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終戦後3

 義尚は私生活で問題を起こし続けて存在感を示していたが、政務の方では書面を作成する事務方である奉公人たちが義政様に抑えられているため、権限を行使できない状態が続いていた。将軍の意思を事務方が書面で作成して各方面伝えなければ、権限など絵に描いた餅になってしまうからだ。かねてからこのことに不満を募らせていた義尚とその側近や奉公衆たちは文明十七年(1485年)とうとう爆発した。


 将軍である義尚への正月の挨拶を義尚の側近・奉公衆たちと奉公人たちのどちらが優先するかで争いが起き、義尚の裁定で退けられた奉公人が職務を投げ出したのだ。これに対応するため、義政様は奉公人たちを説得したのだが、上手くいかなかった。そして義政様は怒った義尚の側近たちが奉公人たちを襲撃する計画を立てていることを知ると、慌てて奉公人たちを細川殿に力を借りて丹波に逃がし、出家させることで事を治めようとした。この騒動の責任を取って義政様もとうとう出家された。


 ことが収まり、ほとぼりが冷めたと思ったのだろうか、義政様はまた同じ奉公人を出仕させ、事務に使おうとした。それを見とがめた義尚は、小川御所に義政様の使いで訪れた奉公人たち四人を側近を使って誅殺したのだった。これにより義尚はとうとう義政様から軍事面の指揮権を奪い取ることに成功した。


 こうして奪い取った権限を天下に示すため、義尚はまず、各地に寺社本所領を横領している大名たちに返還を命じた。多くの大名は表向きこの命令に従ったのだが、近江守護六角高頼はこれに応じなかった。そして義尚はこれを征伐するため、将軍自ら出陣することを決めたのである。


 足利将軍家は、寺社本所領を保護することと、公正な裁判を行うことが本来の役割であったから、この出陣はその本旨に合うものであった。




 「これこそ本来の征夷大将軍ですな!」




 公家や僧侶たちはかつての所領を取り戻せる期待に胸を膨らませ、義尚の出陣を歓迎した。だが私は……心配であった。




 「本当に自ら出陣なさるのですか?春に黄疸で倒れたばかりだというのに……」




 出陣するのは夏の終わりに決まったのだが、私には体が元どおりになっているとは思えなかった。


義尚の黄疸は酒からくるもののようだったが、一時酒をやめただけで義尚はまた酒を飲む毎日を送っていたからだ。義尚は顔色が悪く、あんなに好きだった乗馬も鷹狩もすぐに疲れてしまい、やらなくなってしまっていた。……こんなことで出陣に耐えられるのだろうか? 




 「父上や母上にもこれぞ征夷大将軍という姿をお見せしたいのです」




 義尚はまるで子供のころのように優しく穏やかに私に接した。義尚の意思は固く、止めることはできそうになかった。……そう、もうずいぶん前からこの子はそうだった。私が願う方とは逆の方に逆の方に行ってしまう。




 「それではせめて……私と一緒にあなたの無事と武功を祈るための参拝に行ってくれませんか……?」




 「よろしいですよ」




 私のせめてもの願いに対して……義尚は朗らかに笑って承諾してくれた。


 義尚の出陣にあたって、万が一のことが起こった場合の後継者が問題となった。義尚にはまだ子供がいない。そして義尚とは兄弟となる義政様の子供は側室の産んだ同山等賢も私の産んだ義覚ももうこの世にいない。次に近い血縁となるのは義政様の兄弟の子供たちだった。その中でも有力な清晃殿は義政様に呼ばれて同山等賢の後を継ぎ、香厳院住持となっていた。おそらく清晃殿の父がかつて香厳院住持だったからであろう。


そしてもう一方で有力なのは義視様の息子である、義稙殿だった。私としては母親が私の妹であるから義稙殿の方が良い。しかも、義視様と義稙殿は現在土岐殿の庇護下にあり、土岐殿は義尚がこれから征伐に向かおうという六角高頼と密接な関係があるので、何とか先手を打って仲間に取り入れておきたい。六角殿が義視様や義稙殿を将軍として推戴したならば、応仁の乱の悪夢が再現されてしまうかもしれないからだ。


 そういったことから私は義尚の後継者に義稙殿を押し、朝廷から左馬頭の官位を授与されるよう、あっせんした。そうすることで義稙殿も義尚の後継者候補であることを天下に示したのである。






 文明十九年(1487年)九月十二日、美々しく武装した二十五歳の将軍義尚は、愛する広沢彦次郎を近くに侍らせ京の町を出陣、近江に向かった。赤地の錦に桐唐草を浮かせた鎧直垂、黄金作りの太刀に矢を背負い、重藤の弓を持った姿は、まさに古式ゆかしい征夷大将軍の姿だった。京にいる奉公衆だけでなく、各国に散らばっていた奉公衆も呼び寄せ、各地の大名まで引き連れて、義尚の軍は壮大な武者行列であった。私はそれを沿道に桟敷を広げて見送った。義尚の衣装は美々しく立派だったが……顔色は悪く、やはりまだ乗馬はきつそうに見えた。……だが私は……もう見送ることしかできない。不安な気持ちのまま、私は小川の御所に戻った。




 義尚の軍は近江に到着し、六角高頼殿の軍と戦うと、その圧倒的な数を背景に華々しく勝利した。だが、義尚は京に帰ることなく、そのまま近江にとどまり、鈎の地に陣を張り、側近だけでなく事務官僚である奉公人も呼び寄せて、政務をとり始めたのだった。奉公人の中でも古くから義政様の元で働いていた、伊勢貞宗殿などは呼び寄せなかった。義尚は義政様の介入を物理的に排除して、自身の親政を始めたのだ。


 その一方で、六角高頼殿の軍は負けるや否や、あっという間に甲賀の山の中に散っていき、身を潜めてしまった。緒戦で勝ったと言っても、このまま将軍の軍勢がいなくなれば、生き残った六角高頼殿たちがまたこの地を支配してしまうのは明白であった。




 「甲賀を徹底的に洗って六角軍をあぶりだせ」




 義尚はそう命じて甲賀の山の中を探させたものの、なかなか見つからない。しかも六角軍は義尚の軍が手薄になった時を狙い、散発的に攻撃してはまた身をひそめることを繰り返して、義尚の軍に少しづつ痛手を与え続けていた。


 義尚は鈎の陣で政務をとる一方で、私生活でも京にあるときと同じように、毎日酒を飲み、女や彦次郎を身近に侍らせて乱れた生活を送っているようだった。私は義尚の体が心配だった。黄疸で倒れてからそんなに間がないというのに、そんな生活をしていて大丈夫なのだろうか?






 「緒戦は勝ったのですし、将軍の権威は示せたでしょう。もう他の方に任せて京に帰られてはどうですか?」




 「完全な勝利を収めるまでは帰れません」




 義尚に使いを送ったものの、返事は否だった。


 義尚の軍は六角高頼殿が奪い取った寺社本所領を奪い返しつつあった。……だがその年貢は戦費に充てられたりして元の寺社に返されるわけではなかった。しかも義尚の連れて行った側近たちは幕府の奉公衆や私の所領にまで手を出し始めたのである。当然側近たちの行為は奉公衆や連れて行った大名たちの非難するところとなったのだが、義尚はそれを諫めることは無かった。




 「私の所領にまで手を出すとは許しがたい!」




 さすがに私もこれを見逃すことはできなかった。義尚に向けて抗議の使者を送った。




 「まあまあ母上、あの者たちも勢い余ってしまったようですが、私から母上に返すように申し渡しますので」




 義尚に素直に謝られたので、私は矛を収めるしかなかった。


 ちょうどそのころ、関白であった九条殿が死去されたのに伴い、義尚が内大臣に昇進した。年の暮れ、仲直りとそのお祝いということで私は義尚のいる、鈎の陣を訪問した。


 久しぶりに会う義尚は私に優しく丁寧にあいさつしてくれた。




 「この寒い中、よく来てくださいました」




 そういう息子は幼いころのような、優しい息子に戻ってくれたようだった。他愛のない話をしてしばらく過ごした後、私は京に戻った。




 その後も義尚の軍勢は鈎の陣に滞在し続けた。六角高頼殿との戦況は変わらず、膠着状態が続いていた。




 そして義尚が鈎の陣に在陣して一年半たったころ、義尚は病に倒れたという知らせを受けた。それを聞いて私はすぐに義尚の陣に行こうと使いの者をだした。




 「将軍様がおっしゃられるには、母君が行かれるほどの大した病気ではないので、との返答でした」




 義尚には私が行くことは断られてしまった。


 しかし使いの者に聞いても義尚の病状は今一つはっきりしない。だからまず医師を送って義尚の様子を診させた。




 「……病状はいかがでしたか?」




 帰ってきた医師に私がそう聞いても、医師の返事は要領を得なかった。




 「そうでございますね……将軍様におかれましては、大したことではないとおっしゃられておりました」




 「そういうことではないでしょう。あなたの見立てはどうなのですか?」




 私はいらいらして詰問してしまった。




 「全快というには程遠い状態でございましたが……」




 「良くないのですね?」




 医師は仕方なくうなずいた。義尚が私に病状を伝えないように言ったのかもしれない。そうだとしたら自分の目で確認するしかない。私は居てもたってもいられなかった。




 「鈎の陣に向かいます」




 そういってすぐに出立する準備をした。数日たって鈎の陣につき、私はまっすぐ義尚の許へ向かった。義尚の寝台からは酒の香りが漂っており、義尚は酒を飲んで静かに眠っているようだった。……義尚は血の気のない顔色をしており、目は落ちくぼみ、やせ衰えていた。




 「どうしてこんな……」




 出立した時の美々しい姿が嘘のようだった。義尚の、まるで死人のようなその姿に私は呆然とした。




 「母上……とうとう来られたのですね」




 私のつぶやきに目を覚ました義尚が言った。そう言って体を動かそうとしていたものの、義尚はもう起き上がれない程衰弱しているようだった。


 医師たちがあんなに私へ義尚の病状を報告することを嫌がった理由がよく分かった。義尚はもう医師も役に立たない程、弱ってしまっていたのだ


 。私はすがるような思いで僧侶に来てもらい、義尚の回復を祈ってもらった。その甲斐があったのか、数日たつと義尚は体を起こして何か書き物をしていた。私が来た時よりは顔色もよくなり、水分もとることができるようになっていた。




 「何か食べてみますか?」




 「いいえ……まだ……」




 「それでは体をふきましょう」




 そうして義尚は私に大人しく体をふかれていた。……まるで幼いころのように。義尚もそう思ったのか、ぽつりぽつりと話し始めた。




 「……昔のことを思い出していたのですよ。幼いころは……幸せだったと。でも将軍になってからはつらいことばかりでした。何も自分の思いどおりにならず……愚かな抵抗ばかりしていました」




 義尚は穏やかに笑っていた。まるでつきものが落ちたかのようだった。




 「私の辞世の句です。母上に向けての物がこちらで、父上に向けての物がこちらです」




 そういって何やら書き付けたものを私に渡した。




 「私が死んだら陣を焼き払って、全てを終わりにしてください」




 そういうと、義尚は疲れたのか、また横になって眠ってしまった。


 夜になって穏やかに眠っていた義尚の体が激しく痙攣した。義尚は体をぶるぶるふるわせて、ぶつぶつ何か言っているようにも思えたが、聞き取れない。




 「どうしたのですか?!」




 私が必死に呼びかけても……義尚はもう……目を開けることは無く……。震えていた体はやがて静かになり、その後しばらく弱々しく呼吸を続けていたものの……やがて絶えてしまった。




 「ご臨終です」




 側に仕えていた医師が静かに告げた。義尚に仕えていた側近たちも、女房達もすすり泣いていた。……でも私は泣けなかった……。ただ茫然として……何も考えることも……感じることも……できないでいた。




 延徳元年(1489年)三月二十六日午前中、義尚は死んだ。静かな最期だった。三十日、義尚を弔うため、鈎の陣までついてきていた彦次郎は髪を下し、出家した。彦次郎は私を見て深々と頭を下げた。






 「私の生涯は義尚様に捧げました。この後も一生お側で祈り続ける所存でございます」




 「……勝手にするがいい」




 決して私にはできない生き方をする彦次郎を見て……私は羨ましいと思わずにはいられなかった。私は愛するものが死んでしまったからといって、全てを捨てて出家することなどできない。私にはまだ生きている夫がいて、その正妻としての責任がのしかかっているのだった。 


 私はふと思い出して、懐にしまっておいた義尚から受け取った辞世の句を詠んだ。




 もしほ草のあまの袖しの浦波に


 やどすも心ありあけの月




 ながらへば人の心も見るべきに


 露の命ぞはかなかりけり




 出る日のよの国までの鏡山


 と思ひし事もいたづらの身や




 義尚はもっと生きたかったのか。もっと生きてもっと知りたいことがあったのか。……それならどうして酒を止められなかったのだろう……。酒で体を壊していることはずいぶん前からわかっていたのに。何度も何度も控えるようにといろいろな方々から言われていただろうに。もっと生きたかったのにと我が身の儚さを嘆くなら、もっと自分を大事にして欲しかった……。


義尚に頼まれていたとおり、義政様にも義尚の辞世の句を送った。これを詠んで義政様は何を思うのだろうか。




 義尚の死後、細川殿たちとも相談して、義尚の遺言どおり、陣を焼き払い直ちに京に帰還することになった。軍の指揮は細川殿に執ってもらった。義尚の死骸は防腐処理をされ、輿に乗せらせて京に運ばれた。私も輿に乗って一緒に京に帰還した。途中ぽつぽつと雨が降っていたが、室町御所のあったところを過ぎたころ、激しく降り始めた。まるで天が嘆いているようだと思った。皆がすすり泣いている間は全く泣けなかったのに……私もいつの間にか泣いていた。身も心も千切れるような悲しみがあふれてきて、込み上げてくる嗚咽をおさえることができなかった。悲しくて苦しくて……私は声を上げて泣いていた。こんな悲しいことがあるだろうか……?義尚が死んでしまったのに私はまだ生きているなんて。泣いて泣いて悲しんで悲しんで……死んでしまえればいいと思った。……でも私は……もうボロボロの抜け殻のようになってしまったのに……生きているのだった。






 足利家ゆかりの寺に義尚の遺体は運び込まれ、葬儀が営まれた。義尚の体が荼毘にふされるのを私はそばで見ていた。しきたりでは親が参加することはないのだが、私は見届けずにはいられなかった。



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