麗な袈裟を着た人々が数人ほど現れる。

アデリーさんは彼らに食料品や綺麗な布を渡しながら、何事か話しているようだった。


配給が、彼らがここに住み線路を守ってくれている返礼であること。

彼らの家族や生活の話。

近くに住む蛮民とそれを束ねる魔物の情勢。

「なあ、アデリーさん。バンミンども、早く追い出しちまってくれよ。俺たちぁあの土地で穏やかに暮らしていきてえだけなんだ、それをあいつらが――」

「こないだも、蔵に火までつけやがって――容赦ねえーー」

「娘が二人――されて――(むご)いもんだ――」


涙ながらに訴える彼らの言葉をまともに聞いていると、どうしてみ同情心が湧いてしまうもので、

『今すぐバンミン共を全員まとめてぶち殺そう!私やります!』と言い出せない自分が後ろめたくなってきてしまった。

かと言って突然そんなこと出来るはずもない。それが出来る程、私は外の世界も、自分の力も知らない。

だからただぼんやりと、長椅子の上で横になって待つ。

……私、結構冷たいやつなのかな。

状況はあまりにも目まぐるしくて、自分の中に様々な感情が飛来する。

この世界で私に何が求められているのか、まだ実感がわかなかった。咀嚼するには時間がかかるだろう。


……けれどいつか、遠くない未来。

私の力が、選択が、人の生命を左右する時が来るのだろう。

そう思うと、怖くて眠ることも出来そうになかった。


一回の配給は三十分もかからず終わり、機関車は再び走り出す。

そうしてしばらく走るたびに、小さな集落を見つけては止まり、また配給と世間話。

終える度にアデリーさんは、それぞれの村や町の状況を教えてくれた。

至るところで行われている、人間と蛮民の争い。

魔物と契約している蛮民に対して人間はまともに抵抗することさえ出来ず、住処を追い出されたり、殺されたりが常だそうだ。

蛮民が作った町は線路の沿線上にこそなかったが、窓から覗く遠くの景色に伺えたりもした。

それらはどうもそれなりにきちんとした町が多く、私の暮らしていた村と同じ程度に、豊かな暮らしをしているそうだ。


……なんだか傍目には、魔物の味方をした方がよっぽどいい暮らしが出来そうなものだけど。


「納得できませんか?」

何度かそのようなことを繰り返し、日がとっぷりと来れた頃。アデリーさんはふと、そんなことを聞いてきた。

「え?」

「そんな顔をしています」

図星だった。なんとなく、何について納得がいかないかも察しがついているのだろう。

彼女を信用は出来ない現状、こんな話をすべきか迷ったものの、黙っているのもバツが悪かったため素直に話すことにした。

「……ルールだからダメっていうのも、分からなくはないんですけど」

「でもなんだか、蛮民の方がよっぽどいい暮らしをしているように見えてしまって。結局、神様と一緒に暮らせるんなら、その方が良いんじゃないかなあ、とか……」

「一理あります」

あるいは失礼な質問かとも思ったのだが、アデリーさんは冷静に返答してくれた。

「蛮民は、魔物から魔力を授かります。そのため、より肥沃な土地を他者から奪い、魔物の庇護のもと安定して数を増やすことが出来るでしょうね」

「それじゃあダメなんですか?」

「それでは幸せになれないからです」

アデリーさんはきっぱりと言った。冷たく、にべもないといった様子だ。

「……幸せ?」

「貴方の住んでいた村の魔物は恐るべき力を持っていますが、それでも『善神』の代表格だった存在です。村内は平和だったでしょう。だから尚更、理解が難しいのかも知れませんね」

「しかし悪神と分類された者達はそうではないのです。言ったでしょう?理不尽な戒律や、悍ましい生贄を要求すると。魔物の多くは、人間にそれらを強制し、奴隷のように弄びながら今も生きながらえている」

「ど、奴隷……?」

「奴隷とは何か、分かりませんか?」

「あ、いえ、本で、読んだことがあるので……」

アデリーさんは静かに頷く。私の表情で、言葉の意図が伝わっていることを察したようだ。

「奴隷のままでも人は肥え増えることが出来る。ですが、そこから先は決して進めない」

「神の目的は人間の保護ではなく、あくまで自身の安全のために、人の発展を抑えることなのですから」

……私達の暮らしも、そうだったと言うことなのだろうか。

「魔物の元でも人は生きていける。けれど、その庇護を脱すれば人はもっと豊かになれる。この機関車もその豊かさの一つです」

「豊か……?」

それは、たまたま作物が多く取れて誰も飢えずに済むことと、どう違うのだろうか?

「豊かになるということは、必要を越えて人が増え、不要な死が減るということです」

言っている意味が、イマイチピンとこない。つまり、それってどういう暮らし?

「その答えは、首都に着いて実感して頂いた方がよろしいでしょう。そろそろ見えてくる頃合いですから」

「え?」


「ご覧下さい。窓の外、前方に広がる景色が、我々の国、ラーライト民国の首都『エルデ』です」

そうは言っても、今は夜だ。真っ暗なんだから見えるも何もないはずだけど……。

それでも篝火くらいは確認出来るだろうか。(いぶか)しみながら、機関車の窓から、再び外を覗き込んだ。




この短い数時間の旅路だけでも、沢山の景色を見てきた。


とてつもなく巨大な青い池。


永遠に思われるほど遠く広がっていた黒土の大地。


苦しくとも精一杯暮らす、痩せた村をいくつか。


恐らくは豊かなのだろう蛮民の町も、遠巻きに。




だがこれは、それらとは比較にもならない衝撃があった。


()()()

その答えが。

彼らが神から逃れようともがく理由が。

遥かに痩せた土地で暮らしているはずの人々でさえ、蛮民の暮らしを拒絶し闘っている理由が。

全てそこにあった。



それはとてつもなく大きく、壮麗で、夜更けにも関わらずなお明るくきらびやかに輝く、圧倒的な街の姿だ。

囲う石壁は私の故郷のそれに近いものだったが、けれどその壁を飛び越えて遥かに背の高い、沢山の建物で彩られている。

線路沿いの土地は肥沃な草原に様変わりしていて、側には綺麗に固められた道路が通り、そして何より、今乗っている機関車とは別の機関車が走っていた。

まず大前提として、私は、こんな乗り物が二つとあるなんて思わなかったのだ。

すれ違う機関車の透き通ったガラス窓から覗いたのは、今まで見たこともないような綺麗な肌の人達と、うっとりするほど鮮やかな色形の洋服たち。

そして何より、人の数。すれ違ったのは一瞬のことで、目視だと追いきれなかったが、明らかに殆どの席が人で埋まっていた。


やがて周囲は石畳と街路樹で覆われ、より整理された街路へと変わる。

いつどこの景色に焦点を移しても、どこかしらに人がいる。人、人、人。家、家、家。これだけの人数がこの空間にいっぺんに生きられるものなの!?

「この辺りはまだ郊外ですよ。こんなもので驚いてもらっては困ります」

石壁を越え、光あふれる街の中へと入った。

首都『エルデ』。

街路樹と街路樹を挟むように、地面から長い棒が木を真似るように伸びている。

その先端は火よりもなお眩しく光っている。

当然のように何処にでもそんなものが生えているから、夜なのに街中が明るいのだ。

街灯だとアデリーさんは教えてくれた。

あちこちの建物に立ち並ぶ煉瓦作りの建物は、どこもかしこも違う意匠の看板が取り付けられていて、それぞれが違うものを売っていた。

私が指差す全てのお店を、アデリーさんは一つ一つ教えてくれる。

服屋。果物屋。肉屋。雑貨屋。家具屋。郵便局。レストラン。帽子屋――って、帽子屋!?服屋じゃなくて!?

「そうですよ。帽子だけを売っている専門店です」

「え、帽子だけ……なんで……?」

意味が分からない。帽子なんて日除けになれば良いのだから何種類も必要ない。

どう考えても一つのお店で専門に売るようなものじゃないはずだ。

そうまくし立てると、アデリーさんは初めておかしそうに笑った。

私は納得いかずに怒鳴ってしまう。

「ど、どうして笑うんですか?私、なにかおかしなこと言ってますか!?」

「ああ、いえいえ、全くそんなことは……シフォン様は、まだ幼いのに頭が良いですね。その通りです」

「ですが、要不要ではないのですよ」

「どうしてそんなものが作られているのかは、そうですね。案内しますから、今度実際に行って確かめませんか」

「…行っても、良いんですか?」

「勿論です。今日から貴方も、ここの住人なのですから。私と一緒に行くのがお嫌でしたら、ご無理にとは言いませんが」

「あ、いえ、大丈夫です。……アデリーさんが、良いです」

私の言葉に、アデリーさんは目を開く。私の言葉が意外だったようだ。

「私は正直、嫌われているとばかり思っておりました」

「……いや、その、ちょっと、思い出したことがあって」

昨晩の村での宴、その片付けの時のこと。

兵隊さんやエクレアの席の下には、食べ物がゴミのように投げ捨てられていて悲しくなったものだが。

今にして思えば、羽飾りの兵隊さんが座っていた席……アデリーさんの椅子の下だけは、何も落ちていなかったのだ。

好意の理由を求められたため、何気なくそのことを話した。

するとアデリーさんは慌てて謝りながら、さらに弁解するように教えてくれる。

「それについてですが……他の者達の名誉のために言っておくと、彼らにも悪気はなかったのです」

「というのも、あの村の内側で作られた作物や料理は、我々にとっては毒にも等しく…」

少しバツが悪そうに告白する。ふっと思いついて話しただけのことだったのだが、彼女の返答は寝耳に水だ。

「え、そうだったんですか!?」

私、兵隊さんたちは皆、すごい意地悪な人たちなんだとばかり……。

「あなた方の村は、いわば神域です。神の加護から離れた我々にとって、そこで作られた食べ物が毒になるのは自明です」

「しかし、死ぬようなものではありませんから、床に捨てたのは殆ど八つ当たりのそれでした。村人たちの面前で兵達を(いさ)めるほどではなかろうと判断したのですが……せめて貴方に事情を伝えるべきでした」

なるほど。彼女らにも事情があったようだ。

しかしそうなると……村の人達は、そのことを知ってて食事を振る舞ったのだろうか。

毒になってしまう食事を。あんなに沢山?

すると文句一つ言わず、笑いながら片付けていたのは、もしかして。

「シフォン様。邪推は程々にされるが良いかと。何も良いことはありません」

……アデリーさんは、村の人達については何も言わなかった。

だからどっちが正解なのかは分からないままだ。

でも多分、アデリーさんが良い人らしいということは、どちらにせよ変わらないのだろう。

「くるみのパン、美味しかったですか?私、実は大好物だったんですけど」

「あまり虐めないで下さい。これについては、部下達の方が賢明でした……実は未だに腹が痛いのです」

「ですが、ええ。味は……大変美味しかったですよ」

アデリーさんは困ったように笑っていた。


……本音を言えば。

この瞬間だけ、私は村を離れた悲しみも、ガトゥとの別れの衝撃も、忘れていたように思う。

それ程の光景だったし、感動だったのだ。


「あの」

「何か?」

「帽子屋さん。約束ですよ」

「……ええ。勿論」

話しながら、帽子屋に売られているであろう帽子の姿を思い浮かべようとしてみる。

想像することさえ難しいが、例えば、物凄く頭の大きな人向けの帽子なんかがあるのだろうか?

もしかしたら、帽子にカゴが付いていて、頭の上に荷物を載せられるのかも知れない。

思いつくままに話す私のことを、アデリーさんは微笑ましげに見つめていた。



機関車は、やがて首都エルデの中心地、巨大な城の腹中へと飲み込まれていく。

広大な空間の中心で、唸り声を上げながら停車する。そこは『チュウオウエキ』と呼ばれていて、いくつもの機関車が、家のように出入りしたり休んだりする場所らしい。

アデリーさんや他の兵隊さんと一緒に降りると、やがてエクレアも機関車の奥から姿を見せる。

ぼんやりと寝ぼけ眼を擦っていて、彼女もそれなりに疲れているようだ。

「くぁ~…やっと着いた。もうほんっとに暇すぎたわ。寝るの好きだから良いけど」

前言撤回。寝てただけらしい……私も人のことは言えないけど。

私と目が合うと、エクレアはにやっと笑った。

「何よアンタ。半日見ない間にすっかり元気じゃない。恋人のことも忘れちゃって、よっぽど街の景色が気に入ったのかしら?」

開口一番皮肉を聞かされてげんなりする。

けれど一時とは言えはしゃいでしまったのは事実だし、先程アデリーさんから聞いた食事の件が尾を引いて少し後ろめたくなっていた私は、それにも上手く怒れないでいた。

「……あの」

「あによ?歯切れの悪いやつね」

癪に触るが、言うだけは言っておかないといけないだろう。

こういうのをなあなあにしておくと、喧嘩の元なのだ。

彼女のガトゥへの態度だって、村の食事への意趣返しだったと思うと納得でき……はしないが、理解は示せる。

例え嫌いな相手だろうと、村を代表して私が謝っておくべきだろう。

「食事の件、ごめんなさい」

「は?何の話よ?」

「えっと、実は私、村の食べ物が貴方達にとって毒になるなんて知らなかったの。だから……」

エクレアはきょとんと目をぱちくりさせる。

アデリーさんは渋い顔をして「あの、それは」と、そこまで言いかけたのだが、エクレアの大笑いで続きはかき消されてしまった。

「ぶっははははは!!何それ、私に謝ってんの!?この私に?」

「アデリー、こいつ傑作よ!お人好しの上に馬鹿なんて、もう救いようがないったら!!ぶっふふ……くひ、ひ!あーはははは!!」

「申し訳ありませんシフォン様、私の説明不足でした……」

「……へ?」

なぜ笑われるのか、わけの分からない私に、アデリーさんが教えてくれた。

「その、実のところ村の食事が毒になるのは、神力を持たない我々兵隊達の話でして……エクレア様には」

「こーの私に、んなもん効くわけ無いじゃない!!」

「私がアンタらの食べ物を捨てたのは、単にくっっっそ不味かったからに決まってんでしょーーーが!!」

「あーーーーーはっはっはっはっは!!!」


いや、もう何というか。

ここまで嫌なやつだと面白くなってこない?私はなる。

何も言えないし言うこともないや。

とりあえず。

うん。

こんなやつに謝るんじゃなかった!!



――ともあれ。

こうして、私は一夜にして小さな村から『エルデ』で生活することになった。

村での生活を捨てることになったのは悲しいが、少しワクワクしている自分もいて。

……いや本当。エクレアの性格さえまともならなあ、と思わずにはいられないのだった。


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