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応仁の乱2

 伊勢殿の起こした騒動から何日語った後、私は兄様からとんでもない話を聞かされることになった。




 「この度の騒動だがな、義視様はお前が企んだものだとおっしゃられ、俺とお前を将軍家から排除するよう、義政様に申し出ているらしい……」




 「何ですって!?」




 兄様が声を潜めて私に言った。しかしなぜそんな疑いがかかっているのだろう?




 「伊勢殿は義煕様の養育係だったからな。お前が義視様を将軍職に就けないためにそそのかしたに違いないと言っているそうだ」




 「義煕はまだ赤子ですよ?一年後に義政様の後を継ぐなんて無理に決まっています。だから義視様が義政様の後継の予定は変わらないのではありませんか。そのくらいわかっていらっしゃるはずでは?」




 私はそう反論したものの、兄様は否定した。




 「いや、先日義視様に嫁いだ良子が息子を産んだだろう?……だから義視様はお前が良子が産んだ子に義煕様が押しのけられるに違いないと疑っていると思っているらしい。だから義視様を陥れようとしているのだと疑っていらっしゃるのだ」




 「そんなことをおっしゃられても……大体、私に後継ぎをどうこうするような権限がないのは分かりそうなものなのに……」




 私は思いがけず権力争いに巻き込まれてしまったようだ。しかしなんという思い込みの激しい方なのだろう。将軍家において御台所に政治的な決定権などない。せいぜい要望を将軍に取り次ぐことができるくらいなのだ。義政様が私に耽溺していらっしゃるならそんなこともあるかもしれないのだが、そんなことも無い。全くない。義政様はかつて今参局の言うことには影響を受けたようだったけれど、私に関してはそんな出来事は全くなかった。私たち夫婦は正しく政略結婚であり、その間に愛などというものは存在しないのだ。ただお互い家の為に子をなすことだけが求められており、それに関しては協力関係にある……というだけの間柄なのだ。義政様は私が役に立つのなら使うだろう……だが私の為に何かしてくださるなど考えられない。




 「……わかりました。それで私はどうすれば良いのですか?」




 「そうだな、とりあえず手紙を書け」




 私は兄様の言うとおり、義視様の誤解を解くため、山名殿と義視様に手紙を書いて、山名殿の家に使いを出した。




 「義視様は義政様にも排除されそうな気配を感じて不安に感じておられるらしい……。味方を増やしたいと考えていらっしゃるそうだ。しかしあの方は性格が悪いからな。このところ義政様だけでなく、細川殿も信頼できないとか言い出して、今度は山名殿に後援を頼んでいらっしゃる。そこでお前に山名殿の力になって欲しいらしいのだ」




 「具体的にはどのような?」




 私は少しイライラして言った。兄様も山名殿も回りくどくて嫌になる。もっとはっきり言ってほしい。




 「まあ、落ち着け。かなり難しい話だ……。誰かに聞かれるといかんからな?」




 兄様は声を潜め、当りを見渡した。




 「畠山家と斯波家の家督のことだ……。山名殿は義就殿と義廉殿を押しておられる……」




 「はあ」




 私は何とも言えず、返事とも言えない相槌を打った。


 畠山義就殿は前の畠山家当主持国殿の唯一の男子だったが、遊女と子供だったため、僧になる予定だった。だがにわかに気が変わった持国殿がもともと後継に決まっていた自分の弟持富殿を排除して後継にしてしまった方だった。もちろん持国殿の死後、後継争いになった。一度は争いを制して義政様に認められたのだが、大和国の騒乱に勝手に介入したり、細川勝元殿の山城国の所領を攻めたり……勝手なふるまいが目に余ったので義政様から家督を取り上げられ、朝敵となってしまい、逃亡生活を送っている方だ。


 もう一人の斯波義廉殿は斯波家の家督を現在継いでおられる方だ。伊勢殿の起こした騒動に加担した義敏殿が斯波家の中で前当主に一番近い血族だったのだが、失策続きで家督を何度も取り上げられ、その代わりに遠い親類である義廉殿が立てられているのだった。かなり遠い親類だったので、家中で支持が得られていないようなので、斯波家の外に味方を得たいのだろう。


 力になってくれるのなら敵とはみなさないということだろうか。……しかし何とも難しい問題で……正直あまりどちらの味方もしたくない。というよりあまり関わりたくない案件だ。




 「力になって欲しいとは義政様に口をきいてほしいということでしょうか?正直あまり義政様とそういった微妙な政治向きのお話をすることは無いので難しいかと思うのですが」




 私は正直断りたい、そう思って答えたのだが。




 「お前は何も難しいことをする必要はない。……ただ義政様が正月五日に山名殿の屋敷に行くよう働きかければ良いのだ」




 兄様の指示は具体的であったが……具体的過ぎて何か不穏なものを感じた。




 その後、表面上は何事もないまま正月を迎えた。例年正月一日は幕府の重臣達は天皇家へ年賀の挨拶に伺う事になっている。そして次の二日は将軍が管領の屋敷を訪問するのだ。


 当然この年の正月二日は管領家である畠山の館では義政様をもてなす用意をしていたそうだ。しかし義政様はそれを取り止めた。山名殿の手引きで京に入った畠山義就殿が室町御所に出仕し、義政様に拝謁していたからである。


 そして問題の五日である。私は朝早く、義政様の寝所に自ら出向いて行った。




 「お目覚めでしょうか?」




 義政様の隣に見覚えのある侍女がいるのも構わず、私は話しかけた。




 「うん?」




 さすがに義政様も少々驚いていたようだ。しかし構わず私は続けて言った。




 「今日は良いお天気でございます……。山名殿のお屋敷へのお出ましには良い日和でございます。お召し物も用意してございますので」




 「……そうか」




 こうして兄様に言われた通り、正月五日に私は山名殿の屋敷へ義政様を誘導した。義政様は自分のご予定を記憶したりはしていない。予定を管理しているのは側近であり、伊勢殿がいなくなった今、兄様の配下の者がそれを行っていた。私は少し前からそれを取り次ぐ役をしていたのだ。




、こうして義政様は正月五日に山名邸に赴き、現在畠山家当主、政長殿ではなく、義就殿接待を受けた。加えて、政長殿には畠山の屋敷を義就殿に引き渡すよう、言い渡したらしい。……当然のことながら、政長殿は激怒し、反発して従わなかった。何しろ政長殿は何の失策もなかったのだから。




 どうも義政様は丁寧に接待されたうえ自分の面前で頭を下げられるとお願いを断れない性質をお持ちらしい……。今思えば今参局たちもこういうところを利用して義政様を操っていたのだろうか?








 「開門願います!!」




 その後、政長殿から義政様がなさった仕打ちを聞き、細川殿が室町御所に配下の京極殿や赤松殿を連れて抗議にやってきた。しかしこれは義政様も予想していたので、室町御所の門を固く閉めさせていた。しばらくの間開門を要求する大声が響き渡って、室町御所の女房たちをおびえさせた。しかし、義政様は将軍直属の武人である奉公衆に門を固めさせたので、やがて細川殿たちはあきらめて去っていった。




 しかしその後結局怒り狂った畠山政長殿の兵達は市街地に放火したり、略奪したりして暴れ始めてしまった。そこで義政様は畠山家の私闘になることは避けられないと判断して、下手に利用されないよう、山名殿の館にいる義視様を室町御所に連れて来させた。




 「この度の諍いは畠山の家の中での争いであるから、決して他の者たちは手出しをしてはならん」




 そして義政様は京にいるすべての大名を集めてこのように言い渡した。義政様なりに戦を最小限のものにするために言い渡したのだろう。このときまでは皆義政様の命を聞いていた。……このときまでは。




 正月十七日の朝、室町御所は軍馬の響きと黒い煙が立ち込める不穏な朝を迎えた。




 「何が起こったのですか?!」




 「この煙は何ですか?!」




 室町御所の女房達はおびえて右往左往していた。そんな中、義政様は私のところに来ていて、全く動ずることなく朝から酒を飲んでいた。




 「落ち着きなさい。……これは畠山家の私闘ですよ。御所には攻めてきません」




 私は何とか女房達を落ち着かせるため、御所中を言って回った。


 しかし翌日、突然畠山義就が帝に上皇、親王まで連れて御所にやってきたのだ。




 「帝達の御身に何かあるといけませんのでお連れしました」




 義就殿は平然とそう告げると、御所の周りを自分の軍勢で囲ってしまった。




 御所のすぐ近くにある御霊神社には畠山政長の軍勢が集結しており、すぐに御所の周りで畠山家同志の激戦が始まってしまった。昨日の軍馬の響きなどものの数ではない。すさまじい怒号と軍馬の響きと切り合う音が御所に響き渡って、御所の女房達は皆震えあがっていた。


 私も内心恐ろしかったのだが、帝達がいらっしゃったのをそのままにしておくわけにはいかない。慌てて御座所を設営させ、接待の用意をさせていた。そしてそうこう忙しくしているなか、夕方になると義就殿がやってきたのだった。




 「お騒がせしましたが、無事片が付きましたのでご報告に上がりました」




 義就殿はこのようには義政様のところに戦勝の報告にやってきた。




 「そうか。では約束通り紀伊・河内・越中三国安堵を申し渡す」




 義政様は淡々と畠山義就の家督を認めたのだった。政長殿の方は陣を張っていた御霊神社を焼き払い、京を出て行ったらしい。


 山名殿は義就殿が政長殿よりはるかに武勇に優れていることを知っているのでゆったりと構えていた。しかもどうやら義政様に隠れて義就殿を支援していたようだ。






 それに対して、御霊神社の戦いの中、じぶんの配下である政長殿が不利に陥っても、細川殿は義政様の命令に従うと言って、自分の屋敷を守るだけで、動こうとしなかった。戦いが政長殿の敗北に終わったとも細川殿は動こうとしなかった。戦いの翌日、義政様は例年どおりに連歌の会を開き、山名殿も細川殿も、戦いの当事者だった畠山義就殿も参加した。




 「昨日は騒がしかったが、無事皆片付いた。今日はすべて忘れて楽しもう」




 義政様は皆と騒いで楽しめるのがうれしいようで、上機嫌に言った。




 「仰せのとおりですな」




 細川殿は静かに答えた。そして何事もなかったかのように、歌会に参加した。




 これを見て山名殿たちは細川はもう戦わないものと思い込んでしまったのか、連日宴会を開いたり、田楽や猿楽にふけるなど、戦勝祝いのようなことをしていた。義政様も山名殿に誘われ、共に宴会などを楽しんでいた。


 細川殿は山名殿の私的な宴会には参加しなかったものの、公式の歌会や宴会には顔を出していた。三月に入るまでは。


 三月三日の節句の日、山名殿とその配下の畠山義就殿や斯波義廉殿などが室町御所にやってきた。義政様と義視様、それから私にも節句の挨拶をしに来たのだった。……だがこの日、細川殿もその配下の赤松殿も京極殿も顔を出さなかった。




 「一体どうしたのでしょう?」




 何か嫌な予感がして、私は義煕の様子を見に来た義政様に聞いてみた。




 「私にもわからん。何か事情があるのだろうよ」




 義政様は興味がなさそうに答えた。山名殿たちと酒を飲んだのか、義政様からはまた酒の強い匂いがしていた。だが本当は義政様も不穏な空気を感じていたのだろう、元号を『応仁』に改めると言い出したのだ。




 「天下の平和を祈願するという意味だ。世の中平和が一番だからな」




 また酒宴に参加していた義政様は、酒臭い匂いをさせて、どこか満足げに言った。




 五月に入ると京は細川殿が諸国から兵を集結させ、騒然となった。細川殿は先の畠山家の争いでは山名殿の勢力が京に集中していることから、損害を最小限に抑えるため、あえて手を出さなかったのだ。そしてひそかに京周辺の国人を抑え、京への補給路を抑えた。加えて、国許では各国の相続争いなどにおいて山名殿たちの仇敵となっている者たちをそれぞれ配置して攻撃に当たらせ、山名殿たちの国許からの救援も防ぎつつ、国の支配権も自分たちの味方のものにしようと考えていたのだった。


 細川殿が動き出したのを知り、山名殿は慌てて味方を集めて軍議を開いたらしい。翌日にはそれぞれの大名屋敷の付近に濠が掘られ、土塁を築き、屋敷の中は京に集められた兵馬でいっぱいになっていた


 五月二十六日朝、とうとう戦闘が始まった。細川殿と山名殿の屋敷は近い。山名殿の屋敷は堀川の西にあり、細川殿の屋敷は堀川の支流の東にあった。そこから山名殿は自分の屋敷を西陣と呼び、山名殿の軍勢を西軍と称した。それに対して細川殿は自軍を東軍と称した。細川殿と山名殿の配下の大名たちの屋敷も各々近くにあったので、戦闘はあちこちの屋敷をはさんで行われ、勝った方が負けた方の屋敷を焼き払い、近くに陣を張ってあった寺院も焼き払われてしまった。戦闘は二日たっても一向に止む事は無く続けられていた。




 「細川と山名に戦闘をやめるよう伝えよ」




 義政様はそう言って義視様を細川殿と山名殿の許に差し向けた。しかし各人が戦闘をやめたのは一日だけだった。






 細川殿の屋敷は山名殿の配下である一色義直殿の屋敷をはさんで室町御所のすぐ近くにあった。細川殿の大軍に気圧された一色義直殿は山名殿と合流するため、自分の屋敷から兵を引いて行ってしまった。その為室町御所はあっという間に細川殿の兵に囲い込まれてしまったのだった。




 「細川殿が上様と御台様に目通りを願い出ております!!」




 義政様直属の軍である奉公衆の一人が慌てて伝えに来たのは戦いが再開されてすぐ、六月一日のことだった。 




「……そうか。細川の兵の様子はどうだ?」




 義政様は落ち着いた様子で状況を尋ねた。




 「御所の周りは細川殿の兵で満ちております……一万は居るかと。ですが、御所の者には武器を向けることなく、礼節を持って接しているようです……」




 「そうか。では仕方がないな。目通りを許そう」




 奉公衆から細川殿の兵の様子を聞き、御所の人間に手を出すことは無いと判断したのだろうか、義政様は細川殿に会うことにしたようだ。




 「私は……嫌です!畠山殿だけでなく細川殿も御所の人間を戦に巻き込んで!私は関わり合いになりたくありません!!」




 私はそう言い捨てて自分の棟に帰った。本当に腹だたしい。なぜ私たちを関係のない戦に巻き込もうとするのだろう。そしてなぜ幕府は何の抵抗もできないのだろう!前回も今回もなす術もなかった……!!


 足利将軍家の役割は各大名家の間を取り持つこと……だからもともと直属軍の数は細川や山名といった大大名家に比べれば一桁……下手をすれば二桁も数が違う。しかも今、直属軍である奉公衆は、伊勢殿が失脚した際、伊勢殿に従って半数は去って行ってしまっていたのだ。……将軍家は薄氷の上に立っていたのだ。清和天皇を祖に持つ尊い血筋である……足利将軍家は今まではそれだけで武家の頂点を任されていた……。しかし実力だけなら将軍家はいつ踏みにじられてもおかしくなかったのだ。


 それからしばらくたって、細川殿は私のいる棟にやって来て、私へ目通りを求めてきた。




 「私に何の用があるというのか?私がどう言おうと自分達の勝手にするつもりなのに」




 私はまだ怒りが収まっていなかったので、拒絶した。しかし女房達は何人も私の所にやって来て、言った。




 「ですが御台様、上様は細川様の事をお許しになりました……。細川様の兵が御所の警護にあたるそうです……。御台様のお世話になるので、ご挨拶したいと」




 「上様が認めてしまわれたのです……。御台様のお気持ちはわかりますが……何とか穏便に済ませて頂けませんか……?」




 彼女達はとにかく怖いのだろう……。細川殿を怒らせてしまったら、御所も火をつけられてしまうのでは、と思っているのだろう……。この御所の外では市内の至るところで戦闘が行われ、火がつけられ、奪が行われて、さながら地獄絵図のようになってしまっているのだから。懇願する彼女達に折れて、結局私は細川殿と会うことにした。




 「永くご無沙汰しておりました。ご挨拶遅れまして申し訳ありません」




 細川殿は極めて慇懃に挨拶をした。




 「これからも将軍家のため、第一に努力いたしますゆえ、お許しください。これからしばらくの間山名殿たちとの戦が続きますが、この御所は私が必ずお守りいたします。一切ご迷惑はおかけしません」




 そういって細川殿は私の返答を待った。……だが私はまだ怒っていたので返事もせずじっと細川殿を見据えていた。




 「それでは、お手間をおかけしました。失礼いたします」




 私が何も言う気がないのを悟ると、細川殿は慇懃に挨拶して私の許を去っていった。






 それから三日後のこと、兄様が慌てて私の許にやってきて言ったのだった。




 「細川殿が牙旗を求めているらしいぞ!」




 牙旗とは将軍のいるところに立てる旗のことである。すなわち、細川殿は将軍が自分の軍の大将なのだと示したいのだ!この戦は将軍家とは何の係わりも無いものなのに!






 「とんでもないことです……!」




 「ああ、今から上様に進言しに行くから、お前も一緒に来るんだ!」






 私たちは急いで義政様の居室の隣に行き、使用人に取次ぎを頼んだ。侍女に呼ばれて義政様はすぐに私たちのところへやってきた。




 「何の用です?」




 「細川殿が牙旗を要求しているとか伺いましたが……?渡したりしてはなりません!係わりのない戦に巻き込まれてしまいます!!」




 私たちは義政様に必死で訴えた。私たちの言うことを聞きながら義政様は無言でうなずいていた。だから義政様は細川殿の要求を拒絶したものと思っていたのだ。




 翌日、安心して自分の屋敷に帰って行ったはずの兄様が、また慌てて私の許へやってきた。




 「東軍の中に牙旗が立っているぞ!!」




 「……何ですって……?」




 まさかの事態に思わず私は絶句してしまった。そのまま有無を言わさず兄様は私を伴って義政様の居室のある方へ行った。




 「どういうことなのですか?!まさか……細川殿の軍の味方をするおつもりなのですか?!」




 義政様の顔を見た途端、私は思わずかっとなって義政様を問い詰めてしまった。しかし義政様は平然として言ったのだ。




 「そこにおいてあった牙旗を細川が勝手に持って行ったのだ。私の知るところではない」




 「……しかしそれでも周りから見れば将軍が東軍の大将になったとしか見えません!!」




 「そうだな、だからとりあえず義視を東軍の大将に据えようと思う」




 義政様は信じられないようなことを言ったので、私は思わず聞き返した。




 「……何を言っているのですか?」




 「だから義視を東軍の大将に据えると言っているのだ。そして私は将軍として両軍の者たちに直ちに停戦し、次期将軍である義視の許に下るように説得しようと思う。そうすれば戦は止むだろうし、義視が仲の良い山名たちの大将に担がれたりはしなくなるだろうから、将軍家が割れてもっとややこしいことになるのも防げるだろう?」




どうやら義政様はずいぶん自分に都合の良い展開を予想しているようだった。だが私にはとてもそんな風になるとは思えない。今まで何度も義政様が停戦を呼び掛けているというのにずっと無視されているのだ。しかも細川殿の兵に御所が占領されている今、将軍家の威光は地に落ちているといってもよい。そんな中で停戦を呼び掛けたとしても……聞くとは思えない。


 もう私は何も言う気がしなくなって、自分の棟に帰ることにした。兄様はあきらめずに義政様に抗議していたが、私は脱力してしまって、義政様と話をする気力が湧いてこなかった。




 この後、抗議を続けていた兄様は、それを細川殿に見とがめられ、危うく斬られそうになり、慌てて自分の屋敷に戻ったそうだ。兄様は自分の屋敷の周りに濠を掘り、細川殿からの攻撃に備えているそうだ。




 こうして牙旗を確保し、将軍を味方とした細川殿は優位に立った。東軍は時期将軍である義視様を大将とする官軍となったのだ。義政様は直ちに停戦し、義視様の許にはせ参じるように命令を伝えた。どちらに付こうか迷っていたものは義政様の停戦命令にかなり動揺したようだ。だが主たる大名たちは一時停戦して見せたものの、戦をやめることは無かった。そこで、細川殿は帝にも西軍を賊軍として罰すると勧告するよう要求したらしいのだが、それは内大臣である兄様が反対したので、なされなかった。




 こうして東軍優位に進んでいた戦だったが、戦が始まってから一月くらい経ったころだろうか、周防から細川殿の古くからの仇敵である、大内政弘殿が二千艘の船団で瀬戸内を通り、二万の兵を兵庫に上陸させ、京に攻め入ってきたのだ。大内軍は東山に陣取っていた東軍を追い散らした。この大内軍の参戦で、東軍と西軍は数が同じくらいになった。そしてこの後は大内殿の参戦で勢いに乗り、勇猛な兵士の多い西軍がやや圧倒する事態になったのだ。






 「御身に何かあるといけませんので、上皇陛下と帝をお連れしました」






 大内軍の東山攻撃の後、細川殿はそう言って土御門内裏から上皇陛下と帝を室町御所に連れてきた。西軍にとらえられ、利用されるのを防ぐためだろう。私たち将軍一家と共に体のいい人質でもあった。


 私は帝達をお迎えするため、寝殿などを整備することとなった。私や義政様の神殿を帝達に明け渡し、学問所や持仏堂などを使うことにして、義視様にも西端の御殿に移ってもらった。


 ところがこれに義視様はずいぶん不満だったらしい。義政様や細川殿に端に追いやられた、と散々不満をぶつけたようだ。これに義政様は無反応で立ち去り、細川殿は煩悩が過ぎますよ、と批判し、義視様に出家を勧めたそうだ。これに怒り狂った義視様は室町御所を抜け出し、北畠殿を頼り、伊勢に脱出してしまったのだった。義政は何度も義視様に戻ってくるよう説得した。義視様に伊勢にある幕府領年貢の半分を与えるとか、更に近江や伊勢にある神社から受けていた年貢の半分を与えるとか、様々な条件を出して説得したものの、義視様は応じなかった。




 「一体何を考えておられるのか……」




 私はあきれて絶句してしまった。義視様は一体どういうつもりなのか。帝達より丁重に扱われたかったとでもいうのだろうか。それに東軍は一応義視様を大将としているというのに、逃げ出したりしてどうするつもりなのだろう。あきれたものの、これについては私が口を出す問題ではないので、考えるのはやめにした。


 それより目下の問題は物資の調達だった。帝達だけでなく、戦によって寺や屋敷を焼かれたもの達が御所にあふれかえっていた。戦によって物資の調達が滞っているが、帝達を飢えさせるわけにはいかない。




 「米はあとどのくらい持ちそうか?」






 「恐れながら……急に人が増えました上、輸送が滞っておりますので、三月位かと」




 「そうか……」




 思っていたよりずっと少ない事を知り、私は早く手をうつことにした。






 私は何とかして米を調達しようと、奉公人に頼んで農民から年貢を取り立てに行ってもらった。農民は出し渋っているようだが、今年の収穫量は例年よりよかったと聞いているので、直接取り立てれば手に入るだろう……。帝達の衣類や什器もそれなりのものを用意して差し上げなければならない。しかし京都中が焼けてしまっている今、どうやって手にいれれば良いか……。


 私は考えたが、なかなか思い当たらない。そこで、前から懇意にしている土倉酒屋達に聞いてみることにした。彼らは商店も兼ねている事が多いのだ。何かつてがあるかも知れない。




 「そうですね……奈良や山科は焼けておりませんし……三条や五条は焼け残っているところも多いので、手にはいるかも知れません」




 「では頼めるだろうか?帝達に不自由な思いをさせるわけにはいかないのだ」




 こうして私は土倉や酒屋達に頼んで、衣類や什器を調達することができた。




 物資の調達の目処はついたが、私のやることはまだまだ一杯だった。何しろ御所にいつもよりはるかに人間が多い。元から仲の悪いものもいるし、次から次へと問題が起こった。加えて帝達は身分の低い人間と接触することをひどく嫌うので、私が接待しなければならない。


 金の問題も深刻だった。何しろ戦中なので、遠くにある領地からの収入が送られて来ない。寺院から得ていた金は寺院が焼けてしまったので、得られない。自然と土倉や酒屋への課税が一番の収入になった。土倉は倉が焼けてしまってもまた立て直し、収入が無くなってしまった公家から家宝を質物にあずかって商売するなど、収入が減っていなかった。酒屋の方は戦で酒の売り上げがむしろ上がっているらしい。やや渋ったものの、土倉や酒屋も幕府の庇護を必要としていたので、課税を受け入れた。




 私がこうして駆け回っている間、義政様は帝達と共に酒宴を開く毎日だった。




 「もう、どうにもならん」




 義政様はそういって酒を飲み、御所にある女官たちに次々に手を出して憂さを晴らしていた。義政様だけでなく帝達も同じようなものだった。帝など私の侍女である花山院妙子を気に入り、毎日通ってきていた。




 御所の外では東軍と西軍が激しい争いを続けていた。大内殿の軍がやってきてから、東軍はやや押され気味のようで、造営したばかりの土御門内裏は西軍に占拠され、その近くにあった公家の屋敷は皆焼け落ちた。10月に入ると室町御所のすぐ隣にある相国寺で戦闘が行われ、兵馬の音や切り合う音が激しく響き渡り、火の粉が御所の中に降ってくるありさまだった。御所の女房達は恐ろしさにすすり泣き、私の棟に駆け込んできた。




 「御台様……。この御所は本当に大丈夫なのでしょうか……?」




 「細川殿も山名殿もこちらには手を出しません。ここには私や義政様だけでなく帝や上皇陛下もいらっしゃるのです。……無体なことはしません」




 私も正直恐ろしかったのだが、必死で平静を装った。念のため、御所の要所要所に奉公人や奉公衆を配置した。


 相国寺での戦は何日にもわたって行われ、その間中すさまじい物音が御所の中に響き渡った。帝達も不安に思われたのか、御座所の寝殿から出てこられなかった。私は帝達の不安を取り除くため、参内してご報告申し上げた。




 「近くで戦が行われております故、騒がしく、申し訳ありません。戦については御所の者には関係ないもの故、あの者たちがこちらには攻めてまいることはございません。ご心配なきよう、申し上げます」




 私がいつものとおりの態度だったので、帝達も落ち着かれたようだった。……このように私が皆を落ち着かせようと駆け回っている間も義政様は酒宴を開き、女と遊ぶ毎日だった。それでも義煕のことは可愛いらしく、私のところに通ってきて毎日顔を見に来た。ついでに義理で私とも閨を共にするからなのか……私はまた身ごもっていた。私がそんな様子でも義政様は全く変わりない。そして今日もまた義煕に会いに来て、抱き上げて可愛がっていた。




 「義煕、酒は良いものだぞ。嫌なことをすべて忘れさせてくれる。お前も飲むか?」




 酒臭い息をさせながら、義煕を抱き上げ、義政様は言うのだった。




 この相国寺の戦のあとは激しい争いはなかったものの、京のあちらこちらで小競り合いがだらだらと続いていた。そんなときに義視様を陥れようとして失脚なさった伊勢貞親殿が一緒に連れて行った奉公衆と御所に戻ってきたのである。






 「いろいろと気の利く貞親がいないと何かと不便なのでな」




 このように義政様は言うのだが、義視様はどう思うのだろうか?そう思っていたら、予想どおり義視様から抗議があったらしい。そして伊勢貞親殿と私の兄様、日野勝光を追放するように義視様は要求してきたのだ。……義視様は兄様とも仲が悪かったようだ。確かに兄様は義視様を『性格が悪い』と評していたっけ。……これに対して義政様は無視し、細川殿は出家を勧めたらしい。


 これを見て義視様はもう義政様に見限られるに違いないと見て、義視様の周りにいた者は去って行ってしまったようだ。そこで進退窮まった義視様は比叡山に逃れて隠れていたらしいのだが……。それを山名殿が自ら比叡山に上って迎えに行った。これに義視様は感動し、西軍の大将になったのだった。そして義視様は自ら『西幕府将軍』と名乗ったのだ。




 「何を考えているのだ義視は!私を差し置いて『将軍』を名乗るなど……許せん!!」




 義政様は珍しく声を荒げていた。


 直ちに義政様は帝にお願いして義視様の権大納言の官位を取り上げ、追討を命じたのだった。これで義視様は幕府の敵となり、後継としての地位を失った。これに対して山名殿は南朝の生き残り、小倉宮の王子を天皇として戴冠させ、さらに対抗姿勢を見せたのだ。こうして戦は全く終わる気配もなく、だらだらと続くことになってしまったのだった。




 義視様が敵となってしまい、義政様の後継ぎとしての地位を失ってしまったので、自動的に義煕が義政様の後継ぎとなることになった。御所には帝もいらっしゃるのだが、公家のほとんどは京を離れ、親戚の許へと身を寄せているため、義煕が家督相続人となったことを知らしめる儀式は簡素なものとなった。ほんの五年前のことだというのに、義視様の儀式が盛大に行われたのとは対照的だった。


 義煕の儀式の後、私はまた細川殿に産所を用意していただき、出産に望んでいた。生まれたのはまた男の子だった。こんな時世であるし、後継ぎ候補は沢山ある方がいい。義煕の時ほどではないが、皆色めき立ち、男子の誕生を祝ったのだった。

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