第二話
光源の乏しい回廊が、薄ぼんやりと輪郭を描かれてどうにか認識する。
迷宮探索を続けられるかどうかは、この視界の悪さに慣れるかどうかであり、義勇兵としての適正の一つだ。
聞き齧った知識であるために、ヒイロにもイマイチぴんとくるものではない。
この世界がどのような地図で広がっているのかも分からず、胃の中の蛙。それどころか、迷宮の中の蛙もかくやというものである。大海を知り得ない。
それも、今回の蛙は三匹の仲間を引き連れているではないか。
足音は四つ。ヒイロが一番大きくて分かりやすい。歩くたびに硬い音が鳴り響く。それはもうガッシャガッシャと賑やかなものだ。
どうにか、エドの訓練もあって鎧を着て在る程度の行動は出来るようになった。誰かさんの暴行によって傷だらけの鎧は、修理に出すと何事かと怒られたくらいである。
先導する盗賊娘は逆に、一切の音を立てないように慎重に歩いている。鎧を着ていないことは勿論だが、両手両足が同じ方向を前に出すという、変わった歩き方をしていた。
衣擦れが出ない歩き方らしい。見慣れるまでにどうにか笑わないように努めなくてはいけない。でも視界入るためか、気になって仕方がない。
後ろを付いてくる神官と魔法使いは似たり寄ったりか。衣擦れの音も、靴の音も消しきれていない。
盾も携帯しないままに、彼女たちは心細くないのだろうか。全身を鎧で固めた自分が情けなく思えてくる。
役割が違うと言ってしまえばそれまでだが、これでいいのかは自信がない。さりとて、提案を重ねるのもタイミングが難しい。
新たに構成されたヒイロのパーティは四人。
問題なのは、ヒイロ以外女性という、もはや下心しか見えないパーティの男女比にある。
あの野郎、と心の中で恨みを呟く。
そもそもの発端は、エドパーティのメンバーの一人、クソ野郎ことアルフである。
ミミリリがヒイロからパーティ参加を断られたと聞いたあの残念な男は、あろうことかヒイロに「しょうがねえから俺がノロマのお前に変わって募集しておいた」とほざいた。
無駄に高い行動力から集められたメンバーはなんと全員女性。それも明らかに可愛らしい容姿をしたものを集めてのである。
つまり、ミミリリが万に一つでもヒイロとパーティを組まないようにという、非常に遠回りな牽制である。そこまでするか。
こうしてヒイロはまた一つ悪評を広めた。更に言えば届いていたパーティ勧誘も全て向こうから断られた。
女好きのクソ野郎とまで罵られては、心もいくらか折れそうになった。
それでも仲間自体は得られたのでトントンだと思う他にない。アルフへの恨みをまた一つ募らせた。
ともあれ、神官のメーメア、魔術師のケセラセラ、盗賊のノリスが仲間になり、全員が初対面である上に、ヒイロの印象は最悪だ。
仲間三人からは若干距離を開けられながら迷宮を歩くのは不安で仕方がない。
上手くはやれないだろう。だかまあ、それでも迷宮探索はできる。
出発前にメーメアが聞いた。
「それでも行くとおっしゃるのですか?」
ヒイロは応えた。
「人数が揃ったのなら、行かない理由もないだろう」
最低限として、無理はしない方針だけは固めた。
罠が仕掛けられていないかの警戒の為にノリスが先頭、いざ戦いが始まってしまえばヒイロが前に出る。
溢れた敵はメイスを持つメーメアと、短剣を持つノリスが、自衛能力のないケセラセラを守れるように、後ろから付いて来る。
ヒイロの役割は肉壁であって、パーティの動きとしては、ケセラセラの魔術までの時間稼ぎだ。
もちろん、魔術を使うまでもないなら、それにこしたことはない。
「分かれ道だ。……どうする?」ノリスが後ろを向いた。パーティが一度止まる。
今、このパーティにリーダーは存在していない。
誰も何も言わなかったからだ。紹介されてはいるものの、彼女たち三人は元より集まっていた新人冒険者であって、ヒイロはそこに加入したとも言える立場にある。
故に、パーティにおいての決め事は話し合い、報酬は当分という扱い。だと思う。自信はない。一応そのように声かけはしたものの、返事は判然としなかった。
命をかけるって、こんなもんなんだろうか。あっさり死ぬ未来があったとしても、そりゃそうだようなと思いながら死ぬんだろうと、自分でも思う。
ノリスの問いかけにも、一番近くにいたのがヒイロなのだからか、メーメアとケセラセラは様子を見るように言葉を出さずにいる。
誰に言ったんだろう。ヒイロにかな。といった具合である。当事者意識の欠片もないパーティだった。
「……オーケー、右に行こう」
その答えに、メーメアが反応した。無言で見送られるのではないかと不安だったが、杞憂だったらしい。
「右なのは、何か理由がございますか?」
「これから全部右に曲がれば、帰りは左に曲がってればいいから」
「そういう理由なら……賛成」
そこに続く言葉を探したのか、メーメアは他の二人にも顔を向けるも、返事はない。
この三人も仲良いわけではないのか、と変な安心が生まれた。
わかる。自分の言葉より後に誰も続いてくれないとちょっと不安よな。
「えと、その、ケセラセラは?」
痺れを切らしたのか、メーメアは確認した。聞くのか。聞くんだ。メーメアすげえ。
「けせらせら〜♪」
ケセラセラは鳴いた。自分の名前を。というより、何を尋ねても基本これしか言わないので、ケセラセラと呼んでいる。
格好からどうにか魔術師だと推察してなければ、暫定不審者である。
「……いいんじゃないか?」
代わりにノリスが答えた。いいんだろうか。まあいいか。
右折してすぐ回廊の右側に扉を見つけて、ノリスがまた止まるように仕草を見せる。
ヒイロも止まると、「ぶみゃ」と妙な声と共にメーメアに当たる。振り向くと恨みがましそうな表情をメーメアに向けられる。ケセラセラはきっちりと止まっていた。
「……止まるなら、言ってください」メーメアは俯く。暗いので分かりにくいが、よく見れば耳が少し赤い。ような気がする。
「すまん。次からは気をつける」
「あたしも声をかければよかったね」ノリスからもフォローが入った。
「そうして」メーメアは一歩後ろに下がりながら、バツが悪そうに扉を見て、左腕に持つ板に乗せた紙に、線を引いた。
ちょうど前を見てはいなかったらしい。ヒイロは剣を持つし、ノリスは罠を警戒する、ケセラセラに任せるのは不安で、メーメアが地図を書いている。
迷宮の回廊は長いが、壁をよく見ると柱のような出っ張りがあって、等間隔で続く柱を距離として描かれた地図は、それなりに見やすい。
「扉に罠はないみたい。……先に入ってみようか」
ノリスの提案に首を振る。迷宮の部屋に魔物がいたならば、前衛の役割はヒイロにある。
ノリスが頷いて後ろに下がると、メーメアも地図をしまい、腰に下げたメイスを手に取ったのを確認してーー小さく扉を開けて、中を見る。
「いるね」
人型だけど、それが二体。むせ返るような死臭が鼻を刺激する。こちらにはまだ気付いていない。それでも、ヒイロが近づけばすぐにこちらに振り返るだろう。多分。
何をする訳でもない。ただ立っている。でも呼吸している。当たり前だけど、それがちょっと過剰で、息が荒い。息を吸って体が膨らんで、息を吐いて体が萎んで。装備なんかボロボロで、剣はその辺に捨てられている。齧られた、噛みちぎられた歯型のような部分が黒ずんでおり、片方は腕がもげているけれど、どこからも血は流れ出ていない。……それなのに、直立している。姿勢は悪く、ヒイロと同じくらいの背の高さは、ヒイロより頭一つ分ほど低い。
メーメアがやつの通り名を口にした。
「人ならざるもの」
人間の死体が、腐らず、動く死体として、迷宮の魔力によって変異したものと言われている。
中途半端な変異で、まだゾンビともスケルトンともコボルトともゴブリンとも言えない、未確定の人ならざるもの。
あれと戦うのかとヒイロは少し、血の気が引く。
「引き返すならそれもいいだろ。そもそも今回は様子見、だよな?」
提案された先を見れば、ノリスは青ざめた表情をしていた。ヒイロもまた、同じ顔をしているのかもしれない。
一体はヒイロが引きつける。頑張れば二体目もいけるかもしれない。ダメそうなら一体はノリスに任せることになるが、大丈夫には見えない。
「いいえ」
しかし、ノリスの提案をメーメアは却下した。神官とアンデットは敵同士であり、人ならざるものをみれば容赦せず滅ぼすことをニーナは推奨していた。それはどうやらメーメアも同じらしい。それでも怖いことには怖いようで、メーメアも気丈に振舞っているが、足が震えている。
そうなると、ヒイロも賛成か反対かを示さなくてはならない。ケセラセラを見ると、余裕な表情を崩していない。
ものは試し、失敗したら逃走するとしての提案。
「ケセラセラ、あれ、魔法でここから攻撃できる?」
「けせらせら〜♪」小さく鳴いて手を挙げる。同時に、何かに気付いたように驚きの表情をメーメアは向けた。
「……!? ちょっと! この子魔法使ってる!?」
言うや否や、ケセラセラの掲げた手には火の玉が生まれており、薄暗い迷宮を煌々と照らすと、それをそのまま人ならざるものへと投げ込んだ。
「ーーーーーーッッ!!」
味方までも完全に虚を突かれた魔法の奇襲は、人ならざるものへと着弾し、確かなダメージを与えると、声にならない悲鳴をあげる。
それでも倒れない。しかし隙だらけではあったのでそのまま追撃に向かう。燃えた方の人ならざるものはヒイロの一撃を受けてすぐに倒れた。
すぐさま、もう一体がヒイロに向いた。そのまま突進してくる。
二足歩行の存在が無茶苦茶に近づいてくることに焦る。
(思ったより速いな、普通に怖い!)
剣先を向けて衝撃に備える。避けようとすれば後ろに向かってしまう。
迷った末に足を踏み込んで、突撃を受け止める。向けていた剣先がそのまま貫通するが、質量と速度に任せた突進は止まらない。ヒイロはそのまま押し倒される形となった。
「いったぁッ!!」
背中から床に叩きつけられる。頭も打ったみたいで視界が揺れる。まともな思考も許されず、全身へと痛みが襲い、剣の柄がずれて皮鎧をーー心臓を圧迫される。
呻いた後にヒイロは気絶した。