終戦後2
良いこともあった。かねてから息子の教育係をお願いしていた一条兼良殿がとうとう京に戻ってきていただけることになったのだ。一条殿は日野家を嫌っていたので、なかなか面会してすらもらえなかったが、何度も使者を通じて贈り物を届け、時には私自らご挨拶に伺い、何度も京へ帰還し、息子の先生となっていただけるよう、お願いした。そして、応仁の乱が終戦に至った今回、とうとう承諾していただけたのだった。
一条殿にはもともと一条家の屋敷があったところにまた屋敷を建て直して差し上げ、そこから小川の屋敷に講義に来ていただいた。この機会に義尚も伊勢殿の屋敷からまた呼び寄せて私と一緒に暮らすことにした。将軍が来たことから、この小川の屋敷が新たに御所と呼ばれることとなった。義政様の方はその隣に新たに屋敷を建て、私たちとは別居するようになった。
一条殿にはまず『源氏物語』の講義をしていただいた。『源氏物語』は女子教えることをに禁止されている物語だったのだが、政治にかかわるものの心得として、特別に女である私にも講義していただけた。一条殿の学識は幅広く、実践的なものであった。講義を受ける義尚も熱心で、優秀な生徒であった。義尚は特に和歌に熱心だった。和歌を教わり始めてから、熱心に歌会を開いて研鑽していた。
「新古今に匹敵するような和歌集を作り上げたいのです」
そういってさらに姉小路基綱や三条西実隆、飛鳥井雅親、宗祇などの歌人を結集して和歌集の作ろうとするくらいだった。
ただ、政道については関心が薄いように感じられた。一条殿が政道を論じた『樵談治要』は一読しただけで弟に下げ渡してしまった。武家としてどうあるべきかを同じくらいの年頃の側近達と共に議論することは好きだったが……。
義尚が幼いころはこのように平和だった。義尚は良い子で、良く学び、よく遊ぶ快活な子供だった。何日もかけて義尚と共に伊勢にお参りに行ったことなどは良い思い出だ。息子との穏やかな日々は私の唯一の幸せだった。息子が立派に育ってくれることだけが私の望みで、夢でもあった。
だが義尚が長じてくるとともに、そんな平和な日々は失われていった。……それは義尚が義政様と同じく、大酒のみで、女狂いだったからだ。義尚は十五になるころには度々側近たちや大名たちと酒宴を開き、浴びるように酒を飲むようになってしまっていた。義尚は義政様が政務をとり続けており、自分が将軍とは名ばかりの状態なのをだんだん不満に思うようになっていたのも酒におぼれる一因になっていたようだ。
義尚が十六になると自分の花押を初めて文書に据える判始めの儀式を行い、将軍として文書を発給する権限を得た。しかし政務のほとんどは義政様に握られたままだった。義尚は不満をますます募らせるようになり、刀を振り回して人々を追い回したり、抗議のため髻を切ってしまったりして、周りを困らせていた。そしてますます酒におぼれるようになってしまっていた。
「私は何杯でも飲めるたちのようです。飲み比べをしましたが誰も私にかないませんでしたよ」
義尚は酒の強さを自慢げに話すのだった。酒がたくさん飲めるから、自分はもう立派な大人だと皆に主張したかったのだろうか。
しかしそのうち義尚は酒を朝から手放さなくなるようになり、食事もほとんど取らず、酒ばかりを飲むようになってしまった。義尚はみるみる顔色が悪くなり、体力も落ち、病気がちになってしまっていた。
「お酒を控えてくださいませんことには……どうしようもありません」
寝込んでしまうたびに薬師や医師に来ていただくのだが、どなたも同じことを言うだけだった。
「お酒をお控えになって下さい。大事な御身なのですから」
私は何度も義尚に注意したのだけれど、義尚はただ、うるさそうに顔をゆがめるだけだった。
女の問題も深刻だった。十四くらいのころから御所の女房達と時々床を共にしていることは知っていた。その中から側室を娶ってもよかったのだが、義尚はどの女にもそんなに執着を見せなかった。女の方がはらむことも無かったので、女親が口をはさむ事でもないと思い、しばらく放置しておいた。だが将軍は後継ぎを作ることも重要な役目である。義尚は十六になっていたが、特に思い人もいないようだったので、亡き兄様の娘、定子を正室に迎えるように勧めた。
「正室など、私にはまだ早いです」
義尚は笑って首を振った。
「ですがあなたの年のころには父上にはもうお子様がいらっしゃったのですよ。定子では気に入らないのですか?」
私がそう言って勧めても、義尚は笑って首を振るだけだった。
「どこかの公家の娘の中で思い人がおられるならその方でも良いのです。あなたは将軍なのですからちゃんとした家の娘と子供をなさなくてはなりません」
「私は正室というものに興味がわかないのですよ」
困ったような笑顔を浮かべてなお義尚は首を振った。
だが私がしつこく勧めるのにとうとう観念して、義尚は日野家から定子を正室として迎えることを了承した。
私は定子が白無垢を着て御所に入るのを陰からそっと見守っていた。定子は控えめながら、なかなかの美人だった。頑固なところがあるとも聞いたが、義尚とうまくやってくれることを祈った。
そんなことがあった数日後のことだ。
「御台様……!御所様が髻を切っておしまいになって……!!」
義尚の部屋の女房が慌てて私のところへ知らせに来たのだった。
「一体どういうことなのですか?」
聞いてみたが、誰も答えない。私はしびれを切らして義尚に直接問いただそうと思った。
「義尚に面会します。案内しなさい」
「いけません、御台様。上様はどなたにもお会いにならないとおっしゃられております」
御所の女房達に止められ、直接問いただすことはできなかった。……そうであれば、私に真実を教えてくれそうなものに聞くしかない。そう考えて、伊勢貞宗殿のところへ向かった。
「伊勢殿は義尚が何を思い悩んでいるのかご存じですね?皆私には話したがらないのです。……異性関係なのではないかと思っているのですが」
伊勢殿は私から目を逸らした。
「私の口から申し上げるのは不適当かと」
「ですが誰も教えてくださらないのです。……私に正直に話していただけるのはあなたくらいしか思い当たりません。お願いですから、話していただけませんか?」
私が何度も懇願するのに折れて、とうとう伊勢殿は話して下さった。
「上様は……正室に迎えた若御台様を愛せないことを悩んでおられまして」
ここで話を切って伊勢殿は私の顔色を窺った。……私は少し眉をひそめてしまったが、息を整えて気持ちを落ち着かせ、話の続きを促した。
「それで?」
「……乳母でいらした徳大寺家の和泉局に相談されていたそうなのです。……相談しておられるうちにその……男女の仲になってしまったらしく……それを大御所様に見とがめられてしまって……口論になってしまったそうなのです……」
徳大寺家の和泉局は確かに義尚の乳母をしていた娘だった。……だが義政様の側付きの女房となって、義政様の寵愛を受け、今は側室となっているはずだった。それが定子との仲の相談を受けるのは良いとして……それに乗じて義尚と男女の仲になるとは……!なんという淫乱な娘だろう……!!
「和泉を呼びなさい……暇を出します」
「ですが」
私が即断するのを伊勢殿は止めようとした。だが他にどんな方法があるだろうか?争いの元直ちには断つべきではないだろうか?
「寵愛していた女がいなくなり……御台様の采配だと知れますと、お二人から御台様が責められることになります……」
伊勢殿は私を気遣って下さっているのだろうか、苦悶の表情を浮かべていた。
「構いません」
私はきっぱりと言った。私は義政様にはもうすでに嫌い抜かれている。お互い職務として夫婦を演じているが、もう何年も前からそれは肌身に感じていた。義尚に嫌われるのは……つらいことだが、義尚には何としてもちゃんとした娘と子供をなしてもらわなくてはならない。和泉局のような……父とも息子とも平然と寝るような娘では困るのだ。
「和泉を追い出したそうですね?」
久しぶりに顔を合わせた息子の第一声がそれだった。
「ええ」
「母上は和泉に嫉妬していらっしゃるのですか?……老婆がみっともない。軽蔑します」
義尚は私を責め立てた。……その言い草に腹が立ったが怒り狂って口論になっては相手の思うつぼだ。私は息を整えて心を落ち着かせて言った。
「嫉妬などではありません。あのような父とも息子とも寝るような淫乱な娘は御所に不要です。だから出て行ってもらっただけのことです」
しかし義尚はさらに私を馬鹿にしたように言ったのだ。
「いいえ、母上は嫉妬しています……。母上は和泉のように真に愛されたことがないのでしょう?私は定子と和泉を比べてよくわかりました。定子はつまらない娘です……。幼いころから決められた相手に決められたとおりに嫁いで、自分というものを何も持っていない。あなたと一緒だ」
義尚は私をみてしばらく黙っていた。私は義尚の言い分のあまりの馬鹿馬鹿しさに言葉を返す気にもなれなかった。私が何も言わないので、義尚はさらに言葉をつづけた。
「……ですが和泉は違う。和泉は真に愛を交わすことのできる娘です。和泉は私の隅から隅まで知っていて、その上で私を愛してくれました。和泉が本当に好きなのは私なのです。そして私も和泉を愛していることに気が付きました」
「真の愛だか何だか知りませんが、和泉はいけません。父と息子と同時に通じる娘など」
私が義尚の言葉を否定し始めると、義尚は私の言葉をさえぎって言った。
「……母上が追い出しても無駄です。私が将軍として和泉を側室として迎えます。私が将軍なのですから逆らえるものなどいない」
そう言って、義尚は私の許から去っていった。小川の御所からそのまま出て行ってしまったのだ。義尚は伊勢殿の屋敷に身を寄せ、和泉を側室として迎えてしまった。
そんな事があった後、書類の取次ぎを頼まれ、義政様の元へ伺うことになった。気が進まなかったが……これも仕事だと言い聞かせて義政様に会った。
「義尚が和泉を側室に迎えたそうだな」
私の方を全く見ないまま、義政様は言った。
「父親から女をとるなど……。これがお前の教育の成果か?大したものだな」
義政様は私をあざ笑って言った。……私は何とも答えようがなかった。正直全くわからないのだ……。素直な良い子だったのに……どうしてこうなってしまったのだろう?定子を正室に迎えさせたから?……将軍ならば政略で結婚することも役割の一つではないのか。他の大名とて正室は政略結婚の相手であることが殆どだ。そして政略の相手だからこそ正室をそれなりに大事にするのだ。あの義政様だって当初は私をそれなりに扱って下さっていた。今だって特に離縁を求められることも無い。それが将軍として当然の役目だからだろう。義尚はいつからこんなに我慢ができない、わがままな人間になってしまったのだろうか?
そんなもめ事があった後の正月、義政様は突然小川御所から姿を消した。
「私はもう隠居する。私が命じても大名たちは寺社に強奪した領地を返さないし、息子も御台も私の言うことなど聞かないのだから。もう皆勝手にするがいい」
それを聞いた義尚も同じようなことを言い出した。
「父上は今までさんざん将軍である私の権限を制限しておいて今更何を言っているのか。突然姿を消して私を困らせようとしているだけだろう。抗議のため私は出家させてもらう!」
こうして小川御所には将軍も元将軍もいなくなってしまい、私だけが取り残されてしまったのだった。
「大変申し訳ないのですが……御台様に将軍代として当面の決裁を行っていただきたいのです……」
伊勢殿が遠慮がちに、私の顔色をうかがいながら言った。私は何も言う気が怒らないまま、伊勢殿の方を見やった。……ため息が出る。
本来こういった時は執権が代行するものなのだが……執権となるべき畠山、斯波、細川は執権の役目を特別な儀式があるとき以外、担おうとはしなかった。もう将軍に変わって命令を宣下するなど……何の旨味もないからだ。それより、荒れ始めた領地を治めることに集中したいのだろう。
皆が本来やるべき役割を放棄して好き勝手なことをやっている。……それなのに私は縛られている。日野家の娘として、好きでもない男に嫁ぎ、どんなに浮気をされても、理不尽な怒りをぶつけられても受け流し、男子を産むという役割を果たして……私はもう何の義務も負っていないはずなのに。
しかし私まで放棄したらこの京は荒れ果てたままどうなってしまうのだろうか。やはりいつかは息子である義尚が治めるこの京は荒廃したままであってほしくない。
「……わかりました。義政様か義尚が戻ってくるまでは、私が代行しましょう」
こうしてしばらくの間私が政務を代行した。……と言っても例年どおりの政務を処理していくだけだ。本来的には女である私に政務の権限はないのだから。
この後結局義政様は聖護院に住まいを移し、小川御所には戻ってこなかった。義政様のいなくなった御所に義尚が戻ってきて、形式上は政権移譲がなされ、義尚の執政が開始された。……と言ってもやはりそれも形だけのものだった。義政様はいよいよ義満公を模倣し、金閣ならぬ銀閣を建造して、この世の帝王として君臨すべく、用意を始めただけだったのだ。
義政様は東山に山荘を建造する計画を発表した。その計画によると建造に必要な金子は……四万貫文(40億円くらい)にも上るという。一体どこから金を捻出する気なのだろうか。幕府の財政は破綻状態だというのに。義政様は幕府の直轄地となっている山城国に課税したり、賦役を課したりしたらしいのだが……なかなかうまくいかないようだった。
義政様はそんな中でも義尚に代わって将軍としての書類を発行していた。相変わらず義尚の権限を制限していたのだ。義尚はますます不満を募らせるようになっていた。
そしてこんな中、私の二番目の息子義覚が十五になり元服し、出家する日がやってきた。醍醐寺の門跡となるのである。生まれた時から出家することが決まっていた子であるが、私にとっては義尚と同じ、自分の腹を痛めた息子に変わりはなかった。だが義政様は義覚に全く興味を示さなかった。
「父上様は得度の儀式ではこちらの席に座ることになるのですが……」
醍醐寺から儀式の準備でやってきた僧が席次を決めながら私の方をうかがって言った。得度の儀式には当然ながら父が出席するのがしきたりとなっていたからだ。だが準備に全く顔を出さない義政様に僧侶たちは困惑していた。私としては……必ず来るとは言えないものの、来ないとも言い切れない。
「……ええ、一応そのように用意してください」
そのように濁すしかなかった。
儀式の一月前から毎日のように義政様に向けて使者を送り、儀式に出席くださるよう、申し上げていたものの、義政様からは全く返答がなかった。私は前日義政様の許へ伺い、小川御所で行われる儀式に出席していただけるよう、お願いに行った。
「上様は……御台様にはお会いにならないと申されております……」
取次ぎの聖護院の僧侶は困惑しきった顔で私に言った。
「そうですか。しかし明日は息子の得度式ですので是非ともお会いしたいのです」
私はそう言って日が暮れるまで義政様を待っていた。取次ぎの僧侶は心底嫌そうな顔をして私と義政様の間を行ったり来たりしていた。気の毒だが仕方ない。こればかりは私も引き下がれない。私をこんなに長い間待ちぼうけにさせて恥をかかせているのだから、義政様も溜飲を下げているところではないのだろうか。嫌がらせをして気が済んだなら、是非とも息子の為に足を運んでほしい。その一心で待っていたが……義政様は私の前に現れなかった。明日の得度式に差し支えるので、私は仕方なくその日のうちに御所に戻った。
そして儀式当日になっても……やはり義政様は現れることは無かった。義政様のあるべき席には代わりに私が座った。
儀式の望んだ義覚は病気がちな子で、体が小さく、気弱そうに見える子だった。そして得度式でもずっと目を伏せたままでいた。応仁の乱の最中に生まれ、父に顧みられることがなかった可哀そうなこの子はこの得度式の翌年儚くなった。
この後も義尚と義政様の間にはまた、女をめぐる争いがあった。今度は三条局をめぐって争いが起きた。義尚の愛妾だった三条局を義政様が寝取ったのだった。義尚はまた政務を投げ出し髻を切り落とそうとした。義政様の方は何の罪悪感もないらしかった。
「ちょっと誘ったら相手が乗ってきただけだ。女などそんなものだろう」
私が事情を聴きに行ってもこんな返事が返ってくるだけだった。
「いつまでもいつまでも私をないがしろにして!!!」
怒り狂っているのは、義尚の正室として迎えた兄様の娘、定子だった。定子は怒って実家に帰り、離縁して出家すると言い出してさえいた。
「本当に申し訳ない……。だがあれが足利家の男というものなのです……。私が嫁いだ時にも義政様にはたくさんの側室がおられましたし……、今でもそうです。そういったものなのだと思ってください……。あなたが男子を産みさえすれば……もう好きになさってよろしいですから」
私が必死に何とかなだめて何とか御所に帰って来てもらった。私は義政様にも義尚にも何も言わず三条局に暇を出した。今度は義尚も何も言ってこなかった。今度は自分が三条局に裏切られた側だったからだろうか。
女の問題ばかりと思っていたのは甘かった。今度は男の問題が浮上したのだ。義尚は猿楽大夫の息子彦次郎を愛したのだ。……それは高貴な趣味として武士にはよくあることだった。だがそれはあくまで秘密のものであるのが常識だった。しかし義尚は彦次郎を武士に取り立てて、広沢の苗字と尚正の名を与えた。尚正は当然『義尚』の一字を与えたものだ。つまり、将軍家一族の格を与えたのだ。そして幕府で行われる騎射の儀式に広沢尚正として出場させたのだった。つまり天下に自分の男妾を見せつけたのだ。
私は義尚が誰とと愛し合おうが咎める気はない。そして男色は義満公などの例もあり、必ずしも忌避されるものではない。しかし、暗黙の裡に認められるものであって、公に認められるものではないのだ。将軍家の一族として男の愛人を迎えるなど前代未聞の醜聞だった。しかもそれが他者の社会生活に大きな影響を与えるとなれば問題視されるのは当然であった。本来極めて個人的な問題であるべき性愛関係が、他者に大きな影響を与えるとなれば当然、其れは自由で個人的な問題ではなくなり、社会問題となる。社会問題だから当然、影響を及ぼされ得る第三者から干渉されて然るべきだ。大名たちから異論が出るのも当然のことだった。
将軍の愛人彦次郎には公家も迷惑した。尚正なる名乗りは、元服に伴うものだ。本来ならば彦次郎は地下人だが、『将軍の一族』として元服したのだから、お祝いをせねばならない。太刀を贈ったり、伺候したりしなければならないのだ。
しかし迷惑はこれに止まらなかった。 義尚のかつての愛人、三条局に対して彦次郎の嫁にと、三条家に正式な申し入れをしたのだった。もちろん人々は面白おかしく噂した。
「自分のかつての女の愛人を男の愛人の嫁にするですって……!!」
「どんな行為を楽しまれるつもりなのかしら……?!」
三条局は耐えきれず、髪を切って家出、行方知れずとなった。彦次郎は三条局を諦め、赤松伊豆守の娘に結婚を申し込んだ。性愛に関して寛容な義政様もさすがにこれには批判的だった。
「義尚、いい加減にせよ。よその娘を何だと思っているのだ?」
しかし義政様の忠言も義尚に響くことは無かった。ますます堂々と彦次郎を連れ歩き、皆に仲の良さを見せつけたのである。
義尚の相次ぐ奇行に私はめまいがした。悪い夢だと思いたかったが……現実は残酷だった。なぜこんなことになってしまったのだろうか……?酒の飲みすぎで頭がどうななってしまったのだろうか?小さなころは優しい良い子だったのに……。義尚は全く私の手に負えない子供になってしまっていた。私が口をはさむと必ず反抗して悪い方悪い方に突き進んでしまうので、もう黙って見守るしかなかった。私はただただ義尚がまっとうな人間に戻ってくれることを祈っていた。
義尚の相次ぐ奇行に耐え兼ね、正室に迎えた定子が再び離縁を望み、実家に帰ってしまった。……もう私は二人の仲を取り持つことにも疲れ切ってしまった。それにこれ以上定子に苦労を強いるのも気の毒だと思った。結局日野家の現当主とも相談して、定子の希望を認めることになった。
「迷惑をかけて……本当に申し訳なかった……」
髪を下し出家して尼寺に向かう定子に私は謝罪した。定子は無言で去っていった。定子に対して……義尚は本当に非道だった。離縁する際にも全く顔を見せることは無く……いたわりの言葉さえ伝えることは無かった。
義尚の愛人問題は実話です。