懐中時計(あるいは月を見ながら君と逃げた話)
(はじまりはじまり)
チクタク
チクタク
時計の音がうるさい夜だ。
きっと夢見が悪くなる。
****
あなたは夢を見ている。
僕も夢を見ている。
そして僕はあなたの夢にいる。
今宵の月は如何でしょう?
満月か?半月か?三日月か?それとも十六夜?あるいは新月?
月の満ち欠けに合わせ
月の下、夢の表情は変わりゆく。
三日月はダダイスティックで
半月はシュールレアリスティックで
十六夜はグロテスクで。
満月はまずい。
あなたの中の狂気が
あなたの外の良からぬものを呼び寄せる。
例えばどんな奴か?
女を解剖するのに執心する医師だとか
少年の純潔なる魂を食らう道化師だとか
神罰を求めて、幼い者を食らう紳士だとか
美少年の生き人形を求める青年だとか
あるいは、あるいは、あるいは……
満月下の世界は狂える者達のパーティ会場です。
さて、もう一つ、新月は?
新月はいっとうまずい。
闇に紛れて
あなたの身体を奪おうと
醜悪な、トロルのような、
恐るべき化け物が
無差別に誰かを襲ってる。
あなたも例外ではない。
それはいつ来るか?
わからない。
何で来るか?
わからない。
怪物は理由を持たない。
餌があれば喰らうだけ。
さて、改めて
今宵の月は如何ほどか?
……夢の中だからわからない?
ならば、あなたの懐中時計を見せて下さい。
持ってない?
持ってるじゃないですか。
ほら、胸のポケットに手を入れて下さい。
ね?
チクタクとなってるでしょう?
さあ、それを開けてみてください。
……今宵は半月下弦の月、
倒錯重ねた狂人だとか
正気を削る、途方もない怪物だとか
てこずる相手は出ないでしょう。
かといって、心配がなくなったわけではございません。
あなたを食らおうと、
どこかで涎を垂らす何者かが
この夢の中にいるわけです。
それで、僕はここにいるわけです。
……そうです、僕は先ほど挙げたような類の狂人ではありません。
多分、信じてくれないでしょうけど。
さて、周りを見て下さい。
言ったでしょう?半月はシュールレアリスティックと。
上に落ちていく滝と紅葉だとか。
空色のトルソが歩き回ったりだとか。
傘と機関車が斜め上に飛んだりだとか。
夢と言えど摩訶不思議、
愉快な光景が広がってるでしょう?
奇々怪々ではありますが、
あなたに害はございません。
あなたの夢の中
あなたの中から生まれたのですから。
あなたのあらゆる感情が
あなたのあらゆる記憶が
この世界を形作っているのです。
ですが、
よく聞いてください。
先ほども申しました通り、
あなたを狙い、涎を垂らすものがまぎれているのです。
それがどこかは私にはわかりません。
怒りたくなるのも無理はありませんが
狩人は獲物から隠れるのが常ですから。
立ち止まってたら危ないです。
ここは動いた方が良いでしょう。
ああ、手は引かなくても大丈夫ですか。
それは失敬。
てくてくてく
ふふ、夢の中ですから
漫画みたいな足音もなるでしょう。
おっと危ない
大きな亀がのろのろと横切ってきます。
あはは
「のろのろ」という文字が
青白い空に浮かんでます。
ですが、
このまま待っているもよろしくない。
さて、私の手につかまって。
1、2、ほいっと
ほら、怖がらないで、
水が天に落ちるように
空を飛ぶことを。
大丈夫だよ、
見上げてごらん。
珪素でできた地面に
アルファルファが生い茂っている。
それ、
緑広がり、
点々と紫が置かれた
その中央に、
まるで羽毛のようにゆるやかに着地。
そして見上げればさっきまで立っていた場所。
おっとぼやぼやしてる暇はありません。
空からトランプに描れたような
ダイヤどんどん降ってくる。
明らかに
こっちに向かって。
さあ逃げろ。
やれ逃げろ。
アルファルファの草原かき分けて
大理石の階段駆け下りると、
そこはもう竹林だ。
ほら、
手元の懐中時計と見比べてごらん
全くのおんなじ半月だ
実際の方が
兎の姿がよく見えるけどね
……おっと
狩人のお出ましだ。
貴方は竹の影に身を屈めなさい。
思ったよりも丈夫ですから。
さあ、現れたな。
まるでアルルカンみたいに
派手に着飾って
頭はまるでホヤみたいで
手足の他に蜥蜴の脚が4本生えている。
何と趣味の悪い蜘蛛だこと!!
夢にでもあってはならぬ程に……
そう、お前はこの夢にいてはならない存在。
お前はあの人の狩人ならば、
僕はお前の狩人だ。
ぶしゅう!!
おっと口から粘ついた糸
僕を捕らえようというのか。
そして、あのダイヤの散弾
僕を撃とうというのか
でも甘いよ、お前は。
ひらりひらり
ほら、こんな文字が出てくるほどに
お前の攻撃は当たらないよ。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるって言うけれど、
それは動かぬ的の話だよ。
さあ、僕の番だ
ここに取り出したるはタングステンナイフ
手首にスナップ効かせるように
ナイフの重さに任せるよに
ダイヤの雨あられの隙間目掛けて
ひょい、とね。
それ見た事か。
ああ、お前には見えないか、
だってお前の眉間にナイフが刺さったのだから。
哀れ狩人は膝から崩れるように倒れてしまった、とさ。
……まだ、出てきてはいけません。
ここはあなたのものと言えど、夢の中、
そしてこいつは夢を渡るもの、
何をしでかすか、まだわかりませんよ。
さて、少し触れてみます。
……反応はなし。
一応、心臓にも一回刺しましょう。
ナイフ、返してもらうよ。
ずぽっ
ぶしゅう!!
ぶしゅうう!!
おっと、返り血は浴びたくない。
血の臭いは嫌いですから。
……
…………
やはり、
まだ終わりでは無いようです。
血が一つの生命のごとくうごめいている。
ちょっと訂正することがあります。
半月はシュールレアリスティックと言いましたが、
多少グロテスクでもあったようです。
まるでひき肉を混ぜ合わせてる時のような
汁が絞り出て零れだす音。
……あなた、苦手ですか?
僕は苦手です。
血が新鮮な肉を作っている。
肉が狩人の身体にまとわりつく。
繰り返し。
繰り返し。
……
……
なんと、
見上げる程の巨人になってしまったか。
さながらB級映画に出てくる怪獣だ。
弦月の下で、
奴め出鱈目な言語をわめいてる。
さあ
あなたは逃げて下さい。
あいつは僕が倒しますから。
心配は入りません。
大きくなったぐらいで
何が変わろうか。
このあり得ない夢の中で
そんなことなど日常茶飯事なのに。
はは、
そんなこと言ってしまうと、
なんだか僕が負けてしまいそうですね。
さあ
早くお逃げなさい。
このままだと、
夢の中で死を迎え、
身体は奴に奪われます。
僕の名前?
ああ、
言い忘れてましたね。
僕の名前は
乾洋【いぬいよう】。
さあ、
早く。
きっといい目覚めにしますから。
****
チクタク
チクタク
ジリリリリリリリリリリリリリ!!
ガシャン。
私は目覚める。
そして手を見る。
これは私の手。
私は無事に目覚めたらしい。
夢で出会った少年のおかげで。
ちょっと頼りなげな
少年のおかげで。
名前は……
夢の事だから、忘れてしまったようだ。
(おしまいおしまい)
冬コミC95にて、本作を収録した本「乾の刻」を既刊も含めて全2巻出展します。
12/29、西ブロックは14aにいますので、興味のある方はぜひ来てください。