3.追放
次に目覚めたら、お父さんが目の前にいた。
お父さんは、私の3倍はある大きな身体に逞しい体つきで、言葉遣いも粗野な人なんだけど、瞳はなんだか丸くてクリッとしている。私はそれを(本人には言わないけど)ちょっと可愛いなと思っていたりする。
そんな瞳の周りが今は真っ赤で、いつも以上に丸くて少し腫れぼったいお父さん。
十秒ほどたっぷり、目覚めた私のことをぼんやりと見ていた彼は、やがてぼろぼろ泣き出して、
「おっお母さん!シフォンが、シフォンが目を覚ました!もう大丈夫だ!!み、水!とりあえず水を!」
慌てて奥にいるのであろう母親を呼びに走っていった。私を抱きしめる前に母を呼びにいくのがお父さんらしい。
その様子を見て、もう危険はないことを悟った。改めて自分が寝転がっている場所を確認する。
「ここ……私の家」「私の、ベッドだわ」
村のベッドは、細かく刻んだ藁や鳥の羽を布袋に詰めて作るの。
この藁の刻み方が雑だったり、羽の割合が少なかったりすると、ゴワゴワして寝心地が悪いのだけど、私のベッドは、お父さんが村中から若い鳥の羽を集めて作ってくれたおかげですごく柔らかい(村でいちばんの寝心地かもしれない)。
物心ついた頃からずっと一緒だった私のベッド。
ひどく怒られて泣いちゃった日も、このベッドで眠るたびに、愛されてることを思い出せた。
だから。無事に帰って来れたのを実感した。
「……よかった……」
やがて、ドタドタと慌てた足音が二つ響く。
寝転がったままだと誤解されそう。体を起こして、安心させてあげなくちゃ。
何より、二人ともハグしたがるだろうから、起きていた方がやりやすいだろう。
案の定、目覚めた私を、お父さんとお母さんはボロボロ泣きながら抱きしめてくれた。
正直言うと、絶対に怒られるだろうと思ってたし、なんなら今となってはそれが一番怖かったんだけど、なんと二人とも、私のことを褒めてくれた。
「勇気を出して、たった一人でガトゥを助けてあげたんだな」
「お前がしたことは、確かにすごく危ないことだし、親として咎めないわけにはいかないが……それ以上に、お前の勇気を誇らしく思う」
「よく頑張ったな。お前は俺たちの誇りだ」
……そんな二人の涙ながらの言葉に、私は正直、嬉しいというより拍子抜けしてしまったのだった。
「なるほど。そんな感じだったんだね」
次の日、まだ体力の戻っていない私を、ガトゥがお見舞いに来てくれたので、私はすぐに両親について話した。
あれからのガトゥの話も聞くことになった。
私が気を失った後、先に意識を取り戻したガトゥが、山の麓まで私を背負って運んでくれたらしい。
既に日はとっぷりと暮れており、月明かりの夜道をよたよたと歩いていたところを、大人たちの捜索隊に見つかったそうだ。
奇妙なことに、大人たちは「自分たちがガトゥのことを忘れていたこと」を忘れてしまっている風らしく、帰ってこない私とガトゥが急に心配になって探し始めた矢先のことだったとのこと。
「…でもさ。それって、変じゃない?」
ガトゥと、その後のことを確認し終えた後、私の心に小さな疑問が浮かびつつあった。
「シフォンはどうしてそう思うの?」
ガトゥの言い方は淡々としていて、分からないことを聞くというより、知った上で私の回答を促すようだ。
「……みんな、ガトゥのことを忘れたり思い出したり、その、自分で変だと思わないのかなって」
「図書館には、村の魔物についての本だってあったわ。魔物の存在は、別にみんなある程度は知っているはずのことでしょ?」
「そうだね。そもそも昔から事件になってるんだし、大人たちは僕らの知らないことを知っていても不思議じゃない」
……というか、お父さんやお母さんの反応からして、魔物のことは昨日の記憶の混乱も含めて、正しく認識していたフシがある。
そうでもなければ、子供二人、山で迷子になりかけたなんて話は、もっと怒られて当然の話なのだ。
「シフォンの両親には、詳しく聞かなかったの?」
「……なんとなく怖くて。聞いたら、私もあの魔物のことを話さないといけなくなる気がしたし」
「銀の腕については、なにか言われた?」
「……それが、何も」「まるで気づいてないみたいに」
「…………ガトゥ。私、なんだか少し怖くなってきたわ」
「お父さんもお母さんも、たしかに優しいし、ここは私の家で、私のベッドなのは間違いないんだけど」
「私達、本当に、以前までの日常に戻れたの?本当は、今までと全然違う、別の世界だったりしないかしら?」
「シフォン。僕も、シフォンのことが好きだよ」
「……へ……ふえっ!?」
私はついさっきまで怖がっていたはずなのに、突然ガトゥに告白されて、全然それどころじゃなくなってしまった。
言葉の意味を確かめるうちに、頭のてっぺんがかあっと熱くなってくらくらする。
「あ、あの」「どう、して?」
「ごめん。実は僕……シフォンが僕を助けに来てくれた時のこと、だいたい全部覚えてるんだよね」
「だから…シフォンが、僕と仲良くなりたいって言ってたことも、聞こえてて」
「え」
混乱しすぎて、頭の中の私は飛び上がりながら叫んでるのに、実際にはうまく驚くことも出来なかった。
ぽかんと馬鹿みたいにガトゥをまっすぐ見つめてしまう。
「あ、あの」
「僕は、シフォンが僕を覚えててくれたことも、必死で助けに来てくれたことも、あんなところまでついてきてくれたことも、全部…覚えてて」
「その、でも、体は自由に出来なくて、君を助けられなかったから……それは、本当にごめん」
「えっと、つまり僕の言いたいことは、さ」
「……君の助けに、なりたい」「僕も、君が好きだから」
――そんなこと言われたものだから、私は頭が真っ白になって、不安な気持ちはふらっとどこかへ消えてしまった。
その後、ガトゥと話し合った結果、大人たちについては、
「魔物について言及してはならない」とか「魔物の正体を暴いてはならない」とか、そういう類のルールが実はあるのかも知れない、という結論になり、
一旦この疑問については、ガトゥとの秘密ということになった。
それからの数日は、何もかもなかったことになったように平和だった。
けれど誰もが、私の銀色の腕を見ようともしないから、何となく、その平和に不穏なものを感じてもいて。
大人たちをなんとなく信用できなくなった私は、ますます図書館に入り浸るようになった。
……そして。その日が来た。
その日の朝は、なんだか村全体に落ち着かない空気が漂っていた。
お母さんはいつもより沢山のパンを焼いて、しかも、中には大小様々なくるみの実が入っている。
大人も子供も、村の人間はみんな集会場に集まっていて、何事か騒いでいる。
――兵隊さんが村に来る。
――首都からの正規軍らしい。
――北の門が20年ぶりに正式に開く。
やがて騒動の原因が村に周知されると、段々と大騒ぎになっていった。
様々な料理が集会場に持ち込まれ、大きな重い机を大人たちが数人がかりで運び出し、村の中心の広場に並べられる。
収穫祭のお祭り以上の賑わいと慌ただしさ。
「シフォン。もうそろそろ、北の門に兵隊さん達がやって来る。お前はワジさん達についていって、兵隊さん達を村まで案内して差し上げなさい」
私はどうしていたかというと、お父さんにそう指示され、数人の村人と共に北の門へ向かった。
山間に囲まれた小さな村。その山を越えた裏側には、ぐるりと外周を囲うように高い壁がそびえている。
さらに壁の北端には大きな門が1つあって、けれど、私が生まれてから今まで門が開いたという話は聞いたことがなかった。
「シフォンちゃん、これから会うのは、外の世界で暮らしてらっしゃる、私達よりずうっと偉いお方たちだ。失礼のないようにな」
門へ向かう馬車に乗る間、ワジさんにそんなことを言われた。
馬車は村一番の大きなもので、頑丈な組木で作られている。中は10人くらいは乗れるようになっているのに、私達は3人しかいないものだからすかすかだ。
多分、兵隊さんたちを乗せるためにできる限り大きくて立派な馬車を用意したのだろう。
馬は二頭、どちらも一昨年産まれた駿馬と評判の子だ。力も強く、真っ黒な毛並みがとても美しい。
北の門へたどり着いてみると、既に門は閉じていた。
そして、その入口に6人ほどの兵隊さんと……一人の女の子がいる。
女の子の年齢は、私と同じか、少し下くらいだろうか。
腰まで届く長い髪は真っ白で、瞳は赤い。冬のうさぎみたいだった。
黒いドレスに金の首飾りが、怖いくらいに良く似合っていて、背丈は私と変わらないのに、なんだかすごく大人っぽい。
そんな少女と目が合う。……彼女は目を逸らさなかったので、こちらもなんとなく彼女を見つめ続けていた。
「ワジ村長様ですね?」
少女の横にいた、黒い鎧を着込んだ男の人が、ワジさんに声をかけてきた。
ちなみに私はこの時、ワジさんが村長だということを初めて知った。
「祝福を受けたのは、そちらの少女で間違いありませんね?」
「は、はい。シフォンと言いまして……」
兵隊さんの性急な物言いに、ワジさんがうろたえながら私の名前を伝えたところで、
「――やっぱりね!!そうじゃないかと思ってたわ!」
私だけをじっと見ていた白髪の少女は、得心したとばかりに叫ぶ。
彼女は音が聞こえてきそうな大股開きで無遠慮にこちらへ歩き、ずいと近くまで顔を寄せてきた。
……近くでみると、傷ひとつ無い肌のきめ細やかさに、ついうっとりとしてしまいそうだ。
「え、あの……なんですか?」
「アンタが、私と同じだって言ってんのよ、シフォン」
「私はエクレア。エクレア=エスカレーター。ほら、握手しましょ?私達、良いお友達になれると思うわ」
そう言いながら、彼女はにっこりと笑って右手を差し出す。
「……あ、はい」
右手を差し出されたので、こちらもと反射的に右手を差し出した。
魔物と交換した銀色の右手でというのはちょっとデリカシーのない話だけど、自分の腕みたいになんの違和感もなく動かせる上に、村人の誰も腕の話はしないものだから、私自身、ついうっかりしていた。
――けれど、差し出し返したのが右手でなければ、大怪我をしていたと思う。
彼女の手に触れようとした矢先、聞いたこともないような音がした。
木にノコギリを引いた時の音を、何百倍も激しく乱暴にしたような音。
「いっ……!?」
突然の鈍い痛みに、何かと思って右手元を見やると、右指の先端が、やぶれたぬいぐるみたいにほつれていた。
繊維のようなものがずたずたに飛び出して、その部分だけ淡く光っている。
「……あ、の」
突然のことに呆然としてしまう。まるで擦り傷のように、ちくちくと痛む右指を押さえながら、何が起こったのか分からず一歩後ろに下がった。
「く、ふふふ、くく……なんだ、その右腕、普通に削れちゃうんだ?大したことないじゃない」
「ま、でも普通の人間よりは頑丈かしら。そうね、私の力が圧倒的過ぎるのが悪いんだわ。貴方の力もまあ凡人が見れば悪くはないんでしょうけど、残念だったわね!――上には上が、いるものなのよ!!」
しっかり溜めて最後の言葉を言い放った後、彼女は心底おかしそうにゲラゲラと笑う。
下品だし、何を言ってるのかわからない。
エクレアさんの、力?その力で、私の右指が……削られた?
「……エクレア様。あまり、お戯れは」
「あ?何よ、私のやることに文句あんの?削り潰すわよ」
兵士は二の句を告げず押し黙ってしまう。ああ、エクレアさんのほうが、偉いんだ……。
「殺してないんだから別にいいでしょ?『祝福者』だからってピンキリ、雑魚は雑魚なりの扱いしとかないとつけ上がるんだから、先に私がこいつの力を試してあげたんじゃない!」
エクレアは、物凄く勝手な理屈で兵士を恫喝してから、今度はその勢いのまま私の後ろにいる村の人達に向かって叫ぶ。
「馬車!とっとと寄越しなさいよ!疲れてんのこっちは!!」
青い空。のどかな草原に、だぽだぽと白馬の間の抜けた足音が響く。
「今どきね――『神様』は養殖されてお国の道具として使われる時代なワケ」
エクレアはつまらなそうに言い捨てた。
「……神様?」
「魔物のことを、元々はそう呼んでたのよ。要するに魔物ってのは、信仰を失った古い神様のことなの」
「魔物なんて呼び方しはじめたのは、ここ60年くらいの話よ」
「……そうなんだ」
「テキトーに相槌打ってんじゃないわよ。アンタ本当に分かってんの?」
「……神様と人の政治的な地位が入れ替わっちゃったってことでしょ。神様が人を支配出来なくなったから人が逆に神様を支配……いや、これは順番が逆かな」
「人はかつて神様に支配されていて、けど、ある頃から自分たちの意志で社会を支配したいと考えた……だから、神様の信仰を脱するため呼び名を魔物と改めて、大きな檻に閉じ込め管理出来るようにした」
「野生動物の家畜化と同じだわ」
「……ふん、知ったフリなら削り潰そうと思ってたのに」
こちらを見もせずにエクレアはぼやいた。……多分、嘘じゃないんだろうな。
私が村の皆と乗ってきた大きな馬車は、今は私とエクレアだけが乗っていて、帰り道をゆったりと進んでいる。
他の人達はと言うと、
「私、この子と二人っきりじゃなきゃ嫌よ。アンタらは歩いて帰りなさい!!」
エクレアに誰も逆らえなかったから、歩いて後ろから村に向かっているみたいだ。乱暴過ぎる……。
運転手がいないため、馬の操縦をしているのは私だ。この子たちは気性が穏やかで頭もいいから、合図をすれば、殆ど何もしなくても村まで勝手に帰ってくれるのが不幸中の幸いだった。
「他のやつに話すんじゃないわよ。一応禁則なんだから」
「……うん」
「右指、治った?」
「……うん」
「そ。流石に再生するか。良かったわね、右腕で。私に感謝しなさいよ?」
「え……なんで?」
「馬鹿じゃないの?私が右手を出したからアンタも右手を出したんでしょうが!」
「いや、でも」
「文句あんの?削り潰すわよ」
理不尽すぎない……?
「古い神はね、土着の環境に依存してるから、元々の自然環境を作り変えると存在を維持できなくなるの」
「だから古い神はかつて、人間の力と知恵を恐れ、自然と共存することを条件に、神力――私達が持ってるような力を分け与えるようになった」
「自然と共存……?」
「つまり、神の土地、密度の濃い自然の宿る土地を勝手に壊すなってこと。この村にもあるでしょ?そういう場所」
――黒い森と、あの奇妙な沼地を思い出す。
「そして、その自然と共にあることを証明するモノ……つまり、神が宿す超自然の力を受け取る生贄が必要だった。要は、神の世界と、人間の世界とを渡す橋ね。分けられた神力は、そのまま神と自然を維持する契約そのものなの」
「……けど、人間はやがて『古い神の力』と『人間の繁栄』を両取りしようとして、神の住む土地を隔壁で閉じた」
「その神と人間が交わした古い約束を維持出来る最低限の人間だけを残して、古い慣習で生活する村を作り直した」
「……それが、私達の村?」
「ここだけじゃないわよ。いくつかあるの、こういう「神の祝福」の養殖場」
「そして神力は原則、国家の所有物で、神との契約は手放せない。だから貴方の人生にはもう、自由なんて望めないわよ」
「私と同じね」
すごく自分勝手に生きてそうな彼女が言うと、いまいち説得力がなかったけど。
まあ、きっと、全部本当のことなのだろうと思った。
「……私、これから村を出なきゃいけないの?」
「そうよ」
「……私、今日は兵隊さんが来るって聞いて、だから、その人達をおもてなしするためのお祭りなのかと思ってた」
「……これから始まるのは、私の…………お別れ会、なのね」
「んなわけないでしょ。ちゃんと私達をもてなしなさいよ」
私が銀の腕を手に入れた時に放った、空を割るような光の帯。
きっと隔壁の外の人達があれを見て、兵隊さん達がやって来たのだ。
――作物を収穫しに、やって来たのだ。
馬の手綱を握ったまま、ぼんやりと外を見る。
広い草原。向かう先には村の建物がぽつぽつと見えて、その周囲をぐるりと囲うように小麦畑が広がっている。
とは言え、小麦の収穫が終わっている今は、小麦畑と言うより葱畑だった。小さな芽がぽつぽつと顔を出している。
葱は根も葉も食べられるし、寒い間でも育ちやすく、土の肥やしを助ける働きもあるため、私達の土地では、昔から小麦と合わせて葱を植えるのだった。
……つまり私は、人だけど、同時に葱なのだ。
世界を肥やし、人の生活を支える作物。
「……もうすぐ、冬が来るのね」
エクレアはそこからは何も話してくれなかった。
私の感想なんて興味ないとばかりに、話すだけ話してすぐに眠ってしまったからだ。
開かれた村の宴は、恐らく私達にできる最大のものだったけれど、エクレアは(多分兵隊さんたちも)終始退屈そうだった。
お母さんの作ったくるみ入りのパンは彼らの口には合わなかったらしく、私達の村で出来る最大限のごちそうは、椅子の下に沢山捨てられていたし、村の皆は苦笑いしながらそれを文句一つ言えずに片付けていた。
その後、エクレアはこの村で一夜を明かす段になると、村中のベッドの手触りを手づから確認して、
「このベッドを私に使わせなさい。他のベッドじゃ眠れそうにないわ」
なんてワガママを言い出して、案の定誰も逆らえなかった。私のベッドだった。
村で一番ふわふわの、私がこの場所で愛されている証明だったベッド。この村での最後の一夜に、私はそこで眠ることを許されなかった。
……エクレアは、正直ものすごく性格が悪いと思う。
穏やかな村の人やガトゥとは対極で、怖いし、すぐ脅迫するし、私が傷つくようなことを平気で言うし。
もしかしたら、私は初めて人をはっきりと明確に嫌いになったかも知れない。あんなに嫌な人がいるなんて思わなかった。
集会場の角では、綺麗な羽飾りをつけた兵隊さん(多分、一番偉い人なんだろう)が、こっそりと重そうな小袋をワジさんに渡していている。
『免除国民の責務』とか『特別な恩赦』とか『祝福者の保護』とか、色んな言葉が聞こえてきたけれど、それが意味するところはよく分からない。
けれど。
たったひとつ、間違いなく分かること。
「ガトゥ、私、この村を出なきゃいけないみたい」
「……」
「せっかく仲良くなれたのに、ほんとに……残念、で」
……私は無理を言って、施錠された図書館の中、ガトゥと二人で一緒に眠らせてもらうことにした。
ワジさんから編み毛布を貸してもらって、図書館の一番大きな机の上に敷いて、二人で横になる。
風が抜ける村のからっとした空気とは違って、図書館の中は少しジメジメしていて埃っぽかった。
毛布は綺麗な動物の模様がたくさん描かれていて、とても素敵な作りだったけれど、机の上に敷いただけだとやっぱり固くて、目をつぶると家のベッドをどうしても思い出してしまうから目を開く。
するとすぐ側にこっちを見てるガトゥがいて、私は、悲しめば良いのか喜べば良いのか分からないけど、やっぱりすごく悲しい。
結局、ガトゥには全て話すことにした。
エクレアには口止めされていたけれど、そんなのはどうでも良かった。私、あの人のこと嫌いだし。
人と神様と魔物。養殖された祝福の物語。
「……大丈夫?ガトゥ。顔色、あんまり良くないよ」
「ああ、いや、うん……ごめん、ちょっと、とんでもない話だったから。大変なのはシフォンの方なのに」
明らかなガトゥの動揺は、申し訳ないけど私の慰めになっていた。
この村の、恐らく、普通に暮らしていたら当分知ることがなかっただろう裏側を知った今の私は、この村の人を信用できない――とまでは言わないけれど、素直な気持ちで接することは難しい。
……そんな中で、彼が私を思ってくれていることだけは、疑わずに済むのだった。
「シフォンは、それでいいの?」
「嫌だよ。この村の人たちだってそうだけど……何より、ガトゥと離れたくない」
「ずっとこの村で過ごして、毎日、同じ部屋で、ベッドで眠って。いつか大人になって」
「ガトゥと一緒に、暮らして……子供が産まれて」
「そうだったら、きっと、幸せだったと思う」
「……私」
ああ、ダメだ。
こうやってガトゥに話すことで、ガトゥが聞いてくれたことで、今の自分が置かれている状況が噛み砕かれてしまった。
これからどうなるのか、何を失うのかはっきり理解できてしまって、悲しい気持ちがたまらなく押し寄せてくる。
エクレアと話していた時は、まだ、どこか遠い別の場所のお話みたいで。実感がなかったから、なんともなかったけど。
でも、もう。
「もう、このベッドできっと寝れないし」
「うん」
「図書館で…ガトゥと、一緒に勉強も…できないし」
「うん」
「葱の収穫した時に、みんなで作るスープは…食べられ、ないし」
「うん」
「あ、あいつらの落としたくるみパン……あれ、私の一番好きな食べ物だし」
「うん」
「ガトゥと、いつか将来作る、あの、赤ちゃん……の、名前だって……実はいくつか考えてたし」
「うん」
「……お父さんも、お母さんも、私を…引き止めて、ぐれない、し!」
「うん」
「ガトゥを助けた私を、二人が…褒めで、ぐれたほんどの理由も分かっちゃったし……!」
「うん」
「銀色の腕、普通に見て見ぬふりされてたし!みんなっ、少しだけ、離れて歩くから…本当は怖がられてたことも知ってたし!!!」
「うん」
「……あんなに大好きだったこの村の皆のこと、少しだけ嫌いになりながらお別れしないといけないのね、私」
「……シフォン。ごめんね」
「僕は、生まれつき体が強くなくて、片腕もないから……村の外では生きていけないし、きっと、君の足手まといになってしまうんだ」
「外がどんな世界か分からないけど、兵隊さんのつけた鎧や武器を思うと、決して、ここみたいに穏やかな場所じゃないんだと思う」
「君と別れたくない。本当に。嘘じゃない。でも、僕は、君とお別れする以上に」
「……君が死ぬ原因になりたくない」
「だから」
ガトゥは優しく私を抱きしめてくれた。
「本当にごめん」
「僕は、君に助けられたのに」
「助けてあげられなくて」
「ごめんね」
翌朝。昨日乗った馬車にもう一度エクレアと乗ることとなった。兵隊さん達は当然のごとく後から歩く羽目になったようで、村人と一緒に私達を見送るみたいな側になっていたのが滑稽だった。
今度は、無理を言ってガトゥも一緒に乗ってもらうことにした。
それでしばらく押し問答になったし、結果としてエクレアは露骨に不機嫌になったし、その腹いせに兵隊さんが物凄く口汚く罵倒されていたけれど知らんぷりをした。
これが、最後のわがまま。
村のものは殆ど何も持っていけない決まりらしく、私は下着同然の服だけ着て、その上から何枚も毛布を重ねて羽織り、エクレアの対面に座っている。
エクレアは、馬車の縁に座って片手でおっかなびっくり手綱を握るガトゥを退屈そうに眺め、やがて声をかけた。
「アンタさあ、何なの?シフォンの彼氏?」
「そうだよ」
不躾な質問に、しかしガトゥはただ穏やかに返す。
「もうエッチなことしたの?」
「……」
「答えないとすり潰すわよ」
「……そういうことは、してない」
「キスは?」
「……したけど」
「最初にしたの、いつ?」
「昨日の、夜だよ」
「そう。別れのキスってわけ、ロマンチックじゃない。馴れ初めは?」
「最初に、心惹かれたのは、彼女が初めて図書館に来た日。一目惚れだよ」
え、そうなんだ。
状況が状況じゃなかったら、物凄く嬉しかったのに。こんなタイミングで知りたくなかった。
「あらそ?一目惚れなんてするほど美人だとも思わないけど」
何気ないエクレアの言葉。呆れたような素振り。
けれど、ガトゥはここで初めて振り返り、エクレアを――こんなガトゥ、今までに見たことない――軽蔑した表情で睨めつけこう言う。
「君よりはずっと綺麗さ」
――ガトゥがそう言った瞬間、エクレアは縁に座っていたガトゥを背中から蹴り飛ばした。
ガトゥは片腕で体を支えることが出来るはずもなく、受け身すら取れず落馬し、ゴロゴロと草原を転がっていく。
「ガトゥ!!?」
馬は驚いて大きくいななき、馬車は不安定に揺れるものの、エクレアはすぐに馬の手綱を握り、鮮やかに乗りこなしてしまった。
やがて馬は落ち着きを取り戻し、ガトゥのことなど忘れたように置き去りにして歩き出す。
「自分で動かした方がマシだわね」
エクレアは両脚で馬のももをぐっと締めると、馬は嘶いてスピードを上げた。
片腕を伸ばし、頭から血を流しながら私の名前を叫ぶガトゥの姿は、瞬く間に見えなくなっていって。
私はもう、ただエクレアを睨むことしか出来ない。
「……私、貴方のこと嫌いだわ」
そう告げても、彼女はどこ吹く風だ。
「あらそう、気が合うのね」
そう言って、すごく楽しそうに笑うのだった。
エクレアの笑顔の向こうに、大きな大きな壁が見える。
壁は私の村を囲う山々をさらに外側から囲うくらい大きくて、その先、外の世界には何が待っているのか、誰からも教えてもらったことはなくて。
それでも、エクレアみたいな人がいる外の世界を、きっとここより好きになることはなれないと分かっていて。
――それでも、私達の乗る馬車は、容赦なく一直線に、壁と外の世界をつなぐ、北の門へと走るのだ。