02
「あなたの名前は?」
「名前は、特にないな。ただ、龍神とだけ呼ばれていた。龍神様でも神様でも、好きなように呼べば良い」
「それじゃあ、カミサマで」
「君がそういうと、どこか頭の悪……済まない、どこか抜けている印象を受ける」
「ぜんっぜんフォローになってないからね!?まあ、良いけどさ」
「良いのか」
カミサマは複雑そうな表情をして、僕をじっと見詰めた後に呟いた。
「あまり悲観的ではないのだな」
「うん?」
「いや、人間というものは、死ぬともっと取り乱したり理不尽に怒ったり後悔に苛まれたりするものかと思っていた」
僕は言われてみればと、ちょっと考えて、それでもやっぱり首を横に振った。
「他の人はどうか知らないけど、僕はあまりそういうの、ないかな。もちろんちょっとくらいはさ、もう少し生きてたかったなとか、やり残した事だって考えればあるのかもしれない。悔いのない人生なんて有り得ないとは思うけどさ、死んでまで自分の歩いてきた道に、ケチはつけたくないよ」
彼は静かに僕の言葉を聞いていた。自分の話や意見を押し付けずに、人間の話をちゃんと聞いてくれるカミサマなんて、想像とは全然違ってなんだか不思議な感じだったけれど、きっと彼の方がずっと良いと思った。
「……死ねば、皆等しくタダの骸だ。それを考えれば、君の考えもまた、真理なのかも知れんな」
「今のちょっと神様っぽかったかも」
「それはどうも」
カミサマは、実に人間らしく肩を竦めて、どことなく嬉しそうな顔をした。もしかして『神様っぽい』と言われるのが嬉しいのか。ちょっと可愛い気がしてきた。
「それにさ、僕が落ち着いていられるのって、きっとカミサマのおかげだと思うよ」
「私の?」
「うん。話す相手がいてさ、その人がちゃんと自分の話を聞いてくれるって、とても気持ちが落ち着くし、貴重なことだと思う」
彼は少し驚いたように僕を見詰めていたが、ちょっと笑って
「そうか」
そうしてまた、嬉しそうに呟いた。
「そう言えば、カミサマはなんで僕と同じ舟に乗ってたの?」
「神だからと言って、別に特別な舟に乗せられる訳ではない。たまたま魂が『こちら』に送られた時間が近かったから、というのもあるだろうが……実際のところは、宗教的に同乗しても大丈夫そうな相手だったから、というのもあるのだろう」
「え、何かすっごく現実的な話を聞いちゃった気がするよ……やっぱり、宗教的な問題って『こっち側』でも気にされるものなの?」
「まあ、生きている間よりも、死後の方を重視している宗教は多いからな。尚更だろう……ほら、そろそろ着くぞ」
どこに、かは分からなかったが、彼の指し示す方向を見て僕は目を見開いた。
「わぁ……!」
言葉にするのも難しいくらい、幻想的な光景だった。
ぼんやりと、溶けてしまいそうな光が、いくつも折り重なって1つの場所へ向かっていく。
それは、あまりにも美しい死者の行進。
「私たちも、周囲からはあのような光に見えているはずだ」
「えっ、それじゃあ、どうして僕たちはお互いの姿が見えるの?」
「私たちが、同じ船に乗って、互いの存在を認識し合っているからだ」
「結構、シンプルなんだ……ん?それじゃあ、カミサマが起こしてくれなかったら、僕は一人っきりで舟旅してたかもしれないってこと?」
「……まあ、あの様子だと眠っている間に、全てが終わっていたかもしれないが」
苦笑するカミサマに、僕はうわぁと呟いた。
「起こしてくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
彼は頷くと、僕の隣に並んで前を向いた。この世界に詳しい彼は、どれだけこうして死者の行進を見守って来たのだろう。
「あれ?」
ぽつりぽつりと、光の群れから、はぐれるようにして下へと降りていく魂がいる。それらは雪のように降り積もると、少しずつ光を失っていった。
僕の視線を辿り、どこか痛ましそうな表情で彼が呟いた。
「この旅路で癒やし切ることの出来なかった魂たちは、一度ああして眠りに就くのだ」
「いつ目覚めるの?」
「さあ、すぐにでもか。一年後か、ずっと先か。誰にも分からない。自分次第だ」
その小さな谷のような場所は、どこまでも静かで、それでいて傷付いた魂達のさざめきで満ちているような気がした。カミサマは、彼らの安らぎを祈るように目を閉じて、決然と前を向いた。
「私が、私達が、君達の魂を救うことはできない。結局のところ、人間は自分の脚で立って歩かねばならない……時折、己自身がひどく無力に感じる事がある。人間よりも、ずっと」
「でも、少なくとも一人は、あなたのおかげで助かったよ」
彼は僕の言葉の意図するところを汲んで、困ったような表情を浮かべた。
「神様だからって、そんなに大層なものじゃなきゃいけないなんて、誰が決めたの?元々、自分の脚で立って、自分の責任で歩いていかなきゃいけないなんて、当たり前の事だよ。それに少なくとも僕っていう一人の人生を掬い上げたんだからさ、それって大した事だと思わない?」
「分かった……分かった、私の負けだ」
彼は苦笑して頷いた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
僕達は笑い合って、この旅の始まりよりもずっと、お互いのことを分かり合えたような気がしていた。
前を向けば、眼の前には既に魂たちが吸い込まれるようにして消えていく、光の門が迫っていた。
「この門を潜れば、もう二度と戻れはしない。準備は、出来たか?」
「誰も、死ぬのに準備なんて出来ない。そうでしょう?」
「良い覚悟だ」
彼は満足そうに笑って、僕に手を差し伸べた。彼の手を取ると、どこか懐かしいような、あったかい感覚が身体を包んだ。
目を閉じて、一歩を踏み出す。
「ようこそ、私たちの世界へ」
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