後継者問題
「将軍職を弟に譲ろうと思う」
私が将軍家に嫁いでから十年たったころのことである。義政様は突然こんなことを言い出した。
「弟君にですか?しかし私は今懐妊しておりますが……?」
私の返答に義政様は飛び上がるほど驚いていた。……そんなに驚くようなことだろうか?私は最初の妊娠の後二人の女子を出産していた。今も私のところに時々通っていらっしゃるのだし、義政様は二十九で私はまだ二十五である。懐妊するのがそんなに驚くようなことだろうか?
「そんなことを言ってもまた女子であろう?もう弟に譲ることはもう決定したのだ。もう弟は還俗している。……そうだ、弟に嫁を見つけてやらなくてはならんが、誰か心当たりはあるか?」
「私の五つ下に妹がおりますのでそちらをどうでしょうか?」
私のお腹の子供が女子だと決めつけて言うのには腹が立ったが、義政様の子は女子ばかりだったので、反論するのも不毛かと思って言わなかった。その代わりに新将軍の御台が私の妹なら私が無下に扱われることも無かろうかと思っていかにも日野家に有益な提案をしてみた。
「そなたの妹なら美しいだろうな。日野家との縁も保てるし、良いだろう」
義政様はあっさり私の提案を受け入れた。もしかすると最初からそのつもりだったのかもしれない。義政様はもうすっかり隠居後の生活に夢中になっていた。どんな庭園を造るか構想を練っているらしく、私に熱心に語った。語り終わると満足したらしく、義政様は外に出かけて行った。
妊娠経過は順調で、私は産み月が近づいてきたので産所に移った。産所はまた管領である細川殿が細川殿の親類の屋敷に用意してくださった。
義政様は弟君への将軍職移譲のため忙しいのかあまりこちらには来られなかった。結局弟君へ将軍職を移譲する理由もよくわからないままだったし、蚊帳の外でほっとかされたままの私はなんだか寂しかった。
「……今度こそ男の子だと良いのですが」
「そうだな」
兄様の返事はあっさりとしたものだ。義政様の弟君、義視様のところへもう一人の妹である良子が嫁いだので、兄様としては私が男の子を産まなくとも、良子が産めばよいから、どちらにしろ自分の立場は安泰である。私の立場はどうなるのか……正直よくわからない。男子を産まなかった将軍の室は尼寺に出されることも多いから私もそうなるのかもしれない。
つまらない人生だな……と我ながら思ってしまう。公家の娘である以上、家の為に嫁ぐのは生まれた時から決まっているし、むしろ今はそれが決まっているのが幸運な面もある。しかし私が自分で何か決めたことなどあっただろうか?生まれてからも、嫁いでからも、出産してからも変わらない。私はただ兄様や義政様が決めたことに沿って生きているだけだ。女子ではなく男子を産むと何か変わるのだろうか?……少なくとも兄様や義政様の求める、私が生まれながらに背負っていた義務を果たしたことになる。そうしたら何か変わるだろうか?
産み月になって体は重くなったけれど、私はまた法界寺にお参りして男子が産まれるよう、お祈りした。義政様は相変わらずほとんど顔を見せに来なかったし、もう私に男子が産まれることを望んでいないのかもしれないけれど、私は生まれながらの義務から解放されたくて、男子が産まれることを祈った。
そして十二月も末頃、昼頃からとうとう陣痛が始まった。私は既に三回目の出産なので、お産の進行は早く、夕刻には赤子が産まれた。……今度こそ男の子だった。
「ふええ?ふぎゅああああああ!!!!!!!!」
今度の赤子は勢いよく産声を上げた。きれいに拭われて連れてこられたその子はいかにも健康そうなふっくらした男の子だった。
「おお?よくやったなあ、富子!」
兄様が知らせを受けてすぐに駆け付けてきてくれた。兄様は赤子を抱いて嬉しそうにしている。私までつられて微笑んでしまうくらい兄様は嬉しそうだった。
義政様もやってきた。
「……よくやって下された」
最初に男の子を産んだ時とは違って興奮した様子は見せず、静かに私をほめた。義政様は嬉しいのか嬉しくないのか、見た目では全くわからない。……しかしそんなことはどうでもいい。私は義務を果たしたのだ。この方が嬉しかろうが、困惑していようがそんなことはどうでも良い。始めて会った時から、義政様はよくわからない方だった。義務だったから嫁いだし、妻としてあるべき姿を演じてきた。だが義務を果たした私はもう義政様を愛しているふりをしなくとも良いのだ。そんな風に私は解放感に浸っていた。
私は男子を出産したけれど、義政様の後継が義視様であることは変わりない。まだ私の子は幼すぎるからだ。それに元気に育つとも言い切れない。前のこともと違って、今度の子供は健康そのものだったけれど、はやり病にかかったりしないとは言い切れない。実際義政様の兄上は将軍職を継いだものの、赤痢にかかって幼くして亡くなっている。
現在将軍家を継ぐことができる男子は義政様のご兄弟二人と私が産んだ子供との三名だけだった。義政様には側室にもう一人男子が産まれていたものの、生母がもともと使用人の女だったので、庶子として扱われ、すでに出家することが決まっている。
義政様の後継ぎ候補のうち、末の弟君は関東を治める公方となって掘方にいるので、実際は義視様と私の産んだ子供の二人である。それなので、義政様の後は義視様が継がれ、私の産んだ子供は元服したのち義視様を継ぐこととなった。義視様は公家の母を持たないので、足らないこともあるのだろう……。私の妹が嫁いでいるものの、それだけでは弱いようだ。
私の子は代々将軍家の家政と財政を任されている伊勢殿の元で養育されることとなった。息子は将来が明るくなるようにと『義煕』と名付けられた。
「義煕は元気な子だなあ……」
息子を抱き上げながら義政様はつぶやいた。なんだかんだ言っても息子の誕生は嬉しかったのだろうか、義政様は毎日のように息子に会いに来た。そんな様子を見ても、私の義政様への思いは冷たく冷めてしまっていた。
「そうですね……。今度こそ元気に育ってくれると良いのですけど」
私は妻として当り障りのない返事をした。しかし冷たく目が座ってしまうのを自分でも感じる。義政様が今、嬉しそうに振舞っていても、懐妊中には無関心で殆ど見向きもしなかったことを私は忘れられなかった。