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飢饉と将軍家


 今参局の死後、天変地異がたびたび起こった。日輪が二つ見えたという変異の後、日照りが起こった。田植えができない日が何日も続いたかと思うと、今度は大雨が何日も何日も続き、洪水が起きた。洪水でたくさんの人間が死んだ上、日照りで田植えができなかったので飢饉となり、多くの餓死者が出た。その翌年も洪水が起こり、ひどい飢饉が国全体に及んで起こった。その後はさらに追い打ちをかけるように疫病が流行った。餓死者と疫病の死者で都は溢れかえり、その死骸を犬が貪り、鳥が啄むという……さながら地獄絵図のようなありさまとなっていたらしい。

 らしい、というのはその様子は御所にいる私の目に触れることは無かったからである。御所ではいつもと同じような日常が続けられていた。このころ義政様は御所の庭を立派にすることに夢中になっていて、各地から銘木や奇石が届けられていた。そして各地の寺の庭のすばらしさについて私や重子叔母様に熱心に語っていた。


 「西芳寺の庭を見たい」


 重子叔母様が西芳寺の庭のすばらしさを義政様から聞いてつぶやいた。


 「ですが西芳寺は女人禁制の寺ですから、さすがにそれは……」


 そうつぶやいたかと思うと、義政様は手を打った。


 「母上、それではお住まいに西芳寺と同じ庭を造らせましょう。」


 そんなきっかけで重子叔母様の為に重子叔母様の住む高倉第に庭園を造り、お住まいも立派なものに改築した。今参局が死んだあと、義政様は重子叔母様のもとにしばしば通うようになった。仲良くお話しして、二人で穏やかに過ごすようになった。


 「すべては富子殿が嫁に来てくださったおかげです」


 そうおっしゃる重子叔母様はすっかり穏やかになられて、満ち足りた日々を送っているようだった。今参局に奪われていた生母としての地位を取り戻し、すっかり満足なされたのだろうか……。重子叔母様は今参局が死んでから3年後に義政様や私に看取られながら亡くなった。


 このように各地の地獄絵図は私たちには全く関係なかった。私たちはいつもと変わらず御所の美しい花を愛で、いつもと変わらず義政様は宴会を催し、大酒を飲み楽しんでいた。関係があったとするならば義政様の贅を凝らした造園趣味を帝に咎められたことくらいだっただろうか。咎められたことに恥じたのか、義政様はゆかりの寺院の僧に平穏を祈らせ、貧者に施しを与えるよう、いくばくかの金を渡したそうだ。

 帝がおっしゃることも分からなくもないが、どちらにしろ幕府に各地の飢饉をどうこうする権限などない。幕府は各地の大名や荘園主との間を調整するのが主な役割であって、各地を統治するのはその大名や荘園主だからだ。そして幕府の直轄地などもともと微々たるものしかない。鎌倉幕府の直轄地が五百ほどあったのに比べ、今の幕府の直轄地は二百ほどなのだ。だから幕府に生まれたものは女は尼になるし、男は跡取りとなる一人を除いて残りは全て僧になる。幕府には分割するような領地がないからだ。その領地も京からは遠く離れていて、役人に管理を一任しているのだ。幕府が飢饉で苦しむものに対してできることはせいぜい僧に祈らせたり、貧者に施すよう依頼することくらいである。


 「私の造園とて河原者に職を与えて金を得させている面もあるのだ。……趣味で民を苦しめているなど言いがかりも甚だしい」


 義政様はこう言うのだが……世間から見ればそんな風には見えないらしい。

 古来からこの国の権力者は飢饉が起こると食い詰めた者たちを労働者として集め、立派な仏像や寺院を建てさせることが良いこととされていた。義政様もこれに倣って建築を行っていたのかもしれない。だがそのことは世間には全く伝わっていなかった。世間的にはただ皆が飢えている中、贅を尽くして遊んでいるようにしか思われていなかったのである。

 帝に諭された後しばらくはおとなしくしていた義政様だったが、一月もするとすっかり忘れたようで、元のとおり、造園趣味に興じるようになった。毎晩のように酒宴が開かれ、浴びるように酒を飲んでいらした。酒を沢山飲まれる方なのは知っていたけれど、想像を遥かに越えた飲みっぷりだった。それ自体はまあ良かった。しかし問題はそれが政務にも影響が出ることだった。


 幕府の政治は重臣会議の決定の後、将軍の決裁を得て行われる。将軍の決裁権はかなり強力なもので、重臣会議の決定を将軍は簡単に拒否することも変更することもできた。だからか義政様が判を入れなければ、何も政治が動かない。義政様はじっくり考える質の方らしく、なかなか決裁をしようとしないらしい。そればかりでなく、酒をたっぷり飲んだ次の日は酔いが覚めきらず仕事にならない。そうでなくともお寺の方々とお話するためにしょっちゅうお出かけなさるので、使いの役人はいつも決裁を頂くため、待たされていた。


 「寒くはないですか?」



 廊下でずっと待たされているのが気の毒で、話しかけてみた。



 「いえ!大丈夫にございます。お気になさらず!」



 役人の方は慌てて答えるものの、どう見ても寒そうだったので、使用人に火鉢を持ってこさせた。


 「お気遣いありがとうございます……」



 そういって役人の方は緩んだ顔をなさった。やはり寒かったのだろう。それから使者の方々が待たされていらっしゃる時は私が様子を見にいくようになった。そうしているうちに多少雑談をするようになり、決裁を待っている書類の話などもするようになった。本当に何日も前から決裁を待っているようだ。内容について大体理解したので、手伝って差し上げようと考えた。会話の合間に義政様の前に書類を出して内容を要約してお聞かせすれば良いのだ。ついでにすぐ署名できるように硯と墨も用意して差し上げておけばよい。宮廷の『大納言典侍局』の真似事だ。幼いころ憧れて真似をしたこともある。


 そんなわけで今、義政様の前に役人から預かった処理の簡単そうな書類を差し出してみた。


 「これは……?」


 心底不快だという顔をして義政様は私に尋ねた。


 「こちらの書類ですが………」


 私は役人から伺った内容を簡単に義政様に説明してみた。そして判を押すべきところまで説明すると言葉を区切って硯と墨を差し出し、義政様にすんなり判をいただけるようにしてみた。そうして何枚かたまっていた書類をまとめて同じように義政様に説明してみた。


 「おお……!たちまち終わったな!」


 義政様はすっかり機嫌を良くして言った。そして処理できた書類を私に手渡した。


 「それでは出かけてくる」


 義政様はそういうと立ち上がって私に微笑んだので、私は深く礼をして書類を受け取った。

 この時を境に私は義政様に書類を届けるため義政様の居所を訪ねるようになった。そして同じように書類について説明して判をもらっていた。義政様は仕事が早く終わるので私がこうすることを気に入ったようだった。そのうち義政様の方から書類の内容について説明するように言われることも増え、仕舞いには簡単な書類については私に任せるようになったのだった。といっても簡単な書類の仕事だけだが。

 義政様は重要な政務……例えば大名家の相続とか、境界の訴訟等については、決して私の目に触れさせることはない。ご自分と側近の方達とで決めていらっしゃる。重子おば様や今参局等に散々介入されたのに懲りたのだろうか?私もあえてそこに触れることはない。私が介入しなくとも兄様が色々と口を出している様だし、日野家としてはそれで十分だろう。


 それよりも私が困っているのは、金の問題だった。義政様は金の計算が出来ない方だった。というよりは金の工面など卑しいものの仕事で、自分が考える必要など無いとお考えだった。だから幕府が明らかに金に窮するようになってきても無関心で、自分の好きなことに対して湯水のように金を使い続けた。それでも何とかなっているのは側近であり、倉役人をなさっている伊勢貞親殿が辣腕をふるって財政を支えているからなのだそうだ。。

 義政様は私には金に窮していることを知らせることはなかったが、それは当然私の知るところになった。何故なら月末の食事が粥だけになったからである。


 「……どうしたのですか、これは?」


 私は食事の内容を不審に思って、担当の老女(奥女中)を問いただしてみた。


 「政所から所用の金子が入りませんでしたので」


 老女は申し訳なさそうに言った。その後またしばらくすると食事内容が元のように戻ったので、おそらく政所より金子が入ったのだろう。しかしこのことで私は御所の金子の使い方について不信感を持った。もしかして有り金をあるだけ使っているのだろうか?何の計画もせずに?まさかと思いつつ、様子を見てみることにした。

 それからしばらくたったころである。御所では御台からとして年に二回使用人に対して衣装を配ることになっている。御所に仕える使用人は領地が与えられていて、給金といったものはないのだが、領地の収入というのは人によってかなり差があった。だから収入の少ない者もみっともない姿にならぬよう、衣装を配ることになっているのだが、その為の金子が用意されなかったのである。さすがにこれはまずいだろうと思って、義政様に伺ってみた。


 「御台の志として衣装を配るための金子がまだ届いていないのですが?」


 「……御台が金のことなど口にするものではない」


 義政様はたちまち不機嫌な顔になり、そう言って座をお立ちになった。そしてその後は私のところへ一月近く通ってこられなかった。

 しかしこのままでは御所としての体面が保てないだろう。放っておくわけにはいくまいと考えてついに倉役人に聞くことにした。


 「御台の志として衣装を配るための金子がまだ届いておりません。どうなっているのでしょう?」


 「申し訳ありません。……ですが、今世の中は飢饉が生じているような状態でして、将軍家も金に困っております。どの部署でも金に困っている状態でして」


 倉役人の伊勢貞親殿は私の言葉に困った顔をしていった。


 「しかし使用人には家が貧しいものもいるのですし、衣装が見苦しくては大名や公家の方が来られた時には将軍家の威光に係わりますよ」


 「なるほど、おっしゃる通りです。それでは何とか工面いたしましょう」


 伊勢殿は私の言葉に納得したのか、そういって帰って行った。

 こんなことがあって私は将軍家奥の金の使い方があまり計画的でないと確信した。あのくらいの会話で金を持ってこられるなら、おそらくもともと一年に奥にどのくらいの金子がいつ必要でといったことすら計画されてないないのではなかろうか。政治にかかわる部署より奥のこちらの金子が後回しにされるのはまあ当然なのだが、計画性のないのは困る。奥のことも本来は義政様に伺ってから計画を立てていくべきなのだろうが、義政様はこういった金子のことを考えることすら卑しいと思っておられるようだ。それだったら……困っているのは私なのだし、私が計画を立てることにした。


 「金子のことなのですが」


 私は用事があってやってきた伊勢殿を捕まえて言った。


 「考えたのですが、幕府が金に困っておられるということなので、使用人の数を必要最低限のものにすることにいたしました。他にも節約に努めますから、毎月同じ額の金子を収めていただけませんか?額はこのくらいで結構ですので」


 私が必要な使用人の衣装や食事に必要な額を書き出して合わせた金額を示して伊勢殿に言うと、伊勢殿は驚いて言った。


 「このような額ではとても間に合わないのでは……?」


 おそらく今まで収めていた金額よりかなり少なかったのだろう。しかし私は首を振って言った。


 「いいえ、この額で何とか致します。それよりも決まった金額を届けていただかないことには、かえって金子を使いずらいのです。それに加えて金子があったりなかったりすると、皆不安になり、奥が暗い空気になり、義政様にも快適にお過ごしいただけません。ですから毎月必ずこの金額をお届けください」


 「そのようにお気遣いいただけるとは……。ありがとうございます。しかしこちらの金額ではあまりに窮屈だと存じますので、もう少し多めに見積もっておかれた方が良いかと思います。それでは御台様のおっしゃる通りに毎月金子をお届けするようにしましょう」


 伊勢殿はそう言って私の意見を了承してくださった。しかししばらくするとまた約束した金子が届けられなくなったのである。私はまた伊勢殿を捕まえて聞いてみた。


 「このようなことが続くと快適な奥が保てず、私の御台としての面目が立ちません。このところはまた何かあったのですか?」


 「申し訳ありません。……しかし飢饉に続いて徳政一揆がございまして、関所が土民に占拠されてしまい、幕府の金子が入ってこなくなり、皆こまっているのです」 


 伊勢殿の言うことは前とほとんど同じだった。また同じようにその場その場で金子の出し入れをしていて、奥に金子を渡す余裕がなくなってきたのだろう……。だったらここで引き下がれば元の木阿弥だ。おそらくまた金子を定期的に届けられなくなるだろう。そう思って私はさらに食い下がることにした。


 「そうですがしかし私の方もまったく金子が入らないと困ります……。ですから京にある土倉や酒屋から取っている税の一部を分けていただけませんか?」


 「土倉や酒屋も大変苦労しており、なかなか税を取れなくて困っておりますが」


 伊勢殿は私に反論した。だが私はさらに食い下がった。


 「いいえ、私が日野家のものに聞いたところによると、土倉や酒屋はこのような時世でもそれなりに潤っているそうです。京にある土倉や酒屋の税なら少なくなることはあってもまったくなくなることは無いでしょう」


 「しかしあの者たちはなかなか曲者が多く、納税を得るのに私どもも苦労しております」


 伊勢殿はさらに私に反論した。だがその反論は私に無意味だ。日野家はもともと土倉や酒屋のものとかかわりが深く、私や兄は彼らと話したことがあるし、彼らの事情に詳しいのだ。


 「それでは私が話をしてみましょう」


 「あのような下賤な者たちとですか?」


 伊勢殿は驚いて言った。


 「義政様も造園にあたっては河原者と樹木や石についてお話しなさっているではないですか。私も奥の運営に必要であったら下賤なもの相手でも話をしたい」


 私は伊勢殿になお反論した。実は倉役人が土倉とかなり深い関係にあり、土倉が納税を融通してもらう代わりに伊勢殿に金子を渡しているらしいという噂を私は耳にしていた。おそらく土倉と私が話をするのは避けたいだろう……。そう思って伊勢殿の発言を待った。


 「それは困ります……。それでは御台様のおっしゃる通り土倉からの納税の一部を奥の金子として当てますので」


 伊勢殿はようやく私に折れた。……このようなやり取りの後、私の許には正実坊という土倉の許から必要な金子が届けられるようになった。

 正実坊はしばらくの間私に決まった額の金子を届けていたが、また金子が届けられなくなった。


 「正実坊は景気が悪く、収入が少ないので入金は半分にしていただきたいと申しております……」


 また私に捕まえられ、問いただされた伊勢殿は汗をかきかき言った。


 「そうですか。それでは正実坊に私に直接話をしに来るよう申し伝えてください」


 私は厳しく言い渡した。……おそらく正実坊は私をなめ切っているのだろう……。金のことなど何も知らない箱入り娘だとでも思っているのだろうか?……ここは叩き潰しておかなければならない。


 翌日正実坊を奥の庭に呼んできてもらった。そして老女を介して問いただした。


 「納税を半分にしたいとのことだったが、納得いたしかねるので説明してもらいたい」


 正実坊は隣に座っているものを見ながら居心地悪そうにしながら説明を始めた。


 「徳政一揆がございましたので……」


 予想どおりの返答だが、それが真実でないことはもう分っているので、直ちに反論した。


 「そこにいる者たちに聞いたところ、徳政一揆での損害はそれほどでもないと言う。しかも最近は金を借りるものが多く、利息を月八分から十分にまで値上げしていると聞いた。土倉の者たちも苦しいのかもしれないが納税できない程とは思われない」


 私は兄様に相談して正実坊の他の京で有力な土倉に連絡をしてもらった。そして正実坊の言い分について兄様の意見を聞き、この場に同席させたのだった。それを見て正実坊も下手な言い訳はできないと思ったのか、黙り込んだ。しかしまだ反抗する気でいるようなので、私はさらに老女を介して畳みかけた。


 「正実坊の倉には幕府の銭が常に残っていて、お前はしかもこれを貸し付けに使い、利益を得ていると聞いている。納税できないとは思わない」


 正実坊は幕府の銭を管理する役目をしているのだが、税の納入と支出の間に管理している銭を勝手に運用していたのだった。そしてそれを自分の利益としていたのだ。表立って言えることではないが、幕府の一部の役人はこれを知っていて、しかも正実坊から利益の一部を渡され、黙認していた。兄様もこのことについて知っていたのだった。

 私がこのことを知っているとは思わなかったのだろう、正実坊は蒼白になった。


 「税については今後は増加して納めてもらう。幕府の金を勝手に運用して得た利益も幕府に返還してもらおう」


 「……そうはおっしゃられましても……ないものは出せないのです……。……わかりました何とか致しましょう……」


 私の言葉にまだ抵抗しようとしていた正実坊だったが、ついに観念して納税を約束した。


 しかしその約束から何日たっても納税はなかった。


 「どうなっているのですか?」


 わたしはまた伊勢殿を捕まえて聞いてみた。


 「正実坊は金額についてまだごねておりまして……。納税の増額分についてもまだ交渉中でして……。幕府に返還する金子についてもなかなか返そうとはしないのです。申し訳ありません」


 私とすっかり顔見知りになった伊勢殿は正実坊と交渉している内容まで詳しく話してくれた。しかし正実坊は相変わらずひどい男だ。


 「幕府の倉を管理する人間を替えてしまってはどうでしょうか?一人に任せるとどうもわがままになってしまう。正実坊はもう解任して、代わりに先日同席した土倉の者たちを併用して使うようにすればよいのでは?」


 「そうですね……。それが良いかもしれません。早速正実坊に申し渡してみましょう」


 私の提案に伊勢殿は乗り気で答えた。彼も正実坊の態度に腹を据えかねていたのだろう。すると翌日正実坊が私のところに納税しにやってきた。


 「おっしゃるとおりに金子を納めます……。ですからお役目を解任するのは勘弁していただけませんか……」


 「……まあ、心を入れ替えて役目を務めるというなら口をきいてやらなくもない。来月もきちんと納税にやってきたら他の者と併用して倉の管理に使ってやるよう口をきいてやろう」


 正実坊が完全に観念したようだったので、私は彼を許してやることにした。正実坊の弱みを完全につかんでいる以上、もうこの男は私に逆らえまい。

 そして私に完全に従順になった正実坊に私は私直属の役人に任命した。そして私が個人的にためていた金子を運用させるようになったのである。 


 そんなすったもんだがあった後のことである。義政様が機嫌を直したのか、再び私の許に通うようになった。


 「女中の数が減ったようだが……?」


 義政様は不審に思ったようで、私に尋ねた。相変わらず女漁りに熱心なようで、女の数には敏感だった。


 「倉役人から金子が足りず用意できないと知らされましたので、不用なものには暇を出しました」


 私がこう答えたものの、義政様は何も答えなかった。感心した様子も不機嫌な様子もなかった。私の許で造園中の庭園について熱心に語り、満足すると、また知人の寺へ出かけて行った。


 「義政様はあんなに度々お出かけになっておられますが、お出かけにお金はかからないのですか?」


 私はすっかり仲良くなった伊勢殿に不思議に思って聞いてみた。


 「ああ、それは心配ありません。お寺に出かけますと、帰りにお土産として上様に金子をいくばくか渡されるのです。寺にとってみれば、幕府は自分たちを庇護してくれるわけですから、そのお礼というわけです。ですから上様はお金が必要になれば寺におでかけになるのですよ」


 「なるほど」


 私は納得した。義政様は自分の収入源を独自に持っていたのだ。それはまるで打ち出の小槌のようにほしいときに出される金子だったのだ。だから義政様はわたしが金に困っていても自分は潤っていたので実感がなかったのだ。私の方はそんな打ち出の小槌を持っていなかったのだが。義政様にしてみればそんなことはどうでもよいことだったのだろう。……そんなことがあってから私は自分が困らないようにするため、蓄財に励むことにしたのだった。

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