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終戦

このあたりは私の推測や想像の成分がかなり入ります。



  「今後は一切御台所が政事に係わるのを禁ずる」


 義尚の元服と新将軍就任の後、義政様はそう言い捨てて室町御所を出て、小川の屋敷に移った。私との完全離別宣言だった。私の中に義政様への好感情はもう残っていなかったのでこのように言われても何も感じなかった。ああ、あなたもなのね、と思ったくらいだ。

 さて、世の中は新将軍が就任したからと言って、戦が突然終わるわけではなく、小競り合いが相変わらず続いていた。義政様や兄様が西軍の各大名に降伏を勧めたり、東軍への鞍替えを勧めたり、いろいろな形で終戦への交渉を進めているようだったが、私にはかかわりないことだ。私は義尚の養育に明け暮れる毎日だった。

 私は義尚を将軍らしい将軍に育て上げたかった。将軍は武家なのだから、必要なのは馬術に剣術だ。幸いなことに、義尚は義政様と違って馬術も剣術も好きなようで、暇さえあれば鍛錬に励んでいた。


 「義尚は熱心なのですね」


 私は馬術の指南役の奉公衆に話しかけた。


 「そうですね……少々打ち込みすぎるきらいはありますが、熱心に鍛錬なさるので上達もお速いです」


 馬術の指南役は嬉し気に答えてくれた。

 将軍は武術だけでなく勉学も一流でなければ公家と渡り合っていけない。そう思って私は和歌や文学の指南役となってくれる人物を探してみた。こちらはやはり公家でなくては。しかも一流の文化人でなければならない。戦乱を避けて京から公家は軒並み避難してしまっていたので、指導者探しは難航した。

 そんな中で私が目をつけたのは一条兼良だった。一条兼良は前摂政で、戦乱によって自分の館を焼かれたため、息子である奈良興福寺大乗院に子で門跡の尋尊のところに身を寄せていた。自ら菅原道真より勝る学者であると豪語するだけあって、当代一の学者であった。その学識は広範囲にわたっており、、公家の儀式の研究から、和歌・連歌・能楽などにも詳しかった。

 私は奈良に向けて使者を送り、義尚の指導をお願いした。


 「『私は隠居のみですのでお断りいたします』とのご返答でした」


 送った使者からの報告は芳しくなかった。将軍の指導者ともなれば公家と言えど名誉なことのはずである。これを断るということは……おそらく日野家に悪感情があるのだと思われた。

 私の実家日野家は正確には日野裏松家と言って日野家本家から近年分家した家柄である。同じ藤原氏の流れをくむ公家ではあるが、代々摂政となっている一条家とはまるで格が違うはずなのだが……最近わが兄日野勝光が左大臣に叙せられたのだ。家格からすると破格の出世であった。これだけでも面白くないだろうに、兄様はもともと不遜というか、傲慢な性格で有名であった。もともと下の家柄の人間であったら我慢できるだろうが……はるかに格上のはずの一条家の者に同格以上の態度をとったなら……結果は推して知るべしである。


 「いいえ、一条兼良殿は当代一の学者でいらっしゃいます。このまま奈良で腐って行かれるなど日の本の国の損失です。なんとしても将軍にご教授願いたいと、何度でも重ねてお願いしてください。季節にあった贈り物も欠かさないように」


  私は諦める気はなかった。義尚が立派な将軍になるのは私の人生全てをかけてでも叶えたい夢であった。そしてこの夢は他の者にとっても有益なものであるはずだ。……この時私はそう信じて疑わなかった。


 私がこうして義尚の養育に奔走している間、兄様は将軍代として室町御所の主人のようにふるまって、甥であり、将軍である義尚に変わって政務を行っていた。


 「まるで室町御所の主人のようなお振舞ね?」


 「上様も不快に思っていらっしゃるらしいわよ?」


 「ますます御台様とも仲が悪くなるわねえ?」


 女房達がこそこそと話している声がどこからともなく聞こえてきた。義政様との関係はこれ以上悪くなり様がないのでどうでもいい。しかし兄様への不満を私にぶつけるなどひどいのではないだろうか?兄様が強面で言いにくいから、文句をつけやすい私にぶつけるのだろう……。ただの卑怯者ではないか。

 そんな風に思って放置していると、放置できない事態が生じてしまった。


 「御台様……!帝がお怒りになられて出家なさるとおっしゃっておられます……!!」


 帝に仕える女房が私に急いで知らせに来た。慌てて帝のいらっしゃる寝殿に赴き、事情をうかがった。


 「お前の兄には我慢ならん!!」


 帝は私の顔を見るなりおっしゃった。


 「何様のつもりなのだあの男は!!」


 帝は興奮冷めやらぬまま私に訴え続けた。帝のおっしゃることを要約すると、どうやら兄は帝がお暇でいらっしゃるとからかい、自分がいかに権力を持っていて忙しいのか自慢したようだった。


 「すぐに兄を連れてまいります。しばしお待ちください」


 大体話は分かったので私はすぐに兄の許へ向かった。


 「兄様、私の仕事を増やさないでください。帝が兄様の態度に腹を立てて出家なさると騒いでいらっしゃいます。早くご自分で対処なさってください」


 「ああ、またか?まあ仕方ないな、行ってやろうか」


 私が怒っているのは分かるだろうに、兄様の態度は相変わらず不遜だった。帝に対してもこうなのだろう。


 「兄様?いい加減になさってください。帝だって好きでこんなところで暇をなさっているわけではないことくらいわかっていらっしゃるでしょう?それに帝はやんごとなきお方なのですから、そんな態度をとることは許されませんよ。兄様の官位だって帝あってのものなのですからね?」


 「お前は最近可愛くないな?上様もうんざりしていたぞ?」


 私にくどくど説教されたのが気に食わないのか、兄様は感じの悪い嫌味を言ってきた。しかしそんなことはどうでもいい。


 「では帝の寝殿に参りましょうか」


 兄様の嫌味を完全に無視して私は帝のところへ兄様を案内して行った。


 「この度は私の不用意な発言で不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした」


 兄様は帝の前では殊勝な態度で謝罪した。帝はまだ気が収まらない様子だったが、兄様があっさり謝罪したので振り下ろそうとした拳を下すことにしたようだ。


 「まあ、良い。誰しも過ちを犯すことはある」


 そういって帝と兄様は和解し、その夜は室町御所で盛大に酒宴が開かれたのだった。


 ああ良かった、これで問題が一つ解決した……、と思ったのもつかの間、またしても問題が起こったのだった。


 「日野勝光左大臣が死去されました!!」


 兄様が左大臣に就任してたった一月あまりの後のことだった。



 兄様の葬儀は盛大に行われた。兄様は何万貫文もの金や国内だけでなく海外から取り寄せた財宝を残していたので、葬儀は華やかだった。


 「日野裏松家などが左大臣になるから天罰が下ったのだ!」


 葬儀の傍らでそんな陰口が聞こえてきたが……死んでしまった人間の悪口を楽しげに語るなど……その人間の品格を落とすだけの行為だ。放っておいた。

 兄様は傲慢で不遜で疎ましく思うこともあったが……私にとって頼りになる唯一の男性だった。なんだかんだ言っても私のことをいたわってくれたし、可愛がってくれた。私の周りにいる兄様以外の男など義政様や帝など……頼りにならないどころか……反対に頼りにされてしまったり、下手をすれば油断したとたん陥れられそうになったりしそうな男たちばかりである。その唯一頼りになる兄様がいなくなってしまうなんて……。私は兄様の奥様や子供たちほどではないけれど、深い悲しみに沈んでいた。

 しかし悲しんでばかりはいられなかった。戦の休戦交渉が終わっていないのに担当者が死んでしまったのだ。誰かが代わりに立たなくてはならない。これから一体どうするのだろう。




 「私の名前を使いたいとおっしゃるのですか?」


 兄様の補佐をなさっていた側近衆が私に頼みに来たのだ。


 「実際の交渉は我々が行います。重要な判断については上様がなされます。御台様におかれましては、我々の新たな主として間に立っていただきたいのです」


 頭を深々と下げて頼まれてしまった……。


 「しかしそれは義政様が嫌がるのでは?」


 それが私の一番の懸念だった。義政様は室町御所から去られるときに、今後一切私の政事への関与を禁ずると言ったのだ。


 「それは心配ございません。既に上様の許可を得ております。御台様のお名前を使うだけで御台様がが実際に判断するのでなければ良いとおっしゃっておられました」


 「はあ、それならよろしいです。しかし一応私の名前を使うのでしたら、私にもどのように使われたのか報告してくださいね」


私の名前を義政様の都合よく使われてはたまらない。一応くぎを刺しておいた。

 それにしても、相変わらず義政様はどういうつもりなのだろうか?義政様が私を嫌っていることは間違いない。できるだけかかわり合いになりたくないとも思っていらっしゃるだろう。それなのにあえて私を用いるという……その本意は一体何だろうか?


 だがこれによって戦の終戦交渉の過程が私に報告されるようになった。だからと言って私に決裁権があるわけではない。私の役割は義政様の行った決定を方々に知らしめる、前には管領が行っていたような役割だった。本当は兄様がこの役を担う予定だったのだろうが、死んでしまったので私にお鉢が回ってきたのだ。決定の内容は全て義政様が決めるのだが、方々に知らしめるのは兄様や私なので、方々から憎しみを受けるのは義政様ではなく兄様や私の方だった。つまり憎まれ役だ。思うに、兄様が名家に過ぎない日野家の人間であるのに異例の出世をしたのは、憎まれ役を引き受ける対価だったのだろう。そういえば、元々児の役割をなさっていたのは伊勢貞親殿だった。そのせいで伊勢殿は大名達から恨まれ、結託した大名達に追い込まれて失脚なさったのだった……。成る程、義政様が嫌いな私にこの役割を押し付ける訳である。私が追い込まれて苦しんでも、義政様は痛くも痒くもない。むしろ清々するかも知れない。


 この後も相変わらず義政様からは私に向けて全く戦の状況を説明されたことは無かった。しかし側近衆から伺って初めて私は戦の状況を理解することができた。

 畠山家の家督相続争いから始まったこの戦は、実は側近衆を中心とする政治を行いたい義政様を支持する細川殿と、従来のとおり管領を通した政治を行うため、義視様を将軍に立てたい山名殿たちが畠山家の各陣営に介入して大乱となったのだった。

 当初義政様は当初不利に陥っていた西軍の畠山義就殿を戦から引かせ、畠山家を二つに分けて事を治めようとしていたのだが、大内殿が周防から西軍に参戦したことで西軍を引かせることはできなくなってしまった。


このままでは和平は難しい……。そこで目線を変えてみて考えたようだ。まず味方である東軍の主戦派を抑え、それから西軍の諸将を、懐柔したり寝返らせたりして東軍に帰参させ、西軍を崩壊させようとしたのだ。

 東軍の中で主戦派なのは赤松殿だけだったので、赤松殿には播磨・備前・美作三か国の守護職を安堵し、赤松殿を侍所の所司にも任じた。これにより、アカマツ殿を戦から引かせることに成功した。

 そして西軍の切り崩しも今はもう最終段階にあった。後は義視様を義政様に従う形で和解させ、大内殿と畠山義就殿を京から撤退させれば終わりだった。

 義視様の方も幕府からの排除を要求していた伊勢貞親殿と兄様が亡くなり、義政様に反抗していた理由も無くなったので、和解の道を探っているようだった。 

 いや、当初は伊勢殿が亡くなった時点で兄様に仲介を頼もうとしていたらしいのだ。しかし兄様が急死してしまったので、誰に仲介してもらおうか困っているのだった。そこで私が選ばれたのだ。

 大内殿は名誉を汚さず、領土を安堵してもらえれば、周防に帰っても良いと言っているらしい……。

 畠山義就殿は京で負った負債を払わなければならないので、このままでは撤退できないようだった。


 「そういう訳でして、御台様には義視様と義政様の仲介役となっていただきたいのです。いえ、実際の交渉は私たちが致しますので。大内殿も義視様の処遇についてと、ご自分の領土の保証について御台様に仲介していただきたいと依頼を受けております」


 そういって現在の伊勢家当主、貞宗殿が私に包みを二つ差し出してきた。予想どおり、中身は金であった。五十貫文と三十貫文それぞれ大内殿と義視様の託だろう。


 「これを受け取ってきているということは……決定済みということですね?まあ、何の報告もないまま私がやったことにされるよりはましですが」


 どんなことに名前を使われるのかということについて、本当に報告を受けるだけだったことに正直軽く衝撃を受けてしまう。まあ、こんな重大な政治判断に女の私が介入するなどありえないのだが。さすがにちょっとした役人人事や出金の決算などとは次元が違う。

 金はおそらく悪役を担わされる私に対する義政様なりの謝礼なのだろう。私には今以上の官位など送れないだろうから。折角なのでありがたく受け取っておくことにした。土倉に頼んで運用してもらおう。

 幕府の金は今枯渇状態にあった。何しろ戦のため地方から年貢が届かない。外国との交易もできない。寺社を保護する礼金として受け取っていた金も、京に住む人間から取っていた棟別当も京が戦場になり焼けてしまったので取れない。もはや土倉・酒屋の納税と、倉に残っている金の運用益くらいしか頼れない。それも戦乱のため従来の額には遠く及ばないものだった。

 そこで私は自分の金を親しくなった土倉達にできるだけ利益が高くなるよう、運用してもらうことに決めた。幕府の金がないなら、自分の手元の金をできるだけ増やして、いつか必要な時に使おうと考えたのだ。息子のために自分の金を幕府の用で使うこともあるだろう……。


 「細かい判断はお前たちに任せます……。私よりずっと上手くやれるでしょうから」


 こうして私の名のもと、土倉達は私の金を運用し……金に困った大名に貸し付けたりしたのだった。米を買い占めて兵糧として売りつけることを考えついたのも土倉達だった。恐ろしく儲かったらしく、私の金はあっという間に倍になり、しばらくたつとさらにそのまた倍になっていった。この時はこれらが廻り回って私の悪評につながるとは思ってもみなかったのだ。私は自分の考え付く全ての手段を尽くして金を融通しようとしていた。……全ては息子のためだった。






 私が大内殿の仲介により、義政様と義視様との講和交渉を行っていると世間に知られるようになった。おそらく、義政様がうわさを流すよう、支持なさったのだろう。そしてとうとう西軍の味方がいなくなり、東軍に殲滅される恐れが出てきたと考えたのだろうか、畠山義就殿が京から撤退を検討し始めたと聞かされた。


 「義就殿は兵士への支払いが滞りがちですので、撤退には金が必要です。……土倉達は御台様が支払いを保証してくださるなら、義就殿に金子を貸してもよいと言っているのですが」



 「どのくらいの金額ですか?」


 おそらく私が保証するのは義政様や側近たちの中ではすでに決定事項なのだろう。相変わらず勝手なものだ。しかし私は額を聞かなければ返事はできない。かなりの額であることは容易に想像できた。 


 「千貫文(1億円くらい)ほどです……」


 今の私の貯えならば払えなくはない額だ。しかしこんなもの、本来は幕府の資金で何とかするべきものなのに、簡単に私に押し付けられるのは何だか腹が立つ。


 「先に受け取った金額などではとても足らない額ですね?土倉に対して保証するというからには……名前を貸すだけではありませんよね?私に自腹で支払えと?先に伺った話ですと、名前を貸すだけだったのでは?」


 私が詰問すると、使者は冷や汗をかきながら答えた。


 「御台様にさせるようにと、上様がおっしゃったので……」


 「とても割に合わないのでこのままでは肯ぜられません。義政様は私が打ち出の小槌でも持っているとでも思っていらっしゃるのですか?そんな大金はそちらから金を出していただけませんと困ります」


 私は冷たく言い放って使者を返した。


 その後しばらくして、幕府の財政を担当する、伊勢殿が私を訪ねてきた。


 「金のことについては私に相談してください。それで何とか捻出するよう、上様から命じられております。……それですので、御台様には今までのとおり、交渉の仲介役となっていただきたいと」 


 「金の件は伊勢殿が何とかしてくださるのですね?それでしたらまあ、私も終戦交渉をとん挫させたいわけではありませんから、それでよろしいです」



 こうして畠山義就殿に私の保証の元、土倉から千万貫文が貸し付けられた。これにより、文明九年八月、義就殿は京から撤退した。戦を止めるためではなく、畠山家の領土をめぐってさらに戦うためだ。その為、東軍の一部の者は義就殿を追撃しようとしたが、義政様が追撃を禁止したので、あきらめたようだ。京を去る義就殿を大内殿が見守った。万が一に追撃があった時に対抗するためだったが、不用に終わった。

 そして残るは大内殿と義視様だけとなった。義視様は私を介して義政様と何度か書簡を交わしていた。争いの原因になっていた伊勢貞親殿も、わが兄様ももうこの世にない。和解がもうすぐ成立する見込みだ。

 そして大内殿は領土を安堵してもらうことを義政様に約束してもらっていた。残るは帝から官位を戴ければ、撤退する約束だった。これが案外難航した。


 「大内が直接朝廷に来て挨拶しない限り官位など与えるわけにはいかん」


 帝は頑固に言い張った。そして、大内殿の方も頑固だった。


 「私は田舎者でして、朝廷に参内する作法を存じません。朝廷に参内しても帝を不快にさせるだけかと」


 大内殿は実力では細川殿や山名殿に比肩する大名だが、家格が低く、朝廷に参内したことがないのだった。朝廷に参内するには衣装の約束やら何やら細かいしきたりに従わなければならない。おそらく大内殿はそういったことを苦痛としているのだろう。


 「私が衣装などを用意して、しきたりを違えないよう、お教えします。私がご一緒に参内しますから朝廷に顔を出されてはどうでしょうか?」



 私が大内殿の使者にそのようにお伝えしても、大内殿の返事は一緒だった。


 「いえ、無理です。代理の方を立ててください」



 こうなってしまえば、帝に折れていただくしかない。それには私が頭を下げるだけでは足りないだろう……。


 そういう訳で、私は義政様と共に帝の内裏に足を運んだ。久しぶりに会う夫だったがお互い顔を合わせても、一言もしゃべらなかった。もう、心の中ではお互い夫婦などではない。ただ将軍と御台所という役割を演じているだけの二人だった。


 「大内政弘は西軍の平和的撤退に貢献しました。つきましては大内政弘に従四位下左京大夫を叙位任官していただきますようお願いいたします」


 「わたくしからも是非にお願いいたします」


 帝の許へ二人で足を運び、頭を下げて大内殿に官位を授けていただくよう、お願いした。


 「……朝廷への出仕も無しに官位を授けるなど前例のないことで、本来許せることではないが……」


 前例を重んじる公家の社会においてはありえないことだから、帝は苦悶の表情を浮かべていた。だが、将軍家の実質的には頂点にある我々に頭を下げられては断れないのだろう。



 「……今は戦を終戦に導く方を優先するべきだろう……。特別に許す」



 こうしてようやく大内殿へ官位が授けられることとなったのだった。これを受け、大内殿は伊勢殿を通じて義政様と帝にお礼を申し上げた。そして、文明九年十一月、ついに大内政弘殿の軍勢が東軍の諸将が見守る中、京を撤退したのだった。これですべての西軍の大名が京からいなくなった。大内殿が周防に帰還した後、義視様は家族を引き連れ、土岐殿と共に美濃へと下って行った。義政様との和解は成立していたものの、一度義政様に反抗して朝敵となり将軍家を脅かす存在となってしまった以上、京に戻ることは難しかったのだ。こうして西軍の全ての大名が居なくなり、京での応仁の乱は終戦したのだった。



私の想像では、日野兄妹はスケープゴートのような役割をしていたのではないかと思っています。義政将軍にとって本当に大事な側近から目を反らさせて、守るために配置されたのではないかと。彼にとって日野兄妹は特に有能な人物でもなければ、大切な人間でもなかったのではないでしょうか。

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