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さよなら、頑張って

 どんなに終わらないで欲しい、と願ったところで時の流れというものは残酷で等しく流れている。


 そんなこと、生きているうちで何度も何度も聞いてきたことがあるが今以上にそれを呪った日はないだろう。




 校庭の桜はつぼみが増え、いよいよ春の訪れを示している。花粉も飛散し、コートを着る必要もなくなっていた。そして、今年度も終わろうとしていた。




 例年であれば一日でも早く終わり、春休みになることを望んでいた。他の長期休暇とは違い、課題もなく過ごしやすい気候。幸い私は花粉症餅ではないため、もっとも過ごしやすい季節なのだ。




 しかし今年は訳が違う。もっと授業をしてほしい。もっと私に色んなことを教えて欲しかった。その声を聞かせて欲しかった。若干ズレてる冗談も聞きたかった。


 あの話をされてからの三ヶ月から四か月ほど、残り授業回数を全部調べてカウントダウン。残り日数が10を切ったあたりからは毎日泣いて過ごしていた。


 でもそんなことをしたところで決まったことが覆る訳でもないし、時間の流れを操作できるわけでもない。


 


 


 一つ一つの授業を喜びと切なさ、悲しみやらいろいろな感情で胸をいっぱいにして授業を受けているとあっという間に終業式の日を迎えてしまった。


 前日は一晩中泣き通し、大事な日だというのに目が真っ赤に腫れあがってしまっている。


 朝メイク道具を駆使して出来る限り目立たないようにはしてきたつもりだが、きっと泣いていたことは気付かれてしまうだろう。


 しくしくと痛む胃を抑えながら登校し、抜け殻のようにクラスメートと会話しながら式までの時間を過ごす。


 離任式では先生が前で話すのだという事実だけでも涙が零れ落ちそうになる。あれだけ泣いたのに、まだ涙が出てくるなんておかしいと思いつつ目を擦る。




 


 長い長い校長の話を聞き流し、今までで一番早く脈打つ心臓をそっと制服の上から抑えた。


 


「続いて、離任式に移ります。」


 そんなアナウンスがされ、続いて先生の名前が読み上げられる。大半は知らない先生や大して執着のない先生たち。中々名前が呼ばれないから、たちの悪い冗談か何かではないかと思ってしまったりもした。




「須藤祐樹先生。」


 もちろんそんな私の甘い期待もすぐに打ち砕かれる。壇上に上がる先生を見ていると、どこか他人事のように『本当に辞めてしまうんだ』と思った。


 その虚無感はじわじわと体中に沁み込んでいき、それが悲しさに繋がっていく。




 前にいた先生たちが別れの挨拶をしている。それをぼんやりと聞き流していると、大好きな声が私の耳朶を打った。


 反射的に顔を持ち上げると、先生が口を開いた。






 正直、先生が前で言っていたことについて記憶が六割ほど抜け落ちてしまっている。『離任式で挨拶をしている』という事実を受け入れることができず、脳が理解を拒んでいたのかもしれない。




 教室に戻ってからも机の突っ伏して過ごしていた。さよなら、私の初恋。たしか引っ越すとも言っていた。もう本当にどこでも会えないんだろう。


 来年から何のために勉強を頑張ればいいんだろう?


 とめどなく流れる涙で、今朝の努力も無と化していた。





「あかり、ほら、職員室行くよ?」


 今までかけられた言葉を反芻し、想いを告げることも出来ずに終わってしまった一年間を振り返っていると突然そう腕を引っ張られる。


 何、と問う間もなく体を引っ張り上げられて職員室に向かう廊下に手を引かれた。




「何きょとんとしてるの?先生に言いたいことあるんだったら、今日しかないんだよ?」


 こんなひどい顔で、だとか今更告白なんて、だとか色々後ろ向きな言葉が出てきそうになる。が、今日しかないというのもまた事実。 


 それに、下手なことを言って気まずくなったとて今後会うことは一切ない相手なのだ。立つ鳥跡を濁すことになるが、一つの選択肢だろう。




 職員室の前に立ち、何度尋ねたか分からない席に向かう。私以外の生徒は誰もいない。


「須藤先生。」


 震える声で名前を呼ぶ。振り返った彼は、私の真っ赤になった眼を見て驚いたような表情を浮かべる。




「冴木さん。どうしたんですか?」


「最後、なので。少し話をしたくて。」


 私がそう言うと軽く頷き、場所を移そうと廊下に出てくる。




「冴木さんが訪ねてきてくれて嬉しいです。…いつも、凄く熱心に授業を受けていてくれましたから。」


 先生は嬉しそうに笑っている。見ていてくれたんだ、ということに口角が持ち上がる。




「だって…それは、先生のことが…好き、だったので。」


 当たって砕けろの精神で、告白しようと思っていた。好きだと自覚してからずっと練習してきた言葉なのに、喉に引っかかったように拙いものとなってしまった。




「そう言って貰えたんなら、教師冥利に尽きますよ。」


 その表情は授業中と何一つ変わらなくて、私の気持ちは一ミリも伝わっていないことを裏打ちする。もしかしたら、気付いていて気付いていないようなリアクションをしているだけかもしれない。


 でも、ここまできたらきちんと気持ちを全て伝えようと思った。




「ちがう。そうじゃないの。私、先生のことが恋愛的な意味で大好きだった。」


 必死に、一年間温め続けた思いが全部伝わるように。顔を上げて、先生の目をまっすぐ見つめて。




「きっと、先生は大人だから『一時の気の迷い』とかそういう言葉で片づけると思うんです。でも私は本気だった…。受験が終わって、卒業するときに告白しようってずっと思ってたんです。でも…でも…。」


 思うように言葉が出てこなくて歯噛みする。気持ちは今にも溢れそうなくらいなのに。




「とっ、とにかく!私はずっと先生のことが大好きで!だから…その…………。」


 そこで一度言葉を切って大きく息を吸い込む。きっと断られてしまうことは分かっているけれど、それでも伝えられなくて後悔するよりは絶対にましだから。




「付き合って、ください。」


 言ってしまった。もう決定的に戻れないところまで来てしまったような、そんな気さえした。


 先生が言葉を発するまでの間の沈黙がまるで永遠かのように感じられる。実際は三十秒にも満たない時間だったと思う。




「まず、先に結論から。『先生と生徒』という関係でなくなるからと言え、付き合うことは出来ません。」


 やっぱり、という意味で細く息を吐く。もとよりそれほど期待していなかったとはいえ、こうして直接聞くと心に来るものがある。




「それは、あなたの気持ちを『一時の気の迷い』とか表現するつもりはなくて。ただ、僕なんかが冴木さんの可能性を制限しちゃうのが勿体ないなって思うんです。」


 そんなことない、と否定する言葉を続けたかった。実際今年一年は先生のおかげで国語を中心に成績が飛躍的に向上しているのだから。




「確かに、勉強だとかそういう面に関しては一概には言えないかもしれません。でも、仮に付き合ったとして、僕のせいで制限されてしまうことは絶対にあると思うんです。」


 聞き分けのない子供に言い聞かせるように───実際そうなのだが───優しく語り掛ける。普段の授業でも、マンツーマンの質問のときですら聞いたことの無い声音。




「たとえば、交友関係。沢山の友人に囲まれていたかもしれないのに、交際関係のせいで狭めざるを得ないかもしれない。」


「たとえば、色々な経験。友人や、将来出来るかもしれない同学年の彼氏と過ごす時間や、出かけること、他にも沢山。」


 そこで一度言葉を切ると私の目をまっすぐに捉えて続ける。この間、私は泣き通しで言葉らしい言葉が出てこない。




「…正直、どうして冴木さんがそんなに僕を慕ってくれているのかは分からないです。他にもっと魅力的な先生はいるはずですし。でも、こうして向けて貰った好意を無下にするのは、ここまで慕ってくれたあなたに失礼だと思ったので。」


 その言葉に、思わず期待を抱いてしまう。『付き合ってみましょうか』『友人からでも』『連絡を取れるようにしましょうか』そんな甘い期待が瞬時に脳裏を過った。




「こうして、きちんと断ろうと思って。……それに、人との別れというのも経験しておくべきじゃないかと思うから。簡単に連絡を取ることも出来ますけど、そうじゃなくなる相手もいますから。」


 そう、やんわりと笑みを浮かべる。その言葉の雰囲気は、会話を〆る意図が透けていた。今までのやり取りがそうだったから。




 これ以上食い下がったとて、何も起こらない。もっと傷付く可能性の方が高い。


 昨日今日と散々泣き、ガサガサになった声をなんとか絞り出す。


「ありがとうございました。」


 1年間、という意味でも、こんなやり取りをしてくれて、という意味でも。


 背を向けて、帰らなきゃいけない。教室に置いてきた荷物を持って、その足で家まで向かわなければならない。


 そんなこと分かっているけれど、足が動かなかった。ここで帰ってしまえば、もう2度と会うことは出来ないから。




 唇を噛み、下を向いて黙りこくってしまった私。普通なら顔色を変えずに職員室に戻るんだろうけど、先生は違った。




「一つだけ、最後に教えることがあります。」


「…………なん、ですか?」


 憔悴しきった私に、死ぬなとか言うのかな。命は大事だから、とか生きてたらまた会えるかもしれない、だとか。






「僕も、冴木さんのことが好きでしたよ。少なくとも、あのクラスでは……この学校で一番と言っても差支えがないくらいには。」


 え、と聞き返す前に先生は私から背を向けた。二の句を継ぐ間もなく職員室に戻ってしまった。




 もう2度と出会うことはないだろう先生。初恋を捧げて、一年間ずっと頑張る理由だった先生。もしかしたら両想いだったのかもしれない。


 でも、最後に聞いたその言葉を受けて、リセットとまではいかなくても、あと1年学生生活を頑張ってみようと思うのだった。



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